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革新を繰り返し西陣織を次世代へ

2017/02/23

世界のファッションから建築、果ては宇宙まで。決して伝統の上に安住することなく、西陣織の可能性をどこまでも追い求めていく細尾真孝さんに話を伺いました。

変化の振り幅の分 伝統は強くなる

 

僕は1688年に創業した西陣織の織屋「細尾」の12代目になります。西陣織は室町時代に大きく発展しましたが、先染めの糸で複雑な文様を表現して高級感を出す織物は平安時代に生まれ、宮廷に納めていたので、1200年もの歴史があります。

西陣織をファブリックとして活用したソファで
西陣織をファブリックとして活用したソファで
 

その間、西陣織はダーウィンの進化論のように、環境に合わせて変化し続けています。例えば明治に入って天皇家が東京へ移り、手織り生産で高価だった西陣織の買い手がいなくなった。そこで3人の若い職人が、西陣織の命運を懸けて、織物技術の最先端だったフランスのリヨンに渡りました。きっと言葉もできず、しかも一人は航海中に命を落としてまで持ち帰ったのが、縦糸を自動で上下するジャカードという技術です。以降、西陣織は庶民にも手が届くものになり、今日まで生き残ってきました。

伝統工芸は、技と素材とストーリーの三つに分解できると考えています。これらをマーケットに合わせて組み替えることで、多様な戦い方ができます。一般的な帯は32センチ幅ですが、細尾では7年前、世界を見据えて150センチ幅の織機を開発しました。32センチ幅にこだわっていたら、せいぜいテーブルクロス止まり。西陣織を素材として見ることで、広がりが生まれました。

ただ、150センチ幅の織物は世界中にあるので、それ自体は革新ではなく、世界のマーケットへの出場権を得ただけです。それよりも、例えば和紙に金や銀を貼って糸状にした「箔」という素材や、それを使った織物は世界にはないんですね。150センチにして初めて、先人の蓄積が世界で戦う差別化のポイントになる。そういう意味では、ようやく世界に出られるようになったので、これからもっと革新を探さなくてはと思います。

海外の新規事業を担当し、いろいろな提案をしていると、しばしば「それは西陣織といえるのか」と言われます。でも僕はむしろ、伝統とは、異質なものをのみ込んで変化し続けるからこそ残るものだと考えています。壊すつもりでも壊れない強さを信頼して、負荷をかけて挑戦すれば、その振り幅の分だけさらに強くなる。100年200年と存続させるには、常に新陳代謝し、いつでも変化できる体質をキープすることが大事なのだと思います。筋トレみたいですね。

MITでの研究課題は織物のコンピューター化

 

僕が家業の細尾に戻ったのは2008年の終わり、30歳のときでした。20代はプロのミュージシャンとして生活し、ファッションやジュエリーの業界でもビジネスをしていました。音楽一筋、あるいは家業一筋の場合よりも、掛け算する軸が自分の中に複数ある方が、発想が豊かになる気がします。

それに、アーティストや科学者、メディアの方など、たくさんの異業種の方と知り合えたことも大きい。そういった方々との交流の結果、昨年7月には純・文系の僕がマサチューセッツ工科大(MIT)のディレクターズ・フェローに就任したんですから、自分でも不思議です。15年、アーティストのスプツニ子!さんとのコラボレーションで、クラゲのDNAを蚕に組み換えて光るシルクを織ったんです。それが縁でMITの伊藤穰一さんと出会い、フェロー就任につながりました。

MITでの僕の研究課題は、織物を構造化し、コンピューター化して“モバイル住宅”をつくることです。少し前、中東やモンゴルの遊牧民族の家が織物でできていると知りました。ウールなんですね。それらの骨組みは木でしたが、織物自体に構造を織り込めば、それだけで家になるんじゃないかと。光るシルクもそうですし、熱を加えると縮むとか、今、繊維の世界はどんどん進化しています。さらに生体センターや圧力センサー、オン・オフのスイッチなどでコンピューター化すれば、災害時につぶれても逆に人間を守ったり、形状記憶によって自動で建ったりする家がつくれるかもしれない。

ショップ兼ショールーム〈HOUSE of HOSOO>にて
ショップ兼ショールーム〈HOUSE of HOSOO〉にて

伝統工芸を子どもの憧れる職種へ

 

一方で西陣織には、極めて複雑な構造体を織る技術や、太い糸から細い糸まで織り分ける技術があります。建築家が構造を計算しながらビルをつくるように、糸一本一本を考えて立体設計していく複雑さは、おそらく世界最高峰です。テクノロジーと掛け合わせれば、きっと住居の在り方も変えられるはずです。

さらに今、宇宙事業にも興味があるんです。住居が人間を守るものなら、そもそも西陣織がずっとつくってきた着物も、皮膚を守るもの。何なら、着物が家になってもいいですよね。実際にNASAでは、折り紙の発想を用いたソーラーパネルを開発中だそうですが、最小のものを最大化する発想は平面で成り立つ着物も同じです。すると着物の宇宙事業化も、意外と現実味があるかもしれません。

世界へ、宇宙へと話が広くなりましたが、今もうひとつ僕の頭にあるのは、時間軸です。12年、伝統工芸の後継者6人によるプロジェクトユニット「GO ON(ゴオン)」を立ち上げました。僕の織物、それから木工もあり竹もあり、六人六様ながら固まりでも戦っていきます。それに、日本は世界でもナンバーワンのクラフト国。伝統工芸の会社は京都だけで3600社、全国だと1万2000社あるといわれ、その上テクノロジーの企業も多いのだから、もっと交われば面白いことが生まれそうです。

目指すのは、日本だけでなく世界のクラフトを僕らが牽引(けんいん)すること、そして伝統工芸を子どもたちが憧れる職種にすることです。自分たちが前例を示さないと、次が開かない。着物を原点に、さまざまな人とさまざまな化学反応を起こして、次世代へバトンを渡せるようにしたいと思います。