電通を創った男たち #22

戦後日本にPRを本格導入した男

田中 寛次郎(2)

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    北野 邦彦

調査・広告制作部門で主導的役割を果たした電通

 

PRの導入と普及は電通が「当面の活動方針」で2番目に掲げた重要施策であるが、この施策こそが田中寛次郎が推進を図った分野であった。この分野に関しては後に詳述する。

第3番目の重要施策は、調査部機能の拡充である。電通は第2次大戦前から調査活動に力を入れており、国勢統計、広告統計、媒体統計などのデータ整備には、かねてより定評があった。

日本のPR界のパイオニア・田中寛次郎

第2次大戦後も広告作業の科学化、近代化のため、調査活動、特に市場調査、広告統計調査、媒体調査の導入と開発に力を注いだ。昭和21(1946)年12月には東京本社営業局の調査課を調査部に格上げし調査能力の向上を図ったが、昭和27年12月には東京本社と大阪支社に企画調査局を新設。東京本社の企画調査局は、宣伝技術部、調査部、出版部、PR部によって構成された。

昭和33年5月になると、企画調査局の広告制作部門である宣伝技術1~3部に事業局の商業写真部を併せて、宣伝技術局として発足させる。

昭和36年1月には東京本社、大阪支社の企画調査局を改組し、東京本社調査局(調査第1部、調査第2部、広告統計部、資料部、商品研究所、広告経済調査所)、開発局(総合企画部、マーケティング部、PR部、出版部、開発部、年鑑編集室)と、大阪支社調査局(調査第1部、調査第2部、広告統計部、資料部、広告経済調査所)、開発局(総合企画部、マーケティング部、PR部)を設置した。全国の大学の数学科、理学科、心理学科、経済学科、商学科などの卒業生を積極的に調査部門に配属することによって、調査部門のレベルアップを図ってゆく。

この頃は市場調査会社の萌芽期であったため、規模の大きな調査を実施できる能力を持った調査会社は少なく、電通調査部門は、一般企業や発足したばかりの民放や新聞社、出版社からの市場調査、媒体調査を数多く受注し、調査実施能力を磨き上げ、「調査の電通」を旗印に広告主や媒体社からの信頼感の向上に努めた。

昭和39年4月、調査局と開発局は廃止され、新たにわが国の企業としては初めてのマーケティング専門組織であるマーケティング局が東京本社(マーケティング部、市場分析部、流通分析部、広告分析部、調査部、研究部、資料センター)と大阪支社(マーケティング部、市場分析部、流通分析部、広告分析部、資料部、PR部)に設置される。東京本社のPR部は拡大され、PR局(PR1部、PR2部、出版部)となる。

また昭和37年に設立されたビデオリサーチへの出資、昭和32年の日本マーケティング協会設立に際しての全面的協力、昭和42年の電通リサーチ創立などを経て、電通は調査、マーケティング分野における主導的役割を果たしてゆくこととなる。

第4番目に掲げられた広告表現技術の水準向上のための施策も、大いに進められた。昭和23年には、東京本社営業局企画部を宣伝企画部と広告工作部に改組し、構成メンバーの大幅な強化を図った。1カ月後に広告工作部は宣伝事業部に改組され、昭和33年5月には、企画調査局の宣伝技術1~3部と事業局の商業写真部を統合し、新たに宣伝技術局とて発足させ、人員の大幅増と広告制作能力の強化を図った。

日本テレビの街頭テレビに見入る人々

第5番目、第6番目の「活動方針」に記された事業局拡大の面でも、計画は積極的に推進された。第2次大戦直後の電通は、営業局と事業局の2局体制であったが、昭和23年当時の東京本社事業局は、印刷部、写真部、出版部、代理部の総勢152名からなる4部体制であった。このうちの3分の2を占める96名は印刷部員であり、更にそのうちの73名は、文選、植字、鋳造、印刷、鉛版、製版といった印刷工場の専門工員であった。印刷工場を子会社として分離し、専門性、効率性を高めることが大きな狙いであったが、昭和25年には、専門子会社として、電通印刷所(後の電通テック印刷部門)を発足させている。

このようにして、「当面の活動方針」に示された6項目は、10年足らずの間に、全て実施に移され、数多くの成果をあげる。

常務時代に「当面の活動方針」を起案し、昭和22年に第4代社長に就任した吉田秀雄には、時代の変化を読み取る眼力と、困難を克服して計画を実行に移す胆力とがあったからこそ、10年足らずの間に「活動方針」に記された項目が全て具現化され、その後の電通発展のための基盤をしっかりと形成したのである。

 

(写真上)企画調査局新設を伝える昭和28年1月30日号の「電通社報」、(下)昭和25年頃の本社ビル

(文中敬称略)

◎次回は2月10日に掲載します。

プロフィール

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    北野 邦彦

    1937年生まれ。早大第1商学部卒。63年電通入社。秘書室長、広報室長などを歴任。01年より帝京大文学部社会学科教授を務めた。著書に『日本の広報・PR100年』(共著/同文館)、『実践マーケティング・コミュニケーションズ』(共著/電通)など。

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