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日本のテレビCM史の流れを変えた異才 ― 今村昭物語(15)

イキですてきな仲間たち―電通を創った男たちⅡ― №33

  • 鏡 明

2016/12/03

日本のテレビCM史の流れを変えた異才 ― 今村昭物語(15)

二足の草鞋を履く― 石上三登志[前]

 

今村さんと仕事をしたのは、今村さんが電通プロックス(現在の電通CRX)に出向してからのことで、それまではほとんど仕事で接したことはなかった。
わたしにとっての今村さんは、石上三登志さんであった。ここでは、石上さんを中心に思い出すことを記しておきたい。

私が初めて石上さんと会ったのは、電通に入社する前だった。それは多分1971年のことだったと思う。私の入社は同じ年だったから、その1月から4月までのどこかで今村さんと会っていた。

大学時代に私が所属していた「ワセダミステリクラブ」で石上三登志さんを招いて話を聴いたわけだ。その時点では私は、石上三登志さんの本名が今村昭であり、電通にいるということも知らなかった。私自身、そのときには電通に行くことに決まっていたわけだから、今村さんが電通にいることを知っていたなら、そう話したはずなのに、その記憶はない。事実、電通で今村さんに会ったのは、入社から2年ほど経ってからのことだったと思う。

その時も、今村さんと呼ぶのに、若干の抵抗があった。私の中では石上さんと呼ぶ方がしっくりしていたのだ。1971年の時点では、私にとっての石上三登志は、映画評論家であった。ただ、普通の映画評論家ではない。SF映画、怪奇映画に特化した評論家であった。こういったところで、今ならSFは映画の中でもメジャーになっているから、さほどの意味は無いように思えるが、60年代から70年代にかけては、それらの映画はB級あるいはC級というような認識であったと思う。もちろん例外はある。たとえば「2001年宇宙の旅」。SFという素材が、時代を超えることが出来ると言うことを示した最初の例。けれども、ほとんどのSF映画は、まじめに取り上げる意味が無いものと思われていた。その中で、石上三登志という評論家は、B級とかC級というようなこととは関係なく、作品そのものについて語ろうとしていた。そして何よりも愛情を込めて語ってくれていたように思う。それだけでわたしとしては石上三登志という評論家は素晴らしいと思えた。そして、その背後にある膨大な知識量。感心するしかない。

それは一朝一夕に得ることが出来るものではない。石上さんの有名な映画ノートを見せてもらったことがある。小学生のころから、見た映画のスタッフやキャストを書き込んだノートだ。石上さんはその何十冊もあるノートを開きながら、ほら、ここを見てよ、シナリオライターの名前まで書いてあるだろう。監督や主演俳優の名前だけでは無く、シナリオライターの名前が確かに書かれていた。石上さんは、そんなところまで眼を配っていた小学生の自分のことを誇らしげに語ってくれた。

石上三登志が、実は映画だけではなく、ポピュラー・カルチャー全体を守備範囲にしていることを思い知らされたのは『男たちの寓話』というヒーロー論だった。この評論の中で石上三登志は、映画だけではなく、小説、それも西部劇からミステリー、サスペンス、冒険小説に至るまで、恐ろしく広範囲の作品を題材にしてヒーロー論を展開していた。これがまた強力で、たとえば「2001年宇宙の旅」を、普通は人類の進化や未来を語るというような論旨になるのだが、それを人類をヒーローにした物語として捉えなおしてみせてくれる。鉄腕アトム、シャーロック・ホームズ、リンゴォ・キッド、ジェームズ・ボンド、そして「2001年宇宙の旅」といったものを、同じテーブルの上に載せて語るという空前絶後のヒーロー論だった。

『男たちの寓話』
『男たちの寓話』

ここで挙げた名前は、とりあえずわかりやすいものだけれども、考えてみると、これでは石上三登志の本質をうまく伝えていない。たとえば、カール・マイ、そしてアーネスト・ヘイコックス、マックス・ブランド、ルーク・ショートといった名前の羅列から、あ、ドイツではウエスタン小説が流行ってたんだよな、ということがピンと来るようでなければ、石上三登志の読者としては情けない。これらの名前を見て、あ、常識、と思えるようであるべきなのだ。石上さんが、どこまで意識していたのかわからないが、少なくとも、この程度の名前に説明が必要な読者を想定していたとは思えない。

われわれの仕事、クリエイティブと呼ばれる仕事は、できる限り多くの人に容易に理解されることが要求される。石上三登志の仕事は、その対極にある。そこが面白い。今村さんが、石上三登志の仕事を大事にしていた理由がわかる。パーソナルな意見と好みを前面に出していける機会を提供してくれるからだ。

ここで挙げた作家たちは、アメリカのウエスタン小説の古典的な大家たちである。石上三登志の映画評論家としてのスタートはジョン・フォードの「駅馬車」であったことは知られているが、石上さんは映画だけではなくウエスタン小説のファンでもあった。

戦後の日本の出版界にあって、SFとウエスタンは当たらないというジンクスがあった。SFは「日本沈没」や「スター・ウォーズ」のヒット、そして「宇宙戦艦ヤマト」や「ガンダム」といったアニメの力もあって、今では、誰でも知っているものになったが、ウエスタン小説は、全く受け入れられてはいない。

60年代には、大量のウエスタンがテレビシリーズとしてオンエアされ、映画も含めてブーム的な状況を呈していたが、小説となると、全く駄目だった。いくつかの出版社がウエスタンのシリーズを企画し出版に踏み切ったが、いずれも中断していた。

高校時代からアメリカのペーパーバックに手を出し始めたわたしは、SFやミステリーだけではなく、やたらに転がっていたウエスタンにも手を伸ばし、その面白さを知ったわけで、なぜ日本では翻訳されないのか、不思議に思っていた。石上さんは、わたしがウエスタンのフアンであることを知って、何冊か翻訳の本を貸してくれと言ってきたことがあった。もちろんすぐに貸しました。

本を貸すというのは、実は難しいことで、戻ってこないことを前提にして貸すべきだという説がある。わたしが持っていたウエスタン小説は、それほど貴重なものではないが、簡単には手に入らないものであった。それでも、すぐに貸すことにしたのは、もちろん、石上さんを信用していたわけだが、それ以上に、ウエスタン小説のファンに出会ったことがうれしかった。それに石上さんなら、単なる読者では無く、それを資料として使ってくれるだろうという思いもあった。

本に書かれた石上さんからのメッセージ
本に書かれた石上さんからのイラスト入りメッセージ

晩年、石上さんは自分が読んだ本を読みなおして、それを全て語るというアイデアを持っていたように思う。2007年に『名探偵たちのユートピア』という本を出しているが、この本は石上さんが読んだミステリーの古典的な名作を読みなおす、というアイデアを形にしたものだが、わたしが聞かされたのは、その発展形で、ミステリーだけではなく、冒険小説、SF、ウエスタンといった石上さんの読んできた小説をもう一度読みなおすという、考えるだけでも気が遠くなるような壮大なものだった。残念ながら、それは形にならなかったけれども、わたしの貸したウエスタン小説は、その壮大な試みを手伝うことになったかもしれない。

『名探偵たちのユートピア』
『名探偵たちのユートピア』

『男たちの寓話』で思い出したことがあった。この本が出版されたのは1975年だった。私が持っている本には石上三登志のサインが入っている。石上さんはたった三行の文字しかディスプレイに出てこない時期からワープロを使っていた。それって、面倒くさいだけじゃないですか?そう聞いたことがあるのだけれども、石上さんの答えに意表を衝かれたことを思い出した。ぼくは自分の字が嫌いなんだ。ワープロはぼくには救いなんだ。

でも、私に書いてくれたサインに添えられたちょっとした文章の文字は、私の字に比べたら何十倍もちゃんとした素敵な文字だった。

(文中敬称略)


◎本連載は、電通OBの有志で構成する「グループD21」が、企画・執筆をしています。
◎次回は12月04日に掲載します。