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【続】ろーかる・ぐるぐるNo.103

コピーライターの逆襲

2017/03/09

母方の祖父、津田正夫が70歳を過ぎてぼくが生まれたからでしょうか。記憶の中にあるのは、年がら年中ガスストーブの前でゴロゴロしていた姿だけ。最期まで食べ物への関心は失わなかったので「今晩はステーキにしよう」「鯵のにぎりを食べたい」「オレンジをむいてくれ」、そうやって起きてくる以外はいつでも床をゴロゴロ、ゴロゴロ。

他界してもう30年近くがたちますが、どちらかといえばいつも不機嫌だった祖父がいったいどんな人物だったのか。そんなことを知る手がかりを最近見つけました。

改造

志賀直哉が17年の月日をかけて長編小説『暗夜行路』を発表したことでも知られる総合雑誌『改造』。大正11年9月発行の目次に、祖父の名前がありました。西田幾多郎、小泉信三、柳宗悦、芥川龍之介といった教科書に出てくるような名前と並んで、なぜ当時24歳だった若造の原稿が採用されたのか。大学時代、マルクス経済学の大家、河上肇先生に師事した流れなのかもしれません。その内容は北海道にあった仕事現場への潜入レポートなのですが、これを読むと、ある種の共産主義的な理想に燃え、当時の急激な経済発展の裏で広がる格差に憤る青年の思いが感じられました。

ぼくが知らなかった祖父の一面を、この雑誌に載った言葉の数々が教えてくれたのです。

言葉にできるは武器になる

ところで、コピーライターの梅田悟司さんの著書『「言葉にできる」は武器になる。』が絶好調です。すでに10万部を突破だとか。この評判からも分かる通り、これはコピーライティングの技術書ではありません。人の気持ちを動かす「身体的思考」のやり方を分かりやすく教えてくれます。

その最大の鍵は「内なる言葉」。例えばコーヒーが思いの他熱いと感じたときは、「内なる言葉」で「アツッ」と言っている。近所に猫がいて写真を撮りたいと思ったときは「かわいい」や「写真撮ろう」と言っている。人はコミュニケーションのための「外に向かう言葉」とは別に、こうした「内なる言葉」を持っている、という視点です。「(内なる)言葉にできない」というのは、結局「考えていない」のと同じだとまで語っています。

暗黙知と形式知

なるほど。一般に「経験」や「感覚」「予感」の類いは、主観的で他者に伝えづらいため、言語化できない「暗黙知」として(客観的で言語化しやすい「形式知」との対比で)整理されます。しかし、なかなか言葉にできない人間の内なる感覚・感情に「言葉」を与えることこそが「考える」ことの本質であり、この「内なる言葉」を求め続ける鍛錬の大切さを説いたところに、この本の魅力があります。

別の言い方をすれば、これはコピーライターによる反撃ののろしでしょう。最近、アートディレクターは、「『カタチにできる』は武器になる」というデザイン思考によって作業領域を拡張しています。たしかに人間の内なる感覚・感情を他の人にも共有するためには「いったんカタチにしてみる」(ラピッド・プロトタイピング)は有効な手段です。でも暗黙知から形式知を引き出す方法は「カタチにする」だけではないでしょ? 「言葉にする」ことだって同等の、場合によってはそれ以上の効果があるでしょ?それならコピーライターの能力だって、いつまでも広告領域だけでなく、経営やイノベーションの現場に活用した方がいいんじゃないですか?

直接の記述こそありませんが、梅田さんの「内なる言葉」はそこにあるのでは…と感じたのでした。

SECIモデル

えーと、「反撃ののろし」というのは、ちょっと正確じゃないですよね。コピーライターとアートディレクターがけんかしているわけじゃなし(笑)。

イノベーションが起きる仕組みを説明した「SECIモデル」の中で、最も難しく大切なのは暗黙知から形式知を引き出す「表出化」のプロセスだといわれています。そして広告会社には「言葉にできる」と「カタチにできる」、二つの方法論でそれを実現するチカラがある、ということなのだと思います。

人との会話は楽しいし、特にお酒を酌み交わす時間は最高です。でもその場限りの思いつきではなく、しっかり吟味された「言葉」には思考が大いに刺激されます。祖父と梅田さんと、まったく違う内容でしたが、どちらもぼくの体内にさまざまな「経験」「感覚」「予感」を蓄積してくれました。

そういえばぼくの本も発売から1年。梅田さんの部数には遠く及びませんが。読んでくださった皆さま。本当にありがとうございます!!

どうぞ、召し上がれ!