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ぜんぜん違って、意外と同じ。菅野薫と田辺俊彦の広告論

Dentsu Design TalkNo.113

2019/11/29

ぜんぜん違って、意外と同じ。菅野薫と田辺俊彦の広告論

電通・菅野薫氏、電通・田辺俊彦氏
左から電通・菅野薫氏、電通・田辺俊彦氏

自然言語処理、AR/VR、プロジェクションマッピングなど最新のテクノロジーを駆使し、さまざまな場で「リアルタイム」の大仕掛けを成功させてきた菅野薫。

トヨタ自動車の「Start Your Impossible」に代表される、ドキュメンタリーの手法を取り入れたキャンペーンを多く手掛け、グローバルに活躍の舞台を広げる田辺俊彦。

電通を代表する二人のクリエーターは、一見方向性が異なるように見えますが、実はしょっちゅう一緒にお酒を飲む盟友同士なのだとか。田辺氏のクリエイター・オブ・ザ・イヤー受賞をきっかけに企画された今回のデザイントークで浮き彫りになったのは、音楽をはじめとするサブカルチャーの歴史への傾倒とリスペクト、リアルの追求といった、意外な共通点でした。

<目次>
青春をささげた90年代の音楽カルチャーが現在に接続
アイデアそのものよりも「実現する力」がクリエーティブ
世の中の課題に意味をなすなら、それは「広告」

 

青春をささげた90年代の音楽カルチャーが現在に接続

電通・田辺俊彦氏

田辺:今日、僕の中で二つテーマがあって、まず一つが「菅野薫」。この男のある種の危険さ、ヤバさを、実はみんな分かっていないと思うので、本当の姿をあぶり出したいです。

菅野:いや、でも、今日は田辺の日でしょう。クリエイター・オブ・ザ・イヤー、おめでとうございます。

田辺:ありがとうございます。賞は頂いたんですが、実は僕が何をやっているのかっていうのは社内でも謎めいていると思っていて(笑)。だからもう一つは、僕の宣伝に使わせていただきます。

菅野:田辺はよくそれ言うよね、「俺はあんまり知られていない」的な。今日たくさん知ってもらった方がいいよ。

田辺:でもまずは菅野さんの話題からね。菅野薫は先端テクノロジーの人だとかデジタルな人だとよく語られるじゃないですか。でもその根底は極めてアナログなジャズマンだと僕は思っていて。大学時代に菅野薫が何をやっていたのかということから掘り下げたいです。

菅野:もうやっていないですけど、大学時代はジャズバンドでギターを弾いていました。

田辺:ジャズサックス奏者の菊地成孔さんに師事して、作編曲を学ばれていたそうですね。出会いは何だったの?

菅野:学生時代は、PIT-INNのようなジャズ・クラブで、先輩のローディーをやったり演奏のお手伝いをさせてもらっていたんですが、そのとき、同じお店で菊地さんが入れ替わりで演奏したりしていて。その時に話すようになって。それから、菊地さんの小さな私塾みたいなところで楽理編曲を教えてもらったり、ゼミ的にいろんな人の演奏を採譜して分析して議論したり。4年ほど学ばせてもらいました。

田辺:そんな菅野さんは今、音楽の仕事がとても多いですよね。昔の音楽仲間とのつながりが仕事に反映されているでしょう。

菅野:20代前半の頃に遊んでいた音楽仲間から芋づる式につながっていった友人たちと、今でも一緒に仕事をしているという。ライゾマティクスの真鍋大度さん、Dentsu Craft Tokyo/Qosmoの徳井直生さん、澤井妙治さんとかそうですね。椎名林檎さんやMIKIKOさんも同世代で、音楽関係の友人関係が共通していたりします。だから、仕事でつながった感じでない人と仕事することが多いかもです。直近の仕事だと、森ビルのブランドムービーで音楽をお願いしたmabanuaさんも音楽系の友人でつながった関係ですね。

と言っても電通に入社してからは、10年くらいマーケ系部署で研究開発をしていたから、音楽と仕事は全然関係がなかったんだけど。田辺も高校時代はドイツでDJをやっていたんでしょ?

田辺:16歳のときに、ドラムンベースというジャンルですね。それで帰国して大学に入ってからも、実家が築60年の古いビルで、人を呼んでDJをしていました。そしたら遊びに来ていた某有名カルチャー雑誌の編集者が「東京アンダーグラウンドシーン20選」みたいな特集で、僕んちを16位に入れてくれたという(笑)。

菅野:もう、エピソードがすでにおしゃれだもん(笑)。アンダーグラウンドのアンダーグラウンドという、低~いところにいたときの話ね。

田辺:その反動で、電通に就職してからは今までのことを悔い改めて、ちゃんと生きようと思ったんです。

菅野:アンダーグラウンド過ぎたゆえに。入社時の志望はクリエーティブだったの?

田辺:「当然クリエーティブに配属されるだろう」「じゃなきゃなんで取ったんだよ」と思っていたら、マーケティング部門で、中部支社に配属されて。だから僕も菅野さんと同じで、若い頃やっていた音楽とおさらばをして、マーケの仕事をしてきて、クリエーティブに転局して、この4~5年で出合い直した感じです。昔やっていたストリートカルチャーやクラブカルチャー周りのことが、やっと使えるようになった。

菅野:ちょうど世の中的にも20年で一回りしてきて、90年代のカルチャーが今に接続している感じだもんね。

田辺:その感覚はめちゃくちゃ分かる。90年代のトリップホップの、ポーティスヘッドとかいたじゃない?今、2周ぐらいしてその影響を受けた、ジェイムス・ブレイクとかがヒットしていたりする。

菅野:また(挙げるものが)暗いなぁ。僕もまあ暗いけど、田辺の方が暗いわ。例えば同期の小布施(典孝)くんは性格通り、仕事でも明るくてポジティブなものをつくるけど、僕らはどうも暗い(笑)。やっぱりつくるものに人間性が出てるよね。

アイデアそのものよりも「実現する力」がクリエーティブ

電通・菅野薫氏

菅野:お互いの仕事をいくつか振り返っていきましょうか。田辺と音楽といえば、去年やった「RED BULL MUSIC FESTIVAL TOKYO」が。

田辺:最初に依頼されたのは、アートディレクションやコピーワークだけだったんだけど、それはあまり興味がなくて、「新しい音楽フェスティバルを立ち上げるなら、コンセプトからイベントの実施まで一緒にやらせてほしい」と逆にお願いしたんです。

菅野:CMがまた、すごい魅惑的な顔触れですよね。このCMって、フェスのコンセプトそのものがステートメントになっているということ?

田辺:そう。インナーのステートメントをそのままCMにした。要は、なるべくライブハウスの外に出て、音楽が「街」や「人」と融合しているフェスをつくりたかったんです。それで例えば国立科学博物館でライブをしたり、カラオケ館の各ブースにアーティストを呼んでライブ配信したり。中でもJR山手線の車両を使ったノンストップ1周ライブは、実施にこぎ着けるまでとても大変でした。

菅野:山手線の普通ダイヤの中ででしょう?よく実現できたよね。 

田辺:月1回だけ、日中のダイヤに1本、車両が走れる隙間があったんですよ。JRだから当然、安全上の基準がとても高くて、音楽機材の固定方法や重量制限、搬入時間などを一つ一つクリアしていくのが本当に大変でしたね。でも、こうして思いついたことを一緒に実現できるプロが仲間にいることが、大人になったことの良さかなと思った。

菅野:電通の強みでもあるね。僕は若い時は、「よくこんなことを思いつくな」ということを思いつくのがクリエーティブのすごさだと思っていたのね。だけど大人になって分かったのは、思いつくことより「世の中に実現して、実際に空気に触れる」ことに本当のすごさがあるということ。アイデアは発想だけでなく、「よくこんなことを本当にやったな」というところにも驚きや感動がある。

田辺:次に菅野さんと音楽というところで、仕事ではないけど、「LOVE展:アートにみる愛のかたち」(森美術館10周年記念展)を。

菅野:森美術館10周年記念展に提供した作品です。ライゾマティクスの真鍋くんと石橋素くんと一緒に作品をつくろうと、お声掛けいただいたんです。でも僕は広告が専門なので、「作品」といわれても困ったなと。そこで、やくしまるえつこさんにも入ってもらって、昔からの僕の専門だった自然言語処理システムを使ったインスタレーション作品《LOVE+1+1》をつくりました。来場者がマイクに向かって言葉を発すると、それをタイトルにしたラブソングがその場で生成されて、やくしまるえつこさんの声で歌いだすという作品。

田辺:電通入ってからずっとやってきてたという自然言語処理ね。

菅野:僕の専門なので(笑)。人工知能っぽいけどシンプルな統計なんです。過去のJ-POPからラブソングだけを7万曲集めて解析し、「この単語の次に来る可能性が高い単語はこれ」という言葉のつながりをパターン化している。コンピューターは意味も詞も何も理解していない。ありがちという理由だけで提示された詞を、人は勝手にラブソングだと感じるんですよ。「こういった言葉を組み合わせるとラブソングだと思うでしょ」という皮肉が入っています。

田辺:業界歴40年のプロデューサーみたいな発想だよね。

菅野:そうそう(笑)。それで、来場者がそのデータベースにはない言葉を発した場合は、いったんSNSでその言葉の関連語とか共起する言葉を見てきて、「その言葉の関連語」をもう一度検索し直して、つないでいく。だから例えば下品な言葉とかを入れてもちゃんとラブソングっぽくなるようにしてあるんだけど、何を歌いだすか分からない。森美術館にはたくさんの人が来るし、当時の皇后陛下がいらっしゃったと聞いたときは失礼な歌詞が出ていなかったかと震え上がってました。

世の中の課題に意味をなすなら、それは「広告」

田辺:菅野薫作品は「Sound of Honda/Ayrton Senna 1989」だったり、“1回性”のものが多いですよね。

菅野:Perfumeなどのミュージシャンとの仕事もそうですが、生放送だったり、失敗したら取り返しがつかない状態の本番を迎えることがとても多いですね…。

田辺:そのスリルはヤバいなぁ。国立競技場の映像を見てみましょうか。56年の歴史を経て取り壊される国立競技場の、最後の15分間の演出「SAYONARA国立競技場FINAL “FOR THE FUTURE”」ですね。

菅野:アスリートたちによる数々の名勝負の足跡を、“走馬灯”のように再現しようということで。走馬灯だから抽象化されていて、それも写実じゃなくて異化された形で、「光」で表現しています。

田辺:伝説の選手たちが国立の最終日に1回だけよみがえるという。この「1回だけ」っていうのが諸行無常というか、仏教的な世界ですよね。

菅野:ものすごい長い時間と手間暇をかけて、でもたった1回しか起こらない。その1回きりの奇跡というものに徹底的に関わってるから、いつも本番が過呼吸みたいになる(笑)。

田辺:僕は最近はドキュメンタリー系のプロジェクトも多くて、そっちの人だと思われがちなんですけど。根っこがリアルじゃないとあまりテンションが上がらなくなってきちゃって。

菅野:俺も、基本的にはびっくりするようなファクトをつくって、それ自体をドキュメンタリー化してみんなに伝わる形にすることが多い。「映像はうそをつく」ってことはもうみんな知ってるじゃない?だから、うそを前提とした上で真実をどう言付けていくかという方向と、俺みたいに「うそをついてない」ことを証明するために生中継とか一発勝負にするかみたいな方向に分かれている気がする。

でも、最近はリアルタイムで一発モノでも、高度な映像処理を混ぜ込んでバーチャルな映像演出を行う方向も挑戦しています。どこまでが本当で、どこまでがフェイクか分からないという。

田辺:「ドキュメンタリーはうそをつけないから大変ですよね」って言われることがあるけど、描きたい真実を左側から切り取るのか右側から切り取るのかで全然違う物語ができるから、そういう意味では6割うそなんですけどっていうね。1回性の話から強引につなげると、1回しか流れなかったCMというのを僕もやっていて、これはアメリカのスーパーボウルで流れたCMですね。

菅野:電通でスーパーボウルで流れるCMの仕事を手掛けたのは、田辺が初めてじゃない?

田辺:「もしやれるんだったら来週ロス行ってくれ」と言われて、一人でロサンゼルスに丸腰で行ったら、競合の欧米のエージェンシーが、12人のプランナーで2週間くらいかけて企画を考えてきていて。それでもその場で必死に考えて勝ち抜いたんだけど、実は流れたCMって最初に競合を勝った企画とは全然違うんですよ。

当初は夏季オリンピックと聞いていて、あるオリンピック選手が金メダルを取るまでの半生を100メートル走の競技に見立てた2分ものを提案したら、「企画はいいけど、冬季パラリンピックなんだよね」と言われて。パラリンピックのアルペンスキー金メダリストで企画をつくり直しました。

菅野:その時に通ったもう1本の企画は、ミシェル・ゴンドリーに撮ってもらったんでしょう。みんな企画会議で「監督はミシェル・ゴンドリーで」とか冗談で言ったりするけど、まさかの(笑)。

田辺:新作映画の脚本を監督に配ってキャスティングする会社がロスにあって、たまたまこの広告チームに入ってくれていたんですよ。「広告のスクリプトだけど撒いてみるか」と、すごくカジュアルに複数の映画監督に送ったら、なんと「スパイク・ジョーンズとミシェル・ゴンドリーからコールバックがきました」って。

菅野:一本釣りじゃなかったんだ!?そりゃまた、良い二人から返事が来たね~。

田辺:大声で言いましたね、「どっちでもOK!」って(笑)。どっちも僕のアイドルだから。大学時代に彼らの作品見て映像やりたいと思って、こういう映像をつくれるんだと思って電通に入ったんだから。

菅野:クリス・カニンガム、スパイク・ジョーンズ、ミシェル・ゴンドリー。僕らの世代にとって彼らは育ての親みたいなものなんですよね。僕も大学時代、「ディレクターズ・レーベル」のビデオを本当によく見ていた。ちなみにビョークは彼ら全員と絡んでいるから、ビョークのMVもかなり見てたんですが、後にビョークと仕事することになるという…。

田辺:ビョークのMVをつくれたら明日にでも仕事辞めますよ(笑)。ビョークの時はどういう経緯で?

菅野:「Sound of Honda」とか僕が関わった仕事の映像をビョークのチームが見てくれていたんです。とはいっても、最初の仕事は、ビョーク本人が「今回は、私の口の中を360度VRで撮影してくれ」と言うから、企画のしようがなくて(笑)。僕は、そういう特殊な撮影用のカメラの開発や、合成するソフトの開発のサポートをしただけなので、テクニカルサポートから始まって、がっつりライブとかMVの仕事を一緒にしたって感じです。

田辺:菅野はテクノロジーが専門といっても、ダンスとか身体芸術が好きですよね。

菅野:これはビョークもブライアン・イーノも同じことを言っていたんだけど、テクノロジーって表現の目的にはならない、あくまでもエモーションを引き出す道具じゃないですか。じゃあテクノロジーを通して何を見るか、何を発見するかというと、やっぱり人間そのもの。そう思うと、被写体は魅力的な人間、そういう人がやるダンスとか、原始的な行為にどうしても惹かれていきます。田辺もダンス好きでしょう。

田辺:僕も年に1回はダンスの映像を撮ることにしていて。一番面白かったのが、菅原小春さんに振り付けから全部一緒にやってもらった「Bose EARPHONES DANCING」という企画で。昔はBluetoothもないから、二人で聴きたいときってこうやって片方ずつ付けてたじゃない?だからこれをつないだままコレオグラフィーを考えようって。

菅野:これ、ガムテープで止めてたりするわけでもなく?(笑)

田辺:なんにもやってない。二人とも一流だから取れないの。

菅野:さて、時間もないから最後に聞きたいんだけど、クリエイター・オブ・ザ・イヤーを取ると、この後どうするんですか?とか聞かれるでしょう。この後どうするんですか?

田辺:どうしましょう。いや、でも何も変わらないですよね。給料も変わらないし仕事が増えたわけでもないし、「いいね!」を押されたくらいの感じです。ご自身の時はどうでした?

菅野:僕の時は、クリエーティブの賞をもらって、初めてそこで「クリエーターなんだ」となったという…つまり、僕はクリエーティブ局への転局試験を受けたわけでもなく、ただなんとなく仕事がだんだんクリエーティブの方に移行していっただけだから。だって最初にクリエイター・オブ・ザ・イヤーの審査員特別賞をもらった2012年は、電通総研所属だったんですよ。クリエーターとしての自覚がそもそもあんまりなかった。

田辺:クリエーティブ職ではない人が賞を取ったのは初めてですよね。

菅野:まあでも、何をもってクリエーティブ職とするのか。広告の仕事を選んだ以上、自分たちの専門性をもってクライアントや社会の課題に対してアイデアを提供するわけだけど、それって営業も媒体局もやらなければいけないことだからね。クリエーティブというのは、「CMとかをよくつくる」とかいうレベルの話で、電通人全員がクリエーティブということが正しい気もする。

田辺:たしかにね。それで、「課題を解決する」というミッションは絶対にあるんだけど、そのアウトプットが「広告」かどうかは怪しい、ということも実は思っていて。

菅野:今日も、そんなに広告の話してないもんね(笑)。まずいな(笑)。

田辺:最近、あんまりそこの区別がなくなってきてるよね。最初は広告の相談が来たけど、話を聞いてみたらマーチャンダイジングとか川上から設計した方がいいなということになったり。RED BULL MUSIC FESTIVAL TOKYOもそういうパターン。広告は、「課題解決に取り組んだ結果、最後のプロセスに勝手にできるもの」という気が最近はしている。

菅野:クライアントや世の中の課題に対して意味をなす表現やソリューションであれば、CMとかポスターといった形にとらわれる必要はないんだよね。「誰かのために機能する表現を提供する」というゆるい定義においては、全て広告だと思っています。今日はありがとうございました!

なんと、この日のために(?)、二人が融合したオリジナルTシャツを持参いただきました。
なんと、この日のために(?)、二人が融合したオリジナルTシャツを持参いただきました。