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ジブンと社会をつなぐ教室No.5

「ズーニーさん、社会ってなんですか??」

自分と社会との“接着点”を考える (後編)

2015/01/16

「ジブンと社会をつなぐ教室」を書籍化した「なぜ君たちは就活になるとみんな同じようなことばかりしゃべりだすのか。」の特別対談の一部を紹介。今回は山田ズーニーさんとの対談後編。日本では、自己表現についての教育があまりうまくいっていないのでは?それなのに就活では面接官に「やりたいことは?!」と迫られ、入ったらやりたいことはできない……。そんな状況で、どのように仕事を見つけていけばいいのでしょうか。
(前編はこちら

 

毎日1ミリの勇気を出して思っていることを伝えてみよう

 

「やりたいこと」という言葉の難しさ

小島:就活では、「就職」と「就社」のお話(※前編)のように言葉が整理されるとすごく納得できたり、逆に言葉に振り回されたりすることもあると思います。今の就職活動や学生を見ていて、言葉がしっくりきていないなと感じることはありますか?

山田:先ほど「やりたいことができない」から数年で辞めてしまう、という話が出ましたが、「やりたいこと」っていう言葉が、ものすごい混線を生んでいますよね。

 

小島:ああ、それは僕らも今まさに迷っています。まさにここが、社会との接着点になると思うんですが。

山田:難しいですね。就活で「やりたいこと」を聞かれるし書かされるから、それができると期待して会社に入るのに、そこでくじかれてしまう。

NHKの連続テレビ小説「花子とアン」に、「人が社会に出て生きていくためには、苦労を分け持たないといけない」というようなセリフがありました。「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子さんをモデルにしたドラマなのですが、私はその言葉がすごく、ストン、ときたんです。

お医者さんや先生、メーカーの営業担当、それぞれが何かを分け持つ専門家だと考えると、社会全体がものすごく分業しているんです。日本社会をひとつの大きな家族だと考えると、私もまた、表現の教育という仕事を分担しているわけです。

吉田:自分の希望と、社会の中でどの部分なら引き受けられるのか、のすり合わせなんですね。

山田:自分の中だけをじくじく掘っていても、逆に外を探し歩くだけでもだめで。自分と、気になる仕事、それから社会との関係性の中から見つけていくしかありません。そのためには、自分を表現することが最初の一歩になります。

二十数年分の経験があなた自身をつくりあげている

小島:「自分を表現すること」を僕らも目指しているんですが、日本はそういう教育があまりうまくいっていないんじゃないかという印象があります。ズーニーさんは10年以上にわたって表現の教室をされてきて、根本的な教育についてどんなふうに感じていますか?

山田:大人になるまでに「自己を表現してこなかった」人が、すごく多いですね。だから就活で戸惑い、入社してさらに戸惑ってしまう。

でも、表現してこなかっただけで、二十数年分のインプットはあるんです。自分なりに社会を体験する中で、言葉にできない実感をたくさん蓄積しています。

私が行っている大学での授業や就活セミナーでは、そこを引き出して、整理を助けています。書く前段階の「考える」ことを丁寧に積み重ねていくと、その人の正直な思いから一歩も譲らない、それでいて社会に対して通用し貢献できる感じがすごく伝わる文章が書けるようになります。

 

吉田:ズーニーさんが表現の教育を始められたころと今では、若い人のコミュニケーション環境もずいぶん異なっていますが、なにか違いを感じられることはありますか?

山田:私が表現の教育を始めた14年前は、自己表現にすごく苦手意識を持っていました。それと比べると、今は皆すごく積極的ですね。

吉田:そうなんですね。それはなぜなんでしょうか?

山田:多分、電子メールが登場してテンプレートの文章が世の中にあふれた時代に育ったから、まとまっているけど心に響かないテンプレにもう嫌気がさしているんでしょう。失敗してもいいから、自分の言葉で話したいし、友達からもそういう言葉を聞きたいという意志を感じます。

小島:そういう学生さんが、ぜひそのまま伸びていって、社会で活躍してもらえたらと思いますね。

山田:そうですね。自己表現ってそんなに難しく考える必要はなくて、今日思ったことを自分の言葉で人に伝えるだけでいいんです。毎日1ミリの勇気を出して伝え続けている人が、ここいちばんの就活のハードルを越えて、社会に出たときにも人の心に届く仕事ができるようになると思います。

<完>

 

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