ろーかる・ぐるぐる #08

事例:洋食

毎週月曜は5限目の講義をするため明治学院大学に通っています。106名履修の「経営学特講」は毎回小テストがあったり、突然名指しで発言を求められたり、正直ぼくが学生だったら「勘弁してよ」というくらい厳しい内容なのですが、みなさん熱心に参加してくれています。洋館と緑が多い白金キャンパスで90分間。ビジネスの現場とは違う貴重な経験を積んでいます。

 

 

明治学院大学白金キャンパス

 

 

 

明治学院は1863年ローマ字で有名なヘボン博士が横浜に開いた「ヘボン塾」からスタートしましたが、1880年築地へと移転しました。当時築地・明石町界隈は外国人居留地で、西洋文化がよそよりも早く入ってきた土地柄なようです。「だから築地界隈には旨い洋食屋が多いんだよ」なんて話を聞いたこともあります。

 

 

「美濃屋」のとんかつ。
残念なことに2011年に惜しまれつつ閉店。

 

 

 

実際ぼくが電通に入社した当時は本社が築地でしたので、まさにランチ天国。満腹になりたければ今はなきOでエスカロップ(カツにデミグラスソースをかけたメニュー。北海道の根室ではポピュラーなんだとか)ライスに半ラーメン。体調が悪ければ築地警察裏のHで白スパ&レバ野菜。佃大橋のたもとにあるTは酸味が効いたデミグラと甘いオムレツが相性抜群のオムハヤシに好みのフライを乗っけたり。市場のYでは海老フライを。歌舞伎座裏のEやGではグツグツのシチューを。小さなお店Fではポークジンジャーを。こってりパンチの効いたとんかつなら本願寺裏のKに。少し上品に行きたければ京橋方面のKに。そうそう、このコラムを手伝ってくれている47CLUBの椛沢くんのご実家「美濃屋」もとんかつの名店でした。

日本における西洋料理の歴史は長崎で始まったと言われています。かのグラバー園には「わが国西洋料理の歴史は、16世紀中頃ポルトガル船の来航に始まり、西洋料理の味と技は鎖国時代、唯一の開港地長崎のオランダ屋敷からもたらされた。(中略)ここに西洋料理わが国発祥を記念してこの碑を建てる※1」という「西洋料理発祥の碑」があるそうです。

 

 

47CLUBで見つけた「宇都宮で一番濃いミートソース」。
ガッツリ系男子にオススメ。

 

 

 

以来、長い時間をかけて世の中に定着してきたのが「洋食」というコンセプト。西洋料理と和食の新しい組み合わせでした。
この最高に美味しいイノベーションも、実はすんなり定着したわけではありません。明治22年頃流行した川上音二郎のオッペケペイ節には「はらにも馴れない洋食を、やたらにくうのもまけおしみ、ないしょで廊下でヘド吐いて、まじめな顔してコーヒー飲む」なんてヒドイ歌詞が登場します。※2

もはや洋食のない日本の食卓は想像もできませんが、どんなイノベーションでもしっかり定着するには相応の軋轢が生じるものなんだなぁ。ナポリタンにドリア、ソースカツ丼にトルコライス、そのひとつひとつが先人の苦労の結晶なのか・・・なんて原稿を書いていたら完全に「口が洋食」になっちゃった。

 

 

これが椛沢くん。もちろんよく食べます。

 

 

 

 

 

「美濃屋」の椛沢くん、ランチはどこのお店に行こうか?

どうぞ、召し上がれ!



※1 ※2 小菅桂子『にっぽん洋食物語』新潮社、1983年より。

プロフィール

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    山田 壮夫
    株式会社電通 第1CRプランニング局

    1969年生まれ。アイデアを核として広告キャンペーンはもちろん、店舗開発からテレビ番組の製作まで手掛ける。特に最近は全国の地方新聞社厳選お取り寄せサイト「47CLUB」と連携してローカルにおける商品開発作業にチャレンジしている。2009年カンヌ国際広告祭(メディア部門)審査員。慶應義塾大学(メディア・コミュニケーション)、明治学院大学(経営学)非常勤講師。著書に『〈アイデア〉の教科書 電通式ぐるぐる思考』(朝日新聞出版)。

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