デジタルの旬 #23

デジタルの緊張感のなさが、ネットを迷走させる?
――漫画家の想像力が見た「ネット民」の今~漫画家 間瀬元朗氏

  • 20151006 001 profile
    間瀬 元朗
    漫画家

ネットユーザーたちの多数決によって行動する人型ロボットを描く漫画「デモクラティア」が注目されている。ネットの集合知が世界を良い方向に変えるのではと長らく期待されてきたが、必ずしもそうとも言えないというのが実情だろう。そんな現実を、漫画家ならではの鋭敏な想像力で描き出した作品だ。ネット発の事件や犯罪も増えている現在、「ネット市民」「ネット民」などとも呼ばれるネットユーザーたちは、今どこに向かっているのだろう。「デモクラティア」「イキガミ」などの作者である、漫画家の間瀬元朗氏に話を伺った。

聞き手: 電通デジタル・ビジネス局計画推進部長 小野裕三

『デモクラティア』の概要
大学院でプログラムの研究をする主人公は、ロボット工学を研究するもう一人の研究者と共同して、人間そっくりの画期的なヒューマノイド「ヒトガタ」を作り上げる。その「ヒトガタ」を操るのはネット上で無作為に選ばれた一般市民たちで、ネットを通じたプログラムで彼らの意見が「多数決」として集約されることによって「ヒトガタ」の行動は決定される。それは、ネットの集合知を活用して「人間よりも人間的に正しい」究極の人間を生み出そうとする計画であった。しかし、実際の社会に出ていったヒューマノイドはさまざまな人に出会う中で多くの困難に遭遇し、主人公はその過程で暴走する「ネット世論」にも直面することになる。
デジタルの旬

「集合知」の漫画など、面白くなくて誰も読まない?


――ネットやデジタルと最初に触れたときの印象はどうでしたか。

間瀬:最初はすごいと思いました。夢が広がるような感覚がありました。でもその後、爆発的にネットが普及するにつれ、少しずつ疑問に思うことが増えてきた。コミュニケーションの形が変わりつつあって、広がっているようで実は狭くなっているような、そんなネガティブな感触を持つようになりました。その感覚が、今「デモクラティア」につながっています。

――確かに間瀬さんの作品で扱われるネットの出来事は、どちらかというと暗いイメージで捉えられている印象がありますね。「デモクラティア」を着想したきっかけはなんだったのでしょう。

間瀬:前作「イキガミ」の連載が終わる頃、中東などで「アラブの春」が起きて長期独裁政権が次々に倒れました。そこでの民衆の動きはSNSに依存していた。革命って、何かもっと生臭い犠牲の上に勝ち取るものというイメージだったのですが、フェイスブックで革命が起きて現実に国の体制が変わってしまったことに、驚きを覚えました。

その時に、漫画でも架空のSNSを作って、それを中心に巻き起こるドラマを描けたら面白いのではと思いつきました。SNSを人間そっくりのロボットに具現化し、さまざまな人と関わらせることで、集合知やネット上の民意というものが持つ面白さや怖さが浮かび上がるのではないかと。

――「デモクラティア」ではネットの集合知が持つ矛盾のようなものが描かれていますね。みんなが集まって知恵を出し合えば理屈上はいろんなことがうまくいきそうなのに、実際には迷走してしまう。

間瀬:「デモクラティア」では、基本はネットユーザーの総意でロボットの行動を決定していくわけですが、そこでトリッキーなのは、単純な多数決の仕組みにしていないところです。ロボットをどう操作するかについて、ユーザーの投稿からまず五つの案に絞られるのですが、その際、提案者の多かった「多数案」が上位順に3つ並び、残り二つは全く逆のたった一人からしか出なかった「単一案」が早い順に2つ並びます。そして最終案が総意で選ばれます。ここの選択肢で単一案も入るのがポイントですね。

というのも、「集合知」を漫画にしても、面白くないので、誰も読みません(笑)。個としての登場人物に焦点を当てていかないと、作品として成り立たない。

――なるほど。それは単に漫画の創作上のことだけではなく、ネットの「集合知」全体にどこか信頼できない面があるということでしょうか。

間瀬:何かを議論するとき、それぞれ置かれた立場を背負って侃々諤々意見を交わします。しかしそれが、匿名でしかも出入り自由になると、その背景がお互い全く分からない状態で意見だけが飛び交う。あくまで個人的な意見ですが、そこから何かが形になっていくようにはとても思えません。ものを発信する側には、それだけの責任があるはずです。仕事にしても学術論文の発表にしても、発信することで何かを背負うことになる。そういう責任がない場所で、背負うものがない人が何を発信しても、きっとすごいものにはならない。

ネットって、素晴らしい可能性を秘めているように見えて、実はネットユーザーの多くの人が同じところをぐるぐる回っているだけなのではないでしょうか。本質とは違うところで、わなに落ちているような感覚がすることがあります。でも実は、そういう人たちはぐるぐる回っているのが楽しくて、それ以上の目的はないのかもしれません。

――そのことは、ネットの世界が巨大になり過ぎたみたいなことも、ひょっとすると背景にあるのでしょうか。

間瀬:そうですね。ネットを媒介に何かが盛り上がるとき、日常と非日常が一緒に、同じ次元に置かれてしまっているような違和感を覚えることがあります。

間瀬元朗氏

ソーシャルメディアによって、人が出会い別れることも軽くなってしまった


――ご自身ではSNSとどのように関わられていますか。

間瀬:実は、僕自身はSNSは全くやっていないんです。ネットでは、発信する人と受け取る人が同じ土俵にいるわけじゃないですか。その居心地があまり良くないのです。もし自分が受け手なら、テレビを見るように何も文句を言わずに見ていたいし、逆に発信する側であれば発信し続けたい。それが一緒になってしまうと、どういう立場で自分をそこに置けばいいか分からなくなってしまう。

――「デモクラティア」はネットコミュニティーの雰囲気がとてもよく出ていると感じましたので、ご自身がSNSなどの経験がないというのはちょっと驚きです。

間瀬:ときどき「2ちゃんねる」などの書き込みを見て、お題目に対してみんなどんな意見を言っているのかとか、参考にすることはあります。

実は、何年か前に誘われてミクシィを始めましたが、すぐにやめてしまいました。不特定多数の人に向かって言うことがなくて、何を書いたらいいのか分からなかった。日々考えているような抽象的なことは漫画に書けばよくて、それが僕にとっては不特定多数の人に対するメッセージなんです。

――ネットは善意を増幅するという利点もあるけれど、その半面で悪意も同じように増幅する欠点もある、と指摘する識者もいます。

間瀬:どちらの方向にも暴走して、熱狂しやすいですよね。過剰に感情的になるので増幅していくのだと思います。魔女狩りじゃないですが、その「たたき過ぎる」エネルギーはネット独特のものですね。しかも、キーボードで打った画一的な書体の文字で表記されることで、必要以上に人を傷つけていると感じます。

――確かに文字が持つニュアンスってありますよね。あるネットコミュニティーで、文字を手書き風のフォントで書けるソフトを開発したのですが、そうすると炎上しなくなった、という話を聞いたことがあります(笑)。

間瀬:その感じはわかります。手書き風の文字なら、まともに取り合わずに済むような質の低い内容が、活字になるだけでどこか権威が備わって、新聞にでも書かれているような気持ちになることがあります。

――以前この連載インタビューで小説家の方が、ネットによって言葉が軽くなっているという指摘をされていたのですが、どう感じますか。

間瀬:ネット上では、物事のスピードがすごく速くて、立ち止まって考える「間」を許してもらえない雰囲気を感じます。

また、言葉の軽さもそうですが、人と人との関係自体が軽くなっている印象があります。ケータイのアドレスが残っていればずっとつながり続けることができるし、フェイスブックで、昔別れた恋人につながってしまう。出会ったり別れたりすることが軽くなって、次第に人と人との関係が本質的に出会いでも別れでもなくなってきて、人と関わりを持つこと自体に対する覚悟がいらなくなってきていると感じます。

――ネットビジネスに携わる人たちの中には、インターネットは世の中を良くするとポジティブに信じる人も多くいます。

間瀬:テレビが出たときも見過ぎると馬鹿になると言われたりして、何事もポジティブとネガティブの両面があるのだと思います。僕はどちらかというと、悪い方を捉えているだけです。

間瀬元朗氏

デジタルな創作物の、何度でもやり直しがきく覚悟のなさに心がなえる


――ご自身の創作活動にとってネットとはどのような存在なのでしょう。

間瀬:ネットやネットコミュニティーに対する抵抗感もある半面、すごく興味があるし、無視ができない。だから、僕の漫画にはネットに関わることが多く出てくるのだと思います。それにネットは、人間関係をドロドロにすることもできるし、逆に奇跡的なつながりができることもある。その両面がネットの性質で、物語を面白くしてくれる要素です。

最近、ロックバンドをやっている知り合いがいて、自費でCDを出すときにお金が足りなくてクラウドファンディングで集めたんです。でも、彼らのパフォーマンスは、ファンに対してつっけんどんな態度を取るスタイル。無事お金が集まり、CDが完成して記念ライブをやるのですが、そこでファンを突き放すようなスタイルを取るのは矛盾がありますよね。そんな、ネットのシステムと人間の感情がかみ合っていないことから生まれる滑稽さは実に面白くて、もう少し突っ込んで漫画にしたい欲求にかられます。

――「ネット民」とリアルな現実の世界の人々とは質的に違うものだと思いますか。

間瀬:なんとなくですが、裏と表って感じがしますね。同じ人間が、リアルな生活の場では見せない顔をネットでは思い切り出せるのかも。まあでも、本音や本性って必ずしも出さなくていいものなのではないでしょうか。今のネット上のグダグダな感じは、規制がなさすぎるせいかも知れません。

――ところで、漫画家の中には、手描きの人とデジタルで描く人がいますが、ご自身ではどうなのでしょう。

間瀬:両方です。デジタルの部分もありますが、入稿は原稿用紙です。デジタルだと情報が漏れたり、データがクラッシュして消滅してしまうことだってあり得るわけで、どこか信用していないんですね。いつでも手書きに戻れる状態を維持しています。

あと、パソコンの画面に向かって描くよりも、紙に向かって描く方が圧倒的に楽しい。画像加工ソフトのフォトショップのツールバーでは、何かツールを使ったらそれを元の棚に戻してから別のツールを使うようになっています。便利なようで、本当に集中してやっているときにはいちいち戻す作業は面倒で、絵を描くときのリズムを邪魔するんです。手書きの場合は、さっきポイとそこらへんに置いたペンがどこにあるか分かっているので、デスクの上はぐちゃぐちゃでも、作業は合理的だったりする。それに、僕の散らかしたペンや定規が、僕のリズムを作ってくれる、そんな手を使う気持ち良さが圧倒的にあります。全部パソコンで描いた方が早いよ、と言われたりもしますけど、その作業が苦痛なものになるのであれば、少しゆっくりでも楽しい方がいいわけです。

――最近、3Dでモデリングして描く漫画もありますが、ああいうのはどうなのでしょう。

間瀬:うまく当たれば、新しいやり方として王道となっていくわけですから、やったもの勝ちかもしれませんね。でも僕は、例えば先端的なCGを駆使した映画より、特撮を使ったものにむしろ引かれます。デジタルで作られたものには、何度でもやり直しができる緊張感とか覚悟のなさがあって、それに気持ちがなえるんです。

――デジタルやネットで、新しい表現や創造力が生まれる可能性はあるのでしょうか。

間瀬:あるとは思いますが、使う人の資質によるかもしれません。でもこれだけ新しいものがあふれている世界で、そもそも「新しい表現」は必要なのでしょうか。一体誰が求めているのでしょうか。あるいは、「新しい表現」という概念自体が古いのではないか、という気もしています。

――デジタルやネットは、これからどんなふうに世の中を変えていくと思いますか。

間瀬:まだ伸びしろはあるのだろうと思います。「デモクラティア」の最終回で人工知能に少し触れているんですが、人工知能やビッグデータでますます世の中は効率的に便利になっていくのでしょう。それは、良いことのような気もしますし、そうでもない気もしています。

僕は、別にもうこれ以上便利にならなくてもいいのにと思っていたりします。今追求されている便利とはビジネスのネタのようなもので、人が本当に困っていて、これがあればすごく楽になる、というものではないのではないでしょうか。もちろん、誰かが幸せになるような新しいものがあれば、それはそれでいいと思います。

間瀬元朗氏

プロフィール

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    間瀬 元朗
    漫画家

    1969年生まれ。愛知県立芸術大卒。電機メーカーに勤務した後、英国で映画美術・脚本を学ぶ。1998年、小学館新人コミック大賞に入選したAREAでデビュー。代表作に「イキガミ」。国際SFフェスティバル・ユートピアル・コミック特別賞、ジャパン・エキスポ・アワード最優秀青年漫画賞など受賞。『デモクラティア』は小学館・週刊ビッグコミックスピリッツに連載された。

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