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セカイメガネNo.11

人間ドラマが見たい

2013/07/31

さほど前のことでもないが、こう聞かれた。「オンライン、モバイルがこれだけ盛んなのにアジアにおいてデジタル広告費が伸びないのはどうしてでしょう」。要は「テレビはとっくに死んだはずなのに」と言いたいわけだ。

アジアは東京、シンガポール、香港のようにあわただしく、いつでもインターネットに接続できる都会ばかりではない。アジアで暮らすのは専門職やビジネスマンばかりでもない。例えばインターネットを使っていない農民も私たちの仲間だ。

彼らが毎日どんなメディアに接触しているか観察してみる必要がある。「伝統的メディア」と呼ばれようが、新聞、雑誌、テレビ、ラジオが相変わらず元気がいい理由が分かるだろう。

人はなぜデジタルメディアを使うのか。フェイスブック、ツイッター、ユーチューブを使いたいというのが理由だろうか。そうではない。そこで見つけられるものが重要なのだ。物語、画像、音楽、動画である。

デジタルメディアは経路にすぎない。私たちは、両親や祖父母がインターネット以前に夢中になったものに、デジタル経由で夢中になっている。彼らは代わりに絵本、新聞、ラジオ、テレビを使っていたのだ。

私たちの仕事は、インターネットがもたらした接触の広さ、社会的関わりの深さの可能性を生かすことである。私たちの送ったメッセージで人々が遊びたくなったり、参加したくなったり、他の人に伝えたくなるように魅了することだ。

私はそれを「人間ドラマ」と呼ぶ。私たちがなにかに関心を持ったり、楽しんだり、人とつながりたいという欲望を持つのは人間が社会的動物だからである。私たちがインターネットでコミュニティーに参加するのは、他人とやりとりしたいからだ。日々のドラマが私たちを周囲の世界と結び付けている。

ソーシャルメディアが世界を席巻している理由は、この星の歴史と同じくらい昔からある人間ドラマのせいである。ユーチューブで「Charlie bit my finger-again!」を見るといい。これほど単純で愛らしい動画が世界中でもう5億回以上見られている。

もし人間ドラマが見られないのなら、SNSに夢中になる人など地球上に50人もいないだろうと思えるほどだ。ひょっとして世界のどこかでテレビは死んだのかもしれないが、人間ドラマがなくなることはあり得ない。ドラマはより大勢の観客の前で繰り広げられている。そのスクリーンがこれまでとは違うだけなのだ。

(監修:電通イージス・ネットワーク事業局)