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為末大の「緩急自在」No.23

アスリートブレーンズ為末大の「緩急自在」vol.23

2022/07/20

為末大さんに「いま、気になっていること」について、フリーに語っていただく連載インタビューコラム。唯一、設定したテーマは「自律とは何か、寛容さとは何か」。謎の「聞き手」からのムチャ振りに為末さんが、あれこれ「気になること」を語ってくれます。さてさて。今回は、どんな話が飛び出すことやら……。乞う、ご期待。

為末大氏

──「透明感とは、何だ?」という、編集部が設定したへんてこなテーマなのですが、本編がラストとなります。

為末:よろしくお願いいたします。

──前回は、体の動きといった、まさに為末さんらしい切り口で「透明感」について語っていただきましたが、最終回となる本編では、精神性、それも日本人特有の精神性といった切り口から「透明感」を語っていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか?

為末:相変わらずの、むちゃぶりですねえ(笑)。精神性ということでいうと、伊勢神宮の「式年遷宮」というのがあるじゃないですか?

──20年 に一度、お宮を移すという……。

為末:そうです。外国の友人が、あれをとても不思議がるんです。理由は二つあって、いにしえより世界的な技術大国 であった日本が、なぜ、朽ち果てることが分かっている木材を使って建造物を建てるのか。なぜそれを、わざわざ建て替えるのか。あと、日本人って、新車が好きですよね?というんです。

──伊勢神宮と、クルマ。不思議な指摘ですね。

為末:そのときに思ったことは、日本人って「清まった状態」を良しとするんだな、ということ。「穢れ(けがれ)」の逆にある状態、というんでしょうか。自我から、過去から、なにもかもを捨て去ったときに、ある種の幸福感に満たされる、というか。

──初詣とかもそうですよね。あっ、日本人のお風呂好きとかもそうだ。

為末:極端な例でいうと、武士の切腹とかもそうだと思うんです。無私、というのかな。希望とか願望といったものすら捨てきって、心が澄み切った状態、というんでしょうか。もちろん、お家を守るため、といったようなさまざまな事情はあったと思いますが。

──でも、その精神性というか、「透明感」を尊ぶDNAは確かに残っていますよね。でないと、赤穂浪士がいまだに愛されていることの説明がつかない。

為末:そうした心の面に「透明度」というものが加わってくる。透明度というものは、言い換えれば「矛盾が少ない」ということ。だとすれば、良い・悪いの話は別として、全体主義といったものと相性がいいんです。

──なるほど。「透明感」というテーマで、そこまで行きつくとは思いませんでした。

為末大氏

為末:「透明度」が高まること自体、悪いことではない。でも、そこに「統制」とか「懲罰」といったものが入ってくると、とたんに社会全体がピリつく。学生運動も戦時中も「動機の純粋性」がとても求められましたしね。 

──分かります、分かります。会社なども、そうですものね。「オープンな社風」「透明度の高い経営」みたいなこと自体、なんの問題もないどころか歓迎すべきことですが、それを実現するためにキミはこれをしたまえ、これはしてはならない、みたいなことを言われると、とたんに窮屈に感じてしまう。

為末:僕は、政治の専門家でもないですし、なになに主義を応援する、または否定する、みたいな気持ちもないのですが、透明性が高まれば高まるほど数字に表しやすくなって、機械で分析しやすくなるんじゃないかと思います。例えば     AI(人工知能)。AIの立場からすれば、解析可能な膨大なデータがあればあるほど、うれしい。いい塩梅(あんばい)で頼むよ、みたいな人間社会の心の機微みたいなものは、数字にするのがとても難しいです。

──なるほど。今回、「透明感」というテーマを設定するにあたって、アタマにふと浮かんだのが江戸時代の狂歌なんです。「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」というもので、ワイロ政治で知られた田沼意次が失脚した後、寛政の改革によって綱紀を粛正した白川藩出身の松平定信を皮肉ったものなんですが。僕も、どちらかというと田沼派だなあ(笑)。

為末:透明度の数値をあげることだけに、こだわってはいけないのでしょうね。大事なことは、必ずしも数値では表せないですから。 

──現役時代、コンマ何秒の数値を極めた為末さんにそう言っていただけると、なんだかうれしいです。

為末:人は、数字のために生きているわけではないですから(笑)。とある知人に「為末さんは、誰とでもそこそこしゃべれる。そこが、いいよね」と褒められたことがあります。最高の褒め言葉だと思っています。「そこそこ」というところが良くないですか?

──ですね。そんな為末さんだからこそ、この連載にも「そこそこ」お付き合いいただけているわけで。次回のインタビューも、どうぞよろしくお願いいたします(笑)。

為末:こちらこそ(笑)。

(聞き手:ウェブ電通報編集部)


アスリートブレーンズ プロデュースチーム 日比より

透明度が高まること自体は良いものの、でも、そこに統制・懲罰が加わると、途端に窮屈になる。オープンな社風、透明性のある経営は、絶対善に見える。が、実際には、絶対善ではない。当たり前と思われている物事に対して、ふとした、気づきをもたらすのが、アスリートの力。「そこそこ」というチャーミングな締めくくりだったが、この「そこそこ」という感覚が、まさに絶妙だ。「そこそこ」だからこそ、あらゆる領域で持てる力を発揮できる。イノベーションを起こせ、と言われると、人はついつい肩に力が入ってしまう。そんな知恵の新結合(イノベーション)を生み出すために、アスリートは意外にも「そこそこ」を大事にしている。これは「面白い一手」になるのではないだろうか。

アスリートブレーンズ プロデュースチーム 電通/日比昭道(3CRP)・荒堀源太(ラテ局)

為末大さんを中心に展開している「アスリートブレーンズ」。
アスリートが培ったナレッジで、世の中(企業・社会)の課題解決につなげるチームの詳細については、こちら

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