アクティブラーニング こんなのどうだろう #20

世界では、90年代からこんなものが
テスト持ち込み可だった。

  • 20160526 103
    Nadya Kirillova
    キリーロバ・ナージャ
    株式会社電通 ビジネス・クリエーション・センター 電通総研 Bチームクリエーティブ

電通総研に立ち上がった「アクティブラーニング こんなのどうだろう研究所」。アクティブラーニングについてさまざまな角度から提案を行っていきます。このコラムでは、ラーニングのアクティブ化に活用できそうなメソッド、考え方、人物などを紹介していきます。

 

カナダの学校に転校して、数学のテストがやってきた。さあ計算するぞと張り切っていた私をとんでもないことが待ち受けていた。周りを見渡すと、みんなカバンから板チョコに似た長方形の箱を取り出した。

あれは、何? あまり見たことがないカタチだった。みんなふたを開けると何とそれは計算機だった。しかも、単純な計算だけではなく関数や微積分まで計算できるやつだ。え?皆さん、これはテストですよ! 計算機はダメでしょ。でも、みんな気にせずパチパチと計算機で計算をしながら答えを回答用紙に書いていく。

むしろ計算機を持っていない私の方が変だという視線すら感じるくらいだ。信じられなかった。だって、それだと何をもって数学ができるというのですか? 計算ミスが多い私だったからこそ、何だか悔しくすらあった。計算機なんて持ったこともない。とりあえず何とか自力で計算してテストを乗り切ったが、みんながズルをしているではないか?という感覚が抜けなかった。

それを察したのか先生はこう話しかけてきた 。言いたいことは分かる、でもこの学年になると、キミのミスがない計算能力より、このテーマの数学の仕組みをちゃんと理解できているか、その上で問題の解き方を知っているか、そこを見ているんだよ。別に公式だって知らなくてよい。ほら、たまに問題の頭に書いてあるだろ? それをどう使えばいいのか、使うと何ができるか、それを分かればいいんだ。

なるほど。確かに。そういう見方もあるのか。今までと違いすぎて困惑したが、私も早速計算機を手に入れた。これが、次に日本の学校に転校するときにはとんでもない苦労につながることを、このときは知る由もなかった。

思い出すと、いろんな学校にいろんなテストのちょっと変わったルールがあった。

例えば、カナダの学校でのもう一つの衝撃は、全てが選択問題という試験があったことだ。これも何だかちょっとバカにされているような気が最初はした。そんなにヒントがなくても分かるものは分かるし、勘で答えるのはなんだか格好悪い気がしていた。数学で選択式ですよ! 今まで、出合ったことがなかった。途中計算とかどうなるんだ。あ、ここではみんな計算機を使うのか。

でも英語やフランス語の時間になると選択式をとても喜んだ自分もいた。苦手な科目はやはり分からないから選択式の方がまだなんとか運良く正解を選べるかもしれない。方向性だけ分かればあとは何とかそれっぽい答えにたどり着けそうな気がする。

そうか、これは苦手な人を救うためのシステムなのか。ちょっとだけやさしさを感じた。でも、選択肢の中には全部間違っているという選択と全部合っているという選択肢もあって、なかなか引っ掛けられる。

ロシアの学校では座っている列によって出題される問題が異なった。なぜかって? それは、カンニングをしないためだと思う。一つの長い机に座るから隣の人の解答を見ようと思えば見られる。優等生の隣が悪ガキだと特に、すぐカンニングをしようという発想になる。列で問題を分ければ、この問題は簡単に解決する。だって隣の解答が見えても何の意味もない。みんな自力で頑張るようになるのだ。奇数列と偶数列で問題を分けることが多かった。

算数なら同じレベルの計算問題を別の数字を使って出題する。自分が座っている列の問題を解く。評価が不公平にならないかって? 確かに、日本だと同じ問題を出題してその上で能力を比較することに意味を感じるかもしれませんが、ロシアではそういうことは全くない。ちゃんと本質が理解できていれば数字が変わったくらいで解けなくなることはない。

大学生になるとくじ引きのように問題を引いて全員違う問題を解くなんてこともあったと親から聞いたことがある。確かに多少の当たり外れはあるが、ちゃんと勉強していれば「運」なんて関係ない。優等生はそう信じているようだった。

アメリカの小学校ではみんなそろって、よーいどん!でテストを受けた記憶がない。もちろん問題が出題されてみんなでそれを解くというのはあっても、それは日本でいう「テスト」というより「抜き打ちクイズ」や「練習問題」のような感覚だった。

出し方もさりげないし、用紙も構えた感じではなくテスト感をあまり感じない。何度もやり直せたし、「できない」「分からない」という感覚もあまりなかった。みんな最後はできる、正解にたどり着ける。なんだかとても不思議だった。これはテストだよね?と毎回疑ってしまうほどだ。

それではどうやって成績をつけるの? 私も最初そう思った。でも、先生はちゃんとみんなのことを見ている。誰がどれくらいできるかも知っているのだ。

そういえば、イギリスの学校でも同じような感覚だった。1テーブルで1チームだから最後はみんなで一つの答えを出す(※詳しくは、#03 「5カ国の小学校の座席システム。実は全部違った。」)。だから、当てられて、分からない、どうしよう。という感覚にならないし、みんなの前で恥をかくこともない。苦手な科目でもリラックスして取り組めるのだ。だからいつの間にか苦手意識がちょっとなくなる。それも成長につながるのかもしれない。ここでも先生はちゃんとそれぞれの能力とチーム内の活躍を見ている。

テストにはいろんなやり方と特徴があったが、暗記を必要とするものはほとんどないというのが特徴だった気がする。計算機や辞書の持ち込みが許されたり、教科書を持ち込んでいいテストすらあった。それは、求められる全ての答えは教科書にも、辞書にもないし、計算機が知っていることでもないからだ。

そう考えると、テストは何のためにあるのか。何を見るためのものなのか。児童・生徒は何をどういうふうに評価されるべきか。それを考えると、とても興味深い。

 

世界でテストに持ち込み可能なこんなもの

 

プロフィール

  • 20160526 103
    Nadya Kirillova
    キリーロバ・ナージャ
    株式会社電通 ビジネス・クリエーション・センター 電通総研 Bチームクリエーティブ

    ソ連(当時)、レニングラード生まれ。6カ国で育つ。電通入社後は、様々な領域に取り組むクリエーティブとして活動し、国内外のプロジェクトを幅広く担当。Cannes Lions Titanium Grand Prix、D&AD Black Pencil、文化庁メディア芸術祭大賞など多数受賞。

バックナンバー

関連記事

続きを見る
ページ先頭へ