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公開日: 2026/04/03

「成長」と「尊厳」のジレンマを超え、人間の幸福を考える シリーズ:「人」の探究

山本 龍彦

山本 龍彦

慶應義塾大学

永井 聖士

永井 聖士

株式会社電通

※2025/9/10公開 DHBRオンライン広告より転載

 


サマリー:人間を取り巻く環境が急速に変化する現代に「人」とはどういう存在になっていくのか。dentsu Japanのメンバーが、さまざまな領域の専門家と「人」の根源的な可能性を議論する不定期のシリーズ、“「人」の探求”。


今回は、デジタルテクノロジーの進化がもたらす利便性がその半面に抱える、社会の分断や民主主義の危機といったジレンマに着目する。現代において、ビジネスの成長と人間社会の健全な発展は、いかに両立しうるのか。憲法と情報法を専門とし、『アテンション・エコノミーのジレンマ』の著者でもある慶應義塾大学大学院教授の山本龍彦氏と、電通 代表取締役副社長執行役員の永井聖士氏による対談を通じて、これからの企業経営や社会にとって不可欠な、新たな羅針盤を提示する。
 

 


混沌とする情報空間とマスコミュニケーション

永井:デジタルテクノロジーの進化とデジタルデバイスの普及は、社会を大きく変えました。たとえば、民主主義の根幹である選挙において、SNSやネット動画が有権者の投票行動を変化させています。これに対して日本新聞協会加盟各社は、2025年6月に選挙報道のあり方を足元から見直し、有権者の判断に資する報道を積極的に展開する姿勢を表明しました。

私たち電通は、長くマーケティングやコミュニケーションを事業領域としてきましたが、ただでさえ現代社会の価値観の多様化で一律的なコミュニケーションが通用しなくなったうえに、社会の分断がこれ以上進めば、そもそも「マスコミュニケーション」という概念自体を維持できるのか、本質的な検証が不可欠な段階に来ていると感じています。

ただ、人間が社会を形成する限り、メディアの役割がなくなることはないでしょう。課題は、「不特定多数の大衆×メディア」という関係が、「個人×メディア」という形に急速に移行しつつあることに、どのように対応していくかという点にあります。マスメディアは今後ますますパーソナルメディアを意識せざるをえず、逆にパーソナルメディアは収益化のためにマス化を志向する。その狭間で、クライアントの事業を担う私たちがメディアビジネスの現在地をどう捉えるべきか、大きな転換点にあると認識しています。

山本:現在の情報空間は混沌としており、殺伐とした様相を呈しているようにも感じます。そこでは、選挙や民主主義のあり方が大きく変容しているだけでなく、個人レベルでも、発言が炎上したり、事実無根の情報を流されたりして、私たちの尊厳が常に脅かされるようになってきています。

技術の発展がもたらしたパーソナライズされた広告やコンテンツの配信は、個々人をそれぞれの関心の中に閉じこめる「フィルターバブル」(※1)や「エコーチェンバー」(※2)といった問題も顕在化させました。これは、知識や情報を共有して公共的な事柄について議論できる「公衆」の形成を困難にします。米国の混乱した情報空間などは、かつて思想家のトマス・ホッブズが述べた「万人の万人に対する闘争」(※3)状態にも近づきつつありますが、数年後には日本でも同様の事態が起こりうると強い危機感を抱いています。

※1 フィルターバブル:AIによるプロファイリングなどに基づく選別的なニュース配信
※2 エコーチェンバー:似たような意見を持つ人との交流による意見の増幅
※3 万人の万人に対する闘争:法や秩序がない「自然状態」において、人々が「狼」となって自己利益のために相互に争い合うこと
 

こうした中で、電通の役割はとても重要です。偽情報や誹謗中傷を含むコンテンツに自社の広告が表示されることによるブランドイメージの毀損が、広告主にとって大きなリスクになるのは言うまでもありません。いまは単にページビューを稼げるコンテンツに広告を出せばよいという時代ではない。多くの広告主との接点を持つ電通が、どのような広告エコシステムを構築していくのか。それは、単なる広告ビジネスのあり方を超え、メディアを通じて人間や社会そのものをデザインしていくことにもつながります。


“関心経済”が蝕む「自己決定権」という尊厳

永井:当社は1901年の「日本広告」と「電報通信社」の創業以来(1906年に「日本電報通信社」として統合)、メディアのパートナーとして健全な社会の発展を支えることを大切な使命と考えてきました。創業期には新聞が主要メディアであり、私たちはニュースを速やかに新聞社に提供する通信社の機能と、新聞社の収益基盤となる広告を集める広告代理店の機能の両方を担うことで、新聞メディアの発展を支えるエコシステムを構築しました。その後、雑誌、ラジオ、テレビといったマスメディアの勃興期にも、その事業の健全な発展をクライアントとともに支えることで社会に貢献してきたという実績と歴史があります。

それだけに、2024年に出版された山本先生の著書『アテンション・エコノミーのジレンマ』で指摘されている問題は、現状のメディアのビジネスに対しても示唆的です。特に社会の分断といった問題の先に、人間の根源的な価値であり、また主権に関わる大きな要素である「自己決定権の喪失」というリスクがあるというご指摘は、最近感じていた違和感や焦燥感を突かれたようで、衝撃を受けました。

山本:現代は情報過多の時代です。しかし、私たちが情報に向けられる「アテンション」や可処分時間は有限です。その稀少性ゆえに経済的価値が生まれ、それらが取引されるのが「アテンション・エコノミー」(関心経済)です

ソーシャルメディアの多くは無料で利用できますが、それはユーザーが対価としてお金の代わりに自分のアテンションを「支払っている」からです。このビジネスモデルにAIが組み合わされることで、非常に強力なアテンション獲得のメカニズムが生まれる。そこでは、利便性の裏側で、アテンションをより多く獲得するためにコンテンツはますます刺激的で過激なものになりがちです。さらにAIによるパーソナライゼーションが、ユーザーの認知傾向や嗜好を分析し、クリックされやすいコンテンツを次々と推奨することで、偽情報や誹謗中傷が拡散・増幅されやすい環境がつくられています

これは「パブロフの犬」のように、刺激(レコメンド)に対して無意識に反射(クリック)を繰り返している状態ともいえます。人間の自律的な意思形成、つまり「自己決定権」が外部からハッキングされている状態に近いと私は考えています。

永井:「アテンション」の獲得につきましては、そもそも広告の本分でもあり、我々にとっても非常にセンシティブな課題ではあります。ただ一方、これだけ情報が氾濫していると、もはや個人がすべてを自己決定において取捨選択するのは不可能で、自己に最適化されたアルゴリズムに裏付けられた情報に従ったほうが間違いは少なく、自己決定のコストも圧倒的に下がるという考え方もあるようです。

電通 代表取締役副社長執行役員 永井聖士氏
1987年、電通に入社。 ラジオテレビ局勤務から始まり、長らくテレビビジネスやメディア・コンテンツビジネスに携わる。ラジオテレビ局長、統括執行役員メディア・コンテンツ担当などを歴任。2024年より代表取締役副社長執行役員に就任。一般社団法人日本広告業協会メディア委員会委員長、慶應義塾大学X Dignityセンター アドバイザリーボードを務める。

 

山本:自律的・理性的な個人を前提としてきた「近代」そのものをどう捉えるかという深遠な論点に関わります。たしかに現在の社会ではすべてのデータのトランザクションを自分で把握し、自分で決定することは現実的に不可能です。それでも私は、理念として「自己決定」は維持すべきだと考えています。理由は2つあります

第1に、もし自分で決めないのなら、誰が、どのような基準で決めるのか、という問いが出てこざるをえません。アルゴリズムに従うべき根拠は、結局のところ、アルゴリズムに委ねることを「自分で決めた」という点に求めざるをえないでしょう。そうでなければ、「社会全体の最適化」やAIが定義する「私」のためにアルゴリズムに「決められる」ことに理論的に対抗できなくなります。もちろん、人間の認知能力には限界がありますから、今後は判断の一部をAIに委ねるハイブリッド型の意思決定が重要になるでしょうが、その役割分担は、あくまでも「自分」で決めるべきです。AIなどの技術も、個人の重要な意思決定を支援するものでなければなりません

第2に、プライバシーの意味合いの変化です。かつては自室にこもればプライバシーは確保されましたが、ネットに常時接続している現代では、部屋にいても端末を通じて行動データが外部に送信されます。物理的な壁が意味を成さない。そうなると、プライバシーは、どの範囲の個人データを他者と共有するかを「自分で決める」ことによって、人為的につくり出すしかありません。もし自己決定を放棄すれば、「私的領域」は常に他者に決められ、心からくつろげる空間や時間は永遠に失われてしまうでしょう

「決めてもらうこと」に慣れてしまえば、個人レベルだけでなく、社会レベルの自己決定、つまり「民主主義」の基盤も揺らぎます。実際、「政治システムそれ自体もAI・アルゴリズムに委ねてしまえばよい」という意見も出てきていますが、AIとの役割分担も含め、「私たち」が決めるということを「理念」としてはやはり維持すべきです。

慶應義塾大学 大学院法務研究科教授 同大学X Dignityセンター共同代表 山本龍彦氏
1999年慶應義塾大学法学部法律学科卒業、2005年同大学院法学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。慶應義塾大学大学院法務研究科教授、同大学X Dignityセンター共同代表。日本公法学会理事、内閣府消費者委員会委員、総務省「ICT活用のためのリテラシー向上に関する検討会」座長なども務める。近著に『アテンション・エコノミーのジレンマ』(KADOKAWA、2024年)。

 

永井:AIに委ねるにも自己決定を行うというパラドックスにまで主体性を解釈しなければならない点は興味深いです。また、ご指摘された「ハイブリッド型の意思決定」という観点は、今後を考えていくうえで非常に重要です。さらに、これからの「プライバシー」(私的領域)は、「個人データ」の共有範囲により決まってくるのではないかというご指摘も今日的な解釈でわかりやすいと思います。


アテンション獲得と公共性、ジレンマに悩むマスメディア

永井:冒頭に触れた日本新聞協会の声明は、マスメディアとしての信用力への危機感の表れとも理解でき、私たちも、メディアビジネスの観点からそうした危機感を共有しています。

山本:アテンション・エコノミーについて議論すると、「そんなものは昔からあったではないか」という批判、特に民放テレビこそがその元祖だという声が聞かれます。視聴率という形で人々の関心を集め、無料でコンテンツを提供するビジネスモデルは、たしかにアテンション・エコノミーの一種といえるでしょう。

しかし、放送事業者は、経済的動機から関心を集めたいという欲求を持ちながらも、同時に放送法が掲げる民主主義の維持・発展といった公共的な目的のために、アテンション獲得だけに過度に傾倒してはならないとされてきました。このアテンション獲得への欲求と公共性担保の責務という「ジレンマ」の間で葛藤すること自体が、ある種の創造性を生み出してきたともいえるでしょう。私の著書名に「ジレンマ」という言葉を入れたのは、まさにその利点を強調したかったからです。

一方、現在のデジタルプラットフォームの多くは、法的な規律から自由にアテンション獲得に全力をそそぐことができ、ユーザーの膨大なデータとAI技術をも駆使できる点で、従来のメディアのビジネスモデルとは決定的に異なります。メディアもこの土俵で競争せざるをえなくなった結果、全体としてバランスがアテンション獲得のほうに大きく傾いてしまっているのが現状であり、これはけっして健全な状態とはいえません。

永井:メディアとして一定の規律を保ちながら、事業成長のための経済的な自由性と葛藤することこそが、健全性の根幹ではないかという点はおっしゃる通りです。現在マスメディアが持つ信用力は、まさにここまでのジレンマの結果であると思います。一方で我々広告業界は、人々のアテンションをいかに獲得するかを生業としてきました。認知獲得をすべての出発点とする仕事には、常にアテンション・エコノミーの持つ負の側面であるリスクが伴うことを痛感しています。

山本:以前、電通の社内勉強会でお話しさせていただいた際、皆さんがこの問題に非常に強い問題意識をお持ちであることに、正直驚かされました。「広告は、憲法で自由が保障された『表現』なのか、それとも単に反射行動を引き起こす『刺激』なのか」といった根源的な問いや、広告のクリエイティブは「創造的な活動なのか、データをもとにしたハッキングなのか」といったジレンマに真剣に悩む姿に、私はむしろ安心感を覚えました。

永井:我々電通グループも、単に自社の事業成長のみを目指すだけではなく、利他的でウェルビーイングな社会を形成することに貢献していきたいという意志がありますので、勉強会でのやり取りでも、電通のメンバーおのおのが、そのジレンマを自身に問い直しながら仕事に向き合っている状態がこぼれ出たのかもしれませんが、むしろ健全な観点だと思っています。そのような中で、現在急速に発達しているAIに関してですが、私たちはAIの活用を、事業パフォーマンス向上や人間のクリエイティビティとの掛け合わせという前提で推進しています。アテンション・エコノミーにおけるAIのテクノロジーについては、どのような点が課題となるでしょうか。

山本:AIは、人間の認知プロセスをハッキングするような刺激的なコンテンツを効率的に生成し、それをパーソナライズして届けることができます。その意味で、AIとアテンション・エコノミーは非常に相性がよく、人間の主体的・自律的な意思決定をゆがめてしまうリスクを増幅させます。


「情報的健康」が拓く人間中心のエコシステム

永井:たとえば新聞も、今後AIや個人データ活用でパーソナライズドメディアになりえます。読者一人ひとりに最適化された記事の構成や配信の優先順位を実現することは、ビジネスの成長に不可欠かもしれません。しかしそれは同時に、フィルターバブルやエコーチェンバーのリスクを内包することにもなります。そのことは放送と配信の融合が進む放送業界も同様です。膨大な視聴データやID情報をビジネスにどう活かすか。次世代の事業成長のためにはデータに基づくパーソナライズ化が必要な要素と考えられますが、公共性の高い健全なメディアであり続ける使命との間で、大きなジレンマを抱えることになります。

山本:私は、現在メディア業界が直面しているジレンマは、新しいビジネスモデルを生み出すポジティブな機会にもなりうると考えています。

たとえば、「レコメンデーション」と「ターゲティング」を分けて考えるという方向性がありえます。視聴データを個人の興味に合わせたコンテンツ推奨に使うことには慎重であるべきですが、広告の出し分けに利用することは、より柔軟に捉えてよいと考えています。また、災害時や選挙報道など、公共性が強く求められる場面で、必要な情報を的確に届けるためにデータを活用することは、むしろ公共性を高めることにつながります。

データの取り扱いは、文脈に応じて慎重に検討すべきであり、一律に判断できるものではありません。

永井:今後は、データの発信者と利用者の双方が高いリテラシーを持ち、データ利活用に取り組む必要がありますね。その根底には、人間の尊厳や時代によって移ろいやすい人間の行動原理に対する深い理解が不可欠だと思います。そうした中で、慶應義塾大学に2024年、「X Dignity(クロス・ディグニティ)センター」が設立された意義は非常に大きいと感じており、私たち電通もメンバーとして参加していますので、広い観点で協力していきたいと考えています。

山本:X Dignityセンターは、人間とAI、人間と自然、さらにはジェンダーといった、これまで自明とされてきた境界が融解し、クロスするような時代に、「人間の尊厳」とは何かをあらためて問い直すための領域横断研究拠点です。文理融合、産学連携、市民社会との対話を通じて、この根源的な問いを探究しています。

私たちが進めている研究テーマの一つに、「情報的健康」があります。デジタル時代には、食べ物の産地や原材料を確認するように、情報の出所・素材や加工の有無などを確かめ、多様な情報を偏らずにバランスよく「食べる」。それにより、偽・誤情報などへの「免疫」を獲得し、みずからの希求する幸福を実現できる状態をつくり出すことが重要になると思うのです。

この「情報的健康」という概念が社会に浸透すれば、食品表示のようにコンテンツの安全性や信頼性を示す「情報表示」などを通じて、私たちは情報を合理的に選択できるようになると思います。それだけでなく、「刺激物」ばかりを提供・推奨する企業が批判される一方、安全で信頼できる情報を提供・推奨する企業が正当に評価され成長する新しい市場を形成できるはずです。同センターでは、電通をはじめとする企業各社と協力し、「情報的健康」を基軸とした新しい情報流通の仕組みづくりも検討しています。

永井:コミュニケーションの原点は、いつの時代も人間にあります。X Dignityセンターが掲げる「人間をより深く理解する」という理念に、そもそもコミュニケーション領域も事業とする私たち電通は大いに共感しています。人間が物事をどう捉え、その行動がどう変化していくのか。それを深く探究することを通じて、クライアントやメディアの皆様とともに、新しいコミュニケーションと社会のあり方を創造していきたい。その意味で、X Dignityセンターとの産学連携には大きな期待を持っており、社内からの関心も高く、さまざまな部署からたくさんの社員が参画しています。情報リテラシーの向上や信用性の確保された情報表示の仕組みづくりなど、社会システムのデザインに貢献していくことも、常にクライアントやメディアの皆様とともに歩み続ける私たちの使命だと強く認識しています。

 

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著者

山本 龍彦

山本 龍彦

慶應義塾大学

大学院法務研究科教授 同大学X Dignityセンター共同代表

1999年慶應義塾大学法学部法律学科卒業、2005年同大学院法学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。慶應義塾大学大学院法務研究科教授、同大学X Dignityセンター共同代表。日本公法学会理事、内閣府消費者委員会委員、総務省「ICT活用のためのリテラシー向上に関する検討会」座長なども務める。近著に『アテンション・エコノミーのジレンマ』(KADOKAWA、2024年)。

永井 聖士

永井 聖士

株式会社電通

代表取締役副社長執行役員

電通に入社後、 ラジオテレビ局勤務から始まり、長らくテレビビジネスやメディア・コンテンツビジネスに携わる。ラジオテレビ局長、統括執行役員メディア・コンテンツ担当などを歴任。2024年より代表取締役副社長執行役員に就任。慶應義塾大学X Dignityセンター アドバイザリーボードを務める。

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