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なぜ令和の若者は、昭和を舞台にした恋愛ドラマにここまでときめいたのか? ~フジテレビ「波うららかに、めおと日和」の分析から~

石川 柚里

石川 柚里

株式会社 電通

なぜ令和の若者は、昭和を舞台にした恋愛ドラマにここまでときめいたのか。

前編で見てきたように「波うららかに、めおと日和」は、最終回後もおかわり視聴され、名シーンの「キュン」が反復摂取され、さらには理想の結婚観議論にまで拡張していきました。しかしこれは単なるレトロブームやノスタルジー消費では説明しきれません。むしろそこには、現代の恋愛そのものへの疲労が横たわっているのではないかと考えました。本稿では、作品から消費者の今の欲求を考察するDENTSU DESIRE DESIGN FUKAYOMIチームが、本ドラマから見えてきた、令和の恋愛観・価値観を探ります。

※この記事はVR Digest+のコンテンツを、一部編集のうえ、転載しています。

DENTSU DESIRE DESIGN FUKAYOMIチームとは
消費者研究を行うプロジェクトチーム「DENTSU DESIRE DESIGN※」の分科会の一つ。FUKAYOMIは、映画・ドラマ・アニメなどのヒット作品を読み解き、消費者の価値観変化や未来の欲望を予測する電通の独自メソッド。ヒットコンテンツが消費者の価値観に与える影響から、消費者の「未来の欲望」を予測して取りまとめた書籍「未来の消費者は何を欲望するのか―ヒット作品を読み解いて分かった6つの価値観変化―」を、2025年7月26日に株式会社日経BPから発売。

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https://www.dentsu.co.jp/news/release/2025/0724-010918.html

令和の恋愛は、合理的すぎて疲れる?

令和ではマッチングアプリなどの普及によって、恋愛は「市場」として拡張してきました。感情だけで成立していた関係は、いまや総合的パートナー適性で評価されます。それはつまり、会話力・共感力・外見管理・経済力・将来設計力などが問われ、恋愛は自己PR→比較→最適化→選別というプロセスを経る能力競争へと変化したと言えるのではないでしょうか。さらに「すてきな人ほど早く市場からいなくなる」という感覚が共有され、恋愛は長期的関係形成ではなく早期離脱ゲームの様相をも帯びてきているように感じます。感情から始まるはずの恋愛が、合理性で最適化される営みへと変質した、と筆者は考えます。

令和の恋愛は、正しすぎて疲れる?

疲労は「市場」だけでなく恋愛関係内部にも存在します。令和恋愛の前提は、男女対等・自立個人・依存NG・フェアであること。結婚に至れば、生活は感情だけでは回らないため、家事・お金・キャリア・育児をギブ&テイクで交渉し続ける関係になっている状況も目にします。この背景にあるのは、「どちらかが搾取されてはいけない」という現代的な倫理意識があると筆者は考えます。関係の中で一方だけが我慢していないか、労働や感情が過剰に引き受けられていないか。そうした不均衡を未然に防ぐため、役割や負担は常に可視化され、均等であることが求められるのではないでしょうか。

これは男女平等の社会に向けて、極めて重要な進歩である一方、関係を続けるにあたって細かい交渉と最適化が必須になったという点において、恋愛関係維持のプレッシャーは以前よりも格段に大きくなったともいえます。
「市場」で疲れ、関係内部でも疲れる。この二段階疲労が恋愛疲れ、結婚慎重化、「めんどくさい」という空気を生んでいると感じるのです。

もちろん、全ての恋愛がそうではありませんし、恋愛や結婚に慎重になるには他にもさまざまな理由が影響していると思います。ですが、この「合理的に・正しく」という価値観は、10~20年前よりも強くなっていると、実感している人も少なくないのではないでしょうか。

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不器用な恋愛が視聴者の心をつかむ

この二重疲労の時代に「波うららかに、めおと日和」が描いたのは、スキルも戦略も必要としない関係でした。そこには駆け引きも自己PRも比較市場も愛情証明もありません。特別な出来事ではなく、なんでもない日常の蓄積の中で関係が育っていく。本作が提示したのは、「現代の合理的な恋愛能力を必要としない関係」だったと考えます。

さらに重要なのは、この関係が「不器用だからこそ成立していた」点にあると、筆者は考えます。気の利いた言葉も、完璧なエスコートもありません。むしろ、うまく伝えられない、すれ違う、でも離れない。その反復の中で関係が深まっていく。このプロセスは、最適化された恋愛市場ではむしろ非効率とされるものです。しかし視聴者はそこに、最適化されすぎた恋愛では得られない手触りを見いだしたのではないでしょうか。

合理的な令和の恋愛観からみると、不器用ながらに関係を育てようと努力する二人が新鮮かつ好意的に受け止められ、本作への没入と共感を強く後押しした。つまり、「波うららかに、めおと日和」は単なる恋愛ドラマではなく、「現代の合理的な恋愛能力に疲れた時代」における回復の場として機能したと、考えられます。

「波うららかに、めおと日和」が描く対等さ

そしてこの作品の最も重要な点として今回取り上げたいのが、「対等」の再定義です。描かれた夫婦像は、いわゆる昭和的な役割、「男は外で働き、女は家を守る」という構造を持っています。現代の価値観から見ればそれは非対称であり、場合によっては不均衡な関係にも見えるモデルといえるでしょう。

しかし興味深いのは、若年層を含む視聴者がそれを単純な古い男女観として拒絶しなかった点にあります。むしろそこに、瀧昌のなつ美を守る責任を引き受ける覚悟、なつ美の瀧昌を支えることを誇り思っている主体性、そして二人の関係の中で生まれるリスペクトを読み取り、肯定的に受け止めていました。

つまり、「波うららかに、めおと日和」が描いた対等な夫婦像とは、それぞれが「自分にしかできない領域」で貢献し、その中で互いへのリスペクト・感謝・愛情が生まれるという対等さだったと考えます。

本作の夫婦関係には、次のような状態が描かれていました。相手の役割が生活に不可欠であると認識していること、感謝や敬意の言語化が循環していること、そしてどちらも関係の主体者である自覚を持っていること。この状態において、関係は上下ではなく横並びになります。つまり、ここで描かれた関係性の対等とは、「何をどれだけやったか」ではなく、「その存在がどれだけ相互に不可欠か」によって成立する対等だったのではないでしょうか。


本作を鑑賞した人の中で変化する価値観

現代の結婚観は、自立した個人同士が生活を共同運営する関係を理想とする側面があります。どちらがどれだけ働き、どれだけ家事をし、どれだけ負担を引き受けるのか、役割や責任をできるだけ均等に配分することが、対等な関係の条件である、という側面です。

しかし「波うららかに、めおと日和」が提示したのは、それとは異なる関係モデルでした。二人は必ずしも同じ量のタスクを担っているわけではない。役割は非対称で、負担も均等ではない。それでも関係が不均衡に見えないのは、お互いの行為が相手の生活を支え、その実感が感謝や敬意として返ってくる関係性が自然に成立しているからだと、筆者は考えます。

つまり本作は、対等とは「何をどれだけ分担したか」で成立するものではなく、「相手の存在がどれだけ自分の生活を支えていると感じられるか」で成立するものだと描きました。個の完成度や分担の精度ではなく、関係の中で愛情やリスペクトが循環しているかどうか、そこに対等性を見出す価値観の更新が提示された。このドラマにはそんな一面があったのではないでしょうか。

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未来に生まれるかもしれない新たな潮流「かみ合う非対称」

さらに、深読みしていきましょう。ここまでの話を踏まえると、均等な役割分担による対等さを目指すほど、関係には細かな交渉と比較が生まれやすいと言えます。それは平等性を担保する一方で、関係を消耗させる要因にもなり得ます。

その反動として今後支持されるかもしれない結婚観として、「かみ合う非対称」をあげます。
これは、役割や負担が同量である状態ではなく、生活を成立させるために不可欠な貢献を、異なるレイヤーで担い合っている状態を指します。
重要なのは分担量の均等ではなく、生活全体として支え合いが成立しているかどうかです。50:50ではなく、それぞれが自分の領域で100を出し合う「100:100の補完関係」。ここでは比較ではなく、かみ合いによって関係が成立します。

この補完関係は、かつての「男は外、女は内」という役割固定への回帰ではありません。むしろ逆で、少しずつではありますが、男女平等が当たり前になり、誰もが同じ領域で働き、同じ責任を担えるようになり得る現代だからこそ、その先にある支え合い方が模索されていると考えます。
未来の対等観は、「常に同じ状態で並ぶこと」ではなく、「不均衡を含んだまま関係全体で釣り合っていること」へと更新されていく。このダイナミックな均衡こそが、消耗しづらい、持続可能な関係性として支持されていくのではないでしょうか。

最後に、筆者の考えをまとめます。「波うららかに、めおと日和」が刺さった理由は、レトロだからでも「キュン」量が多いからだけでもない。合理恋愛と正しさ恋愛に疲れた時代に、もう一つのモデルを提示したからです。不器用でも、言葉少なくても、タスクが対等じゃなくても、関係の中でお互いへの感謝とリスペクトが生じ、二人の間で釣り合っていればよい関係は十分に育ちます。本作は「個の対等」から「関係の対等」へと、恋愛・結婚観の価値観アップデートを迫っている――深読みすると、そんなメッセージが見えてくるのです。

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石川 柚里

石川 柚里

株式会社 電通

マーケティング・コンサルタント

マーケティング・コンサルタントとして、化粧品・飲料・保険・ヘアケアなど多様な領域において、中長期のブランド戦略立案からプロモーション設計、体験デザインまで幅広く担当。商品ブランドの戦略立案に加えて、企業全体のマーケティング変革支援にも従事。FUKAYOMIチームでは、国内外の映画作品を対象とした分析業務を数多く担う。ジャンルは問わず見るが、特にミュージカル映画、サスペンス、ミステリーを偏愛する。

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