「そのひと言」の見つけ方No.1
右目で書いて、左目で読む。
2014/10/09
コピーライターの仕事はとてもアナログで地味です。
商品のことを日夜考え、関連する言葉や思いつくストーリーを紙に書き出したり、その紙を壁に貼ったり、声に出して読んでみたりしながら、通勤途中も週末の散歩の間もずっと、いま以上の言葉や表現を探している。
机に座っていたら天から珠玉の言葉が降ってくるわけなどなく、むしろ街に出て地を這って一枚の金貨を探し出すような感じです。
でも僕は、この地を這うような作業がかなり好きです。
広告業界のトップをひた走るクリエーティブ・ディレクターやコピーライター、アートディレクターのみなさんと一緒に仕事をすると、言葉の力を感じずにはいられせん。その人たちのつくる作品だけでなく、喋る言葉も本当に独特で魅力的なのです。彼ら彼女たちの伝え方ひとつ、言葉ひとつで作品や提案内容の価値が上がる、という瞬間を間近で何度も拝見しながら、僕はひとつの結論に達しました。
仕事ができる人は、言葉ができる人。
仕事ができるということは仕事を動かせるということです。人を動かして新しいものをつくっていけるということ。その人を動かすのに必要なのが、言葉です。
拙著『「そのひと言」の見つけ方』は、僕自身が日頃のコピーライティングの仕事を通して得てきた「言葉を磨くコツ」をお伝えできればと思って書きました。
この本の内容をもとにした連載がスタートします。第1回は、「右目で書いて、左目で読む」。本連載がみなさんのお役に立てば著者として幸いです。
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絵/橋本新(電通 第5CRプランニング局) |
右目で書いて、左目で読む。もちろん実際にそうできるわけではないのですが、そういう気持ちで僕自身はコピーを書くようにしています。
たとえばある商品のコピーを書くとき、自分だったらどう言われると買いたくなるのか、自分だったらこの商品をどう使うかなどを考えながら書く。そうやって書かれるコピーは、かなり主観が入っています。それが「右目で書く」ということ。
「左目で読む」というのは、いろんな人の立場になって、ツッコミを入れていくということです。本当にそれで商品を買うかなとか、自分の親なら買うかな、自分の友達ならどうかな、と視点を変えて客観的な目で読む作業を、何度も何度も粘り強く繰り返すのです。
右を見て、左を見て、もう一度右を見る。
文章はまさに交通安全のルールそのもの。右目=主観で考えたことを、左目=客観で読む、それを高速で繰り返すというのが、よい文章にするコツです。
家族や友人や恋人の視点で言葉や文章を眺めるというのは、最初はむずかしいことかもしれません。僕自身、コピーライターになりたてのころは、自分の書いたものが可愛いというか、愛着があった。だから別の人の視点で眺めてみようなんて意識はありませんでした。
しかしたくさん書くためには「視点を変える」ことが重要です。自分の気持ちだけで書いていたら、すぐに行き詰まります。
コピーは必ず誰かが見ます。まずデザインを考えるアートディレクターが見る。次に広告全体のクリエーティブ・ディレクションをするクリエーティブ・ディレクターが見る。さらに電通の営業の人たちが見る。そしてクライアントが見る。
コピーが向かう先にそのような大勢の関係者がいるわけで、まず彼ら彼女たちはどう思うのかなという視点をもたざるを得ません。その時点で、自分以外の視点でコピーを確認するクセがつきます。
ここまでできたら、あとは簡単。その感覚をさらに広げ、自分の身近な人になりきって、その人の視点で思いつくことを書いてみる。父や母の視点、兄や弟の視点、おじいさんやおばあさんの視点、学校の友達の視点、会社の同僚の視点。それでも行き詰まったら、犬や猫の視点から考えてみる、海や宇宙の視点から考えてみる。それでも行き詰まったら、えんぴつとか、コップとか、モノの視点で考えてみる。
その際に、思い浮かべた人(モノ)になりきる、というのもひとつのコツです。関西出身の同期がいるのですが、その人を思い浮かべるときは僕も関西弁で「んなことあるかい!?」みたいなツッコミを入れる。ばかばかしいと思うかもしれないけれど、このなりきりが視点の切り替えに役立つのです。
言葉や文章と物理的に距離を取る方法もお勧めです。
僕はA4用紙1枚に1コピーと決めて、太めのマジックペンで書いています。考えた言葉を紙に落とすと、そこでいったん冷静になります。
次にその紙を遠くに置いてみる。離れた机に置いてもいいし、壁に貼ってもいい。物理的に遠い場所に置いてみる。すると不思議なことに自分が書いた言葉という感覚が薄れていき、このコピーが本当によいかどうかを客観的に判断できるのです。
隣の人に自分の書いたコピーを見てもらうという手もあります。自分で客観的な視点が持ちづらいなら、自分以外の人に忌憚のない意見や感想をどんどん言ってもらえばいい。
もちろん最初はものすごく恥ずかしいです。僕も最初のころはコピーを書くと自分のすべてをさらけ出しているような気がして、とても恥ずかしかった。笑われたり、わからないと言われたり、「こんなこと考えてるんだ」と思われたりするかと思うと、変な汗が出た。
でも結局よいものを作るためには、そういう「恥ずかしいこと」も超える必要がある。そういう過程を経ずに、つまらないものをつくってしまうほうが、よほど「恥ずかしいこと」ですから。いまでは、できるだけたくさんの人に自分のコピーを見てもらうということを、修行のように自らに課しています。