◯◯展のつくりかた。「コンテンツ×体験」時代の展覧会って?No.2
国立新美術館×CLAMP展が魅せた“アートという体験”
2025/08/04

近年、マンガやアニメに代表されるコンテンツファンが展覧会などのイベントに「体験」を求めはじめ、展覧会のあり方も変化しています。
そうした中、電通と電通ライブは「コンテンツの新しい体験の場」という視点で展覧会をプロデュースする「dentsu Exhibition Value Design」の提供を開始しました。この連載では、両社が手掛けた新しい形の展覧会をご紹介します。
本記事では前回に続き、72日間の開催期間(東京のみ)で約25万人を動員した、「CLAMP展」を取り上げます。
会場となった国立新美術館(以降、新美)の研究員・真住貴子氏と吉村麗氏をゲストに迎え、同展でクリエイティブ・ディレクターを務めた電通の中野良一氏が、美術館ならではの“体験づくり”のポイントや、展示において大切にしている視点などをお聞きしました。
※CLAMPとは
いがらし寒月、大川七瀬、猫井、もこなの女性4名で構成される創作集団。1989年「聖伝-RG VEDA-」で商業誌デビュー。以降、少女漫画、少年漫画、青年漫画と多彩なジャンルにわたり多くのヒット作を世に放つ。主な作品に「東京BABYLON」「X -エックス-」「魔法騎士レイアース」「カードキャプターさくら」「ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-」など。
なぜ国立の美術館がコンテンツ作品の展覧会を手掛けるのか?

中野:あらためて、お二人の自己紹介と、CLAMP展における役割についてお話しください。僕自身は電通のBXクリエイティブセンターでプランナーを務めており、CLAMP展では、クリエイティブ・ディレクターとして、展示企画・コンセプト・体験デザイン・アートワークなど、全クリエイティブを統括しました。
吉村:私は大学で美術史、大学院でマンガを研究したのち、現在国立の美術館では唯一のマンガ担当研究員としてキュレーション業務にあたっています。当館では2015年に開催した「ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム」展(以降、ニッポンのマンガ展)をきっかけとして、コンテンツ作品の展示に力を入れていますが、私は2017年から新美のプロジェクトに携わっています。一つの展覧会に対して、基本的に研究員二人体制で担当することになっているため、CLAMP展では私がメイン、真住がサブを務めました。
真住:私は日本の近現代美術と美術館教育が専門で、マンガ専門ではないのですが、「文化庁メディア芸術祭」などに関わっていた経緯から、2015年に当館に着任して以降、その時々のキュレーターと共にコンテンツ系の展示を手掛けてきました。CLAMP展では主に新美側の窓口とマネジメント役を務めました。
中野:新美は、美術館としてのコレクションを持たずに、ジャンルレスな展示をしている稀有(けう)な美術館です。2015年からマンガやアニメといったコンテンツ系の展示がはじまったきっかけは、どのようなものだったのでしょうか?
真住:当時館長を務めていた青木保が、海外に幾度も出張する中で日本コンテンツの人気を目の当たりにし、「これだけ海外人気があるものを国立の美術館で取り上げないのはおかしい」と提案したのが始まりです。
国のコンテンツに対する動きとしては、2009年ごろに「国立メディア芸術総合センター構想」の企画が立ち上がったものの、頓挫していました。青木は当時文化庁の長官をしていたこともあって、マンガやアニメが日本のプレゼンス向上のために重要なジャンルだという認識を持っていました。その後、新美の館長になった際に、ぜひこの分野をやっていきたいと考えたようです。そこでまず2015年に、ニッポンのマンガ展を開催する運びとなり、私が担当しました。
中野:僕の感覚で言うと、マンガは「エンターテインメント」。美術館で展示されるアートとは少し距離があるイメージなのですが、研究員の皆さんの視点では、美術品・アートと呼べるものなのでしょうか?
真住:CLAMP展でもそうだったように、多くの来場者がマンガの原画に強く魅了され、見入っている姿を目にしていますので、美術館で扱うのにふさわしいものだと思っています。ただ、私自身はアートか否かに、あまり拘泥しないようにしています。
日本のマンガが間違いなく優れた文化であることは、世界中から認められていますし、私自身も素晴らしいものだと思います。現時点で「マンガはアートではない」と思っている人がいたとしても、きっと200年くらいたてば、すっかりアートになっているのではないでしょうか。同時に、新美で展示することで、ある意味その点を来場者の皆さまに問いかけている部分もありますね。
実施の決め手は「独自の活動スタイル」と「作家としての歴史的評価」

中野:今回新美でCLAMP展を実施しようと思われた決め手は?
吉村:新美で展示する作家を決める際には、まず芸術文化として「国立」が自信を持って披露できるかが基準になります。漫画家であれば、対象の作家あるいは作品が、マンガ文化に果たした役割や影響を検証する必要がありますし、さらに次世代へと継承していくべきものかという問いかけも必要だと考えています。
CLAMP先生は、世界的に有名なイベントとなったコミックマーケットなどの同人誌即売会を基点にプロになった方です。同人誌はアマチュアの活動ですが、素晴らしい作家たちがそこから生まれ、多くの支持を得ていくようになりました。その中でも、CLAMP先生は特に優れた作家として評価されている歴史的な事実があります。この事実はマンガ研究者の中で共有されていて、実はお話をいただく前から、個人的に今後展示をしていきたい作家の候補として考えていたんです。
中野:もともと候補に考えておられたんですね!2018年にCLAMP作品の一つに焦点をあてて開催した「カードキャプターさくら展」(以降、さくら展)は、いわゆるギャラリースペースで行いました。そのとき僕自身がCLAMPさんの原画を初めて見て、誌面で見ていたときとは全く違う感覚に襲われ、「原画には本当に力がある」ことを実感したんです。
電通がこうした展示を手掛ける場合、映像などを駆使した体験に重きを置いていくことが多いんです。けれど、CLAMP展については、原画の力を思う存分見ていただける環境で実施した方がいいのではないかと思い、そこで会場として浮かんだのが新美でした。コネクションもないし無理かなとは思いつつ、公式サイトに記載されていた応募フォームに企画書を送ったわけですが、お返事をいただけたときはとてもうれしかったです。
吉村:CLAMP先生の選定に関しては、実はもう一つ、美術業界における社会的な背景もありました。ニッポンのマンガ展のように幅広いジャンルを総括した展示は別として、これまで当館で開催したコンテンツ系の展覧会は新海誠監督、荒木飛呂彦先生、庵野秀明監督と、どうしても「男性のソロ作家」に寄りがちでした。実はアートの現場で働いているのは大多数が女性なのですが、作家として展覧会などで取り上げられる対象者には女性がいない。このジェンダーバランスにおける課題感や、業界全体への問題提起といった点は、近年非常に注目されています。これはマンガに限らず、絵画でも建築でも同じです。
そんな中で、やはり次に取り上げるべきは女性作家ではないかと。CLAMP先生の場合は、さらに4人組のユニットという非常に珍しい形で活動されています。だからこそ、マルチセルフプロデュースを上手にされている点も興味深く、決め手の一つになりました。
「ファン目線」に寄るよりも、CLAMP作品の社会的な価値を映し出す

中野:CLAMP展の展示についてお聞きする前に、これまでに新美で行われたマンガやコンテンツの展覧会で、ユニークな試みをしたことがあればお聞かせください。
吉村:新美の場合、企画展示室は約2000平米の中に柱が1本もありません。これは何でも自由に組めるということでもあり、逆に言うと、その広い空間をなんとかして埋めなくてはならないという使命にもなります。この点が、当館で行う展覧会を特徴付けている要素の一つだと思います。
この空間は、いろいろな展示物をぽつぽつと点在させて世界観を作るのには適しています。でも、マンガの場合は原画の形がほぼ決まっていて、サイズも小さい。見やすさなどを考えると、人の目線より上に作品を飾ることは基本的にできないため、どのように空間を埋めていくかが毎回課題になります。
そんな中、2020年に「MANGA都市TOKYO ニッポンのマンガ・アニメ・ゲーム・特撮2020」という展覧会を開催しました。これは元々は2018年にパリで開催していたもので、各コンテンツの展示でありつつ、それらコンテンツと融合している「東京という都市」自体をも見せるという展示です。パリでの開催時は、当館よりさらに巨大な約3500平米の空間を埋めなくてはいけませんでした。
そこで、1/1000の縮尺で再現した、幅約16メートル、長さ約21メートルの巨大な東京の都市模型を作って、さらに巨大なスクリーンでアニメとゲームの映像を流し、その周りにバルコニーのような展示スペースを作ってマンガ原画を飾る構成を組み立てました。困難ではありましたが、通常のコンテンツ展では思いつかないようなアイデアを、あの大空間だからこそ実現できた例です。
中野:とても面白いですね。CLAMP展では、壁で区切りはしたものの、約2000平米で天井も高い大空間を、基本は原画で埋めるという構成でした。原画選びなどを時間をかけて一緒に行っていく中で、電通の方法と、今まで皆さんがしてこられた方法の違いを感じた部分はありますか。
真住:展示は「モノ」がなくては成立しないので、私たちの場合、「モノ」をどう見せるかが最初にあり、そこから何をどう見せられそうかといったコンセプトを並行して考えていきます。しかし電通さんの場合は、まず「キャッチフレーズ」を決めることから入っていたところがとても印象に残っています。
今回は「CLAMP作品」という明確な「モノ」がある中で、そのコンセプトとして「C(Color)」「L(Love)」「A(Adventure)」「M(Magic)」「P(Phrase)」と作家名になぞらえた各ゾーンのキャッチフレーズを定め、みんなの意思統一を図ってから原画を選ぶという順番で進んでいったのが新鮮でした。

中野:なるほど、これはわりと広告会社らしい進め方なのかもしれません。広告では、生活者とのコミュニケーション方法を考えるときに、目の前のものをどう伝えたら魅力的に見えるのか、正しく理解してもらえるかを“翻訳”する作業が肝になります。そのため、イベントでもまずは世の中や生活者と作品(コンテンツ)とを掛け合わせたときにどんな価値が出るのかを考え、伝えるべき「メッセージ」を決めて、コミュニケーション方法や表現を考えていきます。
今回の場合、僕はリアルタイムではCLAMP作品を読んでいなかったのですが、企画の前に「カードキャプターさくら」を読んで、これはすごい作品だと思いました。その、自分がなぜすごいと思ったかを切り口にメッセージを作ったら、もともとCLAMP作品を知らなかった人でも、「面白い」「楽しい」と思える展示になるのではないかといった視点で取り組みました。
こう考えた理由の一つに、ファンの方々の「熱量」には絶対に勝てないと思っていたことがあります。CLAMPファンの熱量の大きさはさくら展を見て実感していましたし、スタッフ側も、以前からCLAMP作品を好きな人には同様の熱量がありました。
今回の展覧会にあたって、僕もCLAMPさんの全作品を3回ずつは読みましたが、コアな方々はもっと読んでいるはずです。そこで「ファン目線で作る」と言ってしまうのはおこがましい。どれだけ作品やカルチャーをリスペクトしていても、熱量の高い人にはきっと「ファン」の目線ではないことがバレてしまう怖さがすごくありました。
真住:その感覚はよく分かります。例えば西洋美術の展覧会であれば、おそらく来場者よりもキュレーターの知識量の方が多いはずです。けれど今回は、お客さまの方が絶対作品に詳しい。この状況を見誤ると、大やけどをする感覚が私もずっとありました。
中野:そうですよね。だからこそ方法を変えて、初めて読んだ自分がなぜCLAMP作品を面白いと思ったのかや、今の世の中と作品世界がクロスするところがあるのではないかといった点を考えるようにしました。例えば、「カードキャプターさくら」はLGBTQが広く言われる前の作品ですが、キャラクターの関係性においてジェンダーの概念が固定的でないように感じます。「東京BABYLON」であれば、当時作中で描かれた東京が今の東京につながっている部分もあります。こうした視点で切り口を探ると、作品の深さみたいなものが新たな角度から見えてくるのではないかと考え、メッセージや構成を作っていきました。
展示する原画を選ぶ前に、吉村さん真住さんにも入っていただいて、「CLAMPの魅力とは」という勉強会を約1年にわたって開催しましたよね。その勉強会を通じて、今の世の中や、マンガファンではない人にもCLAMP作品の面白いと思えるポイントを出していく作業を行った。あの時間がなかったら、今回のコンセプトを作れなかったと思います。
美術館での体験は、「自分には分からない」ことにも価値がある

吉村:今回は、そうした議論を通して新たな化学反応が起きた感覚がありました。電通さんの場合は、作品の魅力を分解していく作業からメッセージ性や、作品を象徴するキーワードを探していかれるんですよね。一方で私たちは歴史研究者なので、歴史の中でCLAMP先生が他の人よりも優れていたり、新しかったり、飛び抜けてすごいと思える「ファクト」を探していきます。似たような作業ではあるものの、私たちとしてはそうした「客観性」を担保していきたいという話をずっとしていましたね。
これはとても美術館的な考え方ではありますが、作品自体のメッセージ性など“内側”の魅力と、作品が社会に与えた影響や、立ち位置といった“外側”の魅力を両方考えていかないと、文化的価値をしっかり評価できません。この点をじっくり話し合い、一つの展覧会を一緒に作っていけたのは、新しい経験でした。
また、マンガは「現在進行形」のコンテンツなので、いろんな情報が流布していますし、一人がその全てを知ることはできません。だからこそ、電通さんはじめいろんなスタッフが入ってくださり、チームになって作る意味があると感じました。
中野:みんな、良い意味でこだわりや熱量をオブラートに包まず話していましたよね。関わる全ての人たちが、自分のエゴということではなく、それぞれに考えているCLAMPさんの良さみたいなものを丸裸でぶつけ合う場になっていたと思います。その意味で特に「Love」のエリアは、もともとCLAMP作品のファンだったスタッフと、ニュートラルな視点を持ったスタッフの両方が議論したから、良いバランスが取れたと考えています。例えば真住さんからは、「このテーマで、この原画の並べ方にして意図が分かる?」といった観点からのご指摘をよくいただきました。
加えて、情報設計をお二人と議論できたことも、とても勉強になりましたね。例えば、どこまでテーマや流れに対しての「説明」を入れフォローするか、というバランスについて。電通側はキャプションやセリフを掲示することで、受け手が分かってくれるような説明を加えます。これは広告の世界では(意図を)伝えなくてはいけないので、そういう考え方になるんです。そこに対して、「アートなのだから説明的な情報は一定にして、その先はお客さんに委ねた方がいいのではないか」といった意見をもらえました。
真住:面白いなと思ったのが、やはり広告は(ある種の正解を)「伝えなくてはいけない」ってことですね。マンガやアートはそうではなくて、おそらく作品が見る側によって「成長するもの」なんだと思います。つまり(作品を通して伝えたい)ある種の答えがあったとしても、その「正解」みたいなものは、見る側に託されている部分が大いにあると思います。
中野:先ほど「アートか否かには拘泥しない」というお話がありましたが、僕がCLAMP展を新美でやりたいと考えた理由は、CLAMPさんの作品をアートとして体験してほしいと思ったからなんです。
アート体験というのは、情報を100%伝えきることではなく、作品が持っている多様な価値を感じることです。それは、仮に見る側が受け入れられない価値観であったとしても、成立します。こんな考え方もあるのかと“知る体験”の場であり、もっというと「分からない」とか「嫌い」という感覚も、一つの価値としてある。「分かりやすくない」という価値、「自分には分からない」ものに出合う価値が、美術館にはあるのだと思います。
真住:そうですね。受け取り方も見る人の数だけあるので、「伝えるけれど、伝えきらず」で、相手に委ねる部分を残す必要がある。この両方のバランスを考えながら展示を作っているんですよね。
解釈ではなくファクトを見せて、来場者の「自分自身の発見」を引き出す

中野:吉村さんのお話にあった「ファクト」については、当初「Love」のエリアをもっと僕の解釈が入った設計にしていた中で、ご指摘をいただいてハッとしたところです。お客さんは別に僕の「解釈」を見たくて来るわけではないなと。そこで、それまでの抽象的なメタ視点が入った切り口の設計をやめて、全て原画の中のキャラクターによる「アクション」という、いわばファクトで切っていく形に変えました。
吉村:キャラクター同士の関係性を「こういう形の愛(友情)ですよね」と解釈をつけてしまうと決めつけになるけれど、「握手」とか「ハグ」などの原画内で描かれているアクションで分けたら、ファクトになります。この形であればファンの方がそれぞれの気持ちで見られるのでは、と互いの意見をだいぶすり合わせたところでしたね。
例えば制作スタッフが「愛の告白」と解釈した場面でも、作品内のテキストで明示されていない以上CLAMP先生はそう思っていない可能性があります。また、来場者は別の意味だと捉えるかもしれません。キュレーションを行う側がファクトを「解釈」し、その解釈を提示することと、ファクト自体を提示して、来場者にそれぞれ何かを見いだしてもらうことは、別です。むしろ主観的な解釈をできるだけ加えないよう、ファクトをもって客観性を担保しながら展示構成を考えることがとても大事なのだと思います。
中野:おっしゃるとおり、見る人に「展示のテーマ」や「この展示の流れが意味するもの」を提示しすぎると、鑑賞する上でのノイズになってしまうのだと思います。お客さんは純粋に絵を楽しんだり、新たなCLAMP作品の魅力を発見したりするためにお金を払っている。意図的なリードを入れすぎず、素直な気持ちで体験してもらい、「この場面にはこういう意味があったのか」と自分で見つけてもらえた方が感動も大きいし、大事なものとして心の中に落ちてくるはずです。来場時に何枚も原画を見て、それでももう1回行きたくなるとしたら、そうした「自分自身での発見」が大きいのかなと。
吉村:一方の美術館側の留意点としては、原画を並べるだけでは、「体験」としてはマンガを読んでいることに近くなり、ただ見るだけになってしまうのではということでしたね。お客さんは会場の広い空間の中に物理的にやってくるので、その「空間体験」も非常に大切です。この点は電通さんの得意分野。映像の演出や、来場者がキャラクターのセリフが書かれたシールを引いて壁に貼るといったアトラクション的なものはあっていいと思いますので、そこは否定せず、良い塩梅を取りたいと思っていました。
中野:ありがとうございます。最後に、今後こうした美術館の展示に、電通が参加することや、今回のようなコラボレーションをすることに対して、思われていることをお聞かせいただけますか。
真住:電通さんたち他業界のプレーヤーが入ってくることで、私たちも勉強になりました。一緒に仕事をするにあたって、「客観性」や「ファクト」「リスペクト」といった美術館として守りたいところと、相手との価値観をすり合わせていく工程は重要です。初めて組むプレーヤーとは、お互いの仕事における流儀や“言語”が異なるので、当然ハレーションも起こりますが、それをすることでわれわれも殻を破れる。一つの目的に向かって進める仲間やパートナーだと考えたときに、この工程を通ることでより良い展覧会と関係性を作っていけるのだと思います。またチャンスがあったら、ぜひご一緒したいですね。