「熊本から脱炭素を進める!」地銀の挑戦
2025/08/06
政府が2050年カーボンニュートラルの実現を掲げて以降、企業における脱炭素への取り組みは年々重視され、その強化が求められています。
現在では、中小企業も取引先をはじめとしたステークホルダーからCO2排出量の算定と情報開示を求められるケースが増加。一方で、近年提供されているCO2排出量算定ツールは大企業の利用を想定したものが多く、中小企業は予算や使いやすさの点からなかなか導入が進んでいません。
こうした状況の中、熊本県を代表する地銀「肥後銀行」は、安価で使いやすいCO2排出量算定ツール「zero-carbon-system炭削(たんさく)くん」(以降「炭削くん」)の開発・展開プロジェクトを実施。その全国販売に向けた戦略策定とマーケティングを電通が担当しています。
「炭削くん」
https://www.higobank.co.jp/business/tansaku/
地方銀行が、なぜ自らCO2排出量算定ツールを開発しようと考えたのか?また、熊本から全国へこのツールを展開するにあたってカギとなったものは?本プロジェクトを中心となって進めた肥後銀行経営企画部サステナビリティ推進室の玉木孝次郎氏、西村奈未氏、電通第1ビジネス・トランスフォーメーション(第1BX)局の槙谷吉紘に聞きました。

中小企業による脱炭素への第一歩を、安価な算定ツールでサポートしたい
──まずは皆さんの自己紹介をお願いします。
西村:肥後銀行経営企画部のサステナビリティ推進室に所属し、SDGsと経営品質に関わる業務を担当しています。肥後銀行内に限らず、地域のお客さまに対する取り組みも含んだ仕事です。炭削くんプロジェクトでは、主に企画・開発・プロモーションなどをメイン担当者として進めました。
玉木:同じくサステナビリティ推進室で副企画役を務めています。炭削くんプロジェクトには本推進室に所属する9人のメンバーが関わっており、私はプロジェクトマネージャーとして取りまとめやディレクションを行いました。
槙谷:電通の第1BX局は広告領域以外のコンサルティングなどでお客さまをご支援している部署です。本プロジェクトでは、戦略立案チーム、プロモーションチームなどに分かれて支援を行っており、私は電通側全体の取りまとめとディレクションを担当しました。
──地銀である肥後銀行が、企業のCO2排出量の算出ツールを開発しようと思われた背景についてお聞かせください。取引先企業や肥後銀行自体が、脱炭素の取り組みにおいて抱えていた課題も含め、お話しいただけますか。
玉木:同じ地方と言っても、SDGsや脱炭素への取り組み状況は、地域によって大きく異なります。2024年に行われた帝国データバンクの調査によると、熊本県はSDGsに積極的な都道府県の1位でしたが、これも地域としての取り組みの影響が大きいと考えています。
2021年に当行は熊本県と共同で「熊本県SDGs登録制度」を創設しました。この制度を活用しながらSDGsや脱炭素への取り組みを進めていきたいという取引先企業に対して、当行は、「SDGsコンサルティング」や「カーボンニュートラルコンサルティング」を通してサポートをしています。
これまでにコンサルティングサービスを通して約300社をご支援してきたのですが、近年は特に脱炭素に対しての課題を感じているお客さまが増えており、
「まず何から脱炭素への取り組みを始めればいいのかが分からない」
「さまざまな算定ツールがあるが、いずれも利用コストが高く導入が難しい」
といった声を多くお聞きしていました。脱炭素に向けた取り組みの第一歩は、自社のCO2排出量を把握することです。お客さまの中には、Excelなどを使って算定していた企業もありますが、その計算に必要な「排出係数」が年に複数回更新されることもあり、ヒューマンエラーを誘発したり作業負荷を高めたりする原因になっています。
そこで、算定ツールをわれわれが開発し、お客さまに低価格で提供できれば、地域のカーボンニュートラルの実現に向けて貢献できるのではないかと考え、炭削くんプロジェクトがスタートしました。
「金融面の支援」だけで終わらない。地銀が旗振り役となり、脱炭素を進める意義とは
──地域の支援が地方銀行の大きな役割となる中で、特に脱炭素・SDGs推進の重要性を感じられていたということでしょうか?
西村:そうですね。肥後銀行は「私たちは、お客様や地域の皆様とともに、お客様の資産や事業、地域の産業や自然・文化を育て、守り、引き継ぐことで、地域の未来を創造していく為に存在しています」というパーパスを掲げています。
当行は金融機関ですが、金融の枠を超えてあらゆる可能性を追求し、地域課題解決に貢献するグループを目指すため、あえて「金融」という言葉を入れていません。当行の頭取は常に「地域にどのような金融機関があるかによって、その地域の未来は変わる」と話しています。だからこそ私たちは「銀行だから金融面を支援」するだけではなく、銀行分野以外でもお客さまを支援し、地域を守り育てていかなければならないと思っています。そのため、サステナビリティ推進室には全体で15人ものメンバーが配属されているのです。
玉木:とはいえ、SDGs分野の取り組みにおいて特に中小企業のネックとなってしまうのは、ファイナンスの部分です。この点を併せて支援できるのがわれわれの強みだと考えています。最初はCO2を「測る」ところからですが、その次にどう削減するかを考えるフェーズに入ります。例えば企業内設備をCO2排出量が少ないものに更新したり、サステナブルな原料への変更を検討したりする場合に資金の問題は無視できません。
炭削くんを使ってCO2排出量が分かったら、次は排出量が増える一番のポイントは電気なのか、社用車のガソリンなのかを見つける。当行ではそうしたホットポイントと企業ごとの状況に応じた削減方法をご案内し、取り組みに必要な資金面のご相談も併せて、一気通貫でサポートできます。そのためのフックとして「炭削くん」を使っていただけたらと考えています。
槙谷:中小企業の場合、資金面の問題などもあって、利益に直結しないこうした分野の取り組みを進めるのが特に難しい状況にあります。誰かが旗振り役になって推進する必要がある中で、そこを担えるのが地方銀行だと考えています。
その中で、肥後銀行ほどサステナビリティ領域に人員を割いているところは、銀行でも他業種の企業でも多くありません。また、自行でこうしたツールの開発を手掛けていること自体が、かなりレアなケース。脱炭素は、電通にとっても非常に重要なアジェンダです。今回のプロジェクトのように、地方銀行が進めるSDGsの取り組みをご支援することには大きな意味があります。
月額2200円で「Scope3」の算出にも対応! サプライチェーン全体での導入も含め4000社以上が利用する「炭削くん」の魅力
──炭削くんの概要と、独自性を教えてください。
西村:一番のポイントはやはり、中小企業の皆さまの課題として大きかった価格面だと考えています。
炭削くんの場合、Scope1・2・3※を全て測ることができ、いくつ拠点を登録しても5IDまで月額2200円です。一方で機能面は他のツールと変わらず、PCやスマートフォンから自社で使用する電気やガソリンなどの使用量を入力するだけで、下記の通りCO2排出量の“見える化”ができます。
※ Scope1・2・3:「Scope」はCO2などの温室効果ガス(GHG)の排出量を測定する範囲を表したもの。大まかに以下の3つに分けられる。
・「Scope1」
燃料の燃焼や、製品の製造などを通じて企業・組織が「直接排出」するGHG
・「Scope2」
他社から供給された電気・熱・蒸気を使うことで、間接的に排出されるGHG
・「Scope3」
自社事業における原材料仕入れや販売後など、サプライチェーンを通して排出されるGHG
① 企業活動全体の CO₂排出量算定(Scope1・2・3)および可視化
② 排出量削減目標の設定および進捗管理
③ 算定結果のレポート出力
④グループやサプライチェーン全体の排出量管理

西村:現在、プライム上場企業十数社を含めた4000社以上にご利用いただいています。上場企業に関しても、Scope3は自社だけでは算定できません。炭削くんは、サプライヤーの中小企業にも利用してもらえれば、そのデータをシステム内でひもづけて自社のScope 3の算定にそのまま使うことができます。当初は中小企業に向けて開発したツールでしたが、炭削くんを通してサプライヤーから集めたデータを自社のサプライチェーン排出量算定に活用される上場企業も増えてきています。

槙谷:炭削くんは、安価でありながら機能面では競合ツールと遜色ありません。これは、先ほどのお話どおり、肥後銀行さんは事業として、炭削くんシステム利用料による利益化を目指しているのではなく、あくまで地域の企業の脱炭素を進める入り口として利用していただくために開発したからこそだと思います。
上場企業単体でしたら、多少コストのかかるツールでも導入できますが、サプライチェーン全体に同じツールを入れてデータをひもづけようとしたとき、高価なツールの利用をサプライヤーに勧めるのは難しくなります。炭削くんでしたら月に2200円なので広く活用をしやすいということですね。
全国の金融機関と連携するために開発した、新たな機能
──「炭削くん」では、中小企業に加え、貴行と同じ地方の金融機関にも使いやすい機能があるそうですが、どのようなものでしょうか?
西村:金融機関においては、Scope3の中でも「投融資先」のCO2排出量が対象となるカテゴリー15の排出量が多くを占めます。例えば肥後銀行の場合、自行で担うCO2排出量の9割が投融資先のもの。つまり、取引先企業の排出量もきちんと算定しなくては、カーボンニュートラルを進められない状況なのです。炭削くんは、金融機関が投融資先の排出量を確認しながら、地域のカーボンニュートラルに向けて取り組むことを目指してFE(ファイナンスド・エミッション)機能を途中で追加しました。

玉木:こちらは槙谷さんから提案をいただいて追加した機能です。金融機関の取引先は多岐にわたり、自社のCO2排出量を算出できていない企業も多く含まれます。そのため金融機関はこのカテゴリーについては、売り上げ規模や融資残高といった数値を掛け合わせた推計で算出せざるをえません。自行の9割を占めるこの項目のCO2を減らすためには、お客さまの実データを知る必要があり、さらにそれをきちんと算定する機能が必要なのです。
西村:当初は熊本県内の中小企業に向けて開発を進めていたのですが、途中から他県の金融機関にも導入、活用していただくことも考えるようになりました。理由として、各地域のカーボンニュートラルを実現するためには、例えばお客さまが算定したデータを基に、「自治体と一緒に進められる施策」を考えるといった目線も必要だと感じたことがあります。他県の金融機関に、炭削くんをホワイトラベルとして導入していただき、さらに各地域の企業への導入が進めば、熊本県以外でも同じような取り組みができると考えたのです。
玉木:他の地域で「炭削くん」を導入し、地域内の企業へ展開している金融機関を「パートナー銀行」と呼んでいます。現在、福岡銀行、鹿児島銀行、東北銀行がパートナー銀行ですが、本年中にあと5行は増やしていきたいと考えています。
カーボンニュートラルの取り組みは、熊本県だけが進んでも目標に届きません。その意味で、日本全国の金融機関と連携して取り組んでいけたら、われわれとしてもメリットがあります。金融機関に対しては、同じ立場として自行と地域の脱炭素推進における課題を抱え、対応してきたノウハウや成功・失敗事例なども共有できますし、より近い目線でサポートできます。また、パートナー銀行からの案内で「炭削くん」を導入していただいた企業へのヘルプデスクはすべて肥後銀行が担当するなど、サービスを充実させています。
徹底的な情報収集と分析によって、「炭削くん」の位置付けを明確に。約4000社の導入を実現した戦略とは?
──「炭削くん」を全国に展開するにあたり、電通に戦略設定やプロモーションを依頼した理由をお聞かせください。
西村:地銀である肥後銀行が全国に向けたサービスを提案、展開する機会は「炭削くん」が初めてだったため、ノウハウがほとんどなく、やりたくても方法が分からない状況でした。地銀がサービスを展開するときの基本は直接お客さまに会いに行き、対話することです。全国を対象とした場合、面識のないお客さまに商品を提案していくことになるので、この方法では無理がある。そこで、全国展開における知見が豊富で、営業戦略や有効性の高い方法をご相談できる電通さんに、伝手をたどってお願いすることにしました。
──実際に電通からどのようなご提案がありましたか?
西村:プロモーション部分だけではなく、競合ツールがある中で炭削くんを「どんなシステムに育て上げていくか」や、今後目指すポジションに必要な機能といったところを選評していただきました。もちろん、電通さんの強みである全国地域に対する広報戦略も含めてのご提案がありました。
玉木:特に印象に残っているのは、他社の情報収集と分析をたいへんスピーディーに、膨大な情報量をもって対応してくださった点です。その情報と分析を基に、炭削くんが目指すべきポジションなど戦略策定の部分で、かなりお力添えをいただきました。プロモーションにおいても、われわれは「とりあえずCMを……」と考えていたのですが、「それは無駄金になります」とハッキリ言っていただきました(笑)。
──電通側がサポートするにあたり、ポイントとしたのはどのような部分でしたか?
槙谷:こうしたツールを開発・提供している全国のプレーヤーと戦っていく必要もあると考えたときに、まずきちんとした状況分析が必要だと考えました。この場合の「状況」には、競合ツールについてだけではなく、利用してくださる金融機関やエンドユーザーとなる企業も含まれます。そうした方々の状況が分かって初めて、炭削くんの営業戦略やポジショニングが考えられます。基本的なことではありますが、オンラインのリサーチだけではなく、生の声を集めてくることも含めて最初に分析や診断を約2ヵ月かけてしっかりやりました。
西村:他社ツールにはあって、炭削くんにはない機能ももちろんあります。その場合、「機能を追加してください」と言われることもあるのですが、「その機能は果たして『炭削くん』のユーザーや目的を考えたときに追加開発する必要があるのか?」と俯瞰する目線を、電通さんが伴走してくださったことで持つことができました。
炭削くんが目指すポジションや営業戦略に合わせて機能に優先順位をつけ、必要かどうかといったことを何度も話し合い、自行で開発した方が強みになる部分と、他社ツールと連携するなどの方法にした方が強みになる部分をアドバイスしていただいたのもありがたかったです。価格は変えない前提でしたので、その中での取捨選択ができました。
炭削くん自体は、2024年1月にリリースしましたが、その後の4~9月の間に電通さんの分析を基にした戦略を立てられていなければ、1年で約4000社の導入には至っていないと思います。
“見える化”の次は実現可能な削減案を!日々状況が変わる中でも、日本全体に脱炭素の流れをつくりたい
──今後の展開について考えていることを教えてください。また、肥後銀行が電通に対して期待されていることなども併せてお願いします。
玉木:炭削くんはあくまでCO2を「算定」し“見える化”するツールです。カーボンニュートラルのためには、“見える化”して終わりではなく「削減」していかないと意味がありません。そこで、今後はAI等を活用して企業ごとに実現可能な削減施策を提案するような機能をつけていきたいと考えています。
脱炭素分野を取り巻く状況は、お客さま企業も、国の方針も含めて日に日に変わっています。そうした中で炭削くん自体も戦略も常にブラッシュアップしていかないといけません。電通さんはこの分野の知見と経験をたくさん持っていらっしゃるので、最新の情報と併せてご提示いただきながら引き続き相談していきたい。われわれもアンテナを高く張って推進していけたらと考えています。
西村:電通さんに対しては日本を代表する企業の1つとして、私たちへの情報提供だけではなく、「日本全体で脱炭素を推進していく流れ」をつくっていただけるよう期待しています。
槙谷:ありがとうございます。脱炭素に対する取り組みは、地域によって推進状況が、はっきりと2極化しています。電通は、生活者はもとより、さまざまなお客様との接点があるので、B to Bの側面でもムーブメントをつくっていける点が強み。クライアント企業と脱炭素を推進していくような団体を組織したり、流れをつくることで、引き続き脱炭素を推進していきたいですね。