世界各国に広がる電通グループの現地拠点では、生活者のインサイトに根ざした提案や、ローカル企業・日系企業との共創が日々行われています。本連載では、各地でビジネスをリードするグローバル駐在員の視点を通じて、地域ごとの市場特性や日本企業進出のヒントを紹介します。
初回は、急成長を続ける東南アジアの中でも注目を集めるベトナム。日清製粉ウェルナのベトナム市場参入事例を軸に、プロジェクトを通じて見えてきた市場の可能性や、日本企業が進出する際のポイントについて、「電通ベトナム」の新保泰史氏に聞きました。

電通ベトナムのチームビルディングでの1コマ。右から2番目が新保泰史氏。
日本企業の現地市場参入をはじめ、統合的な支援を行う電通ベトナム
──まずは自己紹介をお願いします。現在ベトナムでどのようなお仕事をされているのかを中心に教えてください。
新保:はじめに前提をお伝えしておくと、「電通ベトナム」とは、電通グループのベトナム拠点全体を指す総称です。ここには大きく3つのビジネスラインがあり、「メディア」「クリエイティブ」「CXM(カスタマー・エクスペリエンス・マネジメント:データ・テクノロジー領域)」が、それぞれ独立した法人をベースに事業を展開しています。
私は現在、電通XベトナムのCEOとして、メディア領域を統括しています。事業の売り上げ・利益に責任を持つことはもちろん、クライアント対応、人材の採用・育成、チームビルディング、社員のモチベーション管理に至るまで、幅広い経営業務に携わっています。
加えて、ダブルハットの役割として、電通ベトナム全体のクライアントプレジデントとして「ICL(Integrated Client Lead)」も務めています。ICLとは営業統括という意味合いだけでなく、複数部門にまたがるクライアント対応の総指揮役という立場で、メディア・クリエイティブ・CXMの各領域を横断管理しながら、クライアントにとって最適な統合ソリューションを提供することを目的としています。
──電通ベトナムは、どのようなクライアントを支援しているのでしょうか?
新保:クライアントの業種は非常に幅広いです。食品、飲料、自動車、日用品、家電、ファッション、金融、保険、通信、小売、エネルギーなどの分野で、現地企業・日系企業・グローバル企業を問わず、さまざまな領域で統合的な支援を行っています。
ベトナム市場参入への道筋を描く、マーケットエントリーコンサルティング
──ではここから、具体的な支援事例についてお聞きしていきたいと思います。日清製粉ウェルナさんとは、どのような形で関わりが始まったのでしょうか?
新保:日清製粉ウェルナさん(以下、日清製粉ウェルナ)は、2013年からすでにベトナムに進出し、現地で製造した家庭用製品(BtoC)を日本に輸出する、海外工場としての製造拠点を運営していました。そのような中で、2024年に新たなステップとして、ベトナム国内向けにBtoC事業を展開する方針を打ち出しました。これまでの「生産拠点」としてのベトナムから、「市場」としてのベトナムへと重心を移すフェーズに入られたわけです。
このタイミングで、現地パートナー選定に向けたピッチが実施され、私たち電通ベトナムが指名をいただきました。ご一緒するプロジェクトは、「パスタソース」「炊き込みご飯の素」といった、日清製粉ウェルナにとって優位性のあるカテゴリで、ベトナム市場における認知獲得をサポートすることからスタートしました。

電通ベトナムのプロジェクトチームおよび、日清製粉ウェルナの日本とベトナムの社員の皆さんと。中央が新保泰史氏。
──実際にどのようなプロセスでプロジェクトを進めていったのでしょうか?
新保:認知拡大に向けたマーケティング施策を進める一方で、日清製粉ウェルナからは、「今後どの商品カテゴリを、どの順番で、ベトナム市場で広げていくべきか」という、より戦略的な相談も受けました。
というのも、ベトナムは経済成長が著しくチャンスの多い市場である一方、政治環境の変化の速さや制度の未整備といった不確実性も高く、慎重なビジネス設計が求められます。特にFMCG(Fast Moving Consumer Goods:日用消費財)領域においては、“パパママショップ”と呼ばれる個人商店が流通の約80%を占めています。このような店舗は、POSデータなどの購買情報が取得できず、消費行動が分析できないという課題があります。ここが、日清製粉ウェルナが悩むポイントでした。
データによる戦略設計が難しいため、生活者調査や市場のトレンド分析、チャネル構造の読み解きなどを通じて、「どの商品から着手すべきか」を導き出す必要がありました。
つまり、広告展開と同時並行で、事業そのものの方向性を一緒に考える必要があったのです。そこで私たちは、事業構想段階から支援する「マーケットエントリー(事業者が商品やサービスを市場にリリースするために用いる総合的な計画)」のためのコンサルティング事業(BX=Business Transformation)をベトナムで立ち上げ、伴走をスタートしました。
クライアントの悩みを伺った上で、生活者に商品を届けるための準備を、戦略レベルから一緒に設計する。このアプローチこそ、ベトナムのような市場に挑む上で必要な視点だと感じました。
──どのように苦労を乗り越えたのでしょうか?
新保:正直なところ、最初はまさに“手探り”からのスタートでした。というのも、当時の電通ベトナムには、マーケットエントリーのような上流工程から深く伴走できる体制や知見が、十分に整っていなかったからです。
そこで私たちは、「自社だけですべてを抱え込むのではなく、どの機能や知見を、どこから補うべきか」をひとつずつ整理していきました。その過程で出会ったのが、同じ電通グループ内でコンサルティング系に強みを持つ「ドリームインキュベータ・ベトナム(DI Vietnam)」です。
彼らの設計力と、私たちの現場理解やマーケティング実行力。この2つが合わさることで、お互いの弱みを補完し合い、クライアントにとってより価値ある提案ができるのではないかと考え、チームの組成に踏み切りました。
具体的には、両社の強みが最大限に発揮されるよう、役割設計やプロセスを共同で構築し、さらに必要に応じてdentsu Japan(国内電通グループ)からの支援も受けながら、グループ横断型のチームとしての体制を整えていきました。
1社単独ではなく、グループ全体のリソースを柔軟に組み合わせて基盤を作ることで、プロジェクトを進められるようになりました。
──コンサルティング事業では、どのような分析を行ったのですか?
新保:日清製粉ウェルナの主力商品である「小麦粉・プレミックス」「パスタ」「レトルトソース」「冷凍食品」の4カテゴリのうち、2024年はすでに、レトルトソースのカテゴリーで、パスタソースや炊き込みご飯の素など、BtoC事業をベトナムでローンチして認知を拡大している段階でした。そこからさらに、他のカテゴリをどのようにベトナム市場に展開していくべきか、その戦略立案を、約3カ月かけてクライアントと伴走する形で進めていきました。
市場データがほとんどそろっていない中で、私たちはあらゆる情報源を当たり、データをかき集めることからスタート。政府や行政の制度、関税の仕組み、所得水準の推移、家庭内での調理時間、調理の種類、手軽な調理食品の需要、節約志向の傾向など、あらゆる視点から情報を集めました。
そして、それぞれのカテゴリごとに売り上げ規模や市場規模、競合分析、流通実績、価格帯、ブランド認知度など、これまでベトナム国内ではデータ分析が難しかった分野を多角的に分析しました。そして、段階ごとに「冷凍食品のカテゴリが特に勝ち筋がある」という戦略シナリオを導き出していきました。
──電通グループとしての連携の力が発揮された事例と言えそうですね。
新保:まさにそうです。電通ベトナム、ドリームインキュベータ・ベトナム、そしてdentsu Japan、それぞれの強みと専門性を持ち寄ることで、グループとしての総合力が発揮されたと感じています。
また、このプロジェクトでは、最初から私たちで完璧な戦略を作り上げるのではなく、「クライアントと一緒に作っていく」プロセスを重視しました。2週間ごとの定例ミーティングを設定し、途中段階のアウトプットを都度共有しながら、その場で修正・追加を行い、精度の高い戦略へと練り上げていきました。クライアントと並走しながら、事業を深く理解していく。チームにとっても学びのある時間となりました。
※参考リリース 「電通とドリームインキュベータ、ベトナム市場進出支援サービスを提供開始」

電通のSEA(South East Asia)のカンファレンス。グローバルを通して、国を超えて連携を目指している。前列左から3番目が新保泰史氏。
ヒントは3世帯同居家庭!?ベトナム食品市場の可能性
──戦略を練る中で、特にどの商品カテゴリに成長の可能性を感じましたか?
新保:ベトナムの食品市場では、前述した4つの主要カテゴリすべてに成長のチャンスがあります。しかし、現時点では大きく成長させるのが難しいカテゴリもあります。例えば、レトルトソースの炊き込みご飯の素は、現時点では市場に競合もおらず、まさに”ブルーオーシャン”と言える状況です。しかし、白米をよく食べるベトナム人にとって、味付けのご飯を炊き込むという食文化がまだ定着していないため、炊き込みご飯の素のような関連商品の拡大にも時間がかかるという課題もあります。
そうした中で、まずスピーディに市場に参入できそうなカテゴリとして選んだのが冷凍食品でした。背景には、ここ数年で電子レンジの普及率が急速に上がったことや、冷凍流通・小売のインフラ整備が進んだという変化があります。特に都市部では、働く層のライフスタイルが変化し、“簡単に調理できる高品質な商品”へのニーズが明確に表れ始めていました。韓国系や日系の先行企業も動き始めており、市場が立ち上がるタイミングとしても好機でした。

日清製粉ウェルナの商品もベトナムの棚に2024年より並ぶ。写真左上。
──小麦粉やフラワーミックスなどの市場はどうでしたか?
新保:小麦粉や製菓用ミックスの領域はすでに多くの企業が参入しており、いわば“レッドオーシャン”の様相を呈しています。もちろん重要なカテゴリではありますが、後発としてリソースを投下するには相応の時間と投資が必要です。その点、冷凍食品は比較的参入障壁が下がりつつあり、今からでも攻めやすい領域と感じ、優先順位を高めました。
──生活者の価値観や生活スタイルについても教えてください。ベトナムは屋台文化が根付いますが、家での料理文化はどうなっているのでしょうか?
新保:確かに屋台や外食は盛んですが、家庭で料理をして家族で食卓を囲む文化も非常に根強く残っています。ベトナムでは“家族で過ごす時間”が非常に大切にされていて、特に夕食を家族全員で食べるという習慣は都市部でも一般的です。この“家で食べる”という生活習慣があるからこそ、家庭用食品市場にも十分なポテンシャルがあるのです。
──日本では共働き世帯が一般化して、時短調理や簡便食品のニーズが高まっています。ベトナムも同じような傾向があるのでしょうか?
新保:はい、まさにそこが注目すべきポイントです。ベトナムではここ20年で経済が急成長し、都市化と所得向上が進みました。共働き世帯が一般的になり、時間効率や手間の軽減を重視する家庭が増えています。ただし、日本と異なるのは、3世代で同居する家庭が多いこと。両親が働いていても、祖父母が家事や育児をサポートしてくれるため、“家庭で食べる”というスタイル自体が強いままなのが特徴です。そうした家庭にとって、冷凍食品や時短調理が可能な商品は、「家族の時間を守りながら手軽に準備できる」選択肢として、非常に親和性が高いんですね。
──冷凍食品がここ数年の生活スタイルの変化に合ってきた、ということですね。
新保:そうですね。以前は冷凍流通の未整備や保存環境の制限がネックでしたが、今では都市部を中心にその課題も徐々にクリアされつつあります。このタイミングで冷凍食品というカテゴリを提案できたことは、現地の変化にうまくシンクロでき非常に意味があったと感じています。

スーパーにも大型の冷蔵設備が整ってきており、ブランドの数も徐々に増えてきている。
信頼できるパートナーと共に、活気あふれる市場を開拓する
──日系企業がベトナムに進出する際のアドバイスがあればぜひ教えてください。少し漠然とした質問かもしれませんが……。
新保:これは本当に難しいテーマです。というのも、ベトナムは経済成長のスピードが非常に速く、同時にビジネス環境の変動性も高い国なのです。たとえば、税制は毎年のようにアップデートされ、解釈の揺れもあります。公的な統計データの正確性や透明性には限界があり、現地情報の収集には工夫が必要です。
さらに、人材の流動性が非常に高く、企業の中途離職率が年間20〜30%になることも珍しくありません。こうした前提を理解せずに進出すると、現地で想定外の事態に振り回されてしまうリスクがあります。加えて、政策変更のスピードも速く、外資企業に対する方針が突然変更されるケースもあります。こうした“非連続な環境変化”にどう対応していくかが、進出成功の鍵になります。
このような環境下で日系企業が確実に成果を出すために重要なのが、「信頼できる現地パートナーの存在」です。現地のベトナム企業と提携する形でも良いですし、すでに進出済みの日系企業と連携して情報を得るのも効果的です。重要なのは、その地域特有の商習慣や人材市場、行政との関係性を熟知している相手とどうネットワークを築けるかです。それによって、想定外の出来事に対する耐性が圧倒的に変わってきます。

──最後に、これからベトナム進出を考えている日系企業に向けてメッセージをお願いします。
新保:ベトナムは経済成長が著しく、若い世代が多く、エネルギーに満ちた国です。特にデジタル化や消費トレンドの変化が速く、あらゆる産業で新しいビジネスチャンスが生まれています。もちろん、文化や価値観、日本とは大きく異なる部分も多く、思い通りにいかないことはたくさんあります。ですが、そうした“ズレ”をネガティブに捉えるのではなく、現地を丁寧に理解し、共に成長できるパートナーと一歩ずつ進んでいけば、道は必ず開けていきます。
「日本と同じやり方が通じない」ことを前提に、相手を知り、自らも学び、現地の人たちと一緒に汗をかく。そのプロセスの中で築かれる信頼こそが、異文化の中で通用する“本当に強いビジネス”を育ててくれるはずです。
ベトナムの人たちは、手を差し伸べれば応えてくれる懐の深さと、前に進もうとする熱量を持っています。挑戦する価値は、間違いなくあります。皆さんの進出が、次の可能性を切り開く第一歩になることを心より願っています。