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フランク・フェルテンズさん

フランク・フェルテンズ

フランク・フェルテンズ

スミソニアン協会 国立アジア美術館

野口 玲一

野口 玲一

三菱一号館美術館

宮川 裕

宮川 裕

株式会社電通

電通・宮川裕による連載「マーケティングの世界の住人が、アートの世界を覗いてみた。」

フランク・フェルテンズさんと1年半ぶりの再会となった。その間にフェルテンズさんは学芸部長にご昇格。フェルテンズさんをはじめとするスミソニアン協会 国立アジア美術館(以下、国立アジア美術館)の方々の日本での活動で幾度もご一緒し、10年近くになろうとしている。フェルテンズさんにかなり強めの親近感を覚えているが、それは年齢が近いからというだけではない。日本語がかなり流暢で、かなりの日本ツウなのは間違いないのだが、「日本語がかなり流暢ですね」とか「かなりの日本ツウですね」といった表現はしっくりこない。もっと自然なのだ。その一端が、今回のお話の中でもにじみ出ているのではと思う。

◆外交官になりたかった?

宮川:まずはフェルテンズさんの専門や国立アジア美術館の紹介からお願いします。

フェルテンズ:専門は17世紀から18世紀を中心とした日本絵画です。国立アジア美術館全体で学芸員は17人おり、そのうち私を含め日本美術を専門とする学芸員が3人、中国も3人、それから韓国や中東、東南アジアなどを専門にする学芸員もいます。アメリカで日本美術を扱う美術館の中では、国立アジア美術館は最も体制が充実している美術館の一つであることは間違いありません。

そして国立アジア美術館の一番の特長は、やはりコレクションです。100年前のチャールズ・ラング・フリーアさんのコレクションからスタートし、その後も着実にコレクションを充実させています。ここ数年では寄贈などにより、劇的に作品が増えました。日本美術に関しては、3500点くらい増えたことで館全体のコレクションの3分の1を占め、一番多くなったんです。

宮川:3500点!それだけで美術館が一つできてしまうような規模ですね。

フェルテンズ:数だけではなく質が非常に重要になるのですが、幸いなことに寄贈いただいた作品は優良なものばかりです。ジャンルでいうと、絵画や版画、写真、そして陶磁器もあるのですが、今アメリカ国内では、日本美術の大きな「モーメント」があると感じています。その背景には、世界全体を見渡した時に日本美術の重要なステークホルダーとして、アメリカの個人コレクターの存在があります。そのコレクターたちがだんだん歳を重ね、自分のコレクションをどうすべきなのか、さらには自分の人生はどういう意味を持つのか、社会に何を還元できるのか、どういう形で還元できるのか、そういう大きなタイミングに差しかかっている中で、国立アジア美術館を中心にコレクションを寄贈してくれている状況です。おそらくこれまでの歴史にはなかったような、本当にとてもユニークなモーメントだと思います。将来にももう起こらないかもしれません(笑)。

宮川:日本国内に目を向けてみると、こういった大型の寄贈や寄付の話はあまりないような気もしますが、文化を支えるという意味では、美術館や博物館でのクラウドファンディングがニュースになったりもしています。

フェルテンズ:大きな金額でクラウドファンディング目標達成、こういったニュースはとても素晴らしいことですね。一方で、定期的に寄付してくれるなど、一回きりではない形で日本文化を支える、愛着をもって一緒に美術館を育てていく、そんな流れができるともっと素晴らしいと思いますし、日本も少しずつ変わっていっていると思います。

宮川:フェルテンズさんは、常々「サステナビリティを実感するには、美術から学ぶのが最適」とおっしゃっていますね。そんな中、ドイツ出身のフェルテンズさんが日本美術というものと出会ったそもそものきっかけをお聞かせください。

フェルテンズ:もともとは外交官になりたかったんです。それで日本語のような難しい言語を勉強することが外交官への近道と思いました。最初に日本語を一生懸命勉強していて、ドイツの大学の1年生の時には夏休みに奈良の茶畑に行って少し働いてみたんです。初めての来日だったのですが、すごいカルチャーショックを受けました。ミスもいっぱい。恥ずかしい思い出もいっぱい。でも、2年生の時にまた来日しまして、その時は1年間京都に留学しました。その1年で、本当に日本のことを愛することになりました。鴨川のあたりでママチャリに乗ったり。当時の京都は今ほど混雑していなくて快適でした(笑)。伝統文化に触れる中で、外交官はちょっと現代的過ぎるかな、なんて思ったりして(笑)。日本の美術とか文化とか、すごくハマることになりましたね。舞鶴から船に乗って札幌にも行きました。青春18きっぷで青森とかいろんなところに行きました。普通列車ですごくゆっくり日本のいろんな地域を見ていく中で、本当にこの国はいいなと思って。それが今のキャリアの原点になっています。

2008年にドイツの大学を卒業後すぐに、アメリカのコロンビア大学で修士課程に進み、そこで武者小路千家の千宗屋さんとも出会いました。学業でもプライベートでも交流がありました。ニューヨークのイースト・ビレッジの小さなアパートで暮らしていて、そこでお茶会を開いてくれたことも思い出です。

その後、2012年から4年間、学習院大学に留学していました。博士論文のための研究や執筆をしており、その時は尾形光琳のことばかり考えていました。一番交流したのが300年前の人。光琳が一番の友達でした(笑)。

宮川:時を超えた私淑のごとく、ですね。

フェルテンズ:そうですね。そして、いよいよワシントンに勤務することになります。あれから10年が経ちました。本当にあっという間です。

◆Quietなソフトパワー

宮川:さて、日本の文化や日本美術の価値というものをどう捉えているのか、そういった話に入っていきたいと思います。

フェルテンズ:国立アジア美術館に来て、初めて日本というものに触れる、という人が実はたくさんいます。来館者の6割はアメリカの国内旅行者なのですが、日常でいわゆる日本文化に触れる機会がまったくない地域というのがアメリカにはあるので、ワシントンを訪れて初めて体験する、というわけです。だからこそ優良な作品がそろっていることが大事です。

また、ワシントンはアメリカの政治の中心ですから、日本美術コレクションは外交官みたいな役割もあります。アメリカの政治家や政府関係者が日本に行く前に、国立アジア美術館に来て日本文化の情報を事前に仕入れたり、逆に日本からの要人をおもてなしする際に、国立アジア美術館に来ていただき、日本美術が果たしてきた役割を説明したり。

宮川:国立アジア美術館開館100周年のタイミングで、岸田総理(当時)夫人の岸田裕子さんが来館し、俵屋宗達筆「松島図屏風」をご覧になったり、日本美術の修復現場を見学されたりしていましたが、フェルテンズさんが案内されていましたよね。

フェルテンズ:アメリカ国内の人に日本文化に出会ってもらう点でも、また日本から来た人に、アメリカと日本美術の関係や歴史を正しく理解してもらう点でも、そしてあらゆる人に日本美術を親しんでもらうためにも、やっぱり良い作品の存在は欠かせません。そうじゃないと、こんなのが日本文化なんだ、と思われてしまいますから。

宮川:当初外交官を志していたフェルテンズさんが、巡り巡って新たな形で実践しているようで。素晴らしいです。

フェルテンズ:ちょっとだけ外交官ぽくなったかもしれないですね(笑)。

宮川:国立アジア美術館は、立地も素晴らしいですよね。ワシントンのナショナル・モールはとても広大で、僕も興味本位で端から端まで歩いたことがありますが、リンカーン記念堂から議事堂まで約3km。そのど真ん中あたりに国立アジア美術館は位置しています。

フェルテンズ:1923年に国立アジア美術館は開館しましたが、アメリカで誕生した最初の国立美術館なんですね。ナショナル・ギャラリーができる遥かに前のことです。客観的に考えて、これはすごいことではないですか。アメリカの最初の国立美術館が、ヨーロッパの美術でも、ましてアメリカの美術でもなく、アジアの美術なのです。アメリカという国の在り方、多様性の尊重を象徴しているかのよう、といえるのかもしれません。

宮川:アジアの美術が、ナショナル・モールの真ん中に100年以上存在し続けている意味や重み。計り知れないですね。他国との比較という観点では日本文化はどうでしょうか。

フェルテンズ:最近では世界中で韓国ブームというのがありますよね。大学に入学して韓国語を学んでみるとか。でも日本はもっと持続している人気があるように感じます。クールジャパンという言葉が登場する遥か以前から、日本のソフトパワーはずっと根強くあり、それはそう簡単に損なわれるものではない。国立アジア美術館の来館者データにも現れています。日本ギャラリーに訪れるお客さんは20〜30代が一番多いんです。つまり新しい世代の人たちもきちんと入ってきている。アメリカの若者にとって、日本文化といえばアニメや漫画という認識は確かにあるのですが、それを入口に日本のいろいろな側面を知り、例えば国立アジア美術館でいえば葛飾北斎の肉筆画や、屏風という独特なものに関心がいくことも。日本の若者よりも海外の若者のほうが、日本という国に強く興味を示しているのかもしれません。

私が魅了されているのは、日本の「Quietなソフトパワー」。今風に言えば、いわば静かな“推し”の力ですね。それは多くの人が認める普遍的な魅力、圧倒的な魅力なのではないでしょうか。

宮川:Quietというのは、静ひつ、自然体、押しつけがましくない、そんな感じの意味ですかね。

フェルテンズ:Netflixを開くと日本のコンテンツばかりある、そのような状況を求める必要はないと思います。日本特有のQuietな文化は目新しいというよりも、ヨーロッパの文化やアメリカの文化、世界の文化の一部にもなってきている、今やそんな印象です。Quietという魅力は、禅とかお茶はもちろんのこと、時間通りに電車が来ることもそうですし、大衆的な食堂でもちょっとしたこだわりのあるおいしいものを出してくれることもそうです。

宮川:日本国内にいる日本人としては、フェルテンズさんのような視点から言及してもらうことで、見えていなかったものが見えてくる、再発見につながる気がしてきました。この流れで、Quietな価値を体感することができるかもしれない展覧会についても語っていただきたいと思います。

◆「新しい私に出会う、三菱一号館美術館」

宮川:ここからは、三菱一号館美術館の上席学芸員の野口玲一さんにも入っていただきます。「新しい私に出会う」というブランドスローガンを掲げる三菱一号館美術館ですが、2026年2月19日(木)から5月24日(日)まで、『トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで』展を実施。この展覧会は国立アジア美術館からの作品貸し出しによって実現したそうです。担当学芸員である野口さんからまずは展覧会についてお聞かせいただけますでしょうか。

https://mimt.jp/ex_sp/shin-hanga/

野口:幕末くらいから昭和初期にかけて、近代日本の風景の版画を扱った展覧会になります。浮世絵から新版画というものに変わっていく時期の作品で構成しており、まずクローズアップするのは、小林清親(こばやしきよちか)という浮世絵師です。明治になって浮世絵が文明開化を経る中で、「開化絵」というものが誕生してくるのですが、清親はそれとはちょっと違った作風なんですね。開化絵はどちらかというと明るくて、社会がポジティブに変わっていく様子を捉えるようなものなのですが、一方で彼の作品は色調は渋めで空が曇っていることも。新しく変わっていく東京の姿の中に、江戸の情緒を再発見していくような作風です。浮世絵の中においても陰影をつけるなど、どちらかというと洋画的な技法を吸収し再現しています。こういった新しい作品は「光線画」と呼ばれています。しかし清親自身の光線画は、明治9年からの5年間くらいと、時期は短いんですね。その後、弟子の井上安治が継ぐのですが彼もすぐ亡くなってしまうので、光線画が生み出された時期は実際とても短く、そういった点でも貴重なものになります。

日露戦争の頃、明治の末になってくると写真の普及により浮世絵自体がメディアとしては廃れてくる状況が生まれました。しかしそれを惜しんで、新しい版画をつくろうと動いた渡邊庄三郎に代表されるような版元たちがいて、彼らが新しい版画をつくっていく時に小林清親などを参照して、当時の日本の風景、東京の風景を再発見した版画をつくっていくんですね。いわゆる「新版画」ですね。絵師としては吉田博や川瀬巴水(かわせはすい)といった名前が挙げられるのですが、浮世絵は外国人もとても興味を持っていたので、外国人も参画していました。今回の展覧会では、チャールズ・バートレットという画家を取り上げています。

小林清親と、その後の新版画の画家たち。そういった近代の風景版画の流れを見る展覧会になっています。

小林 清親 《大川岸一之橋遠景》明治13(1880)年 スミソニアン協会 国立アジア美術館
Kobayashi Kiyochika / National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O. Muller Collection, S2003.8.1119

宮川:今回の展覧会は、主な作品は国立アジア美術館のコレクションによるものなのでしょうか?

フェルテンズ:ほとんどが国立アジア美術館の作品です。120点ほどということで、国立アジア美術館の歴史上もっとも多い貸し出しになります。先ほど、アメリカ国内での日本美術の大きな「モーメント」のお話をしましたが、ロバート・O・ミュラーさんという美術商でもあり新版画のコレクターでもあった方のコレクションを、国立アジア美術館に寄贈してもらいました。その作品が展覧会の形で日本に里帰りする、ということになります。

また2026年はアメリカの建国250周年なので、そのタイミングで日本との協業を実現させたいと強く思っていました。三菱一号館美術館と一緒に主催する展覧会になり大変光栄です。

野口:現在の三菱一号館美術館の建物は復元されたものですが、もともと19世紀末、日本の開国の時期に設計されたもので、館としての大きなテーマの一つは東西交流です。ワシントンと東京ということで時差も大きいですが、何度も話し合いました。

宮川:ケンカとかはせずに(笑)?

フェルテンズ:すごく仕事をしやすかったです(笑)。準備に4〜5年かけましたが、最初の対面もこの部屋だったと思います。野口さんは、ワシントンにも来てテーマもいろいろ考えてくださいました。

野口:会期は約3カ月ということで、日本美術の展覧会としてはとても長いものです。国立アジア美術館の特別な計らいで、その期間展示替え不要にしていただいたことも大変感謝しています。

フェルテンズ:ジョサイア・コンドルによる三菱一号館美術館の設計が、今回の作品と同時代ということもあり、ぴったりだと感じています。部屋のサイズも木目調も素晴らしい。

野口:当時、川瀬巴水は三菱創業家の岩崎家の深川別邸、今の清澄庭園ですけれども、そこの風景やジョサイア・コンドルによる洋館なんかも描いているんですね。それをもとに三菱がノベルティとしての版画をつくり国内外に配ったことが、巴水が欧米で知られるきっかけになったといわれています。展覧会ではその点についても触れています。

宮川:三菱商事が国立アジア美術館に5年で100万ドルの支援をするというニュースも見かけました。この展覧会にも三菱商事が特別協賛に入っていますよね。

フェルテンズ:三菱商事には2015年から協賛していただいており、今回、日本での展覧会の形も実現し、日米の関係をより深められることは大変素晴らしいと思っています。

◆大事にしないといけない、でもどうぞ手軽に!

宮川:最後に、この連載を読んでくださっている方々にメッセージを。まずはフェルテンズさん、お願いします。

フェルテンズ:日本のビジネスパーソンは、本当にまじめに仕事に向き合い、力を尽くしているのだと思います。そういう人こそ、ビジネスシーンとは異なるものを見る、つまり視覚的な整理、そして思考の整理が有効ではないでしょうか。ビジネスシーンとは異なる身体経験は、ビジネスパーソンとしてのパフォーマンスにもよい還元があるはずです。アメリカでは、リセット、そして充電、新しいエネルギーを得るための場として、美術館の存在が確立されています。日本も美術館や博物館がたくさんあり充実しているので、手軽なリフレッシュの場と考えるとよいと思います。新しい学びの場にもなりますので、気軽に足を運んでみてはどうでしょうか。

宮川:野口さんからもお願いします。

野口:メッセージではないですが。フェルテンズさんのお話の中で、日本の文化が欧米の文化の一部にもなっている、というのがありましたが、あらためて考えてみると、そうかもしれないと思いました。日本的なミニマリズムのようなものがアップル製品に影響を与えていたり、精神性や空間の使い方などが欧米の建築家にも影響を与え、そういった建築物が注目されたり。日本人からするとそれらは新しく世に出てきたもの、新鮮なものとして目に映ったりしますが、詳しく見ていくととても古くからある日本の伝統みたいなものが生きているのかもしれない。そういう視点を備えることで、自分たちの伝統文化は古くて遠いものというよりも、今の文化と地続きで身近なものに感じられるように思えました。日本人自身は、けっこう気づけてないなぁと。

フェルテンズ:日本の文化や美術はすごく大切なものです。大事にしないといけない。そのためには日本文化を楽しむのがよいと思います。なにもお金持ちだけのたしなみではないです。たとえばお茶碗を買って自分の家でお茶をゆっくり飲んでみる。誰でもできると思います。小っちゃな楽しみが、日本の美術にはいっぱいあります。ぜひいろいろ試してみてください。それが文化を支援することにもつながると思っています。

画像制作:岩下 智

 

※掲載されている情報は公開時のものです

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著者

フランク・フェルテンズ

フランク・フェルテンズ

スミソニアン協会 国立アジア美術館

学芸部長 日本美術主任学芸員

専門は中世後期・近世・近代の日本絵画。学習院大学で学んだ後、2016年にコロンビア大学で日本美術史の博士号を取得。ニューヨーク近代美術館( MoMA )、ベルリン国立アジア美術館、根津美術館、浅草寺での勤務や研究活動を経て、2017年よりスミソニアン協会、国立アジア美術館、日本美術学芸員・学芸部長。裏千家師範。(Photo: Robert Harrell)

野口 玲一

野口 玲一

三菱一号館美術館

上席学芸員

東京藝術大学大学院修了。1993年から東京都現代美術館、1996年から東京藝術大学大学美術館の学芸員として日本の近現代美術の展覧会を企画。1997年から継続する地域アートイベント「art-Link上野-谷中」の運営にも携わる。2004年から文化庁芸術文化調査官として文化庁に勤務し、「DOMANI・明日展」の企画、在外研修やメディア芸術祭等の業務に携わる。2011年より現職。浮世絵展(2013)、「画鬼・暁斎」展(2015)、「三菱の至宝」展(2021)、「芳幾・芳年」展(2023)等の企画を行う。

宮川 裕

宮川 裕

株式会社電通

第5マーケティング局

コンサルタント

東日本大震災があって、日本の文化やこれからの世代に思いを寄せたい、そう思うようになりました。

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