今年の3月19日から21日にタイのパタヤで開催されたアジア太平洋地域最大級の広告祭「ADFEST 2026」にて、Dentsu Lab チーフ・クリエティブオフィサー田中直基氏が「Designing Inclusive Futures:Uniting Technology and Creativity to Move Brands and Society」というタイトルで登壇した。
広告とは何か。なぜ広告は存在するのか。なぜ私たちは広告をつくるのか。
そうした根源的な問いから始まった講演は、やがて田中氏が約5年にわたり取り組んできたプロジェクト群へと展開していく。その起点となったのがNTTとともに挑戦し続けてきた「Project Humanity」であり、最新のプロジェクト「Waves of Will」へと連なる一連の試みである。それらは、広告という枠を超え、創造性そのもののあり方を問い直す取り組みとして続いている。
一人の創造性から、世界を変える
「世界には、まだ見ぬ創造性がある」
田中氏がそう確信したきっかけは、東京2020パラリンピックでの出会いだった。身体に制約を抱えながらも、そこにはこれまで可視化されてこなかった豊かな表現の可能性が存在していた。もし、その創造性を引き出す仕組みをつくることができたら、社会はどう変わるのか。その問いを起点に、「Project Humanity」は始まった。特徴的なのは、常に「一人の課題」からスタートする点にある。個人に深く向き合い、その解決を社会へと拡張していく。このアプローチこそが、プロジェクトの核となっている。
失われた身体を、取り戻すという発想
プロジェクトの中心にいるのは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)共生者であるEYE VDJ MASA(武藤将胤氏)の存在である。ALSは、徐々に身体の自由を失っていく病だ。筋肉を動かすことができなくなり、やがてコミュニケーションすら困難になる。しかし田中氏は、そこに別の可能性を見いだした。「身体性を再設計する」ことはできないか。その問いに対する一つの答えが、筋電解析に専門性をもつNTT人間情報研究所と連携した筋電信号(EMG)を用いたインターフェースの開発だった。わずかな生体信号を読み取り、アバターの動きへと変換することで、物理的な身体の制約を超えた表現を可能にする。
この技術により、MASAは、アバターを通じてDJパフォーマンスを行い、観客と再びインタラクションできるようになった。彼にとって最も苦しかったのは、「観客に応えることができないこと」だった。その壁を越えた瞬間、創造性は再び社会とつながり始めたのである。
インターフェースが、社会の境界をなくす
この取り組みは個人の体験にとどまらない。NTTと田中氏に開発されたインターフェースは、「Interface of Humanity」として、ゲームやeスポーツへと展開されていく。身体的な条件に関係なく、誰もが同じフィールドで参加できる環境。そこでは「できる/できない」という区分そのものが意味を失う。
さらに、教育や仕事への応用も視野に入れられている。田中氏は、この流れを「一人から始まり、社会へ広がるイノベーション」と表現する。創造性の解放は、特定の誰かのためではなく、すべての人に開かれていくものなのだ。
人間の尊厳としてのコミュニケーション
プロジェクトはさらに深い領域へと踏み込む。
ALSの最終段階では、身体のすべての機能を失い、意思を伝える手段すらなくなる。この状態は「完全閉じ込め症候群」とも呼ばれる。田中氏は、これを単なる医療課題ではなく、「人間の尊厳の問題」として捉える。
そこで取り組まれたのが、脳波を用いたインターフェースである。脳波インターフェースは世界中でその研究がされている。しかし、その多くは、手術が必要であったり、fMRIなどの大規模な装置が必要である。またコストも高く、誰にでも使えるものではない。一方、簡易的なものは精度の問題がある。
田中は、NTTとともに、「リアルタイム機械学習」「運動想起(左右の手を握る運動イメージ)」を利用することで、この課題をクリアしようとしている。従来の技術が抱えていた「精度」「タイムラグ」や「外部刺激への依存」といった課題を乗り越え、ユーザー自身の意思で直感的に操作できるシステムが構築された。それは、「最後までコミュニケーションできる社会」を実現するための基盤となる。
脳波が導く表現の可能性
この技術を用いて実現されたのが、ALS共生者によるバレエパフォーマンスの舞台脚本の執筆とリアルタイムのモーション選択である。身体を動かすことができない状態でありながら、脳波によって振付を選択し、舞台上の動きを制御する。脚本もまた同じインターフェースによって生み出された。
「意思表現」とは何か。「踊る」とは何か。「身体」とは何か。「人間」とは何か。その前提を揺さぶるこの試みは、表現の可能性を大きく拡張するものとなった。
立つことができなくても、表現することはできる。その事実は、創造性が本来持つ自由さを改めて示している。
不完全さから生まれるイノベーション
講演の終盤、田中氏は日本の伝統技法である「金継ぎ」に言及した。
壊れた器を修復し、その痕跡を美として捉えるこの思想について、「不完全さを価値へと転換する発想だ」と説明した。さらに田中氏は、「イノベーションもまた同様に、欠けや制約から生まれる」と述べ、「重要なのは、完成されたものではなく、『まだ満たされていない部分』に目を向けることと、ただ修復するのではなく、人の心を動かし、ワクワクさせることである」とした。
また、田中氏は、「一人の声に耳を傾けること」がイノベーションの始まりであることも強調した。「多くのデータやアルゴリズムが支配する時代においてこそ、個人のリアルな声が、新しい創造の出発点になる」とし、その重要性を示した。
広告は、社会を前進させる装置になり得るか
世界の広告費は拡大を続け、2026年には1兆ドル規模に達すると予測されている。こうした状況について田中氏は、その巨大なリソースを「単なる消費喚起にとどめるのか、それとも社会の構造そのものを変える力として活用するのかが問われている」と指摘した。その上で、「企業やブランドに貢献しながら、同時に社会をより良くすることは可能であり、広告はその両立を実現し得る領域にある」との考えを示した。
そして最後に、こう締めくくった。
「私たちは皆、触媒であり、創造者になれる」
創造性は一部の人のものではなく、誰もが持ち得るものであるという視点が示された。本講演は、それを解き放つためのアプローチについて、多くの示唆を与えるものとなっていた。

