「スポーツの価値」を定性的・定量的に明らかにしていく「スポーツ未来研究ノート」。今回は、女子バスケットボールの長岡萌映子選手と、バスケットボール女子日本リーグ(Wリーグ)広報の神野桃華さんが登場。
病気や障害と向き合う子どもたちとその家族を、スポーツの力で笑顔にすることを目的に掲げた「子ども未来プロジェクト」の活動を、スポーツ未来研究所の武藤圭吾研究員とともに振り返ります。
子ども未来プロジェクトとは?
子ども未来プロジェクトは、病気や障害と向き合う子どもたちと、その生活を支える家族に、スポーツを通じて笑顔と力を届けることを目的に発足した取り組みです。
長い入院生活や、終わりの見えにくい療育のなかで、子どもたちや家族の毎日は、ときに不安や孤独に包まれがちです。そうした日常にスポーツ選手との出会いを届けることで、明るく前を向くきっかけをつくっていきます。

病気や障害と向き合う子どもたちとその家族に、明るく笑顔になってほしい
武藤:「子ども未来プロジェクト」は、病気や障害と向き合う子どもたちとその家族に、明るく笑顔になってもらいたい。そして、それをスポーツの力で実現できればという思いから始まりました。
そもそものきっかけは2年前にさかのぼります。私の子どもが長期入院を必要とする病気を患い、私自身もほぼ病院に住み込みのような状態で仕事をしていた時期がありました。その病棟に、コンテンツのキャラクターやスポーツ選手が来てくれることがあったのですが、そのとき、いつもは静かな病棟が一気に明るくなったんです。普段とはまったく違う、子どもたちのうれしそうな表情を目の当たりにして、親でもなかなか引き出せないような大きな力を強く感じました。その体験が原点になっています。
私自身、電通でスポーツの仕事に携わっていることもあり、今度は自分がそうした機会を創出する側になれないか、そしてそれによってスポーツの価値をさらに高められないかと考えるようになりました。そこに、同じようなバックグラウンドを持ち、この思いに共感してくれる仲間が集まり、「子ども未来プロジェクト」を立ち上げました。
私がバスケットボールを担当していることもあってWリーグに声をかけ、今回、長岡萌映子選手に国立成育医療研究センター小児病棟へ訪問していただきました。最初にこの話を聞いた時、どのようにお感じになりましたか?

神野:われわれWリーグとしても、ちょうど転換期といいますか、理念やビジョンをもとに、リーグがこれから進むべき方向を見直していかなければならない、という話をしていた時期でした。Wリーグの存在価値をどう高めていくか、Wリーグをもっと多くの方に知っていただくために何ができるのか。そういったことを考えていたところに、今回のお話をいただきました。社会貢献といいますか、困難な状況にある方々に寄り添う姿勢を通して、Wリーグの存在価値をお見せできるのではないかと思い、ぜひ実現したいと考えました。
長岡:私はもともとこうした活動に特別な関心があったわけではありませんでした。ただ、3年前に姉をがんで亡くしたことをきっかけに、自分の人生についていろいろと考えるようになりました。当時、姉は2年ほど闘病生活を送っていて、母や家族がそばで支え、私も半日でもオフがあれば帰るような生活を続けていました。そんな姉が亡くなってから、「自分の人生を意味のあるものにしなければ」と強く思うようになりました。
キャリアについても、バスケットボール選手を引退した後のことを真剣に考えるようになりました。「姉の思いを受け継ぐ」と言うと、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、姉と過ごした時間を振り返る中で、自分に何ができるのか、自分だからこそできることは何なのかを考えたとき、がん患者へのサポートが思い浮かびました。ただ、私はこれまでバスケットボールしかやってきていなかったので、ビジネスのこともわからず、ほかの世界も知りません。なかなかきっかけをつかめずにいたところに今回のお話をいただき、これはチャンスだと思って手を挙げさせてもらいました。

競技横断で選手やリーグをつなぎ、医療機関とのマッチングを図る
武藤:今、長岡さんがおっしゃったように、こうした活動をしたいと思っている選手は、世の中にたくさんいらっしゃるかもしれません。ただ、それをどう実現するかとなると、ノウハウがなかったりします。実際、事前のヒアリングで選手の方々にお話を伺った際にも、そうした声がありました。
また病院側からも「来てほしいけれど、われわれからアプローチするのはなかなか難しい。そもそもパイプがない」という話を聞きました。双方が「やりたい」と思っているのに実現に至らないケースも多く、結果としてエールが必要な子どもたちに届けられていない状況があります。そこをつないでいくことが、われわれの大きな役割の一つだと思っています。競技横断で選手やリーグをつなぎ、医療機関とのマッチングを図る。そして、スポーツ界全体として取り組む社会貢献事業へと発展させていきたいと考えています。ただ、日本のスポーツ界では、こうした活動は欧米と比べるとどうしても少ない印象があります。それはなぜだと思われますか。
神野:リーグの立場から見ると、まずは存続のために優先しなければならないことがある、というのが正直なところです。そのため、こうした活動はどうしても後回しになってしまっている面があると思います。また、こうした取り組みは、お金をいただいて行うものというより、ボランティアに近い感覚で捉えられがちです。そうした点も、なかなか踏み出しにくい理由の一つなのではないかと思います。

長岡:私たちの仕事は、試合でいいプレーをすることがもちろん大前提です。ただ、どうしてもそこだけになりがちです。選手自身も、コートでプレーし、いい試合を見せることだけが自分たちの仕事だと思っているところがあるのかもしれません。
でも、実際に病棟を訪問してみて、あんなに喜んでもらえるんだということを肌で感じ、スポーツ選手が訪問すること自体に価値があるのだと改めて思いました。海外では、選手たちが自分たちの価値を理解したうえで、こうした活動を行う文化があるのだと思いますが、日本にはまだそうした文化があまり根づいていない。スポーツの価値が、試合を見てもらうことや、プレーそのものに限られてしまっているのかもしれません。
私は今回、実際に訪問して喜んでもらえたことで、「バスケットをやっていてよかった」「選手をやっていてよかった」と思える瞬間が、コートの外にもあるのだと知りました。そういったことが、まだ知られていないだけなのかもしれません。
スポーツの価値をコートの外でも実感できる機会を広げる
武藤:今回、国立成育医療研究センターの小児病棟へ訪問し、院内学級(※)と病棟を回っていただきました。病院側の多大なご協力のおかげもあってトラブルなく終わることができ、われわれとしてもホッとしています。改めてありがとうございました。長岡さんは、バスケットボール教室の経験はあるものの、病院を訪問するのは初めてだとおっしゃっていましたが、当日はどのようなお気持ちで臨まれましたか。
※ケガや病気で長期入院する児童・生徒のために病院内に設置された特別支援学級。
長岡:私はめいがいるので、5、6歳くらいの子どもと接する機会はありました。そのため、子どもと接すること自体に不安はありませんでした。ただ、病気と向き合っている子どもたちに対して、どのように声をかければいいのか、その点には不安がありました。
武藤:そうですね。通常のイベントやバスケットボール教室に来るお子さんには、バスケットボールが好きだったり、選手に会いたいという気持ちがあったりと、ある程度の前提があります。でも今回は、年齢も違えば、病状も違いますし、そのときの体調や気分もそれぞれ違いましたよね。当日は、子どもたちが安全に触れられる柔らかいボールを用意し、小さなバスケットゴールで遊んでもらったり、持参したメダルを見せていただいたりする場面もありました。そうしたなかで、実際にお子さんたちと触れ合ってみて、いかがでしたか。
長岡:外見から本当の病状まではわかりませんが、「こんなに元気そうに遊んでくれる子もいるんだ」と感じる場面もありました。あそこまで明るくなってくれたことは、本当によかったなと思います。なかでも、バスケットボールが好きだという男の子が一人いて、その子といろいろ話をする中で、とても喜んでくれたのが印象に残っています。
一方で、思春期の女の子や男の子への接し方は、とても難しいと感じました。みんな黙っていて、なかなか笑顔が見えない状況もあったので、そうした子どもたちにどう楽しんでもらうかは、今後の課題の一つとして残りました。
神野:7階の病棟は、保護者の方もいらっしゃいましたし、小さいお子さんも多かったので、にぎやかな雰囲気でしたね。また、10階の病棟に長岡選手が入っていくと、場の空気がぱっと明るくなって、キラキラした感じに変わっていきましたね。
武藤:「こんなにも変わるんだ」というインパクトがありました。やはり、保護者以外の誰かが、外部から来てくれることで、病棟の空気が変わるんですよね。バスケットボールが好きかどうか、バスケットボールを知っているかどうか以前に、スポーツ選手のように、いつもにはない空気感を持った方が来てくれること自体に大きな意味があるのだと実感しました。病院の方々も同じようにおっしゃっていましたし、保護者としても、それは本当にありがたいですし、救われる思いがします。スポーツには、経済的価値を生むだけでなく、公器として人々の心を豊かにする力がある。その価値を改めて認識しました。
長岡:バスケットボールは野球ほどはメジャーではないので、病院の方々も含めて皆さんがとても喜んでくださったと聞いて、「意味のあることだったんだ」と感じました。先ほどの、なぜ日本ではスポーツ選手によるこうした取り組みが少ないのかという話に戻りますが、これは私の勝手なイメージですけれど、日本人には「私なんかが行っても」という感覚があるのではないかと思います。私自身も、当日までそうした気持ちを拭いきれませんでしたし、今でもそう思ってしまうところはあります。それでも、実際に喜んでもらえたことで、「こういう活動をしてよかった」と感じることができました。そうした経験が増えていけば、スポーツの価値をコートの外でも実感できる機会が、もっと広がっていくのではないかと思います。

笑顔だけでなく、「生きる力」を届ける
武藤:このプロジェクトは、将来的には理念に賛同していただける企業や団体からのサポートも受けながら、より円滑で持続可能なものにしていきたいと考えています。一人でも多くのアスリートにこうした活動にご協力いただくためには、どのような仕組みや働きかけが必要だと思われますか。
長岡:私が今できることとしては、まず周囲の選手たちに直接声をかけて、少しずつ巻き込んでいくことだと思います。それから、今の時代であれば、SNSで発信し続けることも大切だと思っています。そうした発信を続けることで、もしかしたらチーム自体が活動に共感してくれて、チームとして選手を派遣する、という形にもつながっていくかもしれません。そういう流れを少しずつつくっていけたらいいなと思います。
神野:リーグ主導で、選手たちを巻き込んでいくことが必要だと思います。こうしたアクションを継続的に起こしていくことも大切ですし、たとえば活動に取り組んだ選手やチームを表彰するような賞をつくることも、一つの方法かもしれません。リーグとしても、さまざまな形を考えながら、周囲を巻き込めるようなアクションを起こしていくことが大事だと思います。
武藤:最後に、今回の活動を通して感じられた、スポーツの価値や可能性をお聞かせください。
神野:私としては、やはり「笑顔を届けられてよかった」ということが一番にあります。プレゼントとして持参した小さなボールで、子どもたちがすごく楽しそうに遊んでくれていましたよね。バスケットボールに詳しくない子たちが、夢中になって遊んでくれていた。
スポーツは、生活に絶対に必要なものとは言えないかもしれません。でも今回、子どもたちのそうした姿を見て、「訪問してよかった」と思いましたし、スポーツが皆さんの生活の中の活力に少しでもなっているのではないかと思いました。
長岡:パワーを届けに行ったつもりでしたが、こちらがもらったものも大きかったですよね。あんなに小さな子どもたちが一生懸命に生きている。その姿を見ると、やはり自分に何ができるのだろうと考えさせられます。私の姉も、私の試合を応援することに生きる意味を見いだしてくれていました。だからこそ、そういう姿を見せることには価値があるのだと思いましたし、私にとってはそれが、自分がコートに立ち続ける活力にもなるのだと教えてもらった気がします。
今回のことで見えてきたのは、少しかっこいい言い方をすれば、病気と向き合っている子どもたちと、「生きる力」を分かち合えるという事。それが、スポーツの価値や可能性なんだと感じました。子どもたちが笑顔でいてくれることで、私も「バスケットをやっていてよかった」「選手をしていてよかった」と感じることができましたし、自分自身の価値を知ることにもつながったと思います。

