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「AIの暴走」が話題になっています。

サイバー攻撃を防ぐための制限を外した状態で評価されていたAIモデルが、テスト環境に設けられた制限を突破し、外部のシステムに不正アクセスした事案が大きなきっかけとなったようです。識者が開発スピードのコントロールを求めるなど、さまざまな議論が起こっています。

技術的なことはサッパリわかりませんが、日々ビジネスの現場にいて思い出されるのは「意味を自ら見いだし、それを引き受けられるのは人間だけ」ということです。たとえば花や椅子には本来「意味」はないけれど、人間の意識による働きかけを通じて、初めて「意味を持った対象」として経験することができる、という考え方です。

 

実際、AIに「エージェント」、つまり「人間の代替として自律的に行動する主体」という「意味」を見いだしたのも人間です。

しかし残念ながら、AIに(文脈の中で意味を間違えることなく、流暢(りゅうちょう)に語ることができるので、ついつい誤解しがちですが)「意識」はなく、あるのは数理処理能力だけ。どれだけ推論能力が向上したとしても、どれだけ「フィジカルAI」が環境情報を収集できるようになったとしても、意味や価値を「(本当の意味で)判断」できないAIに、「意味を自ら見いだし、それを引き受ける存在としての人間」の代替など務まるわけがないと、ぼくは思うのです。

そこにあるのは「AIによる痛みのない推論」と、「AIが判断した」と「判断」する人間の姿です。

価値があるものを選び、追求する責任を機械に転嫁する「コンピューター依存」の歴史は古く、半世紀前に対話プログラムELIZA(イライザ)を開発したワイゼンバウムなど、数多くの人々がその問題を繰り返し指摘してきました。ただ、この責任転嫁の根っこにあるのが、できるだけエネルギーを消費しないで「楽をしたい」という生存本能、人間の根源的欲求だと考えられるので、厄介です。

もちろんAIがとても強力なツールであることに疑いはありません。それは今後、競争の中で開発スピードが容易に緩むことはないまま、ますます進化していくことでしょう。そしてそのとき、問われるのは「人間自身」だと思うのです。技術者もユーザーも、リーダーもスタッフも、その一人一人が責任を投げ出すことなく、「いま、ここ」を主体的に経験する覚悟こそが試されています。それと同時に、ぼくたちはAIに「人間の代替」に代わる新しい意味を見いださなければなりません。

なぜなら、ぼくたちはまだ「AIの意味」を見つけられていないからです。

 

こんなことをいつもの居酒屋、旗の台の鳥ふじ本店で熱く語っていたら、喉がカラカラ、ビールの出番。

そして「本日のおすすめ」と定番メニューを見比べながらきょうの肴を決めるのが、絶対に失敗できない大仕事。季節や価格、仲間の表情やお隣さんの手元、そして何より自らの直観を信じ、熟慮を重ねて注文します。

何を頼んでもハズレがないこの店だって、たとえばこちらの体調ひとつで「あれれ??」と思うことはあるけれど、それを含めたすべての責任を背負って、「いま、ここ」を満喫するのが呑み助のよろこび。

「マカロニサラダ、春菊、ぶり刺し、南蛮漬け、定番から岩塩焼き、ホントはグラタンを攻めたいけれど、ここはひとつ冷静にみそ煮込み……」

 

この他に白飯まで頼んじゃって、結局、ついついの過発注です。

どうぞ、召し上がれ!

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著者

山田 壮夫

山田 壮夫

株式会社 電通

第1CRプランニング局

クリエーティブ・ディレクター

明治学院大学 非常勤講師(経営学) 「コンセプトの品質管理」という技術を核として、広告キャンペーンやテレビ番組製作はもちろん、新規商品・事業の開発から既存事業や組織の活性化といった経営課題に至るまで、クライアントに「棲み込む」独自のスタイルで対応している。コンサルティングサービス「Indwelling Creators」主宰。2009年カンヌ国際広告祭(メディア部門)審査員等。受賞多数。著書「〈アイデア〉の教科書 電通式ぐるぐる思考」、「コンセプトのつくり方 たとえば商品開発にも役立つ電通の発想法」(ともに朝日新聞出版)は海外(英語・タイ語・前者は韓国語も)で翻訳・出版 されている。

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