Dentsu Design TalkNo.28
森本千絵×佐藤尚之×菅付雅信
「個人力の時代」
2014/06/20
Design Talk Session第66回(2011年8月30日実施)は、旧来の広告の枠を超えた領域で活躍するgoen°の森本千絵氏、電通在籍時から個人サイトを開設し“さとなお”のハンドルネームでも知られるコミュニケーション・ディレクターの佐藤尚之氏、書籍・雑誌・アートブックを中心に広告や展覧会キュレーションなども手がける編集者の菅付雅信氏の3人のフリーランスのクリエーターが集い、今の時代に求められる「個人力」をテーマにトークセッションを繰り広げた。
#コミュニケーションを通してつなげる“縁側”の仕事
トークの前半では、旧来の広告や出版にとらわれずに活躍する3人が、これまでに手がけてきた作品やクリエーションをスライドで見せながら、領域を横断する仕事のあり方や組織や個人、顧客や読者を結びつけるコミュニケーションのあり方を紹介。博報堂で10年間アート・ディレクターを務めた後に独立した森本氏は、企業のコマーシャルの仕事を手がける一方で、ポスターやCMといった広告に限らず、保育園の内装や空間デザイン、動物園のプロジェクトの仕組み自体を考えるといった仕事を展開しているが、「私の中では全部同じ一つのコミュニケーションの仕事」と捉えているという。手がける仕事は、一つの広告の企画から様々なメディアに展開し、仕事を超えて人と人がつながっていくのが特徴で、「仕事のきっかけとなる一番大事な部分は、内側と外側をつなぐ“縁側”。企業と個人や、企業の思いやお母さんの思いの際(きわ)の部分をディレクションしていく仕事だと思っています」と述べる。社名のgoen°も、ある企画でつながった先で出会ったおばあさんに「あなたがやっている広告のお仕事はご縁なのね」と言われたことから命名。「広告はコミュニケーションが顔の見えない人にまで、すごく多くの人に連鎖する。怖くもあり、責任のあるやりがいのある仕事」だと認識している。
#ボーダーに近いところでボーダーレスに活動
コミュニケーション・ディレクターの佐藤氏は、実はフリーランスになってから半年にも満たない(当時)が、1995年から個人サイトを開設して発言し、「個人のプロジェクトと電通の仕事も並列であった」という。しかしその中で、「電通にいた頃からだんだん意識が変化し始めた“自分の中でのイメージワード”」として、〈上からではなく、隣から〉〈世の中を騒がさない〉〈“口説く”から“愛される”へ〉〈INTO〉〈じわり、ぬるり〉〈手離れが悪い、長く続ける〉〈縁〉といった、現在仕事をする上で心がけているモットーを挙げた。2011年2月に青森県八戸市にオープンした八戸ポータルミュージアム「はっち」で行われた「八戸レビュウ」プロジェクトでは、文章指導とアプリ制作を担当。展覧会が終わってからも、「八戸の人と細かく、手離れが悪く、付き合っている」という。「偶然ですが、森本さんと同じように、ボーダーに近いところでボーダーレスに活動している」と述べたが、東日本大震災の直後にクリエーターとしてできることを考え、ソーシャルメディアを活用していち早く行動を起こしたことも、両者は共通している。
#インフォメーションをインスピレーションにする編集
20年以上にわたり一貫してフリーランスとして編集の仕事をしてきた菅付氏は、「出版物はコミュニケーションが濃厚で、パブリシティー効果が高く、評価されやすく、愛着がもたれやすいコミュニケーションツール」と述べ、これまで手がけた仕事から、ベストセラーとなった書籍、国内外の旬なトップクリエーターを迎えて海外でも販売されたカルチャー雑誌やアートブック、写真集、地下鉄で配布されるフリーマガジンなどを紹介。こちらも扱うジャンルは様々だが、「企画を立てて、人を集めて、モノをつくる。この3要素があり、創造的なコンテンツを作るすべての要素が編集」の仕事だという。「インフォメーションをインスピレーションにする」その行為は、食材を美味しく食べやすくする料理に近いとも述べた。
#震災直後に起こったソーシャルメディアのうねり
森本氏と佐藤氏の両者が直接つながった接点は、東日本大震災直後に佐藤氏が立ち上げた「Pray for Japan」プロジェクトだったという。フランスにある日本料理店から「義援金のための募金箱のデザインしてほしい」と依頼された佐藤氏が、当時まだ面識がない森本氏にツイッターで連絡を取りデザインを依頼。すぐに作成されたPDFファイルをネット上にアップすると、世界中に拡散していった。かつての阪神・淡路大震災では被災者だった佐藤氏は、「3月11日の夜に起きた、自ら発信するタイプの人たちが横につながった時のソーシャルメディアの異様なうねり」に、「ブツブツ言っている暇があったらすぐに動こうとかき立てられた」と当時の状況を振り返った。森本氏も震災直後にツイッターでハッシュタグ(♯)を作成し、「IDEA FOR LIFE」という「支援のためのアイデアの置き場であり、アイデアを形にできる人と必要としている人をつなげる」同名のサイトを立ち上げた。被災地以外で節電しながら営業する商店に向けて、「節電のしるし」を示すポスターもデザインした。こうした渦中にいて、「今までにあった、大きなインパクトを一気に与えたり伝えるメディアとは違った、普通の商店街の人や個人で心が動く“連鎖のメディア”のすごさを感じた」という。
#すぐ消えてしまうものより忘れられない何かを
インターネットやSNSがますます力を持っていると実感する一方で、森本氏は同時に「広告やコマーシャルで何ができるか?」を考えたという。そこでできたのが、震災のために中止になったCM撮影の準備をしていたスタッフと、そのクライアントに関わっている全ての広告会社の担当者が集まって一緒に作り上げたサントリーのCM。また、佐藤氏が関わった「八戸レビュウ」にも講演会に呼ばれたことでつながり、プロジェクトをまとめた本の装丁を担当することになった。「八戸レビュウ」は展覧会の会期中に震災が起きたことで、「その会場が八戸の公共掲示板スペースみたいになって、市民の方々がつながっていく」のを目の当たりにすることにもなり、「有名な人や特定の人ではなくて、普通の生活者や子どもたちの物語をどれだけ魅力的に伝えられるか、自分ができるリアリティーのある範囲で丁寧に責任をもってつくっていきたい」。そして、「すぐ消えてしまうものより忘れられない何かにしようという気持ちは、震災後にいっそう強く思うようになりました」と語った。菅付氏は震災後に大きなダメージを受けた日本の観光業界をサポートしようと、日本を愛する海外の著名人約60名がボランティアで寄稿した英語の観光ガイド『TRAVEL GUIDE TO AID JAPAN』を震災後わずか4カ月後に編集し販売した。
#現在のクリエーターに求められる個人力とは?
組織に属しているかどうかにかかわらず、ソーシャルメディアで対峙する相手は「個で向き合わないと認めてくれない」と感じたという佐藤氏。そして森本氏は、「大勢の人を笑わせるにも、隣の人を笑わせて、それが連鎖して全員を笑わせる方が自分は楽しいと気づいて、それを真剣にやろうと思った時に組織にいられなくなった」とフリーランスになった理由を挙げた。現在のクリエーターに必要な個人力として、「もし“個人力”があるとすれば、匿名ではなく自分の全部をさらして考え方の文脈を見せてしまうことではないか」と答えた。続いて、「自分の外の部分がつながりやすくなった時代なので、逆にまず自分の軸足を持って、何が幸せで何が悲しいとかおもしろい、ツマラナイと感じるのか、当たり前だけどそこをはっきりさせることが大事」と森本氏が述べると菅付氏は、「世界的にクリエーティブ業界はフリーランス化が進んでいて、クリエーターは“人生の作品化”をうまくやらないと作っているものも評価されない時代になる」と指摘し、森本・佐藤両氏の取り組みが共に「個人がしっかり出ていることで信頼感につながっている」と述べた。
また、逆説的ながら3者の共通点として、「実は根本的にはコミュニケーションが苦手」という発言があり、「個人の弱さを共感化することで、仕事においての表現の強さに転換することが大切」と森本氏。3時間にわたるトークセッションは個人力が生かされるべき未来の社会を予感させて幕を閉じた。