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生成AIと向き合う中で考えていること。増していく「身体性」と「生命力」の価値

2025年、ビジネスシーンにも、私たちの日常にも、生成AIが急速に浸透しています。

そんな中、電通グループの従業員を集めたワークショップを開催しました。生成AIについて本音で語り合うワークショップ、名付けて「喫茶 AIとわたし」。

ポジティブ・ネガティブ多様な側面がある、生成AIを取り巻く複雑な環境の中、「今、現場の従業員たちは生成AIをどう感じているのか」を問うことで、生成AIとのより良い向き合い方を探っていくことを目的としています。

ワークショップを企画したのは、電通グループのAI活用を統括する組織、AIガバナンスコミッティです。また、外部の客観的な視点を入れるため、「倫理的・法的・社会的課題」(Ethical, Legal and Social Issues=ELSI)に取り組む大阪大学ELSI(エルシー)センターとの共同開催としました。

DAY1、DAY2の2回に分けて行ったワークショップでは、クリエイター、ビジネスプロデューサー、マーケターなど、多様な職種・世代・性別の従業員たちが、生成AIに対して抱えるホンネを語り合いました。

本稿では、大阪大学ELSIセンターの長門裕介先生と、電通グループの生成AI活用を推進する児玉拓也が、ワークショップから見えてきた「ホンネのキーワード」について振り返ります。

<ワークショップ概要>
DAY1では非クリエイティブ職、DAY2ではクリエイティブ職の電通グループ従業員が6~7人ずつ参加。大阪大学ELSIセンターの鈴木径一郎先生のファシリテーションのもと、それぞれが感じる生成AIへのホンネを、ざっくばらんに語り合った。

<自然発生した「ホンネのキーワード」の例>
うまれてきたAI格差とどう付き合うか/「AIなら一瞬でしょ?」/オーナーシップのありか/感情に素直に/教師データで仕事をするのか?/健康にAIと生きる/好奇心/作品の生命力/仕事は食い、食われる/身体性、五感/生産性は、上がる。労働強度も、上がる/何のために作るの?/ポジション、肩書のリセット

AIを使うほど重要になる「身体性」と「生命力」

児玉:ワークショップ、お疲れさまでした。私自身も、2回ともいち参加者として参加させていただきましたが、両日ともにさまざまなキーワードが生まれ、とても充実したセッションになったと思います。

2回のセッションの中ではいろいろな意見が出ましたが、いくつか共通するテーマが見えてきたと思います。長門先生は何か気になったホンネのキーワードはありましたか?

長門:私が注目したのは、「身体性」と「生命力」というキーワードです。多くの参加者が言及していて、これが何を示しているのか、改めて考えたいと思いました。

児玉:ワークショップでは、「AIによって、作業時間が7時間から1時間に短縮されたら何をするか?」という話題が出て、「残りの6時間を、クライアントの商品を試す時間に充てられる」という意見も出ましたよね。そのような「実体験」、つまり「身体性」で得られるものは、たしかに絶対にAIでは手に入らない情報や感覚だと思います。

ただ、皆さん「身体性」という言葉に、もっと根本的な意味を込めているとも感じました。つまり、リアルの体験が仕事に役立つとか、AIにはできないことを補完するというよりも、もっと「人間性を保つための活動」みたいなことです。そういう意味では、「仲間との飲み会」や「趣味の釣り」といった人の営みの重要性が増しているという話もありましたね。

長門:関連して、「生命力」というワードも出てきました。1つは自分自身の「人間としての生命力」を磨きたい、まさに「身体性」の延長にある話があり、もう1つ「作品の持つ生命力」「作品から感じられる生命力」というテーマもありました。クリエイティブの評価であれば、今後はそのクリエイティブに「生命力」を感じるか?といった観点が重要になってくるという話ですね。

児玉:個人的には、2つめの「作品の生命力」という視点が出てきたのは面白かったです。作品に生命力を与えたいから水彩画で描くとか、企画書を手書きするとか……。人間が手で作ることに、生命力や力強さといった価値が感じられるのかもしれませんね。

一方で、AIによって業務の生産スピードが上がってくると、手作業で作りこんでいる時間やコストが許容されないこともあると思います。そこでどうやって「生命力」を保つかが、今後の課題になってくるのかもしれません。

例えば僕もクライアント向けの広告企画を考えている時に、良いアイデアが生まれると、テンションが上がります(笑)。その「テンションが上がる」というところからアイデアも広がるし、動かしていく熱量も上がりますよね。その点、AIで作った企画に対して「火」をつけるためには、新しいやり方を見つけていかなければいけないと思います。

長門:手で作ることで生まれる生命力に「価値」が感じられるという話は面白いです。私は哲学者でもあるので、「価値」はどこからやってくるかみたいな話が、とても好きなんですよ。「価値」についての考え方には2通りあります。人間側が対象に価値を投影して、その対象を見て感動するから「価値」があるという考え方と、そもそも対象側に「価値」があって、それを人間側が認識しているという考え方です。私はどっちの考え方も必要だと思っています。

人間側にワクワクするための感受性があって、対象を見たことで「価値」が生まれるのだと。これは生成AIとの向き合い方でも同じことが言えます。AIで作られたものの価値を、私たちの感受性が良くも悪くもしてしまう。だからこそ、評価するための目を養うことが必要になってくると思います。

児玉:評価する人間の側に生命力や好奇心、感受性がないと、AIが出したアイデアを面白いと感じることはできないですよね。

長門:そうなんです。ワークショップで、「生成AIと向き合うためにどうしたらいいか」という話になったときに、皆さんからはアナログでリアルな釣りや木工、飲み会を楽しむといった話が何度も出てきましたよね。身体的な体験から「自分は何を楽しむ人間だったのか、何に感動するのか」を見つめ直す。そういった基礎的なことから目を養っているところが、いかにも新しい時代の、面白いことをやろうとしている人たちだと思いましたね。

児玉:ありがとうございます。デバイスの外側にある「実体」に自分の手で触れていくとか、手で何かを作っているからこそ、感受性が養われて、AIが作り出す「価値」もちゃんと評価できる。それを本能的に感じて実行している人が多いのだと思いました。

AIによる「肩書リセット」で、組織と個人はどう変わる?

長門:次は児玉さんの、気になったホンネのキーワードを教えてもらえますか?

児玉:「肩書のリセット」というキーワードがありましたね。実はこのテーマが、僕が「このワークショップをやらなきゃ」と思ったきっかけの一つでして。

電通では今までは、クリエイター、ビジネスプロデューサー、マーケティングプランナーと、それぞれの領域というものが、ゆるくても分かれていました。それぞれが自分の肩書に矜持(きょうじ)を持って、仕事に取り組んでいたわけですよね。AIを活用して、それらの役割を全部一人で担えるようになることには、すごくワクワクします。

その一方で、AIによってできることが広がった結果、それぞれの界隈(かいわい)の中で大事にされていたマインドを知らないまま、各領域に土足で入っていくことになってしまうのではないかという心配もあります。結果として仕事の大事な部分が抜け落ちたり、トラブルが起きたりするのではないかと思っていたんですよね。

ただ、今回参加者の皆さんの話を聞いてみたら、

「そういった状況が起こるのはもはや避けようがないことなので、むしろ受け入れてチャンスにして、自分の仕事を広げていかなきゃいけない」

というマインドの人が多くて、意外でした。必ずしも不安に思わなくてもいいのかもしれません。

長門:私が印象的だったのが、参加者の一人が「とある案件の競合プレゼンに臨む際に、自分一人でどこまでできるかやってみた」と話されていたエピソードです。その発言をされたのはクリエイターの方だったんですが、マーケティング的なリサーチや資料作成も生成AIと一緒に、全部自分一人でやってみたというんですね。それで結果も出たと。

そして「とりあえず自分でやってみることで、むしろ自分の得手不得手が分かってくる」と話されていて、それはすごく面白いなと思いました。そもそも、そういうやり方が許されていることもすごいなと思いましたが(笑)。

個人の領域において「自分は生成AIを使うと、これもこれもできるけど、これはできない」ということがはっきり分かっていくという意味では、肩書のリセットは起きると思います。つまり、従来の肩書とは異なる枠組みで、自分の可能性が見えてくるということです。

その一方で、「これまで担当していた自分の領分が、全部なくなる」とは、どうやら電通の皆さんは考えていないなと。皆さんはAIを活用して自分の領分が広がることで、「どんな仕事ができるようになるか、組織がどう新しくなっていくか」を考えているように感じたんですよね。私は仕事柄、いろいろな企業や団体とAIの関わり方について知る機会がありますが、一般にいわれる「AIに仕事を奪われる」という考え方にならないのは、電通らしい特徴だと思います。

児玉:AIを駆使して全員が「何か」をできるようになった世界が訪れた後は、おそらく、今以上にその人の得手不得手や、好きなもので、所属やキャリアや肩書が分けられていくと思うんですよね。表面的なことよりも、もっと本質的な部分で違いが生まれてくるのかな、と思います。

人とのつながりや学びの機会はますます大事になる

長門:生成AIでみんなの働き方が変わっていくという話はたくさん出てきましたが、リモートワークやコロナ禍の話も多く出ていましたよね。世の中や電通に起こっている「働き方の変化」って、生成AIの影響だけではなくて、複合的な変化であると感じます。この場を借りて「リモートワークの意義」も踏まえた上でAI時代の話をするのがポイントだと思うのですが、いかがでしょうか?

児玉:同感です。コロナ禍のリモートワークもAIも、与える影響は地続きです。どちらも職場での対人コミュニケーションを減らす形で、働き方に影響を与えていますよね。セッションの中でも、「個々のスキル以上に、受け継がれてきた人とのインタラクションの中に電通という会社の強みがある」という話が出ていたのですが、その観点でもコロナ禍と生成AIが電通に与える影響は大きいのかなと思います。

長門:ある若い参加者が、「コロナ禍は “無”でしかなかった」「ただ無駄に失われた時間だった」という言い方をしていたんですよ。それは多分「すごく悔しい」という気持ちだと思うんです。私が大阪大学で学生とコロナ禍について話している時も、「悔しい」という気持ちを持っている人が多いんですよね。「自分のスキルアップの機会や、さまざまな経験値を得る機会がなくなった」ことに対する悔しさがある。

児玉:コロナ禍によって、人と人のつながりだったり、先輩の背中を見て学ぶことがすごく大事だと分かった今、生成AIによって、もう1回脅かされることがないようにしたいと思いました。

例えば「議事録を作成する作業を後輩に振るのはやめて、AIでやりましょう」というのは、業務効率化の観点からすると一見良いことなんです。ですが、実は議事録作成って、若手にとってすごく「学びの機会」でもあったわけです。その学びの機会を、AIが一つ奪ってしまうことになる。それは、コロナ禍が学びの機会を奪ったことと同じことを繰り返しているわけじゃないですか。そのあたりのバランスを見てやっていかないといけないと思いました。

長門:難しいところですよね。人間って、「自分が育ったときと同じように、後輩も学んでほしい」というのが、一つの欲望としてあるじゃないですか。でも、大体どの世代でもそうはならないというのが普通ですよね。

「コロナ禍のリモートワークで感じたような悔しさを、生成AIが世の中に浸透していく際には感じてほしくない」という気持ちは、皆さんが持っているのかなと思います。特に今の20代後半や30代の方は、後輩を指導する立場になる方たちだと思うので、そのようなことにすごく関心があるのかなと思ってお話を聞いていました。

児玉:おっしゃるとおりですね。僕の中では「AI」と「リモートワーク」は完全に別物だったので、改めてつながりを感じたのはすごく新鮮でした。「人とのつながりをうまく保ち続けながらAIを使っていくというのは、どういうことなんだろう」と、すごく考えましたね。

実は初回のワークショップ後、今日に至るまでに2、3週間ありましたけど、僕は今、出社の頻度をすごく上げているんですよ。

長門:そうなんですか?

児玉:「やっぱり会社に行った方がいいんじゃないかな」と思って(笑)。その良さに気づくきっかけになったと、すごく思っています。これは先ほどの「身体性」の話でもありますが、生成AIやリモートワークの時代だからこそ、あえて出社して生身の人間と話すみたいなことに、意味や価値が出てくるのかなと。

長門:なるほど、面白いですね。生成AIやリモートワークと自分の「関係性」を、自分で意識してコントロールしたいわけですよね。

後編に続く)
 

 

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著者

長門 裕介

長門 裕介

大阪大学

社会技術共創研究センター(ELSIセンター)

講師(倫理学、価値論、社会哲学、情報倫理学)

大阪大学社会技術共創研究センター講師。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。専門は倫理学、社会哲学、情報科学技術のELSI。共著に「人生の意味の哲学入門」(春秋社、2024年)、「ELSI入門」(丸善出版、2025年)など。

児玉 拓也

児玉 拓也

株式会社 電通グループ/dentsu Japan

グループAI戦略チーム /主席AIマスター

デジタルプラットフォーマーなどのクライアント担当プロデューサーとして活動したのち、2018年からAIの活用を社内外で推進。 現在は株式会社電通グループに所属し、日本のみならず海外も含めた電通グループ全体のAIとテクノロジー戦略に携わっている。

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