電通デザイアデザイン(DDD)は消費と欲望の関係から、さまざまなソリューション開発や情報発信を行う組織です。
今回は、DDDの戒田信賢(かいだ・のぶやす)が、日本人の「健康のジレンマ」について、生活者の欲望視点および、2025年5月に実施した第10回「心が動く消費調査」ほかの結果を踏まえて考察します。
「長寿」という誇りと、“実感なき健康”
日本は世界でも屈指の長寿国です。平均寿命が男女ともに80代というデータは多くのメディアでも知られています。しかし、「長く生きる」ことと「健康で生きる」ことは必ずしも「イコール(=)」では結べません。つまり、長寿国であるにもかかわらず「自分は健康だ」という実感が得られていない層が多数を占めているという“実感格差”が、長寿社会の影の課題として立ち上がっています。
本記事では、「日本という“長寿国”が陥っている健康づくりのゆがみ」を明らかにし、この日本に住まう多くの人々が本当に健康な営みを実現していくための「企業視点からのアプローチ」について考えていきたいと思います。
「健康実感」〜睡眠に見るその現状と意味とは
健康の土台である「睡眠・休養」については、日本人の多くが課題を抱えています。
厚生労働省の「健康づくりのための睡眠ガイド(2023年版)」によれば、成人に対して「適正な睡眠時間には個人差があるが、6時間以上を目安として必要な睡眠時間を確保するよう努める」ことが推奨されています。また、同ガイドでは、「睡眠時間(量)だけでなく、睡眠休養感(目覚めたときに休まった感じが得られているか)=質も重要」と示されています。
しかしその実態はどうなっているのでしょうか。令和元年時点で20歳以上において、1日の平均睡眠時間が6時間未満の者の割合は、男性37.5%・女性40.6%に上りました(厚生労働省)。OECD(経済協力開発機構)の調査でも、加盟国30カ国のなかで日本人の睡眠時間はもっとも短いことが示されています。
一方「質」はどうでしょう。厚生労働省の「2023年国民健康・栄養調査」によると、「1ヵ月間に睡眠で休養がとれている」という人の割合は74.9%。2009年以降ずっと低下傾向にあります(肥満症予防協会)。すなわち、「量(時間)」の確保も難しく、「質(睡眠休養感)」も得られていない人が増えているのです。
電通の「心が動く消費調査」でも、“健康でいたい、なりたい気持ち”や“健康維持のための考え方や行動”そして“健康でいるための対策や消費”など、健康に関わる項目をいくつか聞いています。その中でも「健康でいたい・なりたい気持ちをどの程度強く持っていますか?」という問いに対して、「強い・やや強い」という前向きな回答が男女とも全体で8割を超えています。「健康的な生活を過ごしたい」「健康になりたい」という多くの人が望む未来がある一方で、このような「理想と現実のギャップ」が発生してしまう背景には一体何があるのでしょうか?
日本人のヘルスリテラシーの課題は、情報の「判断・活用」にある
健康を確保するために必要なものは、「適切な情報」そして「合理的な行動」だと考えられます。まずは「情報」について見ていきたいと思います。
世の中には多くの健康情報が流通しています。自分に適したより良い情報を手に入れることがとても重要なわけです。一方で、流通しているさまざまな健康情報が全て正しいわけではありません。正しい情報を収集し、それを理解し、そして適切な行動につなげていく。いわゆる「ヘルスリテラシー(Health Literacy)」の有無が、ひとの健康を大きく左右しているのです。
2015年と少し古いものではありますが、ある研究で、日本語版の総合的ヘルスリテラシーを欧州版尺度で評価したところ、日本のスコアはヨーロッパ諸国よりも低いと報告されています(BioMed Central)。また2020年の全国規模の国内調査でも、ヘルスリテラシーの課題は明確です。地域や年齢による格差も確認されています(BioMed Central)。特に高齢者や地方在住者でスコアが低く、「デジタル格差」「社会的孤立」が背景にあると考えられています。
ヘルスリテラシーの尺度は国によって異なるため、ひとえに「日本人のヘルスリテラシーは低い」と断言することはできないでしょう。
また、識字率・一般リテラシーが他国と比較して高いわが国におけるヘルスリテラシーの問題は、健康情報の「理解度」ではなく、むしろ「判断・活用」の段階で大きな課題がある、という解釈の方が実態に近いのではないかと考えられます。
情報への“アクセス”は可能でも、“納得・適切な判断・合理的な行動”に至る力が弱い—これが日本の健康行動を阻む構造的な壁と言えるのではないでしょうか。
「危機」と「機会」の狭間〜医療費高騰とヘルスケア市場拡大
続けて俯瞰的に「日本の健康」を見てみたいと思います。日本は世界でも類を見ない超高齢社会を迎え、社会保障費はすでに140兆円に達しています。そしてその多くが「治療」に費やされています。こうした中で、いかに「予防」を中心とした社会へ転換できるかが大きな課題となっています。
政府は近年、「治療から予防へ」という方向転換を明確に打ち出し、経済産業省や厚生労働省が中心となって、健康増進や疾病予防に関するヘルスケア領域の施策を推進しています。企業が主体となり、生活者一人ひとりが健康でいられる社会を支えるという考え方です。経産省の試算では、2050年には日本のヘルスケア市場が現在の約2倍、77兆円に達するとされています。
一方で、エビデンス(科学的根拠)にとぼしい商品・サービスが市場に流通し、健康被害や不信を招いた事例も少なくありません。生活者の目は「価格」や「利便性」よりも、「信頼性」「安全性」へと移りつつあるように思われます。ヘルスケア企業にとっても、エビデンスの有無が信頼とブランドの価値を左右する時代になりました。
日本のヘルスケアは、今まさに分岐点にあります。
ここで企業が注目すべきは、予防・健康増進を対象とするヘルスケア市場(消費者向け健康支援、ウェルネス商品・サービス、ヘルステックなど)の成長余地です。すでにウエアラブル端末や睡眠改善アプリ、オンライン健康診断、予防栄養食品など、ヘルスケア市場は拡張フェーズにあります。
企業はここで単なる“健康商品を売る”以上の付加価値を提供できるかが問われます。例えば、
- 個人の健康づくりを応援する「正しい情報提供型」ヘルスケアサービス
- 個人の健康状態を見える化し、改善の小さなステップを提示する「段階型UX設計」
- 信頼できる情報提供・伴走型サポートを組み合わせたサブスク型サービス
- 既存市場(食品、家電、ウエアラブル、IT)との融合で“健康予防体験”を提供
といった差別化戦略が有効です。生活者が「予防に投資しよう」と思える「“欲望”のスイッチ」を丁寧に設計できれば、それは強力な競争優位につながっていくでしょう。
恐怖ではなく“欲望”がひとの健康行動のヒントに
ここまで「健康実感」「日本人のヘルスリテラシー」「政策・市場の今後の見通し」について整理してきました。本節では、「生活者を健康に誘うためのフックの作り方」について考えていきます。
高い健康実感で、確かな健康を獲得・維持していくためには、正しい健康情報へのアクセスはもちろんのこと、その情報を「適切に判断し、活用し、行動に移す」ための設計が必要です。
しかし、多くの健康啓発施策は「病気になるな」「リスクを抑えろ」といった“恐怖訴求”型が多いのではないでしょうか。このアプローチは健康に対する「高意識層」には効いても「低意識層」にはなかなか響きにくいことが多いようです。代わりに「未来の自分がもっと活動的でいたい」「自信を持てる健康体を手に入れたい」といったポジティブな未来像を動機に据える方が、行動を起こしやすいという仮説を立てることができます。
例えば、下表のような“欲望”をフックにした施策を打ち出せると、これまでとは違った形で生活者の行動を促せる可能性が高まります。
長寿国ニッポンが、もう一度“健康”を取り戻すためには
「長寿国ニッポン」。その響きは誇らしく、同時にどこか切なさを帯びています。私たちは世界に先んじて“長く生きる”ことに成功しましたが、“健康に生きる”という実感をいまだ十分に得られてはいません。睡眠の不足、ヘルスリテラシーの課題、治療偏重の制度・構造――どれもが、知識や情報があっても行動につながらないという「健康のジレンマ」を映しています。
このジレンマを越える鍵は、恐怖や義務ではなく「“欲求”のデザイン」にあります。「病気になりたくない」ではなく、「もっと軽やかに歩きたい」「好きな人と長く過ごしたい」といった前向きな欲望を起点に、行動を促す設計図を描くこと。それが、人々の心を動かし、行動を持続させる原動力になるのです。
健康とは、努力の果てに得るものではなく、日常の中で自然に育まれるもの。長寿国ニッポンが次に目指すべきは、“恐れからの健康”ではなく“欲望からの健康”。そのデザインを社会全体で描くことが、真に「実感のある健康大国」への道となるでしょう。
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著者

戒田 信賢
株式会社 電通
未来事業創研
ストラテジスト
京都大学医学研究科を修了後、コンサルティングファームでのCSR/CSVコンサルタントを経て電通に入社。ソーシャルソリューション、アクティベーション、事業開発部門を経て、現職。社会インサイト分析、新商品開発・新規事業コンサル、ブランドコンサル、オープンイノベーションに従事。京都大学医学研究科及びソーシャルイノベーションセンター研究員。
