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ぼる塾の田辺さん。「私なんてーって言葉を撲滅したい。褒められたら世の女性全てがまぁねーって返せるようになったらいいなー。」と、かつて彼女がツイートした。昨年たまたまそのことを知った。「まぁねー」。虚勢を張ったふうのギャグは、一方で、真摯な意思表示だったとは。なんて見事なんだろう。僕は男性で、そもそも田辺さんの想定の外なのだろうけど、素敵な差し入れを思いがけずもらえた時のようで、勝手にうれしくなった。

正月休みのゆったりとした時間の中で、三浦篤さんの著書『エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』を読むことを決めていた。この本を書店で手にとった時、なにげなく「まぁねー」というフレーズが口からこぼれた。

僕は画家のマネのことをあまりにも知らない。高校生の時に、ロック・ルソー・モンテスキューと同じノリでマネ・モネ・ルノワールと、ただなんとなく音で記憶したこと。『笛吹き』のシルエットがあしらわれた小物入れを10年以上前に購入し今も使っていること。この二つしかない。小物入れも、当時伊東屋のオリジナルブランド『COLOR CHART』が好きで、美術館コラボバージョンでシャレてるなと思ったから買ったものの、笛を吹く少年がマネによるものと認識していたかもあやしい。そんな空っぽな状況で「マネ」と聞くと、「真似?」みたいな想起になってしまっていた。今は、「まぁねー」。ちょっと前進したかな。してないか。

『エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』 三浦 篤
KADOKAWA/角川選書

本の冒頭、「古典的な西洋絵画の流れがマネの中に集約される一方で、マネから始まる近現代絵画はいまだにマネが切り開いた圏域を蛇行していると言ってもよい」と書かれている。なんとロマンティックな表現。しかし約300ページを読み終えた時、この一節は詩的というよりも、もう、そうとしか言いようのないガチガチに的確な表現だと知る。

マネってiPhoneみたいだなぁ、と思った。「19年前の今日、2007年の1月9日、初代iPhoneがアメリカで発表されました」というのをつい最近テレビで見たせいかもしれない。iPhoneが世に出た時のインパクトと、いまだにその影響下にある現代人。この構造。それから正月にEテレで劇場版アニメ『AKIRA』を見た。直後には『浦沢直樹の漫勉neo「(20)大友克洋」』の再放送、というにくい編成。「大友以前・大友以後」という言葉があるくらい大友克洋さんの登場は日本マンガ界に影響を与えているらしい。マネ知らずの自分に引き寄せて理解するとしたら、iPhoneとかAKIRAってことか。偉業を偉業でたとえるのはナンセンスだな。でも、だんだんマネが近付いてきた。なんかドキドキしてきた。

マネというのは、「何を描いたのか(主題)」、そして「どう描いたのか(造形表現)」の両方で革新的だったようだ。何を描いたのかについて『エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』でも詳述されているが、それに関連してマネという人を表現する時、「スキャンダルを繰り返した画家」というのが一つの定番らしい。スキャンダル。うーん、どうにもピンとこない。『草上の昼食(水浴)』や『オランピア』といった作品がその代表らしいけど、でも、ヴィーナスとか?伝統的な西洋の美術なんかでも、やたらと女性の裸が出てくるしなぁ。スキャンダルという言葉から現代作家の会田誠さんの著書『性と芸術』を思い出し、久しぶりに読み返してみることにした。当時の森美術館でのことをウォッチしていなかったので正確にはわかっていないけれど、マネに吹いた逆風はこんな感じだったのかなぁ。風向きというのはよく変わるものだから、きちんと理解するのはなかなか難しい。

どう描いたのか、これはこれでなんとも気になる。気になる、という反応が仕組まれていたものかのごとく、上野の国立西洋美術館で『オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語』展が開催されていた。『エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』の中でも紹介されている、マネの『エミール・ゾラ』、エドガー・ドガの『マネとマネ夫人像』など、普段はパリにあるものが、なんと今なら実物を見ることができる!しかも正月早々だというのに開館してくれているではないか。これは行かねば。「室内をめぐる物語」とあるように、すごい数の人物画がずらり。それを取り囲む、ものすごい数の来場者がずらりずらり。熱気を横目に、以前コラムで花の作品を見た時のエピソード(現代作家の武田鉄平さんへの驚嘆)を書いたこともあり、マネの『芍薬の枝と剪定鋏』がどんな感じか特に気になる。お、見つけた。同じ展示スペースにあった同時代の他の画家によるどの花とも感じが違っていた。こういうのを「抽象度が高い」というのだろうか。しかし、細かく描かれた抽象画というのも見たことがあるので、では、「解像度が低い」というのが適切なのか。いや、解像度が低いというと、ピクセル世代(そんなのないか)の自分としては昔のマリオみたいなギザギザした画像を思い出すので、そういうことではなく。マネのシャクヤクは細密に描かれていなかった。筆でザッと描きました!がはっきりわかるというか。筆触が荒いというか。でもこういう生き生きとした物体としての佇まい、存在感のある花(の描き方)を僕は好きだな、と実物を見てあらためて思えた。いやぁ、展覧会でいろいろ確認できてよかった。それにしても正月早々だというのにこんなに混雑してるんだぁ、印象派。

はたと気付く。マネは確かに革新的。しかし『エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』がなければ、マネが革新的な存在とは知らなかった自分がいる。まして「どう革新的なのか」なんて、まったく知り得なかった。僕にとって、この正月マネ本人の存在と三浦さんの本は、同時にそして等しく価値あるものになった。さらに、「この構造がまさに革新的」、と受け取っている。

同時代に生きる強みは、直接話を聞くことができたり、場合によっては協業したり。同時代という偶然はなかなか特権的だ。その裏返しで、人はしばしば過去に羨望の眼差しを向けることも。坂本龍馬の時代に生きたかったなぁ、とか、ドリフの時代がうらやましいわ、とか。あの感覚。また、その時代の空気感を肌身で正確につかむことができるのも、特権の一つなのかもしれない。しかし後世の強みもあるということを、後世にしか発揮できない迫力があることを、この本は教えてくれた。本当の意味で革命たり得たのか、総括できる。時間軸を味方に、大きな構えで現象を捉えることができる。さらに、作家が作品などを通じて世に問う、ということとは別に、他者が言及するからこその真価を感じることができた。広範囲での因果の糸やダイナミズム。そして、作家が死んだ後の出来事。こういった、作家本人にはわからないことを正確に描写できる、他者としての圧倒的な強み。アカデミックな世界って、そもそもそういうものなのかもしれないけれど。

また余計なことが頭をよぎる。ボケが面白いのか。ツッコミが面白いのか。ボケが創造的なのか。ツッコミが創造的なのか。マネが革新的なボケだとしたら、この本は鋭利すぎるツッコミか。年末年始、普段以上にお笑い番組を見た影響で、こんな卑近な引用のオンパレードになってしまっているのかもしれない。すみません。マネの偉業以上に、この本の偉業を感じることができ、そのことを抽象化してみると、僕もあらゆる人にとっての他者なのだから、他者である自分にこそ果たせる役割というのがあるかもしれない。年始早々なんだか勇気がわいてきた。

『名画に隠された「二重の謎」: 印象派が「事件」だった時代』 三浦 篤
小学館

こんな素敵なきっかけをくれた三浦さんの著書をもっと読んでみたくなった。若いころ太宰治にハマった、とか、宮部みゆきに沼る、とか、一般的にそういう現象というのは少なからずあるかと思うが、思いがけず美術関連でその予兆?ネットで調べてみて、三浦さんの本がかなりの数あることを知る。僕のような美術関連本を普段読まない人間にもはいっていきやすい本はないかな。マネの『笛吹き』が表紙の本が目にとまる。『名画に隠された「二重の謎」: 印象派が「事件」だった時代』。この切り口というかタイトル、挑戦的な感じでなんかいいかも。書店で検索してみる。2012年の本ということで売っているところを見つけられなかったが、幸い会社からほど近い千代田区立日比谷図書文化館で発見。この図書館を利用したのは初めてだったが、美術関連の書籍がものすごく充実していて、とんだ鉱脈発見!と思った。

この本がまたスリリングで、最初の事件簿の「マネのためらい「残された二つの署名」」なんて……と勢いあまってここで核心を書きたくなるくらい誰かに伝えたいが、「謎」「事件」を冠する本のネタバレはヤボなので、ぜひどこかの図書館で手に取っていただきたい。

しかし「あとがき」は引用させてほしい。「語り方に工夫を凝らしたのは、一般の方々に興味をもっていただくためだが、(中略)ただし、内容に妥協は一切ない。本書にはここ数年の私の関心が反映されており、レベルを下げるような手心は加えなかった」とある。さらに、「真に面白い美術書は専門家にしか書けないし、専門家こそ書くべきだという私の信念に揺るぎはない」と続く。三浦さんの言葉が染み込んでくる。「突っ込んだ」内容がなければ、そこに面白さは生まれないのだということを実証している。年末年始の数日のアクションを振り返ってみる。テレビを見まくっていた。本を読んだ。美術館に突っ込んでいった。図書館にも突っ込んでいった。時を越えて、やっぱり勇気をもらってたんだぁ。

今年、勇気を行動にかえて、何かの拍子に褒められることがもしあったならば、「まぁねー」と声に出してみたい。そんな自分をイメージして早速恥ずかしげもなくこんな文章を書いてしまいました。

画像制作:岩下 智

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著者

宮川 裕

宮川 裕

株式会社電通

第5マーケティング局

コンサルタント

東日本大震災があって、日本の文化やこれからの世代に思いを寄せたい、そう思うようになりました。

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