
お出かけしようと車に乗った瞬間「うちの車、くさ〜い!」
一生懸命作った料理を出した瞬間「今日のおかず、くさ〜い!」
他の人たちも乗っているエレベーター内で「このエレベーター、くさいねぇ」と言い出し、ヒヤヒヤすることも。
日常の至る所で、大人には感じない匂いに反応するわが家の7歳と5歳。「どうくさいの?」と聞いてみても、答えは「なんかくさい……」だけでモヤモヤは募るばかり。ラボのメンバーに相談してみると、同じような経験をしている人が多いことが判明。
大人とこどもの嗅覚ってそもそも違うのかも?という疑問が生まれ、こどもの鼻について深掘りしてみることに。今回は私、宮浦恵奈と、石田文子、太田久美子の3人で、嗅覚研究の第一人者である東京大学大学院農学生命科学研究科の東原和成教授にお話を伺いました。
こどもの「くさい」にはいろんな意味があった!?
宮浦:よろしくお願いします。今日は、わが家をはじめ多くの家庭で発生しているであろう「こどものクサイクサイ問題」にハッピーな解決策を見いだせたらと思い、やってきました。うちの子たちがいろんなものに対してすぐに「くさ〜い」と反応します。例えば車に乗ると毎回言うのですが、私の鼻では何も感じないので、本当にそう思っているのか、単に気分で言っているのか分からなくて……。
東原先生(以下、先生):まず全般的に言えるのは、こどもが言う「くさい」は、必ずしも大人が思っている「くさい」と同じではないということです。こどもの場合、「くさい」という言葉がいろんな意味で使われます。例えば、本人は元々くさく感じていないのに、親が子に「これは汚いしくさいから触ったらダメだよ」と教えたことでくさいというレッテルを貼ってしまった匂い。それから、動物として本能的に危険を感じる匂い。そして、今まで嗅いだことがないために不安や違和感を抱いてしまう匂い。これら全てをこどもは「くさい」という言葉で表現します。
こどもの「くさい」と大人の「くさい」の概念の違いを説明する東原先生宮浦:なんと!知らない匂いも「くさい」になっちゃうとは!こどもは大人に比べると匂いの経験値も圧倒的に少ないですし、そりゃ「くさい」が増えるわけですね。
石田:赤ちゃんやこどもの方が、大人よりも匂いに敏感ということなんですね。
先生:はい、大人は既にいろいろな匂いを知っているので、意識をせずスルーしている匂いも、こどもにとっては全てが新しい経験なので気づきやすいということです。それから、匂いというものは過去の経験に大きく左右されます。例えば車の場合、以前乗っていたときに気分が悪くなったり、窮屈さが嫌だったり、渋滞で退屈したり。そういった車の中でのネガティブな記憶が残っていて、それも相まって「くさい」と表現しているケースも多いのではないでしょうか。
太田:匂い自体を嫌がっている訳ではないこともあるんですね……!
宮浦:確かに、自由に動けないから嫌だと、車に乗ること自体がうちのこどもたちはあまり好きではありません。どうりで消臭剤を置いてもダメだったわけだ。そんなときはどういった対処をすべきなのでしょうか?
先生:例えば車内で会話を楽しむ、外の景色に目を向けさせる、好きな音楽をかけるなど、嗅覚以外の感覚に意識を向けさせると良いでしょう。車の中での時間が楽しいものになると、嫌な経験が良い経験に変わっていき、いつの間にか「くさい」と言わなくなるかもしれませんよ。
石田:匂い自体をどうにかしようとするより、その時間自体を楽しいものに変える方が効果的なこともあるのですね。先ほど、本能的に危険を感じる匂いというお話がありましたが、それはどういったものなのでしょうか?
先生:そうですね、例えば硫化水素の匂い。腐った卵のような匂いを持つ無色の気体で、濃度が高くなると人体に影響を与える有害な物質です。硫化水素みたいな硫黄系の匂いは、大根にも含まれている成分なので、大根やたくあんなどが苦手な子は、この匂いが原因で嫌いになっているケースも多いかもしれません。
石田:大根の匂いですか?あまり意識したことがありません。
先生:食べておいしいとその匂いを受け入れるので感じにくくなります。例えば納豆やくさやなども、匂い自体は強いけれど、食べておいしさを覚えることで匂いが気にならなくなります。あとは、大人になるにつれて文脈依存性が高くなるので、同じ匂いでもどういう状況で嗅ぐかで感じ方が変わります。硫化水素も、日常の中で突然嗅ぐとドキッとするけれど、温泉街ではそこまで気にならないですよね。
一同:確かに〜!
ノスタルジックなこの匂い、実は○○臭だった……!
先生:では実験をしてみましょう。この匂いを嗅いでみてください。どう感じますか?
(謎の液体が入った瓶。その中に試香紙をひたし、ラボメンバーに渡す先生)
太田:この匂い好きです。スイーツっぽい。
宮浦:タンスっぽい?落ち着く匂いで私も好きです。
石田:なんか昭和っぽい懐かしい感じの匂いがします。
謎の液体の香りに、思い思いの感じ方をするラボメンバー先生:実はこれ、「加齢臭」なんです。
一同:えー!!!(ざわめく一同)
先生:では答えを知った上で、もう一度嗅いでみてください。
宮浦:脳内におじさんが出てきました。
先生:情報によって匂いへの価値観や嗜好性が変わりましたね。これは「2-ノネナール」という名前の物質です。汗に含まれる脂質が酸化してできるので、タンスはその通りで、衣替えのときにこの香りがします。あとは古くなったナッツや、油絵などからも似た匂いがします。昔のポマードの中に入っていた油が酸化するとこの香りがするので「おじさん臭」とか言われた時期もありました。
石田:情報によって匂いの感じ方が変わるって面白い!逆に、言葉がまだ分からないうちは情報に左右されることは少ないですよね?
先生:はい。例えば赤ちゃんは、うんちをしても自分の体から出たものなので、恐らく匂い自体は不快に思っていません。
太田:以前、おむつの研究をした際に「うんちがくさい」は社会性の発達だと聞きました。言葉がわかるようになって、親の「くさい」を聞いたり、トイレは排せつする場所だということを理解して、徐々にくさがるようになるんですね。
先生:おっしゃる通りです。これが冒頭にお話しした、元々はくさいと感じていないのにくさいというレッテルを貼られた匂いです。
赤ちゃんはおなかの中で、ママの食べたものの匂いを嗅いでいる
宮浦:鼻って、思っていたよりずっと奥が深いんですね……。次は嗅覚の発達についてお聞きしたいです。第一子を産んだときに助産師さんに「赤ちゃんはママの匂いがもう分かっている」と言われて驚いた記憶があります。嗅覚は視覚などの他の器官に比べて発達が早いのでしょうか?
先生:はい、赤ちゃんはおなかの中にいるときから、羊水を通じて、お母さんの体臭やお母さんが食べたものの匂いを感じられることが研究で分かっています。だから、胎児のときにお母さんがよく食べていたものに対してはくさいと感じないことが多いんです。
宮浦:えー!そうなんですね!妊娠中の食事が赤ちゃんの嗅覚にまで影響するなんて当時は全然考えていませんでした。例えば野菜をたくさん摂取しておくと野菜に抵抗が少ない子になるのでしょうか?
先生:野菜の実験結果はありませんが、フランスで行われたハーブのアニス(香りが特徴的なスパイス)を使った実験(※)では、アニスを食べていなかったママから生まれた赤ちゃんはその匂いを嫌がり、よく食べていたママから生まれた赤ちゃんはその匂いに抵抗を示さなかったという結果が出ています。なので妊娠中に、野菜や魚などを意識して食べておくのは良いかもしれませんね。
※出典:Chem Senses 2000; 25: 729-37

石田:アニスの実験のお話、味覚研究の際にも伺いました。面白いですよね!(こどもの味覚についての過去レポートはこちら)
宮浦:その情報を妊娠中に知っておけば……!でもおなかの中にいるときから匂いを通してママとつながっているってすごいですね。その観点ではパパはどうしてもちょっとビハインドになっちゃうかと思いますが、生まれてからパパができることはありますか?
先生:やっぱりたくさん抱っこをして養育に関わることですね。抱っこだけでなく、ごはんを食べさせるなど、生きるためのお世話をすることも大切。そういった時間が増えるほど、赤ちゃんはパパの匂いに安心感を抱いて懐いていくでしょう。
石田:パパの抱っこで泣いちゃっても、すぐにめげたりせず、頑張ってたくさん抱っこして匂いを覚えてもらってほしいですね。頑張れパパたち!
赤ちゃんのいい匂いは、フレッシュな油の匂い!?
石田:赤ちゃんのころにいっぱい抱っこして匂いを覚えてもらっても、中学生ぐらいになると女の子は特に「お父さんくさい」となる時期が来る子が多いですよね。これは成長とともに嗅覚が変化しているのでしょうか?
先生:この場合は、匂いそのものを感じているというより、くさいを理由づけにしているだけのパターンが多いかもしれません……。
石田:なるほど、そうかもしれませんね。
先生:ただ、ハッキリ言えるのは、時間とともに、お父さんもお母さんも体臭自体が変わっていきます。こどもから若者へ、さらに年をとるにつれて、私たちの体臭は変化します。なので、生まれたときに覚えて安心していた親の匂いは、必ずしもずっと続くのではないということです。これは人間だけじゃなく、他の動物においても同じことです。
太田:体臭の変化には抗えないんですね。
先生:体臭の変化は、生きている証拠です。
宮浦:生きている証拠、いい言葉ですね……!
石田:確かに赤ちゃんと大人の匂いって全然違いますもんね。赤ちゃんは何ともいい匂い。
先生:赤ちゃんは健全な油の匂いがします。酸化していないフレッシュな匂い。加齢とともに体は酸化しやすくなっていくので、酸化を防ぐことが体臭の面でも大切です。
一同:酸化したくない〜!
匂いは、小さいころの記憶や感情を呼び覚ます「起爆剤」
石田:そういえば、小さいときに大好きだったおじいちゃんの家にお仏壇があったので、いまだにお線香の香りを嗅ぐとすごく安心するのですが、それはなぜですか?
先生:先ほど、匂いは「情報」に左右されると話しましたが、「記憶」とも密接に関係しています。これはいわゆる「プルースト効果」と呼ばれるもので、マルセル・プルーストの小説「失われた時を求めて」の中で描かれている場面が元になっている言葉なのですが、特定の香りを嗅いだときにその時の記憶や感情が呼び起こされる現象のことです。
宮浦:嗅ぐだけでほっこりできたり、落ち着ける匂いを知っていることは、自分のメンタルケアや集中力UPにつなげられそうですよね。そういった「匂いの引き出し」がたくさんあると、人生が豊かになりそう。
石田:近年「嗅育」や「香育」といったものが注目されつつありますが、匂いに関して親が日常生活の中でこどもにしてあげられることは、どんなことがありますか?
先生:いろいろな匂いや食材の経験をさせること、そして匂いだけでなくそのときの対話も大切です。情景や言葉、感情と結びつけて覚えることで、「この匂いは〇〇な場所で〇〇していたときのもの」と刷り込まれて記憶に残ります。
石田:なるほど〜。「〇〇な匂いがするねぇ」みたいな会話を親子で積極的にしてみたり、料理を出したときに「くさい」と言われても大人がおいしそうに食べたり、一緒に楽しみながらこどもの匂いの経験値を増やしていければと思いました。
宮浦:いつも時間に追われてつい「文句言わずに早く食べてよ〜」と思っちゃうけど、もっと心に余裕を持つようにせねばと反省です……。
先生のお話を聞き、嗅覚の重要性を改めて実感するラボメンバー太田:お話を伺って、嗅覚の重要性を実感しました。こんなに大切なものなのに、検診では視覚や聴覚の検査はあるのに、嗅覚の検査がないのは不思議……。加齢とともに嗅覚も衰えてくるのですか?
先生:鼻腔の嗅上皮(図参照)にある嗅覚の受容体(匂いのセンサーのようなもの)の数は赤ちゃんも大人も変わりません。けれど鼻の中の神経の数が減ってくるので70~80代頃から8割ぐらいに衰えると言われています。
太田:嗅覚の衰えを緩やかにするにはどうすればいいですか?
先生:香りに意識を向けることは大切ですね。例えば、歩いているときも、ちょっと意識してどんな香りが漂っているか感じてみる。そういうトレーニングをしていると、香りで湿度を感じて、明日雨が降るか分かるようになってきますよ。それから、食を楽しむことも大切です。実は、味覚と嗅覚を同時に楽しめるのは人間だけが持つ特徴なんです。人間は気道と食道が喉で交差しているので、食べ物を飲み込むときに喉から鼻に抜ける匂いを感じることができます。犬やマウス、人間に一番近いチンパンジーでさえも喉のつくりが違うので、人間と同じように喉越しから香りを嗅ぐことはできません。おいしく食べて幸せになれるのは人間だけの特権なんですよ。
石田:人間だけの特権!ぜんぜん知りませんでした。
宮浦:人間でよかった……!
東原先生の著書「こどもにおいのふしぎ」内の図を参照AI時代こそ、嗅覚をはじめ五感を育むことが大切になる
石田:今の時代、こどもにとって、目から入る情報がすごく多いように感じます。例えば外食中、こどもが立ち上がったり騒いだりしないように動画を見せながら食べさせるとか。良くないとは思いつつ、ついついやっちゃう家庭は多いと思います。でももっと意識して匂いを楽しませないと嗅覚は豊かになっていかないということですよね。
先生:匂いを含めていろんなことを経験させるのはとても大切。特にこれからAIがどんどん台頭していく中で、五感を研ぎ澄ませることは、人間性を保つ上でとても大事です。
石田:確かに今のこどもたちが大人になる頃は、人間の仕事がAIに奪われる可能性がもっともっと高いですもんね……!
先生:五感を育むことこそが、AIには持つことのできない「人間力」を育むこと。あの人と一緒に歩いていたときの香りみたいな記憶は、AIは絶対持てませんからね。五感をたくさん刺激して感性が育まれていることが、人間として今後は一層大きな差となって出てくる時代です。
太田:こどもたちに、もっといろいろな経験をさせてあげないと……!
先生:こどもだけでなく、大人も時にはこどもに戻っていろんなことを楽しむのも大事です。当たり前に思っていたことをスルーせずに今一度感じてみたら、何か違った発見があるかもしれませんよ。
宮浦:感性を若返らせたい……!こどものクサイクサイ問題へのたくさんの驚きや納得から始まり、こどもたちが未来を生き抜くために大切なことまで、学びだらけの時間でした。先生、本当にありがとうございました。
さて、今回のまとめです。
●こどもの「くさい」は、嗅いだことがない匂いへの違和感や不安、車酔いなどの「嫌な記憶」とひもづいていることも。大人が思う「くさい」だけではないことを知っておこう。
●例えば「車がくさい」というときは、好きな歌を一緒に歌ったり、景色や会話を楽しむなど、嗅覚以外に意識が向くようにしてみて。「車は楽しい」という記憶にアップデートすることが効果的。
●赤ちゃんはおなかの中にいるときからママの匂いを感じている。パパは、最初は赤ちゃんに泣かれても、抱っこやお世話をたくさんして、自分の匂いを安心できるものとして覚えてもらおう。
●これからのAI時代、「五感を育むこと」こそが人間の武器に。視覚に頼りすぎず、こどもと一緒に、嗅いで、触れて、経験して、豊かな感性を育もう。

以上、「嗅覚」のSTUDYを通して、またひとつこどもへの理解を深めることができました。さて、ここでお知らせを。こどもの視点ラボのさまざまな研究が楽しめる体験型展示「もっと!こどもの視展」は現在全国を巡回中。5カ所目となる展示がもうすぐ福岡で始まるので、ぜひ遊びに来てください。(2026年7月14日~9月23日まで、大野城心のふるさと館で開催予定)
