ラグジュアリーの捉え方が大きく変わってきている
2016/09/21
はじめましてアートディレクターのUです。
電通報でDECODED FASHION2016のナビゲートをさせていただきます。
まずは、私の背景をお話しさせてください。
私は高校のころに理工学科に所属しながらファッションのスクールに通い、芸術に目覚めてから大学でデザインを学び、社会人になってからはデザイン×プログラミングのスクールに通っていました。
最近は、ファッションやテック系のお仕事が多くなり、ラグジュアリーメゾンの総合アートディレクションや、アーティスト作品のコンセプトメーキング、ファッションアイテムのデザインや空間演出、インナービューティー系のビジネルモデルからVI•CI開発、企業のテクノロジーを活用したビジュアライゼーションなどをしています。少しだけ具体的な仕事を紹介します。
MITSUKOSHI ISETAN 「CANDY GIRL by Amano Yoshitaka」
ファイナルファンタジーのイラストレーションを手掛ける天野喜孝氏の新作「CANDY GIRL」(煩悩の数108体の女の子)をファッション文脈でローンチしました。第一弾として三越伊勢丹とコラボし計50ブランドと約200アイテムをデザイン化し販売。館内装飾から銀座四丁目の懸垂幕やショーウインドーの演出も。日本橋・新宿・名古屋へと展開。
東京急行電鉄「MASS RHYTHM」
スクランブル交差点を渡る人の周期性をリアルタイムでアートとサウンドに変換するインスタレーションを制作しました。交差点を渡る人のファッションの色を抽出し、その色のカラーキューブがタイムラインにビジュアライゼーションされます。人の量と動きを読み取りメロディーを奏で、青から赤に変わる信号の周期は終わらない音楽のフレーズとなります。個人的に苦手であった雑多なスクランブル交差点を心地よい空間にしたいと思いました。
ラグジュアリーの捉え方が大きく変わってきている
DECODED FASHION(以下DF)は、2011年米国で創設されたテクノロジーとファッションをつなぐグローバルイベント。DFの活動はニューヨーク、ロンドン、ミラノなど世界12カ国に及び、直近では、昨年3月の米サウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)のファッション部門創設に先導的な役割を果たし話題となりました。
東京開催の今年のテーマは「ラグジュアリー体験の未来」。 24時間365日テクノロジーを通してつながっていることが可能になった今、 人々のラグジュアリーに対する捉え方は大きく変わってきているように思います。私なりに、その因子を考えてみました。
・ジェネレーションZとSNS
今やSNS上に自分の姿を出すのは当たり前。私はSNS上を第2の娑婆世界だと読んでいます(ココロの声で)。娑婆の語源はサンスクリット語の「saha」(忍耐)。仏教用語で、自由のない世界を指すようです。と、いきなりディスりたいわけではないのですが、SNSは一見すると自由な世界のようで、そこでの振る舞いはリアル世界にも何かしら影響を及ぼす可能性があると思うのです。ジェネレーションZ世代は、この2つの世界の境界線をどう捉えているのでしょうか。
膨大な時間をリアル世界で費やしている中で、第2の娑婆世界ではその一部を切り取ってみせる。ジェネレーションZ世代はこの切り取り、つまり編集がうまく、 生きていること自体がセルフブランディングだと自然とすり込まれているように思ったりします。
・ファッションの「情報」化
ノームコアやエシカルもはやったけれど、最近はインパクトの強いファッションが熱く、「おちゃめ盛り」といわれる猫や星柄や人の顔とかがプリントされた服、極端なシルエット、ピンクやブルーの髪なども街で見かけたりします。 写真を撮ってシェアすることが当たり前になり、 写ったときの「見栄え」やその先にお披露目したときの「いいね!」の価値が高まっているのでしょうか。
ハイブランドのコレクションでは、観客全員がフロントローで見られるような会場演出をしていますが、 その目的は間近でディテールをよく見てもらうということもあれば、 お客さんが良いアングルで写真を撮ってシェアできるようにという説もあったり。
「情報」をまとうようになった今、 ファッションに対する価値基準にさまざまな軸がでてきていると思います。それは、ファッションそのものに対するデザイン、機能性、質、価格、哲学、流行、持続性、これに加えて情報拡散力みたいな軸までも。もはや洋服のタグについている価格という一軸の単位だけでは計れないので、一瞬にして多軸的な価値が分かる新たな単位が欲しいくらいです。でも、脳みそと感性もちゃんと使わないと…とも思いますが。
・テクノロジーによるデモクラグジュアリー
旅に出るときに、その国のファッションデザイナーやクリエーターがやっているショップを巡るのがたまらなく好きです。生きている環境、街並や天気や食べ物や人柄などの全てが国によって違い、それがデザインや色使いや素材とか店内の雰囲気とか、いろいろなところににじみ出てくると思います。
最近よく見てしまうのは「FARFETCH」というアプリ。オンライン上で、世界中のローカルなセレクトショップからお買い物ができてしまいます。日本にいながらロンドンの路地裏にあるショップをのぞく感覚があります。「ファッションパスポート」という旅行のようなファッション体験。テクノロジーがデモクラタイズされ、誰もがすぐにどこでも贅沢ができるようになる。デモクラグジュアリー。
■「モノ」ではなく「体験」を買うことがラグジュアリーに
情報の透明性が当たり前になり、高解像度な状態で自分にとっての贅沢を見極めることができます。単にお金をかければラグジュアリーということではない気がします。
昨年Airbnbでボストンに行きました。宿泊先は、センスの良いインテリアやアート作品が飾られていて、とても広い一戸建てを貸切り状態でした。そこに住むおばあちゃんが、その土地ならではのおいしいレストランやショップを教えてくれたり、また遊びにきてねと言ってくれたり、遠い親戚ができたようでとてもうれしかったです。血の通った唯一無二な体験。エモラグジュアリー。
テクノロジーによるデモクラグジュアリーと、生な体験であるエモラグジュアリーとが交わるところで、より生活や身体や記憶の中に入り込んでいき、一層深い体験ができるような。
これからのラグジュアリーへと通じるものがあるような気がします。
「無秩序こそ 真のラグジュアリーである」 by ココ・シャネル
ココ・シャネルは、 締め付けられたコルセットから着心地よいジャージー素材、メンズライクな洋服、今では当たり前のように使われているリップスティックを発明したりと、女性を解放しました。
ファッションとは、そのモノだけではなく、それを取り巻く社会と関係性を持ったときに初めて命が宿るのではないでしょうか。その時代のコンテクストを覆したシャネルは デザイナーでありビジネスマンであり、イノベーターだと思います。
今の時代なら、彼女は何をするのでしょうか。
当たり前のことを受け入れたら終わりなんじゃないかと思います。
これからどんなことが起きるのか、この何げなく過ごしている裏側には何かあるのか。
秩序を壊してみる。そこにラグジュアリーへのヒントがあるのかもしれません。
いよいよ開催されるDECODED FASHION2016。テクノロジーがありふれてきている今、より本質的な議論が交わされるような気もします。どんな破壊があるのか楽しみです。