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アートの力で医療をアップデートするNo.1

息苦しさをアートで救う、「呼吸を見る展」とは?

2022/03/01

「ART for Medical」は、昭和大学医学部生体調節機能学研究室と電通で研究を進める、メディカル×アートプロジェクト。アートの力で、医療を身近で楽しいものにアップデートし、QOL(生活の質)を向上させることを目指しています。

日本で慢性閉塞性肺疾患(COPD)を抱える人は推定530万人。COPDの主な症状は息切れ、呼吸苦、息苦しさなどです。呼吸器系の病気を患っていない人でも息苦しさを感じる近年。コロナ禍でマスクをする機会が増え、無意識のうちに呼吸が浅くなったり、精神的ストレスが呼吸に悪影響を与えたりしている人も増えています。

参考データ:
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC7349096/


そこで、第一弾チャレンジとして行っているのが、呼吸を可視化することで呼吸を整えていくメディアアート(※)の展示「呼吸を見る展」です。

今回は、パートナーとしてこの展示を医学的、心理生理学的な視点から監修していただいた昭和大学医学部・政岡ゆり准教授をお迎えし、電通の高橋優氏が、学術的な視点からメディカル×アートの可能性についてお話を伺いました。

※=メディアアート
デジタルテクノロジーを活用した芸術作品
 
政岡先生、高橋氏

【「呼吸を見る展」概要】
<昭和大学上條記念ミュージアムにて、2022年3月22日まで開催>
「視覚による呼吸リハビリテーション」をテーマに、無意識で行われている呼吸を可視化することで、呼吸に意識を向けさせ、呼吸を整えていくメディアアート展。

呼吸を見る展
主催: 昭和大学医学部生理学講座 生体調節機能学部門/政岡ゆり  協賛: 昭和大学上條記念ミュージアム 小口江美子/山村勇一 昭和大学医学部
生理学講座 生体調節機能学部門  監修: 泉﨑雅彦/本間元康/上條翔太郎  クリエーティブディレクター:須田健太郎 アートディレクター:高橋優
クリエーティブテクノロジスト:中山桃歌  作品提供「いき-うつし」:山根有紀也/矢野華子 グラフィック制作:藤本真央/今井みゆき/伊藤綾野(ADBRAIN) スペースデザイン制作:中沢仁美(CBK)

作品①「SEE YOUR BREATH」

作品①「SEE YOUR BREATH」
呼吸に合わせて、スクリーンに映し出された円が同期する2D作品。

作品②「SEE MEDICINE」

作品②「SEE MEDICINE」
つり下げられた振り子が自分の呼吸に合わせて動き、その軌道によって砂絵が描かれる3D作品。

作品③「いき-うつし」

作品③「いき-うつし」
喜怒哀楽の表情をもつ絵画が自分の呼吸に連動する作品。絵画の表情から読み取れる情動が呼吸を介して伝播することが体感できる。

作品④「SEE YOUR BREATH」

作品④「SEE YOUR BREATH」
呼吸の多様性を伝えるグラフィック。リアルな人々の息を撮影し、青写真という技法で湿度や生々しさを表現。

医療と芸術の接点になり得る「呼吸」の機能

高橋:ART for Medicalが発足した背景には、医療機関が病気になってから義務的に行く場所(have to)ではなく、日常生活の延長上の楽しくて行きたくなる場所(want to)になれば、もっと自分の健康に意識が向き、QOLを保てるのではないかという思いがありました。そのためにアートディレクターとして、できることがあるのではないかと感じていたんです。

概念図

世界でもさまざまな取り組みがありますが、2018年にカナダの医師会が世界で初めて、治療として患者に美術館訪問を「処方」したことは、医療にアートが介在しているという点でインパクトがありましたね。

今回は“息苦しさ=生きることへの苦しさ”を背景に、昭和大学医学部生体調節機能学研究室の基礎研究を元にして、先生に多くのアドバイスを頂きながらアウトプットを制作していきました。まずは「呼吸」について、教えていただけますか?

政岡:私は、昭和大学医学部の生理学という基礎研究室で、特にヒトの呼吸をメインに研究しています。呼吸というと、酸素を取り入れて二酸化炭素を排出するという生存のための生理機能がまず思い浮かびますが、情動や自分の意思で変わるという側面もあります。呼吸は、情動や意思を表現するツールとも言え、その特性から呼吸が医療と芸術の接点になり得ると以前から感じていました。

例えば、音楽は呼吸との関わりがとても深いです。合唱やオーケストラの演奏では「呼吸を合わせる」ことで共感性を高め、一体感を生み出します。また日本の伝統芸能である能では、シテの心の微細な動きと呼吸の表象が連動していることが明らかになっています。身体表現を伴う演劇や武道なども呼吸とは切り離せません。呼吸は、昔から芸術や文化との関わりが深く、人が豊かに生きるための機能を備えていました。

現在はコロナ禍により生きるための呼吸さえ脅かされています。体内の酸素量をモニターする指標としてSpO2(動脈血酸素飽和度)があります。SpO2が下がり、体の危険信号として息苦しさを感じるのですが、問題なのは、体内の酸素量が正常であるのに息苦しさを感じてしまうことです。それは不安や恐怖といった情動によってより息苦しさを増強させてしまうからでしょう。そしてマスクによる物理的、心理的ストレスなどによって呼吸が浅く速くなっている人が多い。相対的に息苦しさを感じる人が増えているのです。

高橋:「鬼滅の刃」にも全集中の呼吸術が出てきますが、お寺で座禅を組んで呼吸を集中させて精神統一するなど、日本人は、伝統的に呼吸と情動の深い関わりがありますね。今のような状況下で、体と心を健康に保つためにも多くの人がもっと呼吸に意識を向ける必要があると改めて感じました。

「呼吸」は自らコントロールできる

政岡:呼吸は「基本的な生理機能」の他に、「情動の呼吸」と「意思によって随意的(ずいいてき)に変えられる呼吸」の3種類に分けることができます。先ほどお話しした不安や恐怖によって変化するのが「情動の呼吸」です。

息苦しさの要因は、呼吸器系の疾患による要因、また健康な人でも運動時の酸素量の不足、呼吸筋の硬さ、姿勢の悪さにより深く息を吸えないなどの身体的なものがあります。そして先ほどお話しした不安感といったネガティブな感情などの精神的要因により呼吸が浅くなり、息苦しさを誘発することがあります。さまざまな要素が絡まっているため、医学的なアプローチだけでは改善しないことも多いと感じています。

高橋:酸素量は正常なのに息苦しさを感じてしまう場合に、身体的、心理的アプローチによるリハビリで対処していく必要があるのですね。先生の研究では、ストレスのかかる状況下でも意識的に呼吸をコントロールすると不安感が軽減するという実験結果が出ていると聞きました。

政岡:そうなんです。呼吸を深くゆっくりとすると不安感が下がります。動物は自分の意思で呼吸を変えることはできませんが、人間は、意思によって呼吸をコントロールできます。そこに救いがある。緊張して心拍数が上がった時に大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせるというようなことは皆さんも自然に行っているのではないでしょうか。

私が「情動の呼吸」について研究しているのは、そうした随意的な呼吸のコントロールだけでなく、自然に呼吸を変化させることができたら、息苦しさをなくすための理想的なリハビリができると考えているからです。呼吸は情動の動きと同時に変化します。芸術性を介して、情動を動かすことができれば、自然に呼吸に変化をもたらすことができるのです。

高橋:医療現場では、呼吸苦を緩和する方法として、酸素投与や薬物投与、運動療法などがあると思いますが、医療では解決できない部分に、体と心のつながりからアプローチすることで自然に呼吸が変化していくというのは興味深いですね。

政岡:今回の企画展では、その研究成果が生かされています。「気がついたら自然と呼吸が変わっていた」という来場者の方の反応を聞くことができ、第一関門を突破できたと手応えを感じています。

視覚を用いた呼吸リハビリテーションの可能性

政岡:展示では「いき-うつし」という作品がありましたよね。目の前に飾られている人物画が、自分の呼吸と連動して同じように呼吸をするのですが、この作品は呼吸による情動の共感性がわかりやすく表現されています。

いきうつし

例えば、自分が悲しい時にピカソの「泣く女」が自分と同じように呼吸をしているのを見ると、自分に同情してくれているような気持ちが湧いてきます。

また、普段は目に見えない呼吸が絵画の中で可視化されることで、呼吸によって意図的に絵画を変化させたいという思いも生まれます。「泣く女」にゆっくりした呼吸をさせてあげると、なぜか「泣く女」の悲しみも減ってくるような錯覚が起きます。また自分の悲しみの情動も減ってくる。情動の伝播と言って呼吸が同期することで、他者への情動への共感も生まれると考えられます。息苦しそうな人を見ていると自分も呼吸が速くなり苦しくなってしまうように。

高橋:実験段階で私も体験しましたが、自分の呼吸と連動して絵画の人物が動いた時に、感情が絵画に乗り移ったように感じました。そして、客観的に呼吸を操作したいという気持ちにもなりました。視覚による刺激を介して、呼吸を変化させて、呼吸を整えることで情動を変えるというアプローチになる。

政岡:呼吸は視覚化できる、ということが強みです。心拍数の変化は目には見えません。呼吸の変化が情動につながり、さらには行動変容にも影響をあたえるかもしれません。

ヨガやマインドフルネスでは、自分の呼吸に意識を向けるように指示されることがありますが、指示されるとかえって息苦しくなるという話をよく聞きます。「SEE YOUR BREATH」という作品では、スクリーンに映し出された円の画像が膨張・収縮することで呼吸が可視化されるので、自分の呼吸を客観的に観察することができて、いつも感じるような息苦しさを感じなかったという方がいらっしゃいました。


高橋:今は視覚情報が世の中にあふれていて、酷使しているので休めた方がいいのではないかと感じたこともありましたが、視覚を介したアートが心と体の健康に作用することの意義は大きいですね。「視覚伝達」から「視覚作用」になるということに可能性を感じます。

政岡:先日、展示にいらした方にお会いしたら、仕事で疲れ果てた時に空を見て深く息を吐いてみたそうです。青写真で描かれた息の形を青空の中で再現したかったと言っていました。その人の日常に視覚でみたアートが再現されるって素敵だなと思いました。

高橋:グラフィックポスターを日常に取り入れて頂けてうれしいです。呼吸によってサイズや濃度も違っていて唯一無二の形になります。青写真という日光で感光させる事で、呼吸による動きのブレや湿度感がより表現されました。

もしも、アートが処方される医療機関があったら

政岡:今回の展示では視覚が媒介となっていますが、重要なのは「何を見たか」ではなく「どう心が動いたか」です。情動=emotionの語源はe(外へ)+movere(動かす)ですから、心を動かし生きる原動力となるものです。視覚だけでなく聴覚、嗅覚、触覚、味覚などの他の感覚を媒体とした作品も創っていきたいですね。心の動きがもたらす効果には必ず科学的なエビデンスがあると思います。

理想ですが、病院に美術館が併設されていて、息苦しさや不安を感じる患者さんに対して「何番の作品を見ると、呼吸が整い不安感が軽減しますよ」と提案ができたらいいですね。アートを介して自然と自分の呼吸が整うような環境を提供できたら理想的です。

高橋:今回の展示のように、自宅と病院、医療行為と日々の健康管理、その中間のような位置に、医療にさしかかる手前で、自分が主体となって気軽に楽しく自分を整える場所が作れたらいいなと思います。

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