アートで呼吸がしやすくなる?「視覚による呼吸リハビリテーションへの可能性」
2022/03/16
「ART for Medical」は、昭和大学医学部生体調節機能学研究室と電通で研究を進める、メディカル×アートプロジェクト。アートの力で、医療を身近で楽しいものにアップデートし、QOL(生活の質)を向上させることを目指しています。
第一弾チャレンジとして行ったのが、呼吸を可視化することで呼吸を整えていくメディアアート(※)の展示「呼吸を見る展」です。
今回は、クリエーティブ・テクノロジストとして制作にかかわった電通の中山桃歌氏が、研究者としてだけでなく、呼吸器内科の医師として日々患者と向き合っている小菅美玖先生にインタビュー。プロジェクトメンバーとして作品を体験する中で、何を感じたのか、医師の視点から、メディカル×アートの可能性についてお話を伺いました。
※=メディアアート
デジタルテクノロジーを活用した芸術作品
【「呼吸を見る展」概要】
<昭和大学上條記念ミュージアムにて、2022年3月22日まで開催>
「視覚による呼吸リハビリテーション」をテーマに、無意識で行われている呼吸を可視化することで、呼吸に意識を向けさせ、呼吸を整えていくメディアアート展。
医療にはアートが介在できる余地がある
中山:「呼吸を見る展」では、呼吸をどのように可視化し、アートとしてアウトプットするのかということを熟慮して作品を制作しました。小菅先生には、この企画展について医師の視点からご意見を伺いたいです。まずは、先生の専門分野について教えてください。
小菅:私は、昭和大学医学部生理学生体調節機能学部門の大学院生として研究を行うとともに、付属病院で呼吸器内科の医師を兼任しています。医師としては、呼吸器疾患全般を診療し、肺がん、肺炎などの感染症のほか、慢性閉塞性肺疾患(COPD)、間質性肺炎といった慢性呼吸器疾患、ぜんそくなどのアレルギー疾患の治療にあたっています。
中山:今回体験していただいた作品の中で、まず呼吸を円で可視化した「SEE YOUR BREATH」についてはどのように感じましたか?
「SEE YOUR BREATH」
呼吸に合わせて、スクリーンに映し出された円が同期する2D作品。
小菅:円が大きくなることで、自分の肺が膨らんでいるというイメージが持てるので呼吸がしやすく感じました。
中山:第一回でお話を伺った政岡先生からは、実際にリハビリでの応用を目指して研究を進めていると伺いました。
小菅:臨床現場の呼吸リハビリテーションでも応用できる作品だと思いました。ただ健常者の方も含めてある程度の人数による検証が必要でしょう。実際には人それぞれ違う反応が出てくると思います。
中山:視覚化することで、個々の反応の違いも知ることができて面白いですね。では続いて呼吸に連動して振り子が動く作品「SEE MEDICINE」についてはいかがでしょうか?
「SEE MEDICINE」
つり下げられた振り子が自分の呼吸に合わせて動き、その軌道によって砂絵が描かれる3D作品。体験者の呼吸を反映するだけでなく、33名分の多様な呼吸の軌道が砂絵となって浮かび上がっている。
小菅:自分の呼吸のリズムと振り子の動きに集中できるので、精神的にすごくリラックスできました。集中力を上げるような効果もあるのではないでしょうか。
中山:「SEE MEDICINE」は、息を吸うと振り子が手前に、吐くと奥に動きます。横軸は、1分間に12回という人の平均的な呼吸周期で一定に動き、体験者の呼吸が安定していれば、振り子の下に敷き詰められた砂にきれいな8の字の軌跡が描かれます。
小菅:最初の作品と違って、肺活量ではなく呼吸のリズムが可視化されているんですね。呼吸のリズムが整うような印象を受けました。やはり呼吸器疾患がある方は、呼吸が浅くて速くなってしまうのですが、これならゆっくりと深い呼吸に誘導できると思います。
中山:多くの人は、呼吸が一定ではないので、砂絵に描かれる呼吸の軌跡もさまざまな形になります。呼吸が速くなったり遅くなったりして、同じ軌跡を繰り返すことがないんです。少しずつズレが生じ、砂絵が8の字ではなくお花のような形になっている方もいました。
小菅:呼吸は必ず1分間に12回と決まっているわけではないので、砂絵が崩れていても問題はありません。しかし効果的な治療のために用いるなら、呼吸のリズムを一定に保つ訓練として、きれいな8の字の軌道を目指すように指示を出してもいいかもしれません。
中山:「いき-うつし」についてはいかがでしょうか?
「いき-うつし」
喜怒哀楽の表情をもつ絵画が自分の呼吸に連動する作品。絵画の表情から読み取れる情動が呼吸を介して伝播することが体感できる。
小菅:絵画が自分の呼吸に連動するという視覚的な面白さがありますよね。なおかつ、呼気でガラスが曇るというアイデアが素晴らしいと思いました。どの作品もそうですが、呼吸時の胸の動きを、身に着けたバンドやセンサによって感知する仕組みになっていますので飛沫が飛ぶこともなく、感染対策がされた中で実施できる点もいいですね。
メディカルデータ×メディアアートの可能性
中山:今回、呼吸のメディカルデータをメディアアートとして伝えることに挑戦しましたが、どんなアート作品があれば医療現場で活用できるのか、医師の視点から教えていただけますか?
小菅:慢性の呼吸不全を来す疾患には代表的なものとしてCOPDと間質性肺炎がありますが、この2つの病態は大きく違います。COPDは、長期の喫煙により肺の組織が壊れて膨張し、気道が狭くなるために息苦しさを感じるのですが、間質性肺炎は、何らかの原因で肺が硬くなって縮んでしまうために息が吸いにくくなってしまう病気です。この違いを患者さんに理解してもらうことが難しいので、アート作品を通じて、肺の硬さや体積などを可視化できるといいですね。
中山:医療現場では、スパイロメトリーという呼吸機能検査器を用いて呼吸の量や吸って吐いてという呼吸の波を観察していると思いますが、それはあくまでも医師が読み取るための可視化です。その数値を患者さんに伝えるための手法としてアートが活用できそうです。
小菅:COPDやぜんそくの方は息が吐きにくいので、病状を把握するために1秒間にどれだけ息が吐けるかを1秒量または1秒率という指標として診断や重症度の分類に使います。間質性肺炎の方は肺が硬くなり、酸素を肺の中で拡散できにくくなるため、拡散能を測る検査もあります。呼吸のメディカルデータは、肺活量以外にもたくさんありますし、アートを用いることで患者さんの理解が得やすくなる可能性は十分あると思います。
また、COPDにおいては、薬物療法と同等かそれ以上に呼吸リハビリテーションが治療法として重視されています。現状は、「口すぼめ呼吸」という呼吸訓練や呼吸筋のトレーニングのほか長距離歩行などの運動訓練などを行うのが一般的です。
「口すぼめ呼吸」は、気道が細くなって息を吐きにくい状態の時に、口をすぼめて息を吐くことで気流に制限をかけて流速を増し、息を吐きやすくするリハビリです。いずれのリハビリテーションも患者さん本人のやる気や体力に左右されてしまうので、今回の展示のように呼吸を可視化することで、リハビリが面倒と感じる方にも楽しく取り組んでもらえるのではないでしょうか。
アートを用いて医療機関をもっと身近に
中山:今後は、アートを通じて健康診断を受ける一歩手前のメンテナンスやヘルスケアを受けられるような場を作りたいと考えています。自分の体と向き合うきっかけが生まれるような場所です。例えば、アート展示という枠組みでありながら、そこでプチ診療のようなものが受けられたら医療がもっと日常生活に近づくはずです。
小菅:健康に対する向き合い方は本当に人それぞれで、頻繁に検診を受ける方もいれば、全く来ない方もいます。しかし検診では、レントゲン撮影で肺疾患が見つかる方もいますし、喫煙者をスクリーニングして生活習慣病の指導を行うこともできますから検診へのアクセスが重要であることは変わりありません。そこに目を向けるためのアイデアが形になるといいですね。