マーケティングの世界の住人が、アートの世界を覗いてみた。No.6
【Cohort】
2025/06/12

アートの世界を覗いてみるようになって、すぐに壁にぶち当たった。基本的なこととして、僕は歴史を知らないんだと気付かされる。日本史も世界史も。アートの手触りを得るつもりが、歴史。あと地理もほんと知らないと再認識。アートの醍醐味を感じるつもりが、地理。新しい壁の出現、その繰り返し。
中高年のリカレント教育なんて言葉が飛び交っているせいか、中高生の頃には疎かにしていた社会科の学び直しもいいかもと、幸いなことに前向きな気持ちが芽生えた。取っ付きやすいところから気まぐれに調べてみることにした。ぱっと思い浮かぶ歴史的な事象・人物が活躍していた頃、日本では何が起こっていた?
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切り良く500年くらい前、1500年頃は、ルネサンスの時期か。レオナルド・ダ・ヴィンチが解剖学も含め凄まじい観察眼で大活躍している。魅惑的な「モナ・リザ」や「最後の晩餐」はもちろんのこと、両手を広げた裸の男性が正円に囲まれたスケッチ、これなんかも大多数の日本人が思い浮かべられる、気がする。どこで刷り込まれたんだろう。
その頃日本には誰がいたかを調べてみて、一人で盛り上がった。絵画の国宝数6作品でナンバーワン、雪舟!水墨画と聞いてぱっと思い浮かべるのは、雪舟の絵、もしくは雪舟っぽい絵、ではないだろうか(言い過ぎだろうか)。そんな中、「小学館の図鑑NEOアート はじめての国宝」なんかも眺めていて僕がとてつもなく気になっている絵がある。ついには大阪市立美術館まで足を伸ばし、日本国宝展で原本も見に行った。雪舟の「慧可断臂図」だ。えかだんぴず。読めないし、覚えられないしで、何度復唱したことか。
故事が題材で、ダルマさん(人形)のモデルである達磨が描かれているが、そのストーリーはさておき、描かれ方が不可解。大混雑の展覧会場で、思わず「おっかしいねぇ~」と声を出してしまった。いかにも雪舟っぽい岩肌(しかも黒い点々を、いつもよりも多めに振りかけております、と言わんばかり)の描写に対し、達磨の体は大胆に簡略化。そして顔は異様にリアルだけどパーツはどの視点から見たんだ?というくらいバラバラ。ピカソの絵みたい。子どもの頃に見ていたアニメ「キャプテン翼」を思い出した。ドリブルのシーンは確か真横もしくは斜めからのアングルが多かったと思うのだが、ドリブルをするキャラクターの口はほぼ正面を向いているので、それが頬っぺたに張り付いているように見える、みたいな……。
だけど、全体の一皿としてオイシイと思ってしまった。各所に食べ応えあり。味変もあり(なんとも贅沢なことに、同じ展示室に「山水長巻」と「天橋立図」もあり、見比べられたことも大きいかも)。不可解で、オイシクて、矛盾を笑い飛ばすような存在感に脱帽してしまった。
ダ・ヴィンチとはずいぶんアプローチが違う気がするが、双方なんとも魅惑的。同時代に尋常ではない観察眼を持ったこの二人の天才が生きていたとは、なんとエキサイティングなんだろう。お互いを知る術が1500年頃にあったならば、絶対意識し合ったんじゃないかな、と思わず妄想してしまった。空間認識・再現とか、肖像と風景の関係性とか。ピカソが生まれる数百年前に二人でキュビズム談義なんかをしているところを想像したら、僕は21世紀を生きる部外者だけれど、とても誇らしい気持ちになった。
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少し時代を近付けて、今から200年くらい前。僕の中では数字として覚えやすいという記憶だけが残っていて、中身は全然思い出せなかった1789年、フランス革命。ルネサンスとは異なる性質なのだろうけど、ヨーロッパというのは常々解放の歴史、自由を獲得する歴史なのかな、と俄か調べながらも思いを馳せてみる。それからルーヴル美術館が開館したのが1793年。もともとは要塞として建設されたものだそう。シンボリックなガラスのピラミッドが増設されたのは割と最近のことらしい。所蔵品も元々は王室由来。アートが特権的なところから開かれていく歴史の生き証人のようだ。
さて、その頃日本では?毎週楽しみ、大河ドラマ「べらぼう」の時代だ!よっ、ツタジュウ。顔がアップの大首絵(おおくびえ)、歌麿の三美人が1793年頃で、写楽の妙にリアルな歌舞伎役者の絵が1794年頃。蔦屋重三郎がプロデューサーとして美人画さらには役者絵でも手腕を振るうことになった背景に、「白河の清きながれに魚すまず……」でおなじみ?「寛政の改革」の存在があった模様。質素倹約!風紀を乱すな!の幕府のお裁きで蔦重はずいぶん痛手を被ったようだ。が、そこで幕引きではなく今で言うところのピボットを図ったということか。流行の先取り、時代の牽引。負けは負けにあらず、の実践。あぁ、脱帽。
なぜ寛政の改革が起こったのか?もう少しマクロに眺めてみると、日本ならではと言えるかは分からないが、洪水、干ばつ、火山噴火、そして社会科で習った気もする「明和の大火」、さらには「天明の大飢饉」。つまり、災害大国ニッポン、という話である。ところで、「明暦の大火」ならぬ「明暦の『大怪獣』」をご存知だろうか。マンガ「怪獣8号」。災厄を怪獣という設定にしてしまう巧妙。明暦なので、明和よりも100年くらい前。話が逸れてしまった。100年も逸れてしまった。
フランス革命や、ルーヴル美術館開館といった事象が、ヨーロッパの自然環境とどのくらい関係があるのか僕はまったく知らない。が、方や日本を紐解いていく時、だいたいの場合において自然環境の話がちらつく。ヨーロッパと日本では、支配的なものの存在が根本的に違うということか。個人的には日本におけるアニミズム、八百万の神々、そんな感覚はすんなりと入ってくる。
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さて、現代。将来行ってみたいヴェネチア・ビエンナーレに思いを馳せてみる。国際美術展と国際建築展が毎年交互に実施されている。2024年は国際美術展。テーマは「Foreigners Everywhere(どこにでもいる外国人)」。国別参加部門の金獅子賞はオーストラリア館で、先住民族にルーツを持つアーティストが家系図の作品を展示。参加アーティスト部門の金獅子賞は、ニュージーランドのマオリのアーティスト集団が受賞。金獅子賞というのは、日本人もテレビでよく目にするヴェネチア国際映画祭の金獅子賞と同様、最高賞のようだ(獅子はヴェネチアの守護神、的な)。
この時の日本館のアーティストは毛利悠子さん。時期も少し被って、日本で毛利さんの展覧会がアーティゾン美術館で開催されていた。ヴェネチアは遠いけど、京橋は近いので行ってみた。見渡す限り、レトロなテクノロジーと手仕事の融合?これらの作品群をどう受け止めたらよいのだろう。あーでもないこーでもないと観察したり、毛利さんのトークイベントに参加したり。結果的に4回アーティゾン美術館に足を運んだ。
毛利さんは、モノを使って何かしらの形をつくるのではなく、モノを通して形のない自然の「現象」を取り扱っていると言っている。小さな揺らぎ、例えば果物が徐々に腐っていくことと、社会変革のような大きなうねりは、同等に絶え間ない世界の動きであり世界そのものである、とも言っている。なんと繊細で鋭敏な観察眼なんだろう。
それ以上に、鑑賞者への気付かせ方が、知れば知るほど脱帽。展覧会のタイトル「ピュシスについて」のピュシスとは、「自然の本性」と訳されたりするらしい。見逃してしまうような世界の動き(揺らぎ)を災害大国ニッポンで、というか京橋で、アートという人工物を通じて気付かせてくれている。旬を過ぎた一昔前のテクノロジー・機器をあえて活用しているのに(いや、活用しているからこそ)、自然の気配が立ち現れてきた。確かに僕の前に立ち現れていた。雪舟の時代も、蔦重の時代も、日本はアジア大陸の東の端っこの言わばforeignで、グローバリゼーションが進んだ今に至っては日本に限らずどの国も多様なforeignの一つ。小さな揺らぎと多様なforeignは地続きな気がして、僕はなんとも誇らしい気持ちになった。
毛利さん本人に質問をする機会があり、キュレーターや担当学芸員とはどんな存在ですか?と聞いてみた。第一声は、アートは時間を超える、と言っていた。この展覧会の担当学芸員は自分よりも下の世代だが、それゆえに生まれる対話がある、と。続けて、デュシャンやマティスの作品と自分の作品との共鳴、つまり時代を超えた対話がある、と。世代を超えた対話と時代を超えた対話。アートは時間を越えるって、そういう手触りか。
僕は研究者ではないので、正しい歴史認識なんかはとてもじゃないができないけれど、今回のような探索はとっても楽しかった。これを学び直しと呼べるかは怪しいけれど。次はアメリカとか、アジアとか、アフリカなんかも覗いてみようかと。
画像制作:岩下 智