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All Things GenomeNo.1

デジタル(0/1)から、ゲノム(A/T/G/C)の世界へ

2018/04/06

新しい波に取り残されていいのか

2017年5月にニューヨークゲノムセンターで開催されたゲノム合成に関する国際コンソーシアム「GP-write」のキックオフ会議には、10カ国から約250人の参加者が集まり、「さまざまなゲノムを合成し、その合成ゲノムで生育する細胞を創出する」というグランドチャレンジについて議論されていた。

ヒトゲノム配列が解明された2003年から14年以上たち、所要時間1時間/100ドルで可能になったゲノム解析から、時代はゲノム編集・合成へとステージを上げていき、これらは既に医療だけでなく、食品、農業、エネルギー、化学原料などの産業分野(スマートセルインダストリー)にまで応用されつつある。

世界規模で日進月歩の革新が見られるが、デジタルの時がそうであったように、近い将来必ず生活に浸透するであろうゲノムの波に、日本が取り残されるようなことがあってもいいのだろうか。

連載第1回の今回は、「高度に機能がデザインされた細胞=スマートセル」とは何なのか、また世の中にどう注目されているのかについて、電通の社内外横断組織「Smartcell & Design」の知見やビジョンを交えながら説明したい。

私たちSmartcell&Designは、ゲノム編集などの技術を用いて高度に機能がデザインされたスマートセルを活用し、現在想定されている未来の課題や価値を再定義しながら、新しい社会・産業の創出に取り組んでいる。

メンバーは、冒頭に述べたGP-writeに参画している研究者や、最先端のゲノム編集を行うベンチャー企業、世界最大のテクノロジーアクセラレーターPlug and Play など、専門・非専門の幅広い企業・人員で構成され、国内外の人脈と異分野・異業種へと“超域”していく突破力を武器に、革新的なビジネスを目指している。

生物のポテンシャルをゲノムレベルで引き出す

人類は古来、悠久の自然を取り入れることを伝統としてきた。今世紀に入り、急速に進歩する自然科学は、生物の驚くべきポテンシャルをゲノムレベルで引き出し、日々の暮らしから現代アートに至るまでのあらゆる分野に新しい概念をもたらしつつある。

ゲノムは生物におけるオペレーティングシステムであり、今後は医療だけでなく、さまざまな産業分野に活用され、自然・科学・アート・情報産業との未来的なコラボレーションによって、市場規模も急速に拡大することが予想される。

こうしたスマートセルインダストリーは、2030年には200兆円といわれるバイオ経済のうち、80兆円市場になると予測されており(OECD調べ)、市場規模の拡大とともに社会に大きく浸透していくだろう。

ゲノム技術の革新

近年、ゲノム技術の進歩は目覚ましい。革命的なゲノム編集技術として知られる「CRISPR-Cas9※1」は、偶然に頼らず、狙い通りに標的遺伝子を改変できる。また、この技術を発展させて、ゲノム編集をUndo(元に戻す)したり、遺伝子を燃料化して遺伝をコントロールするような技術も登場しており、ゲノムデザインにおけるデバッギングテクノロジーの進歩はすさまじい。

一方で、真核生物のようなゲノムサイズが大きい対象では、ゲノム合成や長鎖DNA合成技術の革新はまだ進んでおらず、冒頭で述べたGP-writeのような国を超えた取り組みにおける研究開発が期待されている。実際、電通でも米国のツイストバイオサイエンス社とDNA合成の効率化やDNAストレージ事業の検討を行っており、この動きはバイオ関連企業のみにとどまらない。

※1 CRISPR-Cas9 … CRISPRはバクテリアが持つ獲得免疫機構であり、侵入してくるウイルスなどの外来DNAの配列をゲノム中に取り込んで記憶する。後に、同じウイルスが侵入すると、CRISPR間に収集した情報を基に、Cas-9と呼ばれる酵素が、ウイルス由来のDNAを切断・破壊する。このことを利用して、狙ったDNAだけを切り取ったり、新たなDNAを組み込むことが可能となる。

Read/Writeの産業化

DNAを読む、つまりDNAを解析することを目的とした種々のサービスは、DTC(Direct-to-Consumer=消費者へダイレクトに提供するサービス)に進出しており、既に一般生活者にも簡単に手が届くところにある。

一方、DNAを書く、つまりDNAを編集したり合成したりする技術を活用した産業も負けてはいない。例えば、菌を使って化学製品を生産するAmyris社やGinkgo Bioworks社などがあり、産業化を目指して活発な投資と開発が行われている。

また、米国にはIntrexonというバイオコングロマリットがあり、変色しないリンゴを開発・栽培・販売したり、伝染病を媒介する蚊を撲滅するジーンドライブ技術を開発したり、2倍の成長速度で3倍の身が付く遺伝子組み換えサーモンを製造・販売したりするなど、必要となる根幹技術と応用技術をいくつも傘下に収め、一気通貫での産業化にトライしている。

さらに、ゲノムはAI、IoT、ビッグデータなど最新の技術トレンドとも関係が深く、さまざまな境界を“超域”して、専門・非専門を問わず、一気に浸透することが予想されているのだ。

スマートセルの可能性

ゲノム編集・合成の世界では、Design⇒Build⇒Test⇒Learnという「DBTLサイクル」を回して、新しい機能を持った生物をデザインしている。例えば、高機能な代謝経路を持った微生物をデザインして、さまざまな物質生産を行うことができれば、長らく続く石油経済の問題さえ終焉させることができるかもしれない。

また、DNAの自己複製能力を用いれば、量子コンピューターよりも高速と言われ、実現化が待ち望まれる非決定性万能チューリングマシン(次の状態が一意に定まらない計算処理が可能なコンピューターのこと)の構築も可能かもしれず、想像の域をはるかに超えた工業製品が誕生する可能性もある。

感染耐性細胞や人体への影響を排した細胞といった、産業的に安全な細胞「Ultra-Safe Cell Line」 (超安全細胞株)などの検討も進められている。

なぜ、電通が?

ゲノム構築原理が明らかになってくれば人類社会に大きな利益をもたらす一方で、使い方を誤れば大きな損害につながる可能性もある。また、倫理的側面やバイオセキュリティーなどの整備も含め、社会がこれらの動きを受け入れる体制になっていなければ、たとえ技術的に可能になったとしても産業化は難しいだろう。

それゆえに私たちは、ゲノム構築を革新的なコストで実施できるような学術的・技術的側面を下支えする活動を推進するとともに、専門誌・論文などの一部の研究者に偏って浸透しているゲノムサイエンスを、一般の人にも理解できるような形でコミュニケーションデザインすることが重要であると認識している。

Smartcell&Designでは、これまでに電通が培ってきたコミュニケーションの視点と同様に、どの国の研究機関で合成するのか(=ともすると情報が集約されることになり、やろうとしていることが筒抜けになる)、納期や瑕疵担保はどうなるのか、安くつくれるのか、消費者の不安に応える表現や伝わりやすい言葉の定義・標準化はどのようなものなのか、といった視点をゲノム領域に持ち込み、社会に対してゲノムを“翻訳”するための活動を続けていく。

具体的な取り組みについては、第2回以降に紹介したい。