loading...

All Things GenomeNo.2

須田桃子氏対談:ゲノムで産業の波をつくるアメリカと、これから波に乗る日本

2018/04/20

三上美里氏(電通)、須田桃子氏(毎日新聞社)
左から、三上美里氏(電通)、須田桃子氏(毎日新聞社)

高度に機能がデザインされたゲノム「スマートセル」を活用したビジネスデザインに取り組む、社内外横断組織「Smartcell & Design」。ゲノム編集・合成を取り巻く社会状況や本プロジェクトの活動概要を紹介した連載第1回に次いで、第2回はゲノム編集・合成に注目し、国内外で取材を続けている毎日新聞科学環境部の記者・須田桃子氏にインタビュー。4月13日に発売された同氏の著書『合成生物学の衝撃』の内容とともに、産業化の最先端を行くアメリカの現状や日本のこれからについてSmartcell & Designメンバーの電通・三上美里が聞きました。

『合成生物学の衝撃』の書影
合成生物学の最新情報が網羅されている、須田桃子氏の著書『合成生物学の衝撃』。

解読ではなく“合成”であること

三上:DNAの解析ツールが普及し始め注目されている今、こうした“解読” や、特定箇所を指定して部分的に書き換える“ゲノム編集”も超え、一から構築して新しいゲノムをつくる最先端技術“ゲノム合成”に注目されている須田さんと、ゲノム合成のポテンシャルやこれからの可能性についてお話しします。

ゲノム合成、広義の合成生物学へ可能性を感じ、取材し始めたきっかけは何だったのでしょうか。

須田:生命科学の取材に長く携わってきたので、以前から生物学の未来に興味関心はありましたが、特に合成生物学に興味を抱いたのは、2016年3月にクレイグ・ベンターがミニマルセル(※1)作製の成功を発表したことがきっかけです。

それから国内での研究者への取材を通じて、ゲノムの解読とは、ゲノムをデジタル情報に変えることであり、“生命の設計図”ともいわれるゲノムの並びをコンピューター上で操作できるようにすること、さらに、ベンターの仕事はデジタル上で実際に書き換えた設計図を生きた細胞の中に入れて機能させることなのだということを理解し、強烈な興味と可能性を感じました。

その後、彼の来日講演でミニマルセルの話とは別に、彼が経営している医療応用の会社には、顧客のゲノムと身体的特徴・病歴をひも付けたビッグデータを元に、一人一人のゲノムからかかりやすい病気を推測するビジネスがあると紹介していたのです。

合成生物学研究のみならず、既にゲノム医療をビジネスとして展開していることにも驚き、彼のようなダイナミックな発想を持つ科学者を生み出したアメリカの合成生物学のコミュニティーというものを見てみたいと思い、留学と取材を兼ねて渡米しました。

須田桃子氏(毎日新聞社)

三上:実際に渡米して最初の印象はどうでしたか。

須田:渡米前からゲノム解読のビジネス化は見えていましたが、合成生物学の技術の産業化については、日本ではあまり見えてなかったんです。現地で「本当に始まっているよ」と会う人会う人が口をそろえて言い、留学中にアメリカ国内で出版された本でも強調されていたことから、初めて産業化が現実であると強く感じました。

※1ミニマルセル
16年3月にクレイグ・ベンター氏によりサイエンス誌に発表された、編集ではなく人工的に一からつくり出した最小のゲノムを持つマイコプラズマ細胞。

本場アメリカで見たゲノム産業化の波

三上:日本国内でも、世界におけるスマートセルインダストリーの市場規模が30年に80兆円まで成長するという情報は知られていますが、漠然としていることも事実。印象に残ったビジネスは何でしたか?

須田:二つあり、具体的なものからお話しするとAmyrisです。合成生物学の技術の産業化といえばまず名前が出てくる会社で、元来植物からしか抽出できなかったマラリア特効薬の原料を遺伝子改変した酵母の中でつくり出す技術に始まり、今その技術は医薬品の他に化粧品や香水の原料にも転用されています。

三上:日本でもバイオ美容液(バイオテクノロジーを使った材料が含まれた基礎化粧品)が発売されていますよね。

須田:そうした原料は同社のブラジルの工場で生産されていて、プロダクトのショーケースの中に日本企業の名前もあったことには驚きました。カリフォルニア州にある本社のラボでは酵母の遺伝子改変や大量生産に耐え得る酵母の株の選別までが全て自動化されていました。ボストンの合成生物学企業Ginkgo Bioworksにもよく似たラボがありましたね。

Amyrisのノベルティー
Amyrisのノベルティー。「REVITALIZER」とあるので、美容液といったところ。

須田:もう一つは、iGEM(※2)のGiant Jamboreeに参加した時のイベントのテーマの一つが“産業化の現状”だったこと。17年5月にニューヨークで開かれたゲノム合成計画(※3)のキックオフ会合でもスタートアップ企業はビジネスチャンスと捉えていて、メディアの私もある企業から個別に説明を受けました。日本からも何社か来ていましたが傍聴メインの印象が強かったですね。

ゲノム合成の技術は、DNAの長さが短いものは既にビジネス化している企業が多く、より長く、より正確な合成の実現にベクトルは向いているようです。

三上:研究開発は探求心で進んでいくイメージでしたが、実際はビジネスチャンスも加味して取り組んでいるとは意外ですね。

須田:ゲノム計画については、渡米前は「アカデミアの、アカデミアによる、アカデミアのためのプロジェクト」かと思っていましたが、実際に行ってみたら違ったという印象。例えば最初にヒトゲノム合成計画を発案には、CAD開発で知られるAutodeskが含まれていました。もしかすると、生命の設計図のCADソフトをつくろうとしているのかもしれませんね。また、市場を活性化させるための投資も盛んに行われています。ただ、一言で市場と言ってもバイオエネルギー、化粧品、医薬品、生物、環境など分野は多岐にわたり、とても多様ですけどね。

三上:フードもありますよね。

須田:はい。より低コスト、低エネルギーで、環境に負荷を与えない食べ物をつくるようなプロジェクトもあります。

三上:多様性があって可能性を感じるだけに、どの分野から参入するのが日本にとってふさわしいのかを考える必要がありそうです。

※2 iGEM
MIT主催で学生向けに毎年開催される、規格化された遺伝子パーツを設計・合成し、そのアイデアと技術力が評価される合成生物学のハッカソンのような大会。日本の東京工業大学のチームは金賞創設以来11年連続で受賞している。
正式名称はThe International Genetically Engineered Machine competition。

※3ゲノム合成計画
16年2月にサイエンス誌で構想が発表されたヒトゲノムを人工合成する計画。技術の改良に加えて合成生物学に対する社会の関心を喚起する目的も含めヒトゲノム合成計画(Human Genome Project-write)として構想されたが、議論の末17年にゲノム合成計画(Genome Project-write)に名称を変更してスタートした。

日本が産業化の波に乗るための「レスポンシブル・サイエンス」

三上:ヒトゲノムの話は、倫理的な問題が大きいですよね。先日須田さんが書かれた『合成生物学の衝撃』の中では、研究や技術の具体例も詳しくまとめられています。それは技術を理解すれば未知なものに対する恐怖心が緩和され、正しい判断ができるからでしょうか。

三上美里氏

須田:そうですね。科学技術の中身や現状についてある程度の情報共有ができていないと、身のある議論は始まらないと思っています。そのためにも、正しく分かりやすく伝えることを大切にしています。

それに関連して、アメリカでは「レスポンシブル・イノベーション」や、「レスポンシブル・サイエンス」という言葉を頻繁に耳にしました。

要するに、開発して市場に卸す段階での技術説明では遅く、開発する前のアイデア段階から倫理や規制といった課題について検討し、社会との対話や議論を始めることが大事だということです。アカデミアの科学者コミュニティー内では、遺伝子組み換え作物の導入がその点で失敗だったという意識があり、教訓になっているようです。

合成生物学的な技術は、正しく応用されれば社会が受ける恩恵も大きいですが、自然界に存在しない生物をつくり出すことから、常に倫理的な問題をはらみます。生態系に予想外の悪影響を及ぼしたり、戦争やテロに悪用されたりする可能性も指摘されています。たとえばヒトゲノム合成計画が最初に提案されたときは、「将来、軍部が親のいない兵士をつくり出すことを誰が止められるだろうか」という懸念の声が上がりました。

こうしたリスクに鑑み、受け入れないという判断を社会がする可能性も当然、あるでしょう。社会が恩恵を受けるためには、科学者も議論に積極的に参加し、技術の内容はもちろん、有用性とリスクを併せて開示し、社会との対話を深めていくことがこの先の日本では大切になるのかなと思います。

三上:なるほど、日本社会が正しく判断して、産業として根付かせるためには、技術レベルでの対話は欠かせないと。

私たちも今後一人一人がゲノム編集・合成技術を使えなくても、理解する必要があると考えていて、子ども向けのプロジェクトを立ち上げています。17年夏に「Touch the SmartCell!」というイベントを開催した時に、参加してくれた子どもたちは想像以上にゲノム技術の飲み込みが早く、特にDNAに情報を記録するDNAストレージの話をした時には「じゃあ自分の手にゲームを埋め込めるの?」と早速アイデアを話してくれたりと、技術の理解による将来の広がりを感じました。

広い可能性と近い未来を感じる合成生物学

須田:エネルギー分野では既にエクソンモービル社がクレイグ・ベンターの会社に投資をし、藻類でバイオ燃料をつくり出す研究開発に取り組んでいます。ベンターによれば技術的に問題はないが、現状、コスト面ではまだ石油燃料が有利であるとのこと。今後、コスト面のハードルがクリアできれば、石油燃料が枯渇したり揉め事の引き金になった時に、バイオ燃料が選ばれるかもしれません。

三上:ビジネスや産業化だけではなく、争いの種が一つなくなる可能性もありますよね。

須田桃子氏

須田:アメリカのテレビを見ていて印象的だったのは、バイオ燃料のテレビCMが頻繁に流れることでした。藻類の入った緑色の大きなチューブに光が差し込んで、その前で女性の科学者が、「いつか私はエネルギー・ファーマーと呼ばれるようになるだろう」と語るんです。つい内容を覚えてしまいました。

三上:面白い。近い未来、日本でもゲノム商品のコミュニケーション業務が一般的になるのかもしれないですね。

レスポンシブル・サイエンスの話にも関連しますが、もちろん全ての人が開示された技術に関心があるわけではないので、まさにこの事例のように多くの方々が興味を持てるよう、コミュニケーション領域でも電通として一翼を担えたらと考えています。既にゲノム解読技術を使ったコミュニケーション実績は電通にもありますし、この先編集・合成に展開していきたいです。

合成生物学の衝撃

三上:最後になりますが、著書『合成生物学の衝撃』の中で須田さんの一番の衝撃は何ですか。

須田:実は一番の衝撃はDARPA(※4)の投資額です。DARPAは合成生物学研究の黎明期からこの分野に着目し、主立った研究者や企業に投資していて、しかもその規模は年々、大きくなっています。アメリカは日本と異なり、軍部の予算によるアカデミアでの研究が当たり前にはなってはいるものの、一部の研究者もDARPAが一番の支援者だと認識しており、取材先のほとんどがDARPAの出資を受けていることに衝撃を受けました。

DARPAの合成生物学に関する研究開発プログラムの中に明らかに攻撃目的とみられるものはありませんが、ワクチン開発などの防衛目的の研究であっても攻撃目的に転用され得ると指摘する研究者もいます。そもそも、DARPAの本来の目的は民生利用ではなく、最先端の科学研究と軍事利用とのギャップを最短で埋めることです。

この本では、旧ソ連でかつて合成生物学的発想で生物兵器開発に携わっていた研究者などへのインタビューを通して、軍部の研究予算を使って合成生物学研究を進めることの危険性についても考えています。

三上:技術的な衝撃は今まで感じていましたが、確かに桁違いの投資額と先見性、そして軍事と教育研究機関が社会的にも密接な関係性にあること全てが衝撃です。

来る産業化の波に日本が乗り遅れないためには、社会に正当な判断を促せるような情報発信が欠かせません。そして私たちのようなゲノム領域に携わる者も正当な判断基準を設けて、目先の利益に踊らされずに判断していくことが大切ですね。今日はありがとうございました。

※4 DARPA
アメリカ国防高等研究計画局の略称であり、国家安全保障を目的とした軍事技術の研究開発機関。インターネット、音声認識、GPSなどDARPAが軍事目的としてプロトタイプ開発を行った後に、民間利用に発展したものが数多くある。正式名称はDefense Advanced Research Projects Agency。