「なぜ?」があるから、自由になれる
2025/02/05
前回(#03)は、酒井美紀の、なんてことのない暮らしの中にある「なぜ?」についてお話ししました。「なぜ?」という感情は、時に人をネガティブにします。なので、私の場合は、その先にある「なぜ?」を考えるようにしています。というわけで今回は、「なぜ?の先にあるなぜ?」そんなお話をさせてください。
私が歴史に、魅せられるわけ
「なぜ?の先にあるなぜ?」ということでいうと、私の場合、歴史の面白さに心引かれます。去年の夏も、エジプトへ行ってきました。目の前に広がる景色の圧倒的なスケールはもちろんなのですが、古代エジプト人の「死生観」に触れるのが好き。「死」と「生きる」が本当に表裏一体になっていて、その対極をみることによって生きていることを感じる……というあたりがとても深い。神羅万象の真理に挑む哲学者になったような、あるいは科学者になったような、頭と心を同時に揺さぶられるような気持ちになるんです。
エジプトの魅力はもうひとつあって、それは「気が遠くなるほどの歳月の積み重ねの上に、今があるんだ」という感覚に包まれること。教科書で習った歴史の世界から、突然、現代にワープしたわけではありませんよね?そこには数えきれないドラマがあって、それらが複雑に絡み合って「今」につながっている。未来のことを、あれこれ想像することも好きなのですが、「あれこれ調べていくうちに、この点とこの点が結びついたぞー」という発見や喜びは、やっぱり歴史ならではの醍醐味(だいごみ)ではないでしょうか?

エジプトにまつわる私のコレクションは、本だけではないんですよ。こーんな感じで、いろいろなグッズをあれこれ集めています。お気に入りは、エジプトの布でしょうか。その風合いもすてきだし、柔らかくさらっとした肌ざわりがもうサイコーです。エジプトコットン(綿)は、世界三大コットンのひとつなんですよ!

以前、ふわっと纏(まと)うブランケットが好き、というお話をさせていただきましたが、ブランケットに限らず、そもそも「布」というものが、どうやら私は好きみたいです。それも「なぜ?」ということになるわけですが、中島みゆきさんの「糸」の歌詞にあるように、タテとヨコの糸が織りなす世界観(素材感も含めて)が好き、みたいです。けなげに重なり合った細い糸に包まれていると、歌詞にあるやさしい気持ちが湧いてきて、とてもリラックスできるんです。
考古調査士の資格、取っちゃいましたー
コレクションつながりで、話が少し横道にそれましたが、2016年にテレビ番組でエジプトの発掘現場を訪れる機会があり、それ以来エジプト考古学者との縁ができ、発掘調査に参加させていただいてました。より専門的に考古学を学ぶために考古調査士のコースを受講し、去今年の夏は「2級考古調査士」という資格を携えて、エジプトへ行ってきました。考古学は遺跡から出土した物質資料やデータから過去を復元する学問です。写真は発掘現場での測量の様子なのですが、遺跡の発掘現場は二度と元に戻せないので、遺跡や出土遺物の状況をできるだけ正確に記録する必要があるんです。

現地で実物を見て、古代エジプトでは、どのような葬祭儀礼を行っていたのだろうかと想像を巡らせます。発掘は、はるか昔に、日本から遠く離れた場所で暮らしていた人たちと会話をしている、そんな気持ちです。もちろん、言葉は分かりませんし、知識だってまだまだ勉強不足なことだらけなのですが、心が通じ合えたような喜びで心がじんわりと満たされる。少しでも調査に貢献できることによって、古代エジプトの考古学的記録を残すことができたらいいなと思っています。
なるほどねー、という心地よさ。その先にあるもの
歴史と対話をするときに感じる喜びは、「なるほどねー」という感情にあるのでは?と私は思っています。「なるほど」というのは、理屈を理解して納得した、ということですよね。私が大事だな、と思うのは「なるほど+ねー」の感覚。理解、納得、の後についつい漏れてしまう「ため息」みたいな。
料理でも、芝居でも、アスリートのパフォーマンスでも、なんでもそうですが、心の底から感動するものを目の当たりにすると、ビックリさせられた後に、必ずため息が出ますよね。「うわあ、参ったなー」という気持ちというか。「人間の力ってすごいなー、自然の力ってすごいなー」という畏敬の気持ちというか。そして、その「ねー」の気持ちって、どういうわけか人に伝えたくなっちゃうんですよ。「ねー、すごいでしょー」「確かに、ねー」と言い合いたくなるというか。
その、「ねー」のため息には、いろいろな感情が含まれているように思います。「驚嘆」はもちろんなのですが、「共感」「あきらめ」なんかもそうですよね。中でも「あきらめ」の感情って、大事だと私は思うんです。いろいろ考えて、あれこれやってみて、で、「うわあ、こーれは、私なんか到底かなわないや」と、いったん無の気持ちになるという。それって、すごく大事な瞬間だと思うんです。縛られていた思い込みから解放されることで、心もアタマも軽くなる。すると、「よし、イチからやってみよう!」という前向きな気持ちになれる。たとえば、私はいま、女優という仕事とは別に、不二家という企業の社外取締役を務めているのですが、会議や工場で伺う話などは、本当に「なるほどねー」のオンパレードです。
不二家といえば、ケーキ、キャンディー、チョコレートといった「夢がつまったお菓子」をイメージされると思うのですが、たとえば「カカオ豆の現状、そして未来」などということに、ふだんの暮らしで思いをはせることはないですよね?でも、「カカオ豆の価格が急騰!」というニュースの向こうにはガーナやコートジボアールといった生産国の政治、経済、暮らしといったことから商品開発、流通、そして日本の子どもたちの笑顔、といったすべてのことが点と点でつながっている。そうしたことが分かってくると、「女優・酒井美紀」「生活者・酒井美紀」「不二家社外取締役・酒井美紀」といった私自身のいくつかの点も、なんだかつながっていくような気持ちになるんです。

「なぜ?」の連鎖で、私は自由になれる
いろいろな「点」をつなげてくれるのは、やっぱり「なぜ?」から始まる思考のジャーニーだと私は思っています。「なぜ?」を突き詰めていくと「なるほどねー」にたどり着く。「なるほどねー」の先には次の「なぜ?」が待っている。すると、自由な発想がどんどん広がっていく、という具合です。
発想が自由になると、「私には、いったい何ができるのだろう?」「ひょっとしたら私にも、何かができるかもしれない」という気持ちが自然と湧いてきます。もちろん、私一人の力で物事が解決するなんてことはないのですが、発想が自由になると、人って行動したくなっちゃうものじゃないですか。「なぜ?」は、そうしたモチベーションの源でもあるんです。
この連載コラム、話があちこちに飛んでしまうのですが、今回も「エジプトの本」から始まって、どういうわけか「ペコちゃん、ポコちゃん」に着地してしまいました。でも、そういうのって、楽しいですよね。思考のジャーニーは、「なぜ?」から始まる自由で気ままな旅。そんな私のコラムに、もう少しだけお付き合いください。
