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公開日: 2025/11/06

日本を失敗できない国にしない~民間企業による月面探査、不屈の挑戦~

袴田 武史

袴田 武史

株式会社ispace

後藤 光彦

後藤 光彦

株式会社 電通

日本の宇宙スタートアップ企業・ispaceによって、2018年9月に始動した民間月面探査プログラム「HAKUTO-R」。その「ミッション2」が2025年6月に終了しました。

本ミッションでは、月面着陸再挑戦に加え、同社で開発したマイクロローバー(小型月面探査車)を展開し、月面探査と月面レゴリス(月面の砂)の採取を目指したものの、惜しくも着陸成功に至りませんでした。

電通は同プログラムの前身である「HAKUTO」を推進していた2015年から、共に事業開発やマーケティングを開始。加えて、ispaceと企業パートナーを結び付けるパートナーシッププログラムを開発し、サポートしてきました。

日本で民間企業による宇宙事業拡大のマイルストーンとなった「HAKUTO-R」プログラム。世界各国で巨大企業が宇宙開発に意欲を見せる中、国内の状況やこのプログラムにかけた想い、各企業と宇宙事業の橋渡しを担う電通がこの挑戦に見いだした意義とは?

ispace 代表取締役CEO & Founderの袴田武史氏、電通第6マーケティング局の部長・後藤光彦氏が約10年にわたる取り組みを振り返ります。

写真左より、電通・後藤光彦氏、ispace CEO・袴田武史氏

「小さな約束を守る」。袴田氏の誠実さに民間宇宙ビジネス実現を確信し、サポートを開始

――まずはお2人の自己紹介をお願いします。

袴田:ispaceの代表取締役CEOを務めており、「宇宙資源を活用した持続可能な世界」の創造を目指しています。2010年から民間月面探査レース「Google Lunar XPRIZE(グーグル・ルナ・エックスプライズ)」に参加し、日本のチーム「HAKUTO」を率いてきました。

その後、同年の9月にホワイトレーベルスペース・ジャパン(ispaceの前身)を立ち上げ、2013年にispaceを設立。2018年からは民間月面探査プロブラム「HAKUTO-R」を主導しながら、月面輸送を主とした民間宇宙ビジネスを推進しています。

後藤:電通のマーケティング部門に所属し、主にコンテンツホルダーから作品や企画をお預かりして、クライアント企業のニーズに合わせたマーケティング設計、提案、実行の支援をしています。コンテンツと企業、双方が成功するための仕組みを作り、クライアントの課題解決に貢献することを目指しています。

――お2人の出会いについて教えてください。

袴田:「Google Lunar XPRIZE」では、何人ものボランティアに協力してもらいながらチーム「HAKUTO」として出場しました。その中に電通の社員さんがいて、後藤さんを紹介いただいたことがきっかけです。それから14年たちますね。

後藤:当時、袴田さんは「Google Lunar XPRIZE」参加に向けた資金調達に奔走されていましたね。そこでボランティアをしていた電通のメンバーから、「HAKUTO」を一種の「コンテンツ」として捉えて、協賛企画を作れないかと相談を受けたんです。正直、月面着陸というテーマはあまりにスケールが大きいですし、スタートアップということもあってハードルは高いなという印象で……。内心、どうやってお断りしようかと考えたのを覚えています。

――そこからタッグを組むに至ったきっかけは何だったのでしょうか?

後藤:2015年4月に電通が主幹事となって開催したイベントのチラシをお渡ししたところ、袴田さんが社員の皆さんを連れて来場してくださったことが転機になりました。

経験上、こうしたイベントにお誘いして「行きます」と言っていただいても、皆さんお忙しいため、実際の来場はなかなか難しいケースが多い。その中で袴田さんの“小さな約束を守る”という誠実さと人柄に触れ、「この方なら本当に月面着陸を成し遂げるかもしれない」と感じました。このときに、私自身も一つの事業としてispaceの挑戦に本気で向き合う覚悟を決めたんです。

スターウォーズのような世界を実現するために。「HAKUTO」「HAKUTO-R」プログラム10年間の歩み

――ここからは10年間の道のりについて振り返っていただきたいと思います。あらためて、袴田さんが「民間企業」による月面探査を始めようと思ったきっかけを教えてください。

袴田:もともと“民間で宇宙開発事業を進める世界を作りたい”という想いが根幹にありました。日本の宇宙開発は、国が主体で進められています。「Google Lunar XPRIZE」がスタートした2010年ごろは特にそうでした。ですがそのころアメリカでは、国から民間の事業へと移行する流れが起こり始めていたのです。

国が宇宙開発を行う場合、予算の制約が決まっているため、どうしても金銭面でのリミットが生まれてしまいます。そこに民間が参画し、持続的な経済成長を作ることができれば、永続的な宇宙開発が可能になります。逆に経済的な合理性がなければ、スターウォーズのような複数の宇宙船が飛び回る世界の実現は難しいんですよね。そのため今後は、民間が先頭に立って宇宙開発を行う時代が来るのではないかと思っていました。

実際に私自身が動き出したのは、国際レースとしてスタートした「Google Lunar XPRIZE」に参加しようと、一歩踏み出したところからです。

――「HAKUTO-R」プログラムによる挑戦内容と、それが日本の宇宙開発事業にもたらした影響をどう感じているかお聞かせください。

袴田:「HAKUTO-R」は2022年にミッション1として日本初の民間主導のランダー(月着陸船)を打ち上げ、月面着陸を目指しました。続く2025年に実施したミッション2では、月面着陸とともに、搭載したマイクロローバーでの月面探査を目指しました。

まずはミッション1で月面着陸すれすれの地点までたどり着くことができました。これにより「スタートアップが本当に宇宙産業を実現できるのか?」という皆さんの疑問を払拭できたと感じています。「もう少しのところにまでたどり着いているんだ」と、周囲からの見方が変わったんです。

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続くミッション2では、10個に区切られたマイルストーンの内、ミッション1と同様に「Success 8」までは完了したものの、「Success 9」の月面着陸には至りませんでした。この事実はとても重いと受け止めています。ミッション1・2とも、月面着陸という大きな目標に向けてご支援をいただいていたので、やはり着陸する瞬間を皆さんにお見せしたかったという想いは強く残っています。

ミッション2のマイルストーン(画像提供:ispace)

後藤:「ミッション2」では、月面からの高度192メートルのところで通信が途絶えました。袴田さんからすると「あと192メートルだった」という思いがあるのでしょうが、たった2回の挑戦でその地点まで行けたことが快挙だったと思います。

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そもそもispaceという、日米欧に拠点を持った宇宙産業のスタートアップを作られたこと自体が国内の宇宙領域における大きな成果です。ispaceは毎回、事業継続計画を明確に開示されています。それが実現可能性と納得度の高いものであり、かつ、月への挑戦を決して諦めない袴田さんの姿勢や言葉からは執念とも言える熱意を感じます。その強い想いが、すべてのステークホルダーに伝播していったからこそ、さまざまな壁を皆が一体となって超えることができたのではないでしょうか。

袴田:着陸には至らなかったものの、皆さんの支援によって多くの方の想いを乗せたミッションをやり切れたこと自体はとてもありがたいです。宇宙開発という新たなチャレンジは、1回や2回ですぐに成功するものではなく、何回も失敗を重ねたうえで成功例が作られると私たちは考えています。

他の民間企業が月面着陸に成功してから参入するのではなく、その前に果敢にチャレンジすることこそが、貢献につながりますし、失敗は次に成功するための必要なプロセスだという認識です。その意味で、宇宙開発において同じミッションに2度チャレンジし、継続性をもたせられたことは画期的でした。

――後藤さんは、パートナー企業との橋渡し役としてサポートを担ってきた立場から、この挑戦の意義をどう感じていますか?

後藤:電通としては、「宇宙開発を協賛で応援する」という全く新しい仕組みを実現できたことに意義深さを感じています。これまで協賛といえばスポーツやエンタメ、大型イベントが中心であり、宇宙という未知の領域に企業が協賛で関わる仕組みは、世界的に見てもほとんど前例がありませんでした。このプログラムを通じて、成長領域である宇宙産業に参入する機会を創出できたことは、非常に大きな意味があります。

協賛の仕組みをつくった発端は、「HAKUTO」の時に、月面着陸を成功させるための資金調達における絶対条件が、10社以上の大企業から“本気の応援”をしていただくことだと、私自身が考えたことからです。

当時スタートアップが月面着陸を目指すのは今以上に挑戦的な状況でしたし、サポータ―集めにも非常に高いハードルがあると予想していました。ところが実際に動き始めてみると、国内外の多くの企業に提案の機会をいただくことができ、さらに経営層の方々が真剣に耳を傾けてくださいました。中には積極的に質問してくださる方や、会議の予定時間を延長してくださった方もいました。

「HAKUTO」「HAKUTO-R」は、世界中のメディアに取り上げられ、社会に広く話題を提供しました。パートナーロゴが入ったマイクロローバーが米・スミソニアン博物館に展示されたり、学校の教科書に掲載されたりと、社会的な影響も非常に大きかったと思っています。最終的に、「HAKUTO-R」では21社からご支援をいただくことができました。

大手民間企業とispaceとのつながりから、日本の宇宙産業への道筋が見え始める

――電通が本プログラムへのサポートを継続して進めた理由はどこにあったのでしょうか?

後藤:理由は3つあります。1つは袴田さんが掲げている、2040年までに月面に1000人が定着して暮らせる街の建設を目指した「ムーンバレー構想」の実現です。これは宇宙関連企業だけは実現できず、技術活用などの面で非宇宙系の企業とのシナジーが重要だとお聞きしています。電通は多方面の企業とのネットワークを持っていますので、実現に向けたパートナーとして相性が良いのではと考えました。

オフィシャルパートナー、コーポレートパートナー、メディアパートナー、サポーティングカンパニーを含む、全ての「HAKUTO-R」参画パートナー一覧(画像提供:ispace)。それぞれが専門性を活かしてプロジェクトを支援した。

後藤:2つ目は、宇宙産業そのものへの期待です。宇宙に関わる技術は既に社会インフラとして不可欠であり、今後も成長が見込まれています。企業が宇宙に関わることは、社会の発展にも企業自身の成長にもつながると捉えています。

3つ目は、日本の宇宙産業が抱える構造的な課題への対応です。現状日本には、イーロン・マスク氏やジェフ・ベゾス氏のような個人資産で宇宙開発を推進できる人物があまりいません。そのため、民間企業が連携しながら宇宙産業に参入していくことが、持続的な成長において必要不可欠だと考えています。これらの理由から、電通が関わることに非常に意味があると捉え、サポートを継続してきました。

袴田:御社に協力いただいたことで、われわれができることの幅はとても広がりました。特に「HAKUTO」の時代はわずか数名のスタートアップでしたので、電通のリソースにアクセスすることで、協賛企業への営業面はもちろん、イベント実施の際も規模の拡大が可能になりました。

クリエイティブ面においても同様です。私たち自身、「HAKUTO」や「HAKUTO-R」を多くの人に応援してもらうためには、どのように世の中に発信していけばよいかを常に考えていました。そのため、発信媒体などにおけるデザインなどの見た目も大切だと思い、自分たちなりに工夫していたのです。その点で電通の皆さんの力を借りられたことにより、「クライアントに伝わりやすい見せ方」という、私たちにはできなかったところをスムーズに実現できましたし、より多くの方に届けることができたと実感しています。

挑戦は終わらない。民間企業が目指す次の宇宙開発事業とは?

――最後に、お2人の今後の取り組みや展望についてお聞かせください。

袴田:ispaceのミッションは7まで計画されており、現在は、ミッション3・4のための開発に取り掛かっています。

ミッション3は2027年にアメリカから、ミッション4は2028年(※)に日本から月着陸船を打ち上げる予定です。ただ月に行くだけでなく、通信衛星を月の周回に投入するよう計画し、着陸時にはセンサーに加えカメラを使って地形情報を確認しながら着陸するような新たな技術開発も進めています。ミッション2では高度を測るセンサーが予定通り機能しなかったという課題があったため、そのセンサーだけに頼らず、より技術的に信頼性の高い月着陸船を目指しています。

※当該打上げ時期については2025年時点の予定であり、今後変更する可能性があります。なお、ispaceが補助対象事業として採択されたSBIR(Small Business Innovation Research)制度の公募テーマ「月面ランダーの開発・運用実証」の事業実施期間が原則として2027年度とされており、SBIR制度に基づく補助金の対象となるミッション4は、当初2027年中の打上げとして経済産業省及びSBIR事務局と合意しておりましたが、2025年10月時点ではispace社内の開発計画上、2028年内の打上げとなることを見込んでおります。本変更については今後、関係省庁及びSBIR事務局と調整中の段階であり、最終的には経済産業省により正式に計画変更が認可されることとなります。

ミッション1からミッション7までの計画フロー図。※上記はあくまでイメージです。※上記は現在想定しているミッション及び打ち上げスケジュールであり、変更となる可能性があります。
(1)本件に関する詳細は、ispaceより2025/6/24に開示された報告会資料及び適時開示をご参照ください。
(2)当初2027年内として経済産業省及びSBIR事務局と合意しておりましたが、2025年10月時点ではispace社内の開発計画上、2028年内の打上げとなることを見込んでおります。本変更については、関係省庁及びSBIR事務局と調整中の段階であり、最終的には経済産業大臣の認可を受領の後、正式に計画変更が認可されることとなります。
(3)2025年11月現在の想定。今後変更の可能性がある仮称。画像のランダーデザインは今後変更の可能性があります。

袴田:宇宙事業は国から民間主体に大きく移行しつつあります。繰り返しにはなりますが、そうした流れの中で、「継続的な挑戦」こそが事業としての成長につながると考えています。

私たちが挑戦している月への輸送については既に実現している技術ですので、まずはしっかりと月面着陸を成功させ、各ミッションに継続的にチャレンジしていきます。そして、数十回、数百回と繰り返すことで、月面着陸が“当たり前”にできるものにしていきたいです。

後藤:既に私たちの日常生活は、宇宙空間の存在なしには成り立たない時代になりつつあります。宇宙産業はAIと並ぶ成長分野として注目されていますし、日本政府もこれを基幹産業と位置づけ、大規模な投資を進めています。

私自身、ミッション1の際にフロリダで行われた打ち上げを見に行きましたが、アメリカでは宇宙産業が一般の人たちにも浸透している様子を目の当たりにしました。反対に、日本に戻ったとき、宇宙の話をしても自分事と捉えていない人がまだまだ多いことも実感しました。これからも、ispaceチームとわれわれが現場で得た経験を生かし、宇宙産業を真の基幹産業へと成長させるムーブメントづくりに少しでも貢献していきたいですね。

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著者

袴田 武史

袴田 武史

株式会社ispace

1979年生まれ。ジョージア工科大学で修士号(航空宇宙工学)を取得。大学院時代は次世代航空宇宙システムの概念設計に携わる。外資系経営コンサルティングファーム勤務を経て2010年より史上初の民間月面探査レース「Google Lunar XPRIZE」に参加する日本チーム「HAKUTO」を率いた。同時に、運営母体の組織を株式会社ispaceに変更する。現在は史上初の民間月面探査プログラム「HAKUTO-R」を主導しながら月面輸送を主とした民間宇宙ビジネスを推進中。宇宙資源を利用可能にすることで、人類が宇宙に生活圏を築き、地球と月の間に持続可能なエコシステムの構築を目指し挑戦を続けている。

後藤 光彦

後藤 光彦

株式会社 電通

東京生まれ。幼少期、パリ、ソウル、マニラ、台北、ベオグラード等で過ごす。自動車メーカーの営業担当を経て、CDC、MCP局、ソリューション開発センターにて、映画、アニメ、ゲーム、イベントなどのコンテンツを活用したプランニングに従事。多様なIPを企業のソリューションとして活用しコンテンツとクライアントの価値の最大化を図る。カンヌ金賞ほか受賞歴多数。

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