月を生活圏に。民間企業ispaceが主導する、“全産業参加型”の月面開発プロジェクト
2019/11/14
2040年、月には1000人が定住し、年間1万人が訪れる―。
そんな未来を現実にしようとしているのが、世界有数の宇宙ベンチャー企業、ispaceです。電通は、約5年前からispaceと共に事業開発やマーケティングを行うとともに、同社と企業パートナーを結び付ける橋渡し役としてサポートを続けてきました。
ispace CEO 袴田武史氏、電通 ソリューション開発センター コンテンツソリューション部長 後藤光彦氏の対談を通じ、もはや遠い話ではない月面探査事業の今をひもときます。
<目次>
▼月面の水資源を活用し「宇宙産業」を創出する
▼非・宇宙企業にこそ、プロジェクト参画の意義がある!
▼「月への物資輸送サービス」をはじめとする、宇宙産業の三本柱
月面の水資源を活用し「宇宙産業」を創出する
後藤:本日は宇宙産業の創出というテーマで袴田さんに伺います。現在、宇宙産業を取り巻く状況はどのようなものなのでしょうか?
袴田:宇宙と聞くと、皆さん遠い世界の話だと思いますよね。しかし、そもそもわれわれの生活は、GPS、気象衛星、通信衛星など、宇宙のインフラによって支えられています。今後はインターネットをはじめ人類の宇宙への依存はますます深まり、「宇宙のインフラ」をいかに効率的に構築するかが重要なテーマになるでしょう。
宇宙探査については、1969年にアポロ11号が月面に着陸してから50年、人類は目覚ましい偉業を達成できずにいました。しかし近年になって技術開発が急加速しており、その中で今改めて「月」が注目されているんです。ispaceでは2040年を目標に、月面に資源採掘エリアを築く「ムーンバレー構想」の実現に向けて動いています。
後藤:人間が宇宙に生活圏を築く、というビジョンですね。ロードマップを簡単に教えてください。
袴田:2020年代に月面に輸送インフラをつくり、高頻度低コストの輸送サービスを展開していきます。そして2030年代には月面で資源開発を行い、2040年代に月で生活する未来をつくるという計画です。
後藤:月の資源として、特に期待されているのが「水」だそうですね。
袴田:月に水が存在すると聞き、驚く方もいるかもしれません。アポロ11号の時代に、月には水の痕跡がないということでほぼ結論づけられましたから。しかしこの10年で再調査が始まり、2018年にはNASAも月に水があることを確認しています。月の砂に氷が混ざっているとされ、その量は数十億トンに及ぶといわれています。
水は人間の生活にも不可欠ですが、それ以上に「水素と酸素に分けて燃料にできる」という点が重要です。月の水を燃料として活用すれば、月をいわば「中継基地」として、宇宙探査やインフラ構築がさらに発展する。月は、宇宙開発における貿易港のような役割を果たすと考えています。
後藤:地球からわざわざ水を持っていくと、輸送コストがかさみますからね。
袴田:そうなんです。水に限らず、地球から静止軌道まで資源を運ぶには、莫大なコストがかかります。しかし、月から直接資源を調達すれば輸送コストは100分の1に抑えられる。経済合理性は圧倒的です。
後藤:今の技術を考えると、「南極よりも月に行く方が楽ではないか」という説もありますよね。南極に行くには自然現象の影響を大きく受けますが、ロケットで宇宙に出られれば、探査機を阻むものはなく、月までスムーズに移動できますから。南極への年間旅行者は約2万人。そう考えると、2040年には年間1万人が月を訪れるというのも絵空事ではありません。
袴田:月を中継基地としての惑星探査、さらに月面観光も当たり前になっていくと考えています。
後藤:宇宙産業市場はここへ来て大きく成長しており、2016年はグローバルの市場規模が30兆円、2040年代には少なくとも100兆円規模になると推測されています。投資も活発化しており、2017年には、ispaceが宇宙ベンチャーとしては世界最高額となる103.5億円の資金調達を行いました。INCJ、日本政策投資銀行など政府金融機関だけでなく、電通を含む非・宇宙事業会社からも巨額の投資を受けていますね。
袴田:背景にあるのは、宇宙開発の、国家機関から民間企業へのシフトです。例えばNASAは月の周回軌道上に新たな拠点をつくる「ゲートウェー構想」を主導していますが、これも実は民営化を前提としています。コストを下げるために民間企業の参入を促し、競争環境をつくるべきと判断したのでしょう。
後藤:民間へのシフトは、世界的な潮流といえます。イーロン・マスクのSpaceX、ジェフ・ベゾスのBlue Originと、世界を代表する実業家たちも、莫大な資金をもって宇宙ベンチャーを立ち上げていますよね。民間による宇宙開発事業は、まさに広大なブルーオーシャンだと感じています。
袴田:NASAやJAXAなどが国家として宇宙開発に関わっているだけでは、事業としては成り立ちません。宇宙ビジネスを持続可能な「産業」として確立し、永続的に成長させるには、民間企業の参入が不可欠なんです。
非・宇宙企業にこそ、プロジェクト参画の意義がある!
後藤:2040年の「ムーンバレー構想」に先駆け、ispaceでは現在二つのミッションに取り組んでいらっしゃいますね。
袴田:はい、2023年まで2回の月面探査を行うプログラム「HAKUTO-R」を実施しています。2021年に月面着陸、2023年にローバー(探査車)による月面探査を行う予定です。
このプログラムを前提に、月着陸船「Lunar Lander」、月面探査車「Lunar Rover」の技術開発も進めています。コンセプトは、小型軽量化による低コスト・高頻度の輸送システム。ランダー(月面着陸船)は30キロの荷物を年に数回月面に運ぶことができ、ローバー(月面探査車)は世界最軽量の4キロを達成する見込みです。打ち上げロケットは、イーロン・マスクのSpaceXが開発した「Falcon 9」と契約済みです。
後藤:「HAKUTO-R」は、すでに多くのコーポレートパートナーの協賛を得ています。JAL、三井住友海上、日本特殊陶業、シチズン時計、スズキ、住友商事がコーポレートパートナー、TBS、朝日新聞、小学館がメディアパートナーとなっています。
袴田:後藤さんをはじめ、電通の皆さんに橋渡し役を担っていただいていますね。パートナー企業には、出資にとどまらず、自社事業を宇宙ビジネスに結び付けるべく、文字通り協業パートナーとしてプロジェクトに参画していただいているんです。
後藤:スポンサーとして「HAKUTO-R」を“応援”するだけでなく、各事業会社の強みを生かし、自ら月面開発に、つまり宇宙産業に“参画”できるスキームを構築しているのが特徴的です。
袴田:そうなんです。例えばJALには、成田空港の整備工場にランダーの組み立て施設をつくっていただきました。燃料パイプの溶接、エンジンに亀裂がないかチェックする非破壊検査などの技術においても、サポートしていただいています。
後藤:JALの整備工場の方は、「まさか自分たちが宇宙開発に関われるとは思わなかった」と話していました。何十年も旅客機のエンジン整備をしてきた方々の技術が宇宙に生かされるわけですから、皆さんうれしそうでした。
袴田:また、日本特殊陶業には電解質に液体を一切使わない全固体電池の実証実験で協力していただきます。昼は110度、夜はマイナス170度という月面の過酷な環境でも、電力を安定的に供給できるかという技術実証です。シチズン時計は、スーパーチタニウム技術をランダーやローバーに応用。スズキにはランダー脚部の構造設計において、小型軽量化と強度の両立のために必要な構造解析の技術で貢献いただいています。
協業は技術面にとどまりません。三井住友海上は、リスク管理での支援として「月保険」を新たに開発していただきます。今年100周年を迎える住友商事は、さまざまな観点から宇宙開発への貢献を我々と共に取り組んでいます。さらなるパートナー企業も募集中です。
後藤:「宇宙開発なんてウチには関係ない」と考える企業も多いのですが、そうではないんですよね。人間が移動し、生活する以上、「地球で必要なもの」は月でも必要になる。つまり、“月×全企業”がビジネスチャンスになり得るわけです。
もちろん電通も例外ではなく、約5年前からispaceと協力体制を築き、事業投資の他に電通が得意とするマーケティング、セールス支援を行っています。さらに地球から月への輸送ビジネスの販売代理店としても協力したいと考えています。
袴田:後藤さんと出会った5年前、ispaceは民間初の月面無人探査コンテスト「Google Lunar XPRIZE」に取り組んでいました。ローバーの開発費、人件費などの調達にとても苦労していたところをサポートしていただきましたね。
後藤:袴田さんは、当時から宇宙産業に“広告モデル”を取り込もうと考えていましたよね。しかも、宇宙系企業だけでなく非・宇宙系企業の支援を必要としていました。電通は国内外の企業とのアクセスに強みがあるので、ispaceとは非常に相性が良いと感じました。
袴田:それから5年で、実体のあるビジネスとしての手応えを感じられるところまで来ました。世界の宇宙ビジネス業界の中で、かなりispaceの名前も浸透してきたと思っています。
「月への物資輸送サービス」をはじめとする、宇宙産業の三本柱
後藤:ispaceの柱となる事業についてお聞かせください。
袴田:短期的には、3本の柱を考えています。一つは月面に荷物を運ぶ「輸送サービス」。地球から月面に探査機器などの物資を運ぶ、宅配便のようなシステムですね。
後藤:探査車が1台6トンとすると、非常に大きなビジネスが期待できそうです。
袴田:二つ目は、月面で得られるさまざまな「データ」の提供です。例えば建造物を構築する場合、月面の環境を事前に知っておく必要があります。そういった探査データの他、VRやゲームなどエンターテインメントの領域に活用できる映像データも取得、提供する予定です。
そして最後に挙げるのが、われわれが力を入れているスポンサーシップです。非・宇宙企業が最初に宇宙に関わるきっかけを、ispaceでつくっていきます。
後藤:一つ目の輸送サービスについては、すでに世界が動き始めていますよね。
袴田:はい。ispaceも、NASAが計画する商業月面輸送サービス「CLPS」(Commercial Lunar Payload Service)に参加しています。アポロ11号計画にもソフトウエア開発で参加したドレイパー研究所のチームで、ispaceはランダー、ローバーの設計を行っています。CLPSはNASAが10年間で約3000億円をかける一大プロジェクトなんです。
後藤:「HAKUTO-R」と「CLPS」を並行して進めているんですね。
袴田:NASAとしては、できるだけ早期に月面着陸したいと考えています。というのも、トランプ大統領が2024年の月面有人探査をするという方針を示したんです。当初は2028年と発表されていたのに、4年も早まりましたので、「HAKUTO-R」における月着陸の計画も早めることになりました。急きょの前倒しになりましたが、ポジティブに受け止め、迅速に対応しようと考えています。
後藤:宇宙開発には、アメリカをはじめ、中国やインドといった強力なライバルもいますが、どのように見ておられますか?
袴田:確かに、ある意味では脅威なのですが、新しい宇宙産業をつくるには“競争”だけでなく“共創”も重要です。これから先、宇宙をめぐる国同士の争いをなくすには、なんらかの国際的な合意事項が必要となります。その枠組みをつくるに当たり、「日本の民間企業」が果たせる役割は大きいと思うんです。
そもそも宇宙の資源は、国連が定めた宇宙条約により、国家では所有できないことになっています。しかしアメリカの連邦法では、民間企業であれば宇宙の資源を所有・売買してよいと定められていて、国際的な議論もその方向で進み始めているんですよね。そういう意味でも、超大国同士が正面切ってやり合うよりも、日本の民間企業が主導権を握って話し合うことが解決に最も近いと思います。
後藤:宇宙開発は、民間企業にとって今や避けて通れないビジネスになりつつあります。成長領域として資金が投入され、技術開発も加速度的に進化しています。何より、社会的意義が重要性を増しています。資金、技術開発、社会的意義という三つを掛け合わせると、新しい巨大産業が生まれてくる。電通としても、さらに注力していきたいです。本日はありがとうございました!