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垣根を越えて生まれる自由奔放なクリエーティビティー

コシノジュンコ(デザイナー)

2014/10/24

世界的デザイナーの一人、コシノジュンコ氏はファッションの世界にとどまらず、文化交流や花火のデザインなど幅広いジャンルで活躍を続けている。次々と新しいことにチャレンジするバイタリティー溢れる活動の源泉とは何か、コシノ氏にとってデザインとは何かなどお話を伺った。


あらゆる境界線と壁を乗り越えて「今」がある

今年開催されたFIFAワールドカップの期間中、ブラジルのリオデジャネイロでは「JAPAN OMOTENASHI PAVILION」が設置され、日本料理や和の装い、祭りなどさまざまな日本文化を、現地の人々や世界から訪れた人たちに披露しました。私はそのパビリオンのプロデューサーとして実際にリオに足を運び、日本の「おもてなし」が、世界に誇る極上の文化であることを実感してきました。

JAPAN! CULTURE + HYPER CULTURE (2008年、ワシントンDCのケネディセンター)ではオープニングディナーをプロデュース、日本流おもてなしをプレゼンテーションした
JAPAN! CULTURE + HYPER CULTURE (2008年、ワシントンDCのケネディセンター)ではオープニングディナーをプロデュース、日本流おもてなしをプレゼンテーションした

同時に、日本の伝統的文化も、その時代に合った新しい楽しみ方や発信の仕方があっていいことも再認識しました。私は政府のクールジャパン推進会議のメンバーでもあるのですが、日本の良さをアピールするキーワードとして「美味(おい)しい日本」「面白い日本」を提言してきました。「美味しい」というのは、単に美しいだけでなく、日本という国の味わい深さとクオリティーを知ってほしいという意味です。また、「面白い」というのは、「おもて(面)が白い」と書きますね。つまり、何色にも塗り分けることができる自由な感性が日本には息づいている。そんなアピールの仕方もあるのではないかと思ったからです。私自身、デザイナーとして追求してきたのは、白地に新鮮な色を塗り続けることでした。あらゆる境界線を乗り越え、壁を取り払う試み、ある意味業界や国境の壁を乗り越える仕事を続けてきました。母の生家が呉服店を営んでいましたから、小さいころから着るものに囲まれた生活で、それは私にとっては一つの「壁」でした。その壁を乗り越え、いかに自分らしい美意識やセンスを磨いていくかが、自分の仕事そのものだと思ってきたのです。

生き方の原点になっている岸和田だんじり祭

枠にはまりたくない。肩書にもとらわれたくない。肩書に固執しないと、面白い発想もできるし、次から次に楽しいことができるようにもなります。私は、毎年4月に沖縄で開催される琉球海炎祭で、「HANABI ILLUSION」という花火師とのコラボレーションをしています。これは、オペラの楽曲に合わせて花火を打ち上げるイベントで、5年前、たまたまお会いした現地の花火大会の関係者の方に、「オペラで花火を上げたら面白いんじゃないかしら」と軽い気持ちで口にしたのがきっかけでした。最初は自分が花火の“デザイン”をするなんて思っていなかったのですが、「それじゃ、ぜひ」と言われたら、もう後には引けません(笑)。目に見えない音楽を花火という目に見えるものにする。ふと、黒い夜空はキャンバスだと思い付き、早速黒い画用紙を買い求めて、頭の中で流れるプッチーニのオペラ「蝶々夫人」のアリア「ある晴れた日に」の旋律に合わせながら、夜空を彩る花火のデザイン画を次々に描き始めました。今から思えば無鉄砲だと思い
ますが、双方が新しいことを求め、ものすごい緊張感があった。そうした中から新しいものは生まれてくるのです。

琳派をモチーフにした自筆の絵(右上)とともに
琳派をモチーフにした自筆の絵(右上)とともに

私自身のルーツであり基本は、生まれ育った大阪・岸和田市の「だんじり祭」にあります。だんじりを男たちが全速力で引き回し、時には家の軒先を壊してまで突き進む激しい祭りですが、私は高校2年生まで引き手として走っていました。3人姉妹で走っていたのは私だけでした。私からすれば、女性か男性かは関係ありません。年齢も職業も関係ない。いろんな属性を持った人たちが、「せーの」という掛け声とともに、パチッとスイッチが入る。いざとなったら心を一つにして何でもできるパワーが出る。そうした祭りの精神は、私の生き方の原点ともいえるものです。

常識にとらわれないためには常識を見極める目も必要

「デザインの基礎とは何か」と問われれば、私は「整理だ」と答えます。整理すると見えてくる、整理しながら見えてくる。足し算でも引き算でもない。足すのか引くのかという判断をする前に、まず整理。頭の中を整理してまっさらな状態にして、予断を持たずに対象と向き合う。そこから、新しい発想が生まれるのです。

クリエーティブの世界は全て同じではないでしょうか。新たな創造をしていくためには、先入観を切り捨てることで初めて自由な発想が持てる。事前に先行きを想像することが、新しい発見や気付きの足かせになってしまう。一生懸命に努力して、きちんと計画通りにコトを進めたとしても、それは計画以上のものにはなりません。計画そのものが「壁」になってしまうのです。もちろん、常識にとらわれない自由を手にするためには、常識を見極める経験と努力が必要なのは言うまでもありません。常識というのは、常に今。今を知らないと明日も見えてきません。また自由ほど難しいものはありません。基礎がきちんと固められていてこそ、遊び心が生まれ、常識にとらわれない自由な発想が生まれるのです。