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世界の広告賞入門
2015/03/04
広告賞はなぜ価値があるのか。なぜ無視できないのか。広告業界に働いていても、世界の広告賞について俯瞰(ふかん)的知識を得るのが案外難しいという声を耳にする。本特集では、現存する主だった国際広告賞を取り上げ、世界地図を描いてみる。無論完璧な地図にはならないが、概観をつかめれば土地勘を養い、当座の必要に役立てることはできるだろう。そんな思いで編集部とお届けする「世界の広告賞入門」(バージョン1.1)です。(文中敬称略)
広告賞を「ブランド」と考える
広告賞を「ブランド」と捉えると分かりやすい。ブランドを構成する主な要素を分類してみる。
①賞のビジョン
②誰がいつつくったか
③現在の運営責任者(社)
④審査委員長(審査チーム)
⑤グランプリ(金賞リスト)と選考理由
⑥応募料・総数 ⑦営利か非営利か
こうした要素がブランドとしての広告賞の価値を構成し決定する。その価値は固定したものでなく、私たちの住む現実世界の日々の変化によって上下する。新規広告賞の市場参入によって勢力地図がそのつど書き換えられるのもブランドと同じだ。
そもそもどんな広告賞であれ、応募してもらわなくては始まらない。応募を検討する広告会社、制作会社、広告主は予算に限りがある。どの広告賞にどの作品を応募し受賞を狙うか、戦略・戦術が要る。経験豊富な担当者が存在する会社はいいとしても、募集要項も価値自体も年々変化していく世界の広告賞を包括的に把握し、予算を効果的に運用し応募社(者)が望む受賞を果たし続けるのはそう簡単ではない。そうまでして広告賞に応募する必要、価値があるのかと疑問が湧く方もいるに違いない。
世界地図の真ん中に「カンヌ」を置く
世界の広告賞の地図を頭に入れるにはまず真ん中に「カンヌ」を置くとよい。賞の情報に明るくない読者でも「広告賞といえばカンヌ」と、どこかで耳にしたことがあるだろう。
カンヌはもともとカンヌで開催されていなかった。1946年に始まったカンヌ映画祭をヒントに、映画劇場用広告の祭典として54年に創設。第1回をベネチアで実施。翌年第2回はモンテカルロ。第3回がカンヌである。以降1年ごとにベネチア、カンヌで交互に開催。カンヌの地に定着したのは84年からだ。当初の目的は、①クリエーティブの職能ギルドが技術の向上を目指し顕彰する②業界の健全な発展に貢献する、の2点だった。
広告賞運営が営利事業として成り立つことを証明した先駆者が、87年に運営責任者に就任したロジャー・ハッチェルだ。広告とは縁のなかった経歴で、劇場に大小の道具を搬入する会社を経営していた。17年後の04年、彼が英・出版会議運営会社Emapにカンヌブランドを売却した金額は5200万㍀(仮に現在のレートで換算すると92億円)。既に世界的規模に発展していた広告賞がハッチェル家のファミリービジネスになっていたことに人々は驚いた。
その後12年にEmapは同じくロンドンベースのビジネス・コミュニケーション事業を多角経営する英Top Right Groupに買収される。同社はカンヌ・ライオンズを中心にアジア(スパイクスアジア<09年>)、中東(ドバイ・リンクス<07年>)、欧州(ユーロベスト<88年>)に拡大展開した広告賞ビジネスを引き継いだ。前後するが、カンヌは11年に正式名称を「カンヌ・ライオンズ・インターナショナル・フェスティバル・オブ・クリエィティビティ」に変更した。それまでの名称「インターナショナル・アドバタイジング・フェスティバル」からアドバタイジング(広告)を外したことが業界ではニュースになった(本稿ではすべて「カンヌ」と略称表記)。
カンヌの経営母体は水面下でこの10年間に変化してきた。売買可能であるのが、ブランドの本質だ。カンヌも例外ではない。利潤追求の視点でカンヌの変貌を眺めれば、98年以降の急激な多カテゴリー化、14年のライオンズ・ヘルスで始まった別料金のミニ・フェスティバル創設も納得がいく。応募本数の増加には限界があるから、一本の作品を複数カテゴリーに応募可能とし、受賞数をポイント化して各社を競わせ、総合点を顕彰する仕組みを導入した。カンヌのこうしたマネーメーキング・マシンの側面を批判する業界人は数多く存在する。
カンヌで重鎮として尊敬を集めているジョン・ヘガティ(広告会社BBH創業者)は、14年のフェスティバル開催期間中にオーストラリアmUmBRELLA誌インタビューでこう発言している。「カンヌ最大の問題は、現実の広告世界で起きている出来事をきちんと把握できていないことだ。焦点がボケ始めている」。識者の痛烈な批判をものみ込んで、カンヌは進化発展を続けている。14年は97カ国・地域から史上最多の3万7427本の応募があり、約1万2000人がフェスティバルに有料参加した。個人はもちろん個々の組織で制御不可能な姿が、南フランスの陽光の下で咆哮(ほうこう)する「怪物」に見える瞬間が筆者には時折ある。
けれども、ここまで一人勝ちし業界で国際公認となっている広告賞レースから自分だけ下りる決断は下しづらい。代案は簡単に見つからない。カンヌで受賞することが、業界でクリエーティビティーを証明し、ビジネスで勝利を手にする可能性を高める近道である事実は少しも変わっていない。カンヌは一方で、ビジネスを成功させるための不断の挑戦・努力を続けている。例えばグーグル、ビル&メリンダ・ゲイツ財団など注目企業、組織とのコラボレーションから、フェスティバルを味わい尽くす無料モバイルアプリのガイドブックまで、対価に見合うサービスの充実を果敢に進めている。「カンヌなど自分には関係ない」と無視し続けることがリスクになり得る存在にまでなってきた。
対極を占めるD&AD、ONE SHOW
カンヌが営利事業として未曽有の成功を収めている広告賞なら、そのカンヌに対抗できるのは非営利でクリエーティビティーを極限まで追求していると評判の高いロンドンのD&AD(62年創設:以下賞名に続くカッコ内年号は創設年)、ニューヨークのONE SHOW(73年)である。どちらもクリエーティブの職能ギルドが母体となっているため、両賞の価値がカンヌをしのぐと主張するクリエーティブ・パーソンも多い。転職しながらより高い地位・報酬を求める職能の世界では、自分の履歴書に記載してより有利になる広告賞こそ価値がある。
D&ADは最高賞であるブラックペンシルを授与しない年があるほど授賞を厳選する。1963年から2012年までの50年間に授与したブラックペンシル(および相当賞の総計)は112作品だ。カンヌが種目ごとに金銀銅のメダルを与えるオリンピック方式であるとすれば、世界記録更新を競っているのがD&AD、ONE SHOWである、と両賞はブランドイメージを管理してきた。D&ADの誇るバーの高さを知るには、例えば07年に授与した審査委員長賞を見るとよい。賞を贈った相手はWWW(ワールドワイドウェブ)を発明したティム・バーナーズ・リーだ。「WWWを発明し無料で使えるようにし、人々の生活、業界のクリエーティビティーを根本から変えた」と同年審査委員長トニー・デビッドソンは授賞理由を説明している。
両賞の主体は応募料、会費などで得た利益を次世代育成に使うNPOだ。トップクリエーティブの会員がボランティアでセミナー、ワークショップを実施し、若い優秀な才能を業界に引きつける貢献を続けている
D&ADは近年の授賞作からも、より公共性を重んじる方向に動いているように見える。13年に公共広告最高賞のホワイトペンシルを新設したのはその顕著な表れだ。クリエーティビティーを資本主義社会で利潤を追求するための高効率の道具と限定するのでなく、より良き社会を築くためのパワーにしていきたいという傾向に拍車を掛けている。公平を期すために記せば、カンヌも次世代育成、公共広告重視のプログラムを精力的に取り入れている。しかし、賞を運営する主体が営利か非営利か、境界線は厳然と存在している。広告賞はなんのために存在するのか。根源の問いに私たちはここでもう一度立ち返ることになる。
世界の広告を歴史的にけん引してきたのはロンドン、ニューヨークの2都市である。広告賞の勢力地図でも当然主導権を握っている。カンヌの経営母体は実はロンドンにある。カンヌ、D&AD、ONE SHOW以外に、ロンドン発のロンドン・インターナショナル・アワーズ(86年)、ニューヨーク発のADC(21年:非営利)、ニューヨーク・フェスティバル(57年)、クリオ(59年)、ANDY(64年:非営利)、クレスタ(93年)などが健在だ。それぞれの賞を運営する事務局は、自分たちの賞をどう差別化するか大小の創意工夫を重ねている。例えばクレスタは、①毎年世界10都市で100人規模のクリエーティブ・ディレクターが予備審査を実施②最終審査を固定メンバーで行い賞の基準を一定に保つ③自社ネットワークに有利な結果をもたらそうとする動きをけん制するためオンライン審査のみに変更、などの工夫を続け支持されている。
反対にIBAのようにかつて3大広告賞として有力だった広告賞が跡形もなく消え去ることもある。そうした状況はあらゆる業界で勃発しているブランド戦争となんら変わらない。
アジアの広告賞を比較する
日本もその一部であるアジアの広告賞に目を移そう。AFAAクリエーティブ分科会から独立したタイのアドフェスト(98年:パシフィック、中東を含む)、香港メディア誌が創設し09年カンヌが傘下に収めたシンガポールのスパイクスアジアが地域広告賞の二枚看板だ。アドフェストはNPOが運営し、収益を次世代育成に活用している。会場設営、審査進行補助に多数の教職員、学生がボランティアで協力している。一方スパイクスはカンヌネットワークをフル活用し、広告賞と並ぶ広告祭の2本柱であるセミナー、ワークショップを毎年強化してきた。
応募料がカンヌと比べ安価で評判もほぼ互角であるため、自社有力作品を両賞ともに応募する広告会社、制作会社が多い。一線のクリエーティブ・ディレクターを中心に構成する審査員の顔ぶれも、年ごとの入れ替えはあっても両賞でさほど変わらない。ということは、審査結果は大同小異、それほど変わらなくなる。
実はこれはアジアの広告賞だけの現象ではない。せいぜい10本ほどの超有力作品が世界のあらゆる広告賞のグランプリなど上位を総なめする傾向がこの数年で顕著になった。必然的に出てくる声は、「どの広告賞も結果は似たり寄ったりではないか」「広告賞の数がそもそも多すぎるのではないか」である。
ブランドがひしめき合う状態で、これまで市場になかった広告賞を投入するアントレプレナーもいる。アジアで両賞に挑戦しているのが韓国発のAdStars(08年)。釜山市、韓国政府が全面的にバックアップし、サムスン、LG、ヒュンダイなど韓国有力企業のサポートも手厚い。オンラインで365日いつでも応募でき、応募料無料。グランプリ2作品には各1万USドルの賞金を授与する。応募総数だけを見れば既に13年に1万2000作品を超え、アジアナンバーワンである(アジア以外も含む59カ国・地域から応募)。広告賞としてのブランド価値をどれだけ高められるか。先行するアドフェスト、スパイクスを脅かす存在になれるかどうかがAdStarsの課題だ。
地域から異論を唱えるThe CUP
カンヌと真っ向から競合するのでなく、その欠落を補完し共存するアイデアを実現している広告賞もある。The CUP(インターコンチネンタル・アドバタイジング・カップ)(07年)だ。そもそも広告はその土地その土地に根付き、人に影響を与え人を結ぶ活動である。「ローマ神話で言い伝えられる、土地に取り付く精霊Genius Loci(ゲニウス・ロキ)に愛されて広告は初めて価値を生む」。The CUPが提示したビジョンだ。
具体的には世界の4大地域国際広告賞(東欧・ゴールデンドラム〈97年〉、アジアパシフィック・アドフェスト〈98年:前掲〉、南米・FIAP〈00年〉、西欧・ADC*E〈90年〉)でショートリスト(入選)以上の作品のみに応募資格を限定する。
地域で価値あるクリエーティビティーを、国際視点で再審査し顕彰することにThe CUPの最大の特徴がある。フェスティバル開催地にイスタンブール(トルコ)、リュブリャナ(スロベニア)などを選び、地政学的にも他の広告賞と一線を画する試みが面白い。この賞の発案はカンヌの功罪を知り尽くしたもう一人の重鎮、マイケル・コンラッド。レオ・バーネット・ワールドワイドの副会長/元グローバル・チーフ・クリエーティブ・オフィサー。現在は06年創設のエグゼクティブMBA、ベルリン・スクール・オブ・クリエーティブ・リーダーシップ学長を務める。業界リーダーとして長年尊敬を集めてきた人物だ。
こうして世界の広告賞を見渡すと、多極の中心にカンヌ、ロンドン、ニューヨーク。アジアにはパタヤ(タイ)、シンガポール、釜山(韓国)が並び、東京発の国際広告賞がいまだに存在しないことが歴然とする。日本発信で気を吐く国際賞が文化庁メディア芸術祭(98年)だ。次項で触れるArs Electoronica(アルス・エレクトロニカ)など世界の19のデジタルアート・フェスティバルと連携する。受賞に占める広告の割合はグッと低く、アート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門を柱にしている。14年は71カ国・地域から3853点の作品応募があった。
イノベーション領域で君臨する賞はどれか
カンヌは次の進化発展を狙ってイノベーション領域に進出した。しかし、その世界には既に強力なライバルが存在する。例えば「テクノロジー、アート、社会」をビジョンに掲げるオーストリア・リンツのArs Electronica(前掲)だ。78年にフェスティバルを創設し、87年からアート、テクノロジーの融合作品を顕彰している。Ars入賞作品が広告業界のデジタルキャンペーン開発のヒントになっていると識者が指摘するほど先進性を誇る。
ウェブサイト顕彰から始まり、現在はモバイル領域までカバーするのがニューヨーク発The Webby Awards(96年)。ウィキペディア(04年)、ツイッター(10年)、ピンタレスト(13年)、キックスターター(14年)など社会現象にまでなった大型受賞作が並ぶ。デヴィッド・ボウイ(ミュージシャン)、アリアナ・ハフィントン(ハフィントン・ポスト紙プレジデント)など著名人審査員の名前も目を引く。
イノベーションを突き詰めていけば、そこにはノーベル賞(1901年)がそびえ立つ。2014年に赤﨑勇、天野浩、中村修二の日本人3教授が物理学賞を受賞した「青色LEDの発明」はイノベーション事例として私たち素人にも成果が分かりやすい。授賞理由は「世界を照らす新しい光であること」。どの賞を受賞することが発明者にとって最高の栄誉なのか、賞の価値自体が審査されてしまうことがイノベーション領域では起こり得る。その世界でカンヌは、13年にイノベーション部門を新設したばかりの新参者だ。
その他テキサス・オースチンで87年に音楽フェスティバルとして創設されたSXSW(サウス・バイ・サウス・ウエスト)が94年からインタラクティブ領域に本格進出。賞としてブランド価値を年々上げているのも注目に値する。
デジタルテクノロジーの進化が、各領域を分断してきた境界線を破壊し再編を加速している現実は広告賞の世界でも変わらない。進化を果たし、サバイバルできるのはどの賞か。賞味期限を迎え、舞台から消え去るのはどの賞か。
世界の広告賞をザッとひとわたり見渡して鳥瞰図的な仮想マップにしてみた。一人勝ちしているように見えるカンヌを中心に、それでもなぜ他の広告賞が滅びず存在しているのか、なぜ価値があるのか探ってきた。業界の発展、社会への貢献、なにより個人やチームの意欲や野心を刺激する存在として、国際広告賞に健全に機能し続けてもらいたい。そのためには現在の広告賞が持つ限界、欠陥からも目をそらさない方がいい。クリエーティビティーの地下水脈を保全し枯れさせないために、広告賞ができることは今も、これからもたくさんあるはずだ。そのために本稿が、少しでも読者のお役に立てればうれしい。広大な領域を扱う地図を一息にスケッチする無謀な試みだけに、筆者の誤解や思い込みもあるかもしれない。編集部にご指摘くだされば、バージョンアップの機会ができたときに活用させていただく。本稿の意見は全て筆者個人のものであり、電通の公式見解ではないことを付記しておく。
広告賞は販売に貢献できるか
「『広告賞を受賞しても何の意味もない。わが社は売り上げ重視だ』と主張する広告主を説得できてこそ広告賞は価値がある」。マイケル・コンラッド(前掲)、ドナルド・ガン(「ガン・レポート」創始者)はカンヌで92年から95年まで、世界186社の広告会社のデータ協力を得て、“Do Award-winning Commercials Sell?” (広告賞を受賞したテレビCMは販売に役立つのか)と題するセミナーを実施。広告賞受賞作品と商品・サービスの売り上げに有意の相関関係が存在することを証明した。以来データに基づく効果効率を評価の柱に置く広告賞の価値が上がってきたのは偶然ではない。代表選手にEffie(68年)、AME Awards(94年:ニューヨーク・フェスティバル・グループ)、AMES(11年:カンヌ・ライオンズ・グループ)などがある。いずれも広告主CMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)を審査員に多数起用している。
国際審査の光と影を映画で味わう
カンヌ審査の雰囲気、背景を知るには2013年製作の映画「ジャッジ!」(監督:永井聡)を見るとよい。脚本を書いた澤本嘉光は広告会社の現役エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターで、カンヌ審査員を2度務めた。架空の「サンタモニカ国際広告賞」審査の光と影を独特のユーモアで包み込んだ作品。そのリアリティーは各国の審査員経験者が抱腹絶倒した折り紙付きだ。広告のクリエーティブに輝く未来があることをイメージさせる視聴後の肯定感が心地いい。