セカイメガネNo.44
手渡されたビジョンを若者に返そう
2016/04/20
現代のインドでは、生活者はとても若いか、もしくは若者のように振る舞う。広告業界で働く私たちシニアは、どうやって彼らに広告メッセージを届ければいいだろう。オフィスでは若者の言語を解する同世代社員に「通訳」を頼り、目となり耳となってもらう。けれども、若者の世界に案内してくれる社員に対して、私たちは目も耳もどこか閉ざしている。彼らが年齢を重ね、経験を積み、若くなくなるまでずっと待つかのように。
私が子どもだったころ、大人たちは手間暇惜しまず知恵を授けてくれた。その知恵は今でも立派に役立っている。感謝の気持ちは忘れない。だが現代は、若者の才能を見守り育てていく習慣を失いかけているように見える。無私の善意は後回しにされる。
クリエーティブディレクターが今日のビジネスをリードしていると私は信じている。彼らが広告会社の看板であり、クライアントの良き相談相手になる。役割は広がり、要請は増える一方だ。その分、時間が不足し、若者たちとの師弟関係が犠牲になる。今はその状況を見て見ないふりをしている。けれども、あっという間に大きな問題になるだろう。広告業界にキャプテン、リーダー、コーチがいなくなることを意味するからだ。
危機はクリエーティブ部門で顕著だ。コピーライティング、アートディレクションの技術は日々進化している。もし、その技術について本を書くなら、1日おきに新版を出さなくては現実に追いつけない。けれども、「本」の中身を丸々一冊若者に教え込むのでなく、何章かに分けて教えることは可能だ。何が機能し、何が機能しないか、彼らに理解できるように教えられる。
数年前まで私たちの業界は、世界を股にかける卓越した教師を持っていた。魅力的な広告プロフェッショナルであり、人にインスピレーションを与える教師だ。同じくらい頭がいいか、もっと頭の切れるクリエーティブディレクターは今でも存在する。けれども、かつてのリーダーたちが成し遂げたほどの貢献をしているとは思えない。彼らは未来に通じる道を切り開いてきた。私たちはそれができていない。どうしてだろう? クリエーターはいる。教師が不在だ。
まだ遅くはない。私たちは受け取ったものを返すことができる。脳や眼球まで提供するには及ばない。
ビジョンを返せばいい。感動しやすい年齢だったころ手渡されたビジョンを。私たちは返せる以上のものを受け取るだろう。知識を分け与えれば、自分が全く知らなかったことを相手からも学ぶからだ。
(監修:電通 グローバル・ビジネス・センター)