【続】ろーかる・ぐるぐるNo.125
手段と目的では、この世をつかまえきれない
2018/02/08
寒い季節には白菜を自宅で漬けているのですが、今年はたまたま手に入れた高菜にもチャレンジ。じっくり時間をかけた古漬けにして細かく刻み、鷹の爪、豚肉と一緒にごま油で炒め、少量のしょうゆと魚醤で味をつけるだけでいやはや、いやはや市販品とはひと味違う香りが。簡単に申しますと「くさいはうまい」のであります。
実は「くさいはうまい」。発酵学者の小泉武夫さんがご著書に付けたタイトルなのですが、なかなか見事な「コンセプト」だと思いませんか?「美味しい食品」を開発しようとするとき、常識的に考えるなら、甘い、酸っぱい、しょっぱい、苦い、そして旨味。舌の味蕾から神経を通じて脳が認識すると言われる科学的な五つの要素(いわゆる「五味」)をベースにしがちです。でも、それだと当たり前の答えしか出て来ず、なかなか現状を打破できません。さて、そこに「くさいはうまい」というサーチライトを当ててみると、どうでしょう。くさや、納豆、ブルーチーズ、山羊、パクチー。単に舌の感じ方では説明しきれない「美味」の世界がふくらんでいきます。
閑話休題。
電通総研(所長:丸岡吉人氏)がこの1月から「よい社会づくりに貢献するために、コミュニケーションとマーケティングの領域で安全な議論の場を提供すること」を新しいミッションとして掲げ、スタートを切りました
客観的な正解がない現代社会の問題を解決するには、関係者が集まって状況を理解し、課題を共有した上で議論を尽くす必要があるものの、今はそのような場が不足していると考えました。
そこで、社内メンバーおよび外部の有識者計15名を電通総研フェローとして選任し、彼らによる自由闊達な意見交換の場を設定することで、社会が抱える諸問題の解決に貢献していくことを目指します。
このプレスリリースを一読しただけでは分からないかも知れませんが、実はかなり思い切ったチャレンジをしようとしています。
そもそも行政から独立した存在として、研究を通じて「政策」(Policy)を立案・提言する「シンクタンク」(頭脳集団)。所属する研究員にはPublish or Perish (発表せよ、さもなくば滅びよ)、質の高い論文を、一定の本数書くことを求めるのが一般的です。1987年に設立された電通総研も長年、基本的にはそういう考えに基づいて運営されてきました。しかし、こんどの「新・電通総研」は一切そのノルマを課さないのです。
丸岡所長はおっしゃいます。
「もし論文を書くことに追われて、論文を出すことが社会課題を解決する手段ではなく、目的になっているとしたら、意味がないですよね。いま取り組まなければならないのは、客観的な正解などない問題。であるならば必要なのはさまざまな価値観がぶつかりあう議論であり、その結果得られるタンジブル(手触りのある)な共有知。参加することで多様な視点を知りあう経験そのものではないでしょうか?そのための『安全な議論の場』を提供したいのです」
前回のコラムにも書きましたが、ぼくは『新広告心理』などの著作が有名な丸岡さんのことを、KPIが大好きで客観的、論理的、西洋的な「正しい思考」の専門家だと思ってきました。しかし、今回丸岡さんのお話を伺う限り、そこにあるのは「禅」にも通じる思想でした。
人生の根本問題は、主客を分かつものであってはならぬ。問いは知性的に起こされるのであるが、答えは体験的でなくてはならぬ。
『禅』鈴木大拙(ちくま文庫)より抜粋
目の前にある状況が複雑であればあるほど、目的と手段といった小さい断片に細かく分析し、客観的で正しい答えを出そうとしたのが従来のシンクタンク。
それとは違って「客観的な正解などない」ことを前提に、フェローそれぞれが持つ主観さえ否定しない、まったく新しい東洋的なシンクタンク。当面、電通総研としての見解をまとめることすらせず、意見の公表は個々の責任に任せるのだとか。
こんな思い切った取り組みが、今後どのような社会課題の解決につながるのか。密かに楽しみにしています。
どうぞ、召し上がれ!