【続】ろーかる・ぐるぐるNo.126
「ビジョン」なんて、ホントに役立ちますか?
2018/02/22
嗚呼、金沢に行きたい!
新幹線に乗っちゃえば、たったの2時間半。ズワイガニや幻のステーキなんてぜいたくを言わなくとも、ブリにガスエビ。加賀野菜や治部煮。おでんもうまいし、地酒は抜群。気分転換の洋食だって充実しているし、食いしん坊にはたまらん街です。たとえば香港だとご飯はおいしくても、食事と食事の間、そのインターバルにやることがなくて困っちゃうのですが、金沢ならその心配も無用。美術館や庭園巡りはもちろん、個人的には「九谷焼」が大きな楽しみです。
中でも代表的な技法のひとつである「青粒(あおちぶ)」。地色の上に配された小さな小さな青色の点で構成される美しい文様。作家さんによって粒の大きさや並び方はまちまちなのですが、熟練の技で見事渦状にコントロールされた作品なんかを見ちゃうと、ほれぼれします。
「古九谷」ならぬ「今九谷」という取り組みをなさっているプロデューサーの中村太一さんと、アーティストでサイエンティストの中村元風さんから「グレイズ」シリーズのお話を伺ったときも、正直なところ、あの「青粒」を現代風にアレンジしたシリーズだろう、くらいに思っていました。しかし何度か作品を拝見していくうちに、その解釈がかなり的外れであることに気が付きました。
最近の個展に並んでいたのは、こんな作品です。一見するとキャンバスに液状の顔料を飛散させて描いた現代画のようにもみえますが、この黒くフラットな背景も焼物。そこにみずみずしい釉薬が、水玉の球状をそのままに焼き付けられているのです。重力を拒否したような、時間が止まった世界。作品のそばには「Dont touch!」ならぬ「Please touch」の張り紙がありますが、それもこれが焼物だから。直に触って感じることができます。
展覧会の入口に飾られたこの作品は北陸の雪深い土地から何かが誕生する、その瞬間をとらえた彫刻にも見えます。加賀前田家唯一の御用窯という九谷焼の伝統を受け継ぎながら、同時に、見たことがないようなチャレンジをなさっているのです。
私は、ひとりの芸術家として、ひとりの科学者として、人類の永続を祈り続けてきました。人類は、自然に対して尊敬と畏怖の念を抱き、自然との共生を図るべきであります。(中略)
私の芸術は、自然と人類が創り出す両者の理想的な関係を形にしたものです。水、土、鉱物、金属など、約40 億年前、地球が生命を育んだ当時に存在した物質を主な材料とし、同様に存在した大気、熱、重力といった自然のエネルギーを大いに借りて制作します。(中略)
自然と人類が対等な関係を超越し、両者が分かち難く結びつく。これは、新たな生命体の誕生です。我が最愛の作品たちには、世界を変える力があると信じています。人類の永続のために。
中村元風さんの「人類と自然との共生」というビジョンは確固たるものです。その裏側には、全ての存在は同等であり、お互いが敬意を持って付き合うことによって初めて両者の可能性を最大限引き出すことができるという思想があります。
とはいえ、そのビジョンは容易に実現できるものではありません。さて、何がネックになっているのでしょう?中村元風さんはたぶん「現代人は自然との距離感が分からなくなっている」ことが課題だととらえ、「地球をつかまえる」ことで解決できると考えたのでしょう。つまり水や土、鉱物、金属といった物質を駆使して生き生きとした作品をつくることによって、自然に包まれた人間の手のひらで小さな自然を包み込もう。そんな関係性を提案しているように思えました。
そしてビジョンや課題に導かれた具体的な取り組みはクリアです。
たとえば先ほど名前を挙げた「グレイズ」というのは、日光を受けて輝く水滴の輝きを永遠化したいという思いで開発したオリジナルの釉薬のこと。口で言うのは簡単ですが、歴史上存在しない釉薬をつくりだすのは非常に困難で、時間もかかる作業だそうです。挫折することなくそれを成し遂げられたのも「ちょっと面白そうだから」という以上の、明確なビジョンがあったからでしょう。
「地球をつかまえる」というコンセプトは中村元風さんの言葉ではなく、ぼくが作品を眺めながら勝手に夢想したものですが、こうして「視点」を言語化することによって、一つ一つの作品が身近に感じられました。
絵画とも陶芸とも言いづらいこの手法の未来には何が待っているのでしょうか。例えば絵と違って水にぬれても大丈夫などころか、ひと味違う風合いすら生まれる陶器の特性を生かして、屋外に大きな作品を展示することもイメージなさっているようです。
伝統が、ビジョンによって新たな生命を吹き込まれ、今に生きています。
どうぞ、召し上がれ!