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D&AD Collaborative Award受賞「行くぜ、東北。」
JR東日本と電通が積み上げたブランドキャンペーン戦略

2020/09/28

世界で最も受賞が困難なデザイン・広告賞といわれるD&AD(※)において、クライアントとエージェンシーの長期の関係性を評価する「Collaborative Award」。

10年にわたり協業し、継続的に高いクリエイティビティーを発揮したことが評価され、JR東日本と電通がクリエイティブ・エージェンシー部門で受賞しました。

※=D&AD
英国に本部を置く非営利団体「D&AD(British Design & Art Direction)」が1962年に創設。「Collaborative Award」は、3年以上の長期にわたり協業したクライアントとエージェンシーを対象に、継続的な高いクリエイティビティーを発揮した優れたパートナーシップを表彰するもの。


アジアで初の受賞となった「行くぜ、東北。」キャンペーンは、どのように生まれ、実行されてきたのでしょうか。

キャンペーン開始当時、JR東日本の宣伝リーダーを務めていた壬生祐克氏と、電通クリエーティブディレクター/アートディレクターの八木義博氏が、長期にわたり関係性を築く秘訣やブランドキャンペーン成功のポイントを語り合いました。

JR東日本壬生氏、電通八木氏

震災直後の東北を元気にしたい。みんなの思いが合致し、走りだしたキャンペーン

八木:僕がJR東日本の仕事を担当したのは、2010年12月の東北新幹線新青森開業の「MY FIRST AOMORI」というキャンペーンからでしたが、壬生さんとご一緒するようになったのは、その1年後。「行くぜ、東北。」キャンペーンからでしたね。

壬生:はい。2011年に、私が本社営業部の宣伝グループのリーダーに着任してからです。「行くぜ、東北。」のキャンペーンコンセプトをつくっている段階は営業部の別のグループに在籍していましたが、横から様子を見ていたので、よく覚えています。

2011年は東日本大震災があった年です。当社は東日本エリアを管轄しており、東北地方の太平洋沿岸部を中心に当社の鉄道も甚大な被害を受けました。2010年12月に東北新幹線新青森が開業し、3月のダイヤ改正でE5系という新型の新幹線を投入。4月からは青森の観光キャンペーンを控え、まさに「これから東北を売り出すぞ」という時でしたので、震災によるダメージは非常に大きなものがありました。

そういった中で、新青森開業1周年というタイミングはターニングポイントになると考えていました。開業1周年をきっかけに、お客さまに東北に心を向けてもらい、まずは動いていただく。現地に訪れていただくことが何よりも震災復興の力になると、キャンペーンを練っていたと記憶しています。

八木:僕らの中では、「JR東日本がやったことのない表現」をここでしなければ、みんなに振り向いてもらえないと考えていました。それまでのJR東日本のポスターといえば、いわゆる観光地や特産品などのビジュアルが使われていました。でも、震災後の東北の景色はそういった状況でもありませんでした。そこで、モノクロの網点の新幹線をビジュアルに起用し、東北新幹線をイメージした3色を大胆に使ったデザインに。加えて「行くぜ、東北。」というメッセージ。挑戦的なビジュアルとコピーを開発してプレゼンテーションしたので、はじめは「ここまでやるのか」という反応もありました。

「行くぜ、東北。」ポスター

「行くぜ、東北。」ポスター2

壬生:私も正直、「結構突き抜けてるな」と思っていました。でも実際やってみると、「頑張ろうぜ」というメッセージだとどこか泥くささを感じてしまいそうだけど、「行くぜ、東北。」という掛け声がすごくすんなり入ってきて。これならお客さまにも共感してもらえると思ったことを、今でも覚えています。

八木:正直、ポスターというメディアで、お客さまにどれだけ反応してもらえるのか不安もありました。しかし、ポスターを見た東北の方が喜んでJR東日本にお手紙を送ってくださったり、大学の進学先を九州と青森・仙台で迷っていたという受験生から、「このポスターを見て弘前大学に決めました」と電通にメールが来たり。こんなにも世の中は、ポスターに反応してくれるのだなと勉強になりました。

壬生:今ほど活発ではなかったSNS上でも、「行くことが応援になるよね」というお客さまの声がありました。

私どもは鉄道という公共インフラを担っている会社なので、真面目でお堅いイメージがあると思います。突き抜け過ぎると、「何をやっているのか」と言われることもある。そのバランスを取ることは難しくはありますが、この時は東北に元気がなかった時期です。とにかく明るくしたいという思いで、会社が一つになっていました。だからこそ幹部も、このデザイン、このコピーでいこうという判断ができたのだと思います。結構思い切った決断ではありますが、今、何が大事なのかというと、自分の会社のイメージよりもこのキャンペーンで社会の目が東北に向くこと。そういう意味では、目的を見失わずにいいスタートが切れたと思います。

何度怒られても…。プレゼンテーションは、“挑戦状”だった

壬生:八木さんチームとは2014年までの3年間ご一緒しましたが、2年目が、一番苦労した記憶があります。初年度の「行くぜ、東北。」を受け、その後は何をするかという議論に侃々諤々しましたよね。JR東日本としてはどうやって今の東北をお客さまに伝えて、どう気持ちを向けてもらうかを第一に考えるし、電通はそれを広告上でどう表現するか追求する。同じ目的を持ってはいますが、それぞれの役割を全うするがゆえにぶつかり合うこともありました。

八木:そうですね。僕は壬生さん時代に一番怒られていたので、毎回緊張しながらプレゼンテーションをしていました(笑)。

2012年に入ると、震災直後とは見える景色も変わり始めました。「東北新幹線が運転再開した」「この路線が復旧した」など、東北をずっと見つめているJR東日本だからこそ伝えられる状況を表現したいと考えました。そこで2年目は、東北からの夏の絵はがきではありませんが、「今の東北はこんな景色ですよ」ということを伝えることをコンセプトに、4人のカメラマンを野に放つことにしました(笑)。

「行くぜ、東北。」ポスター3

「行くぜ、東北。」ポスター4

壬生:何千枚と上がってきた写真の中には、今までに定番としてよく見られるようなきれいな風景写真ばかりではなく、かなり変わった写真もたくさんありましたね。

八木:急に普通に戻ってしまっては、全然注目されないと思ったんです。「行くぜ、東北。」らしさをデザインにどう残していくのか、というので2年目はすごく苦労しました。

「行くぜ、東北。」は、実際に行くことが復興支援だというコンセプトなので、リアルに「旅する」ことに注目しました。名所に行くだけが旅ではありません。旅先で出合ういろんな発見をテーマに、ただ空や山が写っているだけの写真も提案しましたよね。「なんだこれは」と怒られたこともありましたけど…。

壬生:確かに、「なんだこれは」って言ったこともあるような気がします(笑)。びっくりするようなものもありましたが、われわれも知らない見え方を示してもらい、すごく新鮮でした。八木さんチームにはたくさんのオーダーをしましたが「何をやるのか」という目的を共有し、それぞれの役割を担っているので、意見がぶつかり合うのは当然のことです。

八木:いつ「担当を下ろしてください」って言おうかと考えるほど、本当はつらかったです。でも、「これはいいよ」「これはこういう理由でダメ」と、すごく建設的なぶつかり合いだったので、やりとりを重ねる中で自分を立て直すことができていた記憶があります。

つらい思いも多かった時代でしたが、壬生さんの言葉で思い出深いものがいくつもあります。その一つが「われわれの原点は列車ではないか」という言葉。その頃、列車のビジュアルは使っていなかったのですが、壬生さんの言葉をヒントに2012年の秋冬くらいから列車のカットも使い始めました。

壬生:震災の時に、われわれ自身も鉄道に勇気づけられたんですね。当時新幹線が運行を見合わせていて、49日後に運転再開となった時に人々が沿線で手を振ってくださり、「おかえり!」という言葉が自然発生的に届いてきて。鉄道が動き始めるということは、それ自体がパワーの源になるのだということを初めて知った出来事でした。

それもあって、観光で東北を応援しようと考えた「行くぜ、東北。」の中では、どこかに鉄道の要素があると、お客さまに伝わることも多いのではないかと思っていました。

八木:でも、列車を撮影するというのは、本当に大変で。時刻通りに運行する安全第一の鉄道なので、撮影も慎重にしないといけない。安全は、たくさんの人がそれぞれの役割を正確にこなすことの連続で成り立っているということは、とても勉強になりました。

印象的だったのが、雪が降る中、整備場で何げない列車の写真を撮った時です。壬生さんが傘も差さずに雪の中で現場の陣頭指揮を執ってくださって。僕が「ちょっと動かしてください」ってお願いすると、壬生さんが指示を出して、そこからまた指示が出て…といくつも指示が伝達されていった結果、車両がやっと動くんですね。僕がちょっと人を動かすだけでも、大変なことになる。それでも「それが私の仕事だから」ってやっていただいたのがすごく記憶に残っています。ちょっとかっこいいなと思っていました。

壬生:当時はそんな話、聞いたことがないよ(笑)。

八木:そんなこと、恥ずかしくて言えないですよ(笑)。

壬生:「赤鬼」という東北のローカル線をモチーフにしたポスターのあたりから、私のグループと八木さんのチームのリズムが合ってきたなっていう瞬間がありましたよね。

八木:実は「赤鬼」のポスターは、僕からの壬生さんへの挑戦状だったんです!

車両基地にロケハンにいった時に、整備士さんたちが車両のことを「赤鬼」って呼んでいて。会話を聞いていると「赤鬼はブレーキを踏んでから何秒後にブレーキが効き始める」「これは新しくて遊びが少ないから、このタイミングだ」みたいな話をしているんですよ。なんだかわが子の話をしているみたいな愛情だなって。こんなすてきなエピソードがある東北のローカル線は、もしかしたらコンテンツになるのではないかと。普段何げなく乗っているローカル線を主役に、かっこよくかわいく見せるという挑戦をしたんです。

赤鬼ポスター

壬生:鉄道写真って、鉄道雑誌でよく見るような王道のパターンがありますが、八木さんの視点はすごく斬新で。別物じゃないかと思うほどの印象を受けました。われわれもわくわくするような視点で、提案を頂いていましたね。

「Collaborative Award」受賞で改めて思う“アナログなコミュニケーション”の重要性

八木:「行くぜ、東北。」キャンペーンは10年続いていますが、担当者が変わると、「やめてしまおう!」となることが多い中で、これは奇跡のようなことだなと思っています。それが「Collaborative Award」を受賞したことを聞いた時は、本当に感動しました。

壬生:私は受賞のニュースを見て、素直に「八木ちゃんすごいね!」と思いました。非常に由緒ある賞だということもですが、クライアントとエージェンシーの関わり合いの部分を評価していただいての受賞ということは、とてもうれしいことだと思います。

広告はアートとは違い、クライアントの目指すべきことに、エージェンシーは応えていただくことが前提です。ビジネス上でいうと発注する人と発注される人という関係性になるので、ともすればクライアントにとって耳障りなことが言えない状況があるかもしれません。またはクライアント側の思いだけを押し付けてしまう可能性もある。われわれも意識してそうならないように気を配り、われわれの思いを共同作業で形にしてくれるチームとしてやりたいと思っていました。その思いの延長線上で賞がもらえたというのは、本当によかったなと。

八木:ありがとうございます。僕は、広告の仕事をしている以上、これ以上の賞はないと思っています。今回は“コラボレーション”に関する賞なので、クリエイティブをはじめ、営業もプロモーションもいて、もちろんクライアントもいる中での受賞です。

昨今はいろいろなテクノロジーが発達し、コミュニケーションのあり方が変化しています。しかし、デジタルの世の中でリモート環境を駆使して構築できる関係性ではなく、壬生さんたちときちんと対面して何度も何度もやりとりをしたというそのプロセスこそが、クライアントとエージェンシーの本質的な関係性を築くためには、大事だったなと感じています。それは僕たちの仕事の本質だからこそ、絶対になくしてはいけないものだと僕たちのチームは考えていました。

壬生:本当にその通りです。われわれと電通がこれだけ良好な関係性を築くことができたのは、オリエンテーションにしてもプレゼンテーションにしても、アナログにコミュニケーションを重ねていったからに他なりません。

関係性を構築するプロセスの中には、八木さんのデザインというアイデアが存在感を放つのですが、独特の世界観を持つクリエイターとわれわれクライアントの間に入って、お互いの思いを翻訳しながらキャッチボールを円滑に進めるために奔走する営業の方の力がとても大きく働いていたと感じています。最終的にはやっぱり人対人なんだなと改めて感じました。

八木:関係性を構築する秘訣としては…何を言われても粘り強く提案するというのもあるかもしれません(笑)。

壬生:本当にね。八木さんは変に卑屈にならないところがいいですよね。逆に回を増すごとにツボをつかんで思いが深まっているんですよね。発言の背景に深みがあったり厚みがあったりすると、それはちゃんと受け止めないといけないとじわじわ感じていました。

八木:クライアントは反対したいわけではないんですよね(笑)。ダメだと言っているのには、安全を害しているからだとか、消費者にとって誤解を招くからだとか、何かしらの明確な理由があるはずなんです。それを瞬時に理解することは難しいこともありますが、どうやったら壬生さんが「うん」と言うんだろうなと考えを巡らせる想像力が大切なのだと思っています。

普通は、ダメだといわれると、チームみんな諦めてしまうんです。ダメなのは分かっている。でもそれをアナログにコミュニケーションを重ねて、実現の方向性を探っていくんです。そうするとたまに褒められたり、一緒に飲んだりもできる関係になって、それがとっても幸せで。デジタルの関係だと、たぶんこれは続いていなかったのだろうなと思います。

壬生:そうですね。いろいろぶつかり合いながらも、「行くぜ、東北。」キャンペーンを通して10年間JR東日本のことを見てきていただいた八木さんは、当社の良き理解者です。ぜひその力をいろんな場面で発揮して、応援者になってもらえるとうれしいなと思います。

八木:ありがたいお話です!僕もやりたいことはいっぱいあります。鉄道の勉強をしたので、新たな広告の表現にチャレンジしていくことももちろんですが、広告とJR東日本の旅行などの商品やサービスを連携させるようなお手伝いをさせていただければと思っています。