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「人文知」を社会実装するNo.3

仏教×心理学から考える「パーパス」設定のヒント

2023/03/07

多様な価値観が広がる現代。企業も社会における自社の存在意義を明確に打ち出すことが重視されるようになっています。そんな中、本連載でも紹介したように、企業理念の形成や研修に「哲学対話」を取り入れる企業が出てくるなど「人文知からの学び」が注目を集めています。

そこで今回は、仏教×心理学の視点から、ビジネスのヒントをご紹介。電通コーポレートトランスフォーメーション部の中町直太氏が、島根県にある浄土真宗本願寺派高善寺の僧侶であり、臨床心理士・公認心理師の資格を持つカウンセラーとしても活動する武田正文氏に話を聞きました。

武田氏と中町氏

「三方よし」の源流となった浄土真宗の考え方

中町:私は仕事柄、企業のパーパスブランディングに携わることが多いです。以前、武田さんが仏教の考え方や心理学(の視点)から企業理念の意義について解説されており、とても興味を引かれました。

聞くところによると、ビジネスの現場でよく使われる近江商人の精神「三方よし」も、浄土真宗の考え方が源流だそうですね。まず、浄土真宗の教えと「三方よし」の共通点、浄土真宗と近江商人のかかわりについて、教えていただけますか?

武田:そもそも浄土真宗は、庶民に広がった仏教です。それまでの仏教は、自分の心と体を鍛えて悟りを開くという考え方がベースになっていました。それを覆したのが浄土真宗です。自分も他人も完璧ではないけれど、阿弥陀如来(あみだにょらい)がみんなを救ってくれる。つまり浄土真宗の教えは、自分も相手も世間も救われるという「三方よし」の精神そのものなのです。

近江は、浄土真宗が特に盛んな地域です。室町時代には、念仏によって庶民がエンパワーされ、「自分たちが活躍できる社会をつくろう。仏様に恥ずかしくないやり方で、みんなが幸せになれる仕組みを作ろう」という考えが広まっていきました。その結果、近江では商業活動も盛り上がっていったのです。

中町:近年、ビジネスにおいても、企業だけが利益を追求するのではなく、関係者や世の中全体で幸せになろうというステークホルダー資本主義にシフトしつつあります。そもそも、企業理念を掲げる意義について武田さんはどうお考えですか?

武田:企業理念は、その企業にとってのアイデンティティです。しかし、あえて言うなら、パーパスを捨てる勇気も必要だと思います。パーパスを設定した時点で、「これが正しくて、こちらは間違っている」という線引きが生まれますよね?また、そうやって境界線を引くことで「ここまでが仲間で、それ以外の人たちは仲間じゃない」という考えにもつながります。

社員の中には、パーパスからはみ出したことをしたい人もいるでしょうし、理念から離れることで発想の自由度も増します。境界線をあえて外す試みをして、また戻す。そんな遊び心があると、よりクリエイティブかつ柔軟な組織になるのではないでしょうか。

「他力本願」の本来の意味とは?自分を客観視する「メタ認知」の重要性

中町:企業理念がないと組織がまとまらないけれど、それに縛られすぎてもよくない、ということですね。浄土真宗では「他力」という大きな視点を持つことを重視していますが、パーパスは、そこともつながる考え方なのでしょうか。

武田:「他力」は、「阿弥陀如来の力」という意味です。よく「他力本願」は、「他人まかせ」「他の人が頑張ってくれてラッキー」という意味だと誤解されますが、そうではありません。自分の力ではなく、阿弥陀如来の力が働いて私もみんなも救われる。そういった概念なんです。

私たちは、一生懸命努力して自分の力で何かを成し遂げたと思いがちです。ですが、その成功の背景には、支えてくれた家族や周囲のスタッフがいます。業務に使うパソコンを作ってくれた人、通勤するための電車を走らせてくれた人もいます。実は大きな他力の上でちょこっと頑張っただけ。頑張らせてくれている環境の方がとてつもなく大きな力であると気付かせてくれるのが、本来の「他力本願」の意味ですね。

中町:なるほど、ベースとなるのは客観性なんですね。パーパスは絶対に必要ですが、そこに埋没しすぎるのもよくない。そのうえで、自分の力だけでなく、周囲との関係性を常に客観視することが大事だと感じました。客観性という点では、心理学でいう「メタ認知」とも関係がありそうです。

武田:「メタ認知」は、外から自分を観察することです。ですから、自分以外の誰かと対話して「相手からどう見えているのかな」と考えるのがメタ認知の始まりです。そしてこの枠組みを空間的、時間的に広げていくことが重要です。

中でも大切なのが、時間軸を長くもって、自分の立ち位置を見ることです。100年前の人から、今の自分はどう見えているのか。もしくは、100年後の人に自分の仕事はどうつながるのか、といったイメージですね。

例えば、美しい椅子があるとしましょう。その椅子は、鉄を発見した人、鉄を加工した人など、さまざまな人々が何代にもわたって仕事を続けてきたからこそ、今の美しいフォルムを作れるようになったわけです。技術を1ミリでも前に進めて次の代に渡せば、100年後にはもっと画期的な椅子が生まれるかもしれません。

そういった大きな時間軸での役割を考えると、自分の仕事に意味を見いだせるはず。お金で仕事の価値を測るのではなく、時間と空間を極限まで広げてメタ認知ができるようになると、今までとらわれていた価値観とはまったく違う視点が生まれるでしょう。

中町:こうした「メタ認知」、あるいは「他力」の考え方を日々の仕事に取り入れるには、どうすればいいのでしょうか。

武田:理想を言えば、今持っているものを一度捨てて考える、つまり出家するのが一番ですが、それは難しいですよね。その代わりにはやっているのが、マインドフルネスです。呼吸を整え、目を閉じて静かに座る。これだけのことですが、実践している人は意外と少ないかもしれません。

呼吸に意識を向け、心臓の動きや空気が肺に入って血液をめぐるさまを想像すると、自分の体を見つめ直し、動きを一度止めることにつながります。仏教には、正しい行動を促す「八正道(はっしょうどう)」という教えがありますが、この「正」の字を分解すると「一」と「止」になります。その「一瞬止まる」の最小単位が一呼吸。「あ、自分は今、息を吸って吐いたな」と客観視し、しっかり考えて言葉を使うことができれば、もう仏教的にはメタ認知ができていることになります。

中町:先ほど、自分以外の誰かとの対話で「相手からどう見えているのかな」と考えるのがメタ認知の始まり、というお話もありました。対話と瞑想(めいそう)、どちらも必要だということですか?

武田:個人の好みもあるので、どちらでもいいと思います。ただ、対話の場合は、話をする相手が重要です。自分を傷つけずに受け入れてくれる相手でないと、対話は成り立ちません。そういった時に、活用していただきたいのがカウンセリングです。心が整いますし、今まで見えなかった心のありようがわかれば、自分が進むべき方向、つまりパーパスも見つかります。カウンセリングルームやお寺は非日常であり、そこに入ることはちょっとした出家のようなもの。いつもと違う空間に身を置き、自分を問い直す時間を持つのは、とてもすてきなことだと思います。

中町:なるほど。ちょっとした出家の時間を持てるかどうかが、これからのビジネスパーソンにとって大事になりそうですね。

「八正道」に基づき、「正しく理解し、行動する」には

中町:ここまで、大きな視点を持つメタ認知や、そのための心の整え方についてお話ししてきました。ここからは、心を整えたあと、どのように行動すべきかに話を進めていきたいと思います。その指針となるのが、先ほど少しお話に挙がった「八正道」だと思います。あらためて、「八正道」について説明していただけますか?

武田:「八正道」は、お釈迦(しゃか)様が生き方を説いた次のような教えです。

八正道とは
①正見(しょうけん)=正しい理解
②正思惟(しょうしゆい)=正しい思考
③正語(しょうご)=正しい言葉
④正業(しょうごう)=正しい行為
⑤正命(しょうみょう)=正しい生活
⑥正精進(しょうしょうじん)=正しい努力
⑦正念(しょうねん)=正しい思念
⑧正定(しょうじょう)=正しい精神集中
「当たり前のことばかりだな」と思うかもしれませんが、生きていく中で「今の行い、正しかったかな?」と振り返ることはなかなかありませんよね。正しさに思いをはせるための良い指針になると思います。

中町:そもそも、仏教における「正しい」とは何でしょう?

武田:お釈迦様は、「中道」を説いています。これは極端に偏らず、ちょうどいいところを探す、という考え方です。ギターなどの弦楽器は、弦を張り詰めすぎると切れ、緩すぎるときれいな音が鳴りませんよね。ちょうどいい張り具合にすると、一番きれいな音が出ます。

それと同じように、自分たちが言葉を使ったり行動したりするときに、「ちょうどいいところはどこか」と探すことが大事です。難しいのは、真ん中をとればいいわけではないということ。ちょうどよさを判断するのは、自分自身です。「これくらいかな。いや、違うかな」とチューニングしていくことが、仏教でいう「正しさ」だと捉えています。

中町:今、企業は利益の追求と社会貢献の両方を、高いレベルで求められています。また、変革を起こすには、既存事業を大事にしつつ、新しいことにもチャレンジしなければなりません。つまり、日本企業は「中道」を求めているのではないかと思います。その答えを導き出すためのヒントはありますか?

武田:確かに、社会が変化しつつあると「中道」はどこかという概念も変わってきそうです。お釈迦様の場合は、一度極端な方向に振り切ったんですよね。子どもの頃は王子としてぜいたくな暮らしをしていましたが、出家してからは断食などの苦行をたくさん経験しました。そのうえで「中道」を探していったのです。ですから、今の日本企業も既存のスタイルへの執着を捨て、思い切って逆方向に大きく振れてみることも必要かもしれません。

中町:お釈迦様のプロセスを踏まえて、右から左までいろいろなことにトライしながら「中道」を見いだしていく、ということでしょうか。

武田:そうですね。仏教は理論ではなく実践するべきものです。同じように、企業もただ将来を予測するのではなく、実践を踏まえて意思決定することが大事だと思います。その時に重要なのが、心の感度を上げていくこと。「そっちの方向に行くとワクワクするな、居心地がいいな」というセンサーがとても大事だと思います。

Web3は仏教に通じる?

中町:もうひとつ、お聞きしたいテーマがあります。武田さんはメタバースに精通していますし、Web3にも興味をお持ちです。サイバー空間における人のつながり方と仏教との親和性を感じているそうですね。

武田:Web3の基盤となるブロックチェーンの説明をする際、よく網目状の概念図が使われますよね。仏教者には、あれが「諸法無我」の教えにしか見えないんです。「諸法無我」とは、我がないということ。すべてのものに実体はなく、「縁起・因縁」によって存在している、という教えです。

諸法無我イメージ

武田:今、中央集権型インターネットのWeb2が解体され、分散型のWeb3に移行するといわれています。特定の企業に権威を集中させるのではなく、より平等かつ自由につながる社会をつくろうという動きだと解釈できます。これは、仏教的な「三方よし」にもつながる考え方です。Web3は技術的な話ではありますが、なかば思想でもあると感じています。

新しい技術で何が実現できるかではなく、今後の世の中をどうしたいのか。そういった人類の価値観や哲学の深まりにより、組織の形態やパーパスの概念も変わってくると思います。Web3では、大きなパーパスがアメーバのようにうねうねとつながっていく。それによって、社会がじわじわといい方向に向かっていくのがこれからの時代ではないかと。

中町:網目状ということは、すべてのものはつながっているということですよね。一人一人が世界を構成する要素であり、それぞれの行動がつながっているある種フラットな世界観だと思います。仏教もそういった世界観だと捉えていいのでしょうか。

武田:おっしゃる通りです。阿弥陀如来の「阿弥陀」は、サンスクリット語で「いつでもどこでも」、つまり無限の空間、無限の時間を意味します。これはメタバースとも捉えることができますよね。時間と空間を超越した世界で、人類は何を準備しておくべきか。そう問い直す時の哲学のひとつとして、仏教は相性がいいでしょう。

中町:テクノロジーは、使う人によっていいものにもなれば偏ったものにもなります。どのような心の持ちようでWeb3時代を迎えればいいのでしょうか。そのヒントを教えてください。

武田:そこでも、やはり「三方よし」がカギになると思います。自分ひとりだけ得しよう、もうけようと考えない。とはいえ、浄土真宗には「悪は完全になくならない」という考えもあります。私は「誰しも悪いことをしてしまう可能性はある」という価値観を持つことも重要だと考えています。

今は責任追及型の社会になりすぎるあまり、悪いことをした人を総攻撃しますよね。その人に何か事情があったのかもしれない、もしかしたら自分もその立場になるかもしれない、という想像力が働きにくくなっていると感じます。

新しい社会を設計する時には、悪いことが起きるかもしれないと考える。そのうえで、何か起きても自制心を持って対応しようという価値観を、みんなで共有することが必要です。

中町:今のお話には、重要なポイントがふたつあるように感じました。ひとつは、自分もみんなも幸せになろうという「三方よし」の精神でWeb3に参画することが重要だということ。もうひとつは、そうは言ってもいろいろな考えを持つ人がいるので、トラブルが起きることも含めていかに寛容さを持つか。この2点がカギになりそうです。

武田:そのためにも、自分を省みるシンボルが必要だと思います。それがお寺であり、僧侶。例えば、私のような僧侶がメタバース空間をうろうろしていたら、そこで悪いことをしようとはなかなか思いませんよね。もし悪いことをしてしまったら一緒に反省し、落ち込んでいたら対話をする。そういった社会の中のゆとりを、われわれ僧侶が演出できたらいいなと思っています。

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