十人十色の思考のお伴No.13
──田中里沙さん、「他者の考えを受け入れる」コツを教えてください
2025/03/12
思考に耽(ふけ)りたいとき、アイデアをひねり出そうとするとき、ひとには、そのひとならではの「お伴」(=なくてはならないアイテム)が必要だ。名探偵シャーロック・ホームズの場合でいうなら、愛用の「パイプ」と「バイオリン」ということになるだろう。
この連載は、そうした「私だけの(=十人十色の)思考のお伴」をさまざまな方にご紹介いただくものだ。あのひとの“意外な素顔”を楽しみつつ、「思考することへの思考」を巡らせていただけたら、と願っている。
(ウェブ電通報 編集部)

「思いもよらないことを言ってくれる人」って、大事。
──「広告電通賞 SDGs特別賞」について、ウェブ電通報でお話を伺ったご縁で、今回、「思考のお伴」にもご登場をお願いしました。よろしくお願いいたします。
田中:よろしくお願いします。
──田中さんは、雑誌「宣伝会議」の編集長を20年超務められました。ビジネスパーソン、特にマーケティングや広報に携わる方の中には、田中さんのお名前をご存じの方も多いと思います。はじめに現在の主なお仕事について教えていただけますか?
田中:現在は2012年に文部科学大臣の認可を得て開学した学校法人先端教育機構において事業構想大学院大学の学長を務めています。教育体系や履修プログラムの進化を通して、院生のみなさんがそれぞれにチャレンジができるよう環境を整えたり、日本各地の産官学と連携して共同研究を組成するなど、大学の価値を高める活動を推進しています。

──院生はみなさん社会人ですか?
田中:そうです。すぐ起業をしたいと考えている人もいれば、企業の中で新しいプロジェクトに取り組みたいという人もいますし、起業のサポートをしたい人もいる。個人事業主、会社員、自治体職員、学校の先生、医師、会計士、広告会社や新聞社で活躍するマスコミ関係者など、顔ぶれは多彩です。
──いろいろな人がいらっしゃるのですね。
田中:「事業構想事例研究」という授業を担当していまして、さまざまな分野で活躍される方々をゲストに招いて講義をしてもらい、その後、院生とテーマを明確にしてディスカッションを行います。上場企業の社長、起業家、アーティストなどが、講演ではなく大学の講義として関わってくれます。
他にも、地域の商店街で奮闘している人や、社会課題の解決に向けてNPO法人を立ち上げた人などが、失敗から学んだこと、仲間や支援者と共に成長したことを具体的に語ってくれます。本気で臨む院生たちの質問は鋭くクリエイティブで、ゲストの先生方もこの時間が刺激的だと評価していただけるのがうれしいです。
──いろいろな経歴を持つ院生たちが、豊富な経験を持つイノベーターたちとディスカッションする。いろいろな化学反応が起きそうです。
田中:大学院は、新しい知性に出会える場でもあります。究極の幸せとは、考えの違う人、自分では思いもよらなかった発想をする人に出会い、話が聞けることだと思っていて、本学はそのような時空の中にあると感じています。
──今伺った講義のお話は、いろいろな人に会って「自分の引き出しを増やす」ことだとも思うのですが、マルチにご活躍される田中さんご自身も、相当引き出しが多い人だと感じます。
田中:どうでしょうか(笑)。私は編集者としての仕事が長かったのですが、仕事をする中で、優れたクリエイター、プロモーター、作家、営業パーソンなど、いろいろな人に出会うことができました。自分より優れた人は無限にいることを目の当たりにして、根性で頑張って成長しようとするよりも、いろいろな人から学んで、鮮やかな仕事ぶりを体感させてもらい、自分自身をバージョンアップすることが楽しいと思ったのです。
魅力的な人に触れて刺激を受けることで新しい自分になれる。そういった喜びを自分の中だけにとどめておくのはもったいないから、面白い人をメディアを通して世間に紹介したり、人と人とをつないだり、自分自身がメディアのような役割を担ってきたという思いがあります。いろいろな角度からものを見ることは本当に大事。自分だけで考えていると、同じ思考法で、同じような結論にもっていきがちになる。「そうくるか!」みたいな驚きに出会うことは貴重です。

他者の考えを受け入れるコツ
──とはいうものの、自分の考え方やものの見方を変えるのは結構、勇気がいると思います。「自分の考えを大切にしたい」という気持ちもある。一方で、仰る通りいろいろな人の意見を聞くのが大事というのもよくわかります。この「180度違う姿勢」をどうやって両立させればいいのでしょうか。
田中:たしかに難しいですよね。でも、180度違うとか、そんなふうに考える必要はないと思います。そもそも自分の意見にあまり固執しない方がラクですし、自分の中に余白ができるというか、楽しい。会議をしていると、自分と違う意見を述べた人に、「どうしてそんなふうに思うんですか」と問う人がいます。そう聞くのもアリですが、私はあまり、そういった質問はしないようにしていて。「なんでこの人、そんなふうに考えたんだろう」と、その背景や思考のプロセスに思いをはせて、想像力を働かせます。
──相手に聞かず、想像する?
田中:この発想はどこからきたのだろう、関心事やこだわりは何か、譲れないことはどんな点だろうとか。自分の思い込みや決めつけではなくて、その人の世界観をいろいろ想像してみる。すると、その人が自分と真逆のことを言っていても、自分で想像したものが、その人の発言にくっつくから、議論を通してその人のことがちょっと好きになったりします。
──なるほど。
田中:「なぜそう思うんですか?」 と聞いて、「こうだからですよ」と答えが返ってきたとして、その先、会話が深まっていくケースをあまり見たことがないので。答えを聞いて、「そうなんだ」と思うだけだったら、聞かなくてもいいかな。
人はみんな違うから、個性を大事に考えています。私はあまり人に何かを勧めたりしない方なんですが、たまに めちゃくちゃ押し付けてくる人がいるじゃないですか。食事のとき、「しょうゆはこのぐらい入れて、こうして食べるといい」とか、「まず、こうしてみて。だまされたと思ってやってみて」とか。そういう人って、すごく面白いですよね。
──(笑)。田中さんのように考えられるコツってあるのでしょうか。
田中:そうですねぇ。人は「柔軟に人の意見を聞こう」と言いながらも、なかなかそんなふうに実践できない。ですから、これまでの常識にとらわれていないか、自分の殻に閉じこもっていないかと意識をして確認をする必要はあるでしょうね。
人への好奇心が、何ものにも勝る
田中:私は三重県津市で生まれたのですが、子どものころから、「私はここで終わる人間じゃない!」とよく言っていたみたいで。周りからは、「変わっている」「いつも変なことを言っている」と思われていたそうです。私、そんな危険人物だったんだと、大人になってから知りました(笑)。
かつては地方に住んでいると情報が限られていて、本やメディアを通して知る東京や、ひいては世界に関心を持ち、もっと広い世界を見てみたいと考えていたと思います。とはいえ、今考えるとわざわざ人に言うことではないですよね。
──そのようなエピソードを聞くと、子どものころから、ご自身の考えを結構大事にされていたのかなと思います。
田中:そうですねぇ。「高校はここ、大学はこのような分野よ」「将来はこうした方がいい」と、家族や親戚などから期待を込めて歩む道について結構言われたんですが、私としては、「なぜ未来が決まっているのだろう」って、ちょっと不思議に思っていました。
──なるほど、田中さんの面白い幼少期エピソードが聞けました。ここまで田中さんのお話を聞いていて、仕事をする上でも生きていく上でも、「人への好奇心」みたいなものが大事なのかなと感じます。
田中:そうそう。私が唯一イヤなのは、「あの人はこういう人だ」と決めつけることです。人には得意なことや役割があると思うのですが、無理やり型にはめようとするのはあまり好きではないかな。
と同時に、編集者時代には、活躍する著名な方に「今回はこのようなテーマで原稿を書いていただきたい」とお願いし、最初はマネージャーさんに渋い顔をされるのですが、なぜ先生にこのテーマで考えを聞きたいのか、読者に伝えたいのかを話し、その結果「面白いからやるよ」と言ってもらった経験があります。
その後「自分の新しい得意分野が増えたよ」とコメントもいただきました。そこから、私自身も、仕事で依頼を受ける際に「なぜ私?」と思うことがあっても、自分の能力を他者の導きでひろげるきっかけかもしれないととらえて、チャレンジするようにしています。失敗したら共同責任ということで!
田中里沙さんの「思考のお伴」とは?
──さて、本題に入りますが、田中さんにとっての「思考のお伴」は何でしょうか?
田中:「クリアファイル」です。透明で、カラフルで、すごく好きなんですよ。
──クリアファイル? あの、文房具の?
田中:文具店が好きで、地方に出張した際も、時間があったら入ります。書店と文具店が一緒になっているお店はさらに好きです。クリアファイルは無色透明が一般的ですが、大きさや厚み、ポケットの数、色が異なるいろいろなクリアファイルを見ると、わくわくします。美術館や水族館の売店にもクリアファイルは必須のお土産アイテムとしてありますので、絶対買いますね。戦国武将からお花まで、選ぶものに統一感はありませんが。
──クリアファイルが思考のお伴とは……。どういうことなのでしょうか?
田中:仕事の資料や、自分の頭に浮かんだ考えを紙に書いて挟んでおいたりします。国の審議会や行政の会議資料は、かなりペーパーレス化が進みましたが、重要な資料は紙でもらう機会もまだあります。会議で印象に残ったことをその紙に書いておく。
ノートに思いついたことや気づいたことをパッと書くことも多いのですが、その場で聞いたことや他の先生が発言されたこと、瞬時に思ったことは時間勝負ですので、ノートやメモ帳に走り書きします。その中で、本当にこの考えは忘れたくないというものは、メモしたノートごとクリアファイルに挟んでおくこともあります。講義で話したり、雑誌などの記事で原稿を書く際にも、誰から聞いた話かを正確に伝える必要があると考えていますし、コンテンツホルダーの知財のようなものは確実に大切にしたいと思っています。
その日のうちにクリアファイルに挟んで部屋の棚にしまうと、今日もまた新しい考えに触れられた、と、ちょっとした自己満足感が生まれます。後日、それを取り出したとき、当時のことを思い出しながらまた触れられる。
私にとってクリアファイルは、資料を整理するためのものというより、日々出会った新しい考え方や気づき、自分の思ったことを積み重ねていくためのツールという意味合いが強いかもしれません。

──積み重ねていくための、ツール。
田中:だいたいはいつも気が散っていて、集中できる時間はすごく短い。いろいろなことを同時進行で動かすのが、自分のスタイルになっています。座談会などをしていても、あの方のお水がなくなるとか、お部屋が少し暑くなってきたとか、気になるんです。あれもこれもと考えていると、それこそ気が散って、散らかしっぱなしで終わるので、気づいたことや考えたことをクリアファイルに挟んでおくと、あとで見なかったとしても安心感があるんですよ。
──安心感、かぁ。
田中:仕事以外では、旅先でもらったパンフレットとか。あと、ハンカチとか。クリアファイルに挟んでおくと、とにかく安心なんです。
──ハンカチ!紙以外も挟むんですね?
田中:1年ほど前に、息子が朝の通学時に、体調不良で道に倒れ込んでしまったことがありました。私は自宅にいて、消防庁から電話がかかってきて驚いたんですが……。倒れた息子を通勤途中の見知らぬ方がまず介抱してくれて、お弁当に入れていた保冷剤をハンカチに包んで、打ちつけた息子の頭に当ててくださった。私はすぐに救急車に同乗をして病院に向かったので、その方のことは後で息子から聞いて、洗ったハンカチを返したい、お礼をしたいと思ったのですが、どなたか分からずじまいで。それで、クリアファイルにしまってあるんです。恩人への感謝と、もし困っている人を見かけたら私も力になろうという気持ちを忘れないために。
──なるほど、田中さんが大事にされていることが、クリアになってきたような気がします。そのように保存していると、家の中がクリアファイルであふれてしまいませんか?
田中:なるべく月の変わり目に整理しています。資料などは絶対なくさないようにしようと気合を入れて取っているわけではないので。あまり深く考えず、気になったものだけ残します。手元に残ったものは運命的なもので、「大事にしなさい」とお天道さまが言っているのかな、と。私、特にこだわりはないんですよ。食べものも飲みものも持っているものも。たまたま出会って好きになったものは、私にとって何か意味のあるもので、運命、セレンディピティみたいな。
──セレンディピティ。「偶然の出会いから予想外の価値を発見し、幸運をつかみ取る能力」ですね。
田中:仕事でも依頼されたものの中には、現場に行ってみると自分が想像したのとは全く違う世界で、「なぜ私がここにいるんだろう」と思うことがあります。もちろん仕事はきちんとしているつもりですが、内心では、妙な「出会い」を楽しんでいたりする。クリアファイルは私にとって、そうした「出会いの喜び」を挟んで記憶しておくものなのかもしれませんね。
