日本の中小企業を元気にする、経営者の「壁打ち相手」
2025/07/10

経営者の仕事は、組織運営の意思決定を行い、責任を負うこと。会社の業績や成長が大きく左右されるとあって、経営者による判断の質が問われます。
2025年2月に提供が始まった「電通エイトアイズ」は、電通の各領域の専門人材が、中堅・中小企業の経営者の壁打ち相手となって経営課題の気づきや視点を提示する、定額制の相談サービスです。
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課題に応じて電通の有する多様な知見やネットワークを活用できるため、経営者にとってはより効果的な意思決定を行うことができると好評です。
この電通エイトアイズのベースとなっているのは、第6マーケティング局の中村誠氏が、家業再生に挑戦していた大学時代の後輩に伴走し続けていた取り組みでした。当時のことを二人にふり返っていただきました。
<目次>
▼どん底からの挑戦。27歳で負債50億円の家業を継ぐ
▼新・磯部塗装の第二章。中村氏が果たした役割とは?
▼「拡大フェーズ」に向けた組織づくりの舞台裏
どん底からの挑戦。27歳で負債50億円の家業を継ぐ

──お二人の出会いについてお聞かせください。
中村:われわれは学生時代、同じ立命館大学でそれぞれベンチャー企業を立ち上げ、経営していたことをきっかけに知り合いました。2000年代の初頭、まだ学生起業なんて珍しい時代ですが、意気投合しましたね。事業について大いに議論し、大いに遊んだ同志であり、親友です。大学卒業後は、私は事業を売却して、電通に就職。磯部社長は大学時代に立ち上げたサイト制作やECコンサルの会社を中心にビジネスを展開されていました。
そんなある時、磯部社長の実家の家業がピンチを迎えたわけですが、本人から「跡を継ぐ」と聞いた時は驚きました。
磯部:50億円の負債を抱えた家業を継ぐため、大阪から東京に引っ越すことになり、中村さんを含め、何人かの友人で送別会を開いてくださいましたね。私が自己破産して大阪に帰ってくる可能性があったので、食うに困らないようにと皆がそれぞれ仕事を用意してくださっていました。それがうれしく、心強かったのをよく覚えています。
その後、私が磯部塗装の社長に就任してから、再生を経て成長し、拡大期に突入した現在に至るまで、中村さんにはずっと伴走していただいています。
中村:最初のうちは純粋に友人としてのアドバイスをしていましたが、2015年からは正式に電通に仕事をいただくようになり、今年で10年目となりました。これまで、会社の成長フェーズに合わせて一緒にさまざまな施策を打ってきましたね。
──50億円もの負債を抱えるに至ったのには、どのような経緯があったのでしょうか?
磯部:磯部塗装は明治40(1907)年に創業し、間もなく120年がたとうとしている老舗企業です。創業以降、東京タワーや皇居の二重橋、関門橋など、日本を代表する建築物の塗装工事も請け負ってきました。

そして塗装事業と並行して進めていたのが、塗料の販売事業です。私が社長に就任する直前、塗装事業の売り上げが60億円だったのに対し、塗料の販売事業の売り上げは100憶円にも上る事業になりつつありました。
ところが、磯部塗装が100周年を迎えた翌年の2009年、その塗料の販売事業に50億円の焦げ付きが生じて、会社が実質破綻に陥ったのです。社長だった叔父は責任を取って辞任。父も旧経営陣だったこともあり、当時27歳の私が、会社再建のために跡を継いで社長に就任することになりました。
中村:東京へ行き、実際にふたを開けてみると、会社は想像以上に大変なことになっていたのですよね。
磯部:はい。銀行取引が停止され、売上げは激減、材料の仕入れもストップして、協力業者も下請けの職人さんも「磯部塗装は危ないらしい」と仕事を引き受けてくれなくなりました。そして与信調査の点数が下がり、大手を中心にクライアントとの取引も停止し、未来を悲観した社員の離職も相次ぐ状況でした。
中村:磯部社長が東京に行ってからは、月に一度は連絡を取り合っていましたね。当時の磯部社長は、悩む暇さえないほど山積みされた課題に向き合っていたと思います。
磯部:危機のさなか、会社の状況が目まぐるしく変化していた当時は、とにかく打ち手のスピードが重要だったので、困ったらすぐに中村さんに連絡して、“壁打ち”に付き合っていただいていましたね。中村さんと話すと、自分の考えや次のアクション、方向性を客観的に整理できたのです。
──社長就任後、会社再生に向けて具体的にどのようなことをしていったのですか?
磯部:私が最初に着手したのは、朝から晩まで過去3年分の工事データをひたすらに読み込んで、組織の課題を洗い出していく作業でした。目に付いたのは、業界に残る古い体質の中で、優秀な若手社員の能力が生かされていなかったこと。会社に残ってくれた有望株の数人を中心に、組織図を再構築しました。そのメンバーの何人かは、現在の幹部になっています。
収益体質にも改善の余地がありました。お付き合いを重視した採算度外視での受注が多数あり、一見すると売り上げが上がっていながらも、支出も非常に多く、利益が出ていなかったのです。社内にはびこっていた過度な売り上げ至上主義から脱却するため、案件の詳細をチェックしてから決裁を通す受注管理システムに変更しました。
そうした変革を行いつつも、離職を踏みとどまってくれた社員たちと毎日のように食事をしては、業界のことや会社のことについてのインプットを繰り返していました。
中村:絶望的な状況からのスタートでしたが、磯部社長が繰り返し口にしていたのは「世界で一番良い会社にしたい」という言葉。厳しい決断を迫られ、悩んだり怖さを感じたりすることもあったと思いますが、その強い信念が再建を後押ししたのだと思います。
磯部:その後も幾度かの危機はありましたが、地道な変革の甲斐があり、会社は徐々に信用を取り戻して、2012年に大手取引先との取引が再開。2013年時点で売り上げが23億円と、過去実績から半減してはいましたが、営業利益がしっかりと残る正常な営業体制に改善しました。
2014年からはついに金融機関との取引も再開して、再生は完了。業績回復に伴って社内のモチベーションも上がり、磯部塗装は以前よりも“筋肉質”で、良い状態になっていったのです。
新・磯部塗装の第二章。中村氏が果たした役割とは?

──会社再生後、磯部塗装は順調に業績を伸ばしていますが、社内でどのような施策を打っていたのでしょうか。
磯部:再建のめどが立った2013年、私の中から湧き上がってきたのは「これで終わりじゃないぜ」という思いでした。まずは、20億円ほどだった当時の売り上げを2倍にまでもっていこうと決意。そのためには、社員の意識の足並みをそろえる必要があります。
この段階まで、中村さんには大学時代の友人としてさまざまなアドバイスをいただいていましたが、さらなる協力を求め、「電通の」中村さんに仕事を依頼することにしたのです。
中村:世間で塗装業界のイメージが良いものとはいえなかった中、業界の枠にも、過去にもとらわれない、磯部塗装の新しいイメージを打ち出したいと磯部社長はおっしゃっていましたね。私がその時に提案したのは、CI (コーポレートアイデンティティ)とVI(ビジュアルアイデンティティ)の刷新です。


磯部:「再生の完了」を社内外にアピールするためには、門構えから変える必要があると感じていたので、中村さんのご提案はありがたかったです。ロゴは、中村さんやデザイナーさんとディスカッションしながら5パターンほどつくっていただきましたね。最終的には社内投票をして、現在の2つのロゴに決定しました。そして、次に中村さんに依頼したのが、社員旅行先での研修の講師でした。
中村:「うちの社員に何か研修をしてくれないか」と突然言われて、焦りました(笑)。そこで、「再生が完了して成長のフェーズに入った会社の社員」に適切なテーマを考えた結果、「経営計画の自分ゴト化」を促す研修を実施することになりました。
会社の将来やビジョンは、頭で理解できても、それをどう目の前の仕事に落とし込めばよいかが分からなかったりするものです。研修では、「5年後に会社の目標が達成されたら、自分(社員)は、家族や取引先、同僚からどう思われていたいのか」を想像するようなワークショップをしました。
磯部:中村さんは、会社員生活で培った “現場主義”的な感覚をとても大切にされていて、「会社員としての責務」と、「個人としての幸せ」をリアルに結びつけて磯部塗装でのキャリアを考える研修にしてくださいました。そういうことは、社内の人間が言うとうまく伝わらなかったりするものなので、ありがたかったです。
中村:研修前、社員たちは磯部塗装のことを「磯部」と言っていたのですが、研修が終わった頃から「うちの、自分の会社」という言い方をすることが増えたのが印象的でした。これは当事者意識が芽生えた証しです。
磯部:社員の当事者意識こそが会社の利益の源泉なので、うれしいですね。さすがに社長である私に対しては、みんなあまりそういう言い方(=自分の会社)はしないと思いますが(笑)。
中村:次に磯部社長にご相談いただいたのが、人事制度改革です。社員研修を通して、私にも社員の顔が見えてきていたので、着手しやすかったです。
磯部:中村さんは、電通で数多くの企業を担当する中で、多様な人事施策や制度に触れてこられていますよね。その経験を生かして、さまざまな事例を用いて磯部塗装の人事思想について一緒に議論してくれました。
中村:私がさまざまな経営者と話をする中で知ったのは、戦略的に人材育成をする会社、属人的な人事を実施する会社など、良い・悪いではなく、さまざまなケースがあるということ。これらを提示しながら、磯部塗装にとってベストな人事思想を模索するところから始めましたね。
磯部:はい。最終的に、人事制度改革で顕著に現れた結果が、離職率の改善です。旧態然とした育成方法から、現場での育成をむらなく効果的に実施するためのOJTツールを作成しました。これは、入社3年で一人前になるために、いつまでに何をクリアするべきかということが具体的に記された表です。属人性を排し、社員のスキルや成長を底上げすることにつながっています。
結果として、社員は、自分の未来像を描くことができて、成長が実感できるようになり、簡単に会社を辞めなくなりました。
人事制度改革以前は、採用も社員の定着も思うようにはいっていませんでしたが、社員が着実に成長できる仕組みづくりをしていくと、離職率が1%にまで落ち着きました。
中村:その後、2017年には磯部塗装創業110周年を記念し、周年誌を制作しました。そして2018年、またしても磯部社長から突然、「磯部塗装の社是、経営理念、行動指針を整備したい。社員研修で発表するから、中村さん、書いてくれないか?」というご依頼をいただきました。
その頃には、研修や人事制度改革を通じて社員の皆さんと話す機会が増えており、彼らの言葉の根本に同じ思いが流れているということに気付いていました。その思いと、磯部社長の考えを言語化しながら「社是、経営理念、行動指針」を作成。2018年、社内外に発表されましたね。

磯部:社員が少ないうちは、みんなが同じ方向を向くことが比較的やりやすいんです。でも社員が増えてくると、考えややり方が多様になってきます。そこで、磯部塗装の行動指針を評価制度に連動させて、行動指針を実践した社員が昇格する仕組みにしました。それにより、社員一人ひとりが会社の価値観を日々の業務に落とし込み、自然とみんなが同じ方向を向けるようにしているのです。
ちなみに、今年の春に入社してくれたある女性社員は、「磯部塗装の社是、経営理念、行動指針がカッコいいから入社を決めた」と話してくれたんですよ。
「拡大フェーズ」に向けた組織づくりの舞台裏

──現在、磯部塗装が強化しているのはどのような部分ですか?
磯部:人材を十分に確保することと、幹部を育てることです。この2つが、今後、業界で勝っていくために必要な条件だと考えております。
塗装会社の重要な役割の一つが、インフラの整備です。今、国内では橋梁など、交通インフラを中心とした建造物が老朽化してメンテナンス需要が高まる一方、建設業界はプレーヤーが激減し、工事をすること自体が難しくなってきています。そこで重要になるのが、全国の拠点における人材の確保です。
また、磯部塗装は、2023年には売り上げが54億円、社員数は264人までに増えました。人を増やしていく中で重要になってくるのが、「経営の文脈を理解したうえで現場を運用できる幹部」の育成です。その幹部になるべき人の採用も、課題の一つ。中村さんに相談して、2024年からは電通の採用ブランディングチームに入っていただくことにしました。
中村:電通のチームメンバーは、磯部社長だけではなく、現場の社員にも話を聞き、採用のコンセプトメーキングを行っています。
磯部:そう、ものすごく丁寧に社員の生の声を聞いてくれていますよね!実は、そういう細やかなヒアリングをしてくれるのは中村さんだけかと思っていました(笑)。地道で地に足のついた仕事ぶりを拝見し、私の中で電通へのイメージがだいぶ変わりました。
中村:マーケティングの専門家である電通は、買っていただくお客さまと、作り手の思いをつなぐことを仕事にしています。徹底的にお客さまの視点に立つには、地道にヒアリングを重ねるのは当然のことなんです。これを採用に置き換えると、経営のステークホルダーである社員の皆さんの声を聞くということになります。人の心情や本質、気持ちに寄り添っていくのは、私たちの得意分野ですから(笑)。
――磯部塗装はどのような未来像を描いているのでしょうか?
磯部:当社は、再建のめどが立ち始めた2013年時点では売り上げ約23億円、社員数は60人ほどでしたが、2024年時点で売り上げが65億円、社員数は280人ほどにまで増えました。M&Aを重ね、グループ6社の合計売り上げも今期見込みで200億円、社員数は500人になります。
現在は、買収した会社も含めて一貫した経営を行うために、ホールディングス化を見据えて次の一手を電通に相談し始めています。中小企業の私たちは、どうしても思考の限界があり、枠の捉え方が狭くなってしまいますが、中村さんはじめ電通の皆さんは、毎回、視座を上げてくれるような話をしてくださいます。
中村:ありがたいお言葉です。磯部塗装さんとの取り組みが評価されて、2025年に「電通エイトアイズ」という、中小企業経営者をサポートする新サービスをリリースしました。電通エイトアイズは、各専門領域の社員が経営者の“壁打ち相手”になるサービス。私たちならではの強み、例えば経営者の言葉を分かりやすく言語化する力や、マーケティングのノウハウを活用して、一般的な経営コンサルタントとは異なる視座を提供できます。今まで見えていなかった会社の課題や、成長を早めるポイントなどの気づきが得られるはずです。
磯部:うれしいのは、中村さんをはじめ電通の皆さんは、私たちのことをただの取引先ではなく、仲間・身内という認識で接してくださることです。それが伝わってくるので、私自身も、社員も自分の中の思いを正直に伝えられる。そして、電通の皆さんはその思いに確実に応えてくれる。そんな好循環があると思っています。
中村:そう言っていただけるとうれしいです。電通の取引先は大手企業、という先入観をおもちの方も多いと思いますが、まったくそんなことはありません。私たちが、大企業や中小企業など、あらゆる経営者とのコミュニケーションにより培ってきた経験や知識をフル活用していただくことで、日本の中小企業を元気にしていきたいと思っています。
磯部:今後とも、私たちの良き兄貴分として、ご協力をよろしくお願いします!
