自分が面白がるために、
大事にしたいのは「生の言葉」久米宏
2014/11/25
ラジオは、想像力のレンズにピントを合わせるのが仕事
僕はTBS入社早々に結核を患ったこともあって、アナウンサーとして本格的に仕事をしたのは、入社3年後の1970年にスタートした「土曜ワイドラジオTOKYO」でした。いろいろな所に行って中継リポートをするのですが、メーンパーソナリティーの永六輔さんに叱られないかどうか、それだけが気掛かりでした。いつも戦々恐々としていたのですが、われながらうまくいったと今も記憶に残っている中継があります。
時報前の1分くらいの時間で、東京の街の様子をスケッチのように伝えるコーナーで、渋谷の道玄坂に行ったときのことです。季節は秋です。華やかな格好をした若者が行き交う街中に、ある物が落ちているのに気付いてこう言ったのです。「道端に吹き寄せられた落ち葉とごみの中に、ハイヒールの折れたかかとが落ちています」って。ラジオは映像こそありませんが、リスナーは、こちらが発する言葉で映像を思い浮かべます。その想像力のレンズに、ピントを合わせる対象を現場で一つでも二つでも探すことが自分の役目だと思うきっかけになった中継でした。
「ニュースステーション」時代は体形を維持するのに苦労
一方、テレビは映像ありきなので、言葉は全く不要なときがあります。僕がテレビで最初にうまくいった「ぴったしカン・カン」という番組で、レギュラーだった萩本欽一さんと坂上二郎さんを見てつくづくそう思いました。二郎さんは、「ひい」とか「ふう」とか言うだけ。それで30分番組が十分にもってしまう。ラジオ出身でテレビにも出るようになったアナウンサーは、どうしてもしゃべり過ぎる傾向があります。間が空くのが不安でいたたまれないからです。僕もその一人でしたが、番組がスタートしてしばらくしてから、極端にしゃべる量を減らすようにしました。ゲストが登場して隣の席に座るまで、ただじっと眺めているだけのことも。その方がゲストの存在感が伝わったりするわけです。
「ニュースステーション」のときも、まず、自分の見栄えありきと考えていました。スーツは、モデルがファッションショーで着ていたものを借りていたのですが、そのために体形を維持するのが大変でした。髪形や、ネクタイ、ワイシャツはどうするのか、手にするペンは何を使うのか。スタイリストから事細かく言われたものです。といっても、うちのかみさんなんですけど(笑)。
裏打ちされたものがない言葉は相手の心に届かない
ラジオでもテレビでも、僕は、リスナー像や視聴者像を意識したことはありません。想像してはみても、それは自分の「分身」でしかないし、自分が面白いかどうかで判断すべきと思っています。結局、何が面白いのかを見抜く「自分」の目が問われる。そう信じてこれまでやってきました。
今やっている「久米宏 ラジオなんですけど」というラジオ番組では、職人さんのような方が生で30分間ゲスト出演します。ゲストの方には事前に質問項目が渡され、僕も控室でひと言ふた言あいさつはしますが、事前の打ち合わせは特にしません。それも、番組中の「自分の面白さ」を大事にしたいと思うからです。だから、相手が聞かれるとは思っていないこともどんどん聞きます。
その姿勢はニュースステーションのときも同じでした。ニュース原稿は、本番で読むときに新鮮味が薄れるので、下読みでは声を出さず、いつも黙読。18年半それで通しました。政治家など大物のゲストが出演したときも、相手が質問されると想定していないことを聞くことがよくありました。そうすると、思わず本音が口をついたりして、手あかのついた言葉ではなく、その場で考えた生の言葉が返ってくる。人間って、皆そうですよね。
僕のような話すことが商売の人間は特にそうですが、口にする言葉には、それを裏打ちする思いがないと相手には伝わりません。単に「赤い」という色の形容一つとっても、自分が体験した「赤」があってこそのものです。ときには考えあぐねたり、言葉に詰まることもある。それが、人間が発する「生きた言葉」というものではないでしょうか。
昨年末と今年の年始に、BS民放5局共同特別番組「久米宏のニッポン百年物語」の総合司会をしましたが、今年の年末・来年の年始もやる予定です。前回は今日までの過去100年、今回は100年という長さは同じですが、未来のことも念頭に置きつつやってみようと「未来への伝言」とメーンタイトルをつけています。テレビ局ごとにテーマが異なり、例えばその一つに「美女」があるんですが、この美女という言葉も、口にするときは裏打ちされたものがないといけませんね。百人百様の美女がある。楽しみですね。