「新・日本力」の鍛え方No.2
「クラブ社会」「クラブ財」が
果たす意味を考える
2015/01/21
2020年東京オリンピック・パラリンピック開催という追い風も受けて、今、日本の底力が問われようとしている。日本ならではの強みをどう生かし、日本の活力をどう取り戻していけばいいのか。古今東西の歴史と文化に精通し、日本文化研究の第一人者でもある編集工学研究所所長の松岡正剛氏と、元内閣府事務次官で現電通総研上席フェローの浜野潤氏が、今この時代に再認識すべき「新・日本力」の在り方について議論した。司会は、電通総研所長の中尾潤氏。4回にわたってお送りします。
市場競争にさらす前に、付加価値をつける熟成期間を設ける
中尾:特区制度などはこれまでもありましたが、そこで行われていたことがなかなか成功していないという現実があります。松岡先生から前回「実験場」という言葉が出ましたが、実験場の機能や制度について、根本的に発想を変えていかなくてはいけないのでしょうか。
松岡:実験場とした地域では、通貨制度から教育制度に至るまで新しい社会制度を全部ひっくるめてつくるくらいの覚悟が必要と思います。例えば、消費財とか公共財とは別に、準公共財としての「クラブ財」を設定する。欧州では、チーズにしても、ワイン、ビールにしても、元はといえば、みなクラブ財です。特定のクラブ社会が持っていた財を、ある程度成熟したところで世界市場に出していったわけです。実は、日本にもそんなクラブ的なものは昔からあったのです。例えば千利休の時代に、村田珠光や武野紹鷗が連歌に触れて、その美の境地を茶の湯にも取り入れた。これは、中国などには全くない発想でした。
しかも、広間でのお茶を、徐々に小間にして、さらに四畳半、三畳台目、二畳台目をしつらえて、1対1のコミュニケーションの世界で、クラブ財としての茶の湯をつくっているわけです。武将で茶人でもあった古田織部を主人公にした「へうげもの」という漫画が流行しましたが、織部が伏見屋敷で「へうげもの」とされる独創的な器を出したのは、年に2回か3回でした。「これは何じゃ」「すごい」という豪商の驚きがうわさとなって他の豪商に伝わる。うわさはうわさを呼び、織部の評価がますます高まっていく。そして、1年半から2年ぐらい後に、織部が見立てた茶碗が世間に出回るようになるわけです。この1年半から2年というのは、ごく限られた豪商の間で評価されていたクラブ財が、世間一般の評価を高めるために必要な熟成期間です。その間に買い値もうんと上がる。初期の利休の楽茶碗や織部茶碗、茶壺といったものは、京都の市場に出た瞬間に、上は数万倍、一番下の方でも数百倍ぐらいの値が付くわけです。つまり、市場競争の中で価格が決まるのではなく、クラブ財として共有される中で付加価値が付けられ、高い価値があるものとして、それなりの値段で世間に出回る。そういう仕組みが、この日本にも昔からあったのです。ところが、市場の自由競争と一種のフェアネスが優先する現代社会では、クラブ財として熟成する期間がなく、一気に市場に商品が出回る。消費者のニーズに応えるために、少しでも安く、少しでも良いものをとひたすら製品を作り続けざるを得ない道を選んでしまった。これでは、メーカーが疲弊してしまうのも当然です。日本は、いい意味でも悪い意味でも、公平にやり過ぎた。その反省も踏まえて、今「新・日本力」を創出するとすれば、もう一度、クラブ社会、クラブ財というものの価値を再認識する必要があるのはないかと思います。
「新・日本力」に欠かせない、独自の記号化・符号化・番付化
中尾:もしクラブ財の種を探せるとしたら、どういうところに目を向ければいいでしょうか。
松岡:例えば日本にはブッククラブがありません。米国でもドイツでもフランスでも、ブッククラブが出版界に与えている影響はたいへん大きく、ベストセラーもこのブッククラブの評価で決まるようなところがあります。大小の出版社も、そのブッククラブの評価、価値観に従って出版しているわけです。もちろん出版業界以外でも、お米でも、醸造物でも、ジーンズでも、何でもいいと思います。
浜野:そのクラブのイメージですが、例えば、企業と政府の中間にあるような、非営利団体などの在り方に、一つの切り口があるような気がするのですが。
松岡:ノンプロフィットセンターのようなものをつくるにしても、先ほども言ったように、時限通貨の発行も含めた特別の会計制度や経済システムの中で機能する仕組みをつくらなくてはいけないと思います。アングロサクソンがここまで資本主義を強化できた理由の一つは、複式簿記をつくり上げることができたからです。ベネチアやジェノバの沿海交易で、何かを積んでいく費目を貸方、戻ってきて金銀財宝や香辛料になった費目を借方にしたわけですね。また、彼らは有限責任の投資家を募った。船を造るには大きな資金が必要だからです。航海に出ると、時には難破して投資が台無しになることもありますが、そのときは、損害を分散する。それが、カンパニアと呼ばれ、後のカンパニー・リミテッドになるわけです。それを学んだオランダがアムステルダムなどにカンパニーをつくり、その後アングロサクソンはロンドンシティーに機能を全部移して東インド会社をつくり、それが長崎の出島にも来るわけです。現代の日本でも、実験場で何より大事になるのは、ノンプロフィットセンターなどの運営を持続させるための、特別な会計制度、つまり独自の簿記づくりです。簿記は一種のノーテーション(記譜法)ですが、現在のノーテーションが実は日本の商習慣や価値観には合っていないのです。三味線では、西洋の楽曲で使う楽譜とは全く違う文化譜という譜面を使いますが、そういう日本独自のノーテーションが残っている分野もあるのに、会計制度となると西洋から移入された簿記になっているのが現状です。新・日本力を考えようとするときに、日本独自の記号化、あるいは符号化、番付化といったものが私はあっていいと思うのです。
[第3回へ続く]