JKT48の躍進に見るクールジャパン成功のヒント
~秋元康氏特別インタビュー~
2015/03/23
「会いに行けるアイドル」AKB48初の海外姉妹グループとして2011年に結成されたJKT48は、瞬く間にスターダムを駆け上がった。専用劇場、総選挙、握手会など、AKB48フォーマットそのままにインドネシアで命を吹き込まれ、今や国民的存在となったJKT48の成功の軌跡に、クールジャパン成功のヒントを探る。
秋元康氏特別インタビュー
インドネシアのポップカルチャーに新たな歴史を刻んだJKT48。生みの親である希代のクリエーター・秋元康氏に、その経緯とジャパンコンテンツ海外進出について話を聞いた。
“人が集まり、にぎわえば、そこから何かが生まれる”
──インドネシアでAKB48グループ初の海外展開をした経緯は。
最初から決めていたわけではなく、幾つかの国から話があった中で、今の運営パートナーから特に熱心に誘ってもらったことがきっかけです。人口2.5億人というインドネシアのパワー、人口の70%が40歳以下という若い人たちの国というのが興味深かった。これからアジアの中心になっていくと感じました。 ただ、国にこだわりはありませんでした。劇場をつくって16人の歌とダンスのショーをやれば、海外でもそこに必ず人が集まるという自信があった。 僕はクリエーターであってマーケターではないので、その土地の文化や人々をあらかじめリサーチしたりしない。こうしたら人が集まるのではないか、熱を生み出せるのではないか、ということだけを考えています。人が集まり、にぎわえば、そこから何かが生まれる。そこにこだわっています。
“面白そうなもの、見たことのないものはやはり力を持っている”
──それにしても目覚ましい成功ですね。アイドル文化をインドネシアに持ち込んだといわれています。
ネットを通じてすでにAKB48のファン層が存在していたことが大きいと思います。虫眼鏡で太陽の光を1点に集めるとそこから燃え始めてやがて広がっていくように、彼らがトリガーとなって拡散した。昔なら例えば山奥にレストランをつくったら、一般に知られるまでに時間がかかった。今は面白そうな情報は、SNSなどであっという間に世界に伝播(でんぱ)する。でも、一番大切なのは、面白そうなもの、見たことのないものはやはり力を持っている、ということです。アイドルをつくろうとか、アイドル文化がないので持ち込もうとか、そのようなことは何も考えてなかった。僕が海外で試したかったのは、女の子が16人集まって歌って踊ったら、きっとみんな興味を持ってくれるのでは、ということ。そして実際にそこに人が集まった。さらには、現地でスタッフが一生懸命頑張って、CDを売ったりCM出演を一つ一つ決めるなど努力を重ねたことで、スピード感をもって広がりました。
“JKT48で起こっていることは、まさにクールジャパン”
──AKB48から移籍した仲川遥香さんが現地で大ブレークしていますね。
AKB48グループはファンがプロデューサー。ファンの皆さんがかつぐ神輿(みこし)に乗って運ばれていくようなもので、この先どこへ行くのかは予測不可能です。またそこが面白いところでもあります。仲川遥香は、子どものような純粋無垢(むく)さでインドネシアに溶け込んだ。社交的な性格で、片言のインドネシア語をしゃべるそのカルチャーギャップで、圧倒的な人気を得た。それはまさに、仲川遥香という存在がJKT48に偶然もたらした進化で、あらかじめ意図されたものではありません。
仲川さんがインドネシアで、日本を好きになってもらっている。片や日本文化が大好きで日本語を熱心に学ぶガイダ・ファリシャさんのようなメンバーもいます。仲川が日本とジャカルタを結ぶ大使の役割を担っている。あるいはAKBがインドネシアでJKTと共演し、ライブを成功させようと頑張る。JKTで起こっていることは、まさにクールジャパンです。僕たちは欧米の音楽や映画やファッションに憧れて、そこから車やオーディオなどが欲しいと思った。韓国が東南アジアで非常に成功したのは、ソフトを先行して露出したから。K-POPやドラマの人気が化粧品やパソコンやテレビの販売につながりました。JKTっていいねと思ってもらえること、JKTを通じて日本の文化に憧れてもらうことが、クールジャパンやビジットジャパンになる。そこに大きな意義があると思っています。
クライアントにとってのJKT48の価値とは。今まで文化には、輸入と輸出しかなかった。JKT48はAKB48グループでありながらインドネシア人のグループでもあり、二つの文化が融合した不思議な存在で、完成形でないがゆえに共に進化していくことができます。これをどう面白がって、コンテンツとしてどんな価値を付け加えていくかは、使っていただく側のフリーハンド。僕としては、企業でも政府でも、活用していただけることは全てウエルカムです。
“ローカライズし過ぎない。自分たちを信じる”
──JKT48がAKB48のフォーマットから離れて独自の路線を行く可能性はあるのでしょうか。
決めていません。さまざまな可能性があると思います。僕たちの世代が間違えてきたのは、国に合わせてローカライズし過ぎた。この国にはこういうものでないと当たらないだろう、などとマーケティングし過ぎて失敗してきた。また、欧米に憧れて海外に行こうとしたけど、欧米にあるようなものをわざわざ日本と一緒にやりたいとは思ってもらえないし、それによって日本っていいね、ということにもならない。
でもあるとき、余計なことは考えずに自分たちが面白いと信じられるものをつくったら、例えばアニメとか、そこに良さがあることが世界に認められた。それに気付いたからには、これからは自分たちの才能を信じることが、クールジャパンなのだと思います。JKTの場合も、もちろん宗教や慣習に気を使い、歌詞や衣装が規律に反しないように配慮しましたが、AKBの形自体はそのままいじらずに進めています。これからの時代は、今までと違ってものすごく複雑になってきます。何万通りもある可能性に対してマニュアルをつくることに意味はない。予測しようとするのではなく、その場その場でローカライズするなど対処をする「反射神経」が求められるようになってきています。
“クールジャパンは『期間限定』であってはいけない”
──これから日本のエンターテインメントを海外に持っていくためには。
本当に今はボーダレスの時代です。アイデアは国境を容易に超えます。無形のアイデアがどれだけ国境を超えられるかが、クールジャパンを左右する。言葉や宗教など国によっていろいろな違いがあるかもしれないけれど、楽しいと思うこと、悲しいと思うこと、それはどこか世界共通なのでは、と思っています。クールジャパンは「期間限定」であってはいけない。海外の人がすてきだね、と言ってくれたその先で、ビジネスに落とし込み、恒常的に盛り上げていくことが大切です。一過性で盛り上がっても仕方ない。
エンターテインメントは人が集まるだけで、本来ビジネスにはなりません。例えば、紙芝居を子どもに見せるとき、そこでもうけようとしてお金を取るのではなく、集まった観客に何を買っていただくか?ということです。エンターテインメントという「入り口」から、どうビジネスとして恒常的なものにするか、2軸で考えることが重要です。僕はビジネスマンではないので、AKB48やJKT48をどうマネタイズするかはパートナーである電通に任せています。
──今後の海外展開について教えてください。
ジャカルタでの成功や経済効果を実際に見て、フィリピン、タイ、中国、マレーシア…あちこちからお話を頂いています。後は縁、ですね。米国や南米も興味を示してくれていますし、来年再来年にかけて、きっと広がっていくと思いますよ。
成功の軌跡~JKT48ドキュメント~
2011年
【11月】JKT48第1期生 最終オーディション結果発表。12月に初のパフォーマンスと握手会実施
2012年
【9月】専用劇場オープン。330人定員の専用劇場でほぼ毎日公演を実施
2013年
【2月】ファーストアルバム「Heavy Rotation」発売。続いて5月、ファーストシングル「RIVER」発売
【11月】若者向け人気雑誌HAI Magazine主催HAI Magazine Awardsで「ベストシングル」など2年連続4冠達成
Yahoo!OMG!Awardsで「ベストグループ」2年連続受賞
2014年
【3月】初のシングル選抜総選挙を実施。開票イベントはテレビ局ANTVで生放送。総投票数は20万を超えた
【4月】テレビ局Global TV主催Seru Awardsで「ベストソング」など2冠達成
【6月】インドネシア音楽賞の最高峰 AMI AWARDSで「ベストパフォーマンスアーティスト」「ベストプロデューサー」の2冠達成
【10月】ジャカルタ州政府観光文化局からジャカルタ観光大使に任命
【12月】ジャカルタで「JKT48 3周年記念コンサート」を実施日本の各地方放送局とANTVが共同制作する日本紹介番組「YOKOSO JKT48」スタート
2015年
【1月】テレビ局RCTI主催Dahsyatnya Awardsで「ベストガールグループ」受賞。同アワードでの受賞は3年連続
【2月】AKB48との合同コンサート「Holding hands together with the first sister」開催
【3月】劇場観賞延べ20万人突破。現在のチケット倍率は約3~8倍。フェイスブックフォロワー350万人現在66人のメンバーが在籍
リアルな「サンプル」は最大の武器
2005年12月AKB48劇場の初演、観客はわずか7人だった。今や、劇場来場者はグループ全体で200万人に迫る勢いだ。その人気は世界に飛び火し、JKT48は現地ポップカルチャーの潮流を変えた。秋元氏のAKB48の構想に興奮を覚え、寝食を共にする姿勢でやってきたという電通・藤田浩幸氏は「メンバーと共にファンも成長していくこのモデルは、必ず世界でも成功すると感じた。ただ、グローバルな受容につながる潜在的な多様性は、企画書で説得するより、実際に海外での成功モデルをつくりあげて証明する方が近道だと考えた。
リアルな『サンプル』は最大の武器。広告業とのシナジーを生み、さらなるビジネスを開拓するドライバーとなる」と語る。クールジャパンへのヒントもここにあるだろう。JKT48の立ち上げから現在に至るまで現場を担う電通・西山彰宏氏も「AKB48は仕組みとして見ても優れているし、楽曲のクオリティーも高い。海外で再現できると信じられた」と振り返る。「インドネシア人の既存の価値観の範疇(はんちゅう)に存在しないコンテンツの導入は、当初なかなか理解されず大変だった。でも安易に現地流に変えることをしないで頑張り続けた結果、支持を得るに至った。根底に普遍的な価値があったのだろう」と語る。その価値を一心に信じる者の努力が、日本で、そして海外でAKB48フォーマットを「カタチ」にしている。これからも世界の景色を変え続けていくのだろうか。