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電通報ビジネスにもっとアイデアを。

共創2015No.6

未来をハックする、逸脱と贈与と名前の話。(後編)

2015/05/14

「コ・クリエーション(Co-Creation)」とは、多様な立場の人たち、ステークホルダーと対話しながら新しい価値を生み出していく考え方のこと。「共に」「創る」の意味から「共創」とも呼ばれます。電通とインフォバーンが運営する共創のポータルサイト“cotas(コタス)”では、3回目となる、優れた共創の事例を顕彰する「日本のコ・クリエーション アワード2014」を開催しました。当連載では、受賞事例や審査員の視点を通じて、共創のトレンドやムーブメントを読み解きます。

前回に続き、アワードの審査員でKIRO(知識イノベーション研究所)代表の紺野登さん、『IDEA HACKS!』をはじめとするハックシリーズが多くのビジネスパーソンに支持されている小山龍介さん、電通の田中宏和の3名が、ワークショップのあり方、シナリオプランニング、デザイン思考などをテーマに、ときにヒッピームーブメントや禅の思想にも触れながら、幅広く話し合いました。

アートとデザインの役割

小山:冒頭の話に戻るところもありますが、ワークショップで盛り上がって楽しかった、でもそれを実行に移す段階で「やっぱり難しいよね」となる。フューチャーセンターのような逸脱が許される場から、組織に持ち帰ったときに実行できなくなる。アイデアから実行に移す橋渡し的なことがすごく難しい。私がよく話をしているのは、「再現性があるもの」はサイエンスで、そこに「ゆらぎを加える」のがアートの役割ということ。安定した社会に対して、アーティストたちはとんでもない表現を生み出して常識を揺さぶります。

ワークショップの役割はそれに近いと思います。そして「アート」の次に必要になるのが「デザイン」です。芸術家が生み出した「アート的な着想」を現実世界にどうデザインとして落とし込んでいくか。20世紀初頭に生まれた抽象アートは、100年かけてデザイナーがインテリアやファッションに落とし込んでいます。「デザイン思考」も、着想を実行に移す役割と考えると、とてもプラクティカルな話です。

田中:「打ち合わせは楽しかったのに、実行プランになると…」という話は広告会社にもよくあります。形に落とす、実行に移すのがデザインととらえたときに、「デザイン」という言葉自体にまだ誤解があって、表層的な、お化粧的なイメージを持つ人がまだいる。でもデザインは、実行とか実現とか具現化みたいなところに深く関わっているというのはまさにその通り。楽しい打ち合わせを現実の形にする。愉快犯と実行犯が手を結んで新しいものを作っていくことがとても大事ですね。

紺野:この前、デンマークのデザイン教育者たちと話をしたときに面白い話がありました。「デザイン思考は大切だけど、実はもう次に向かっている」と彼らは言っていました。今のデザイン思考は原点がバウハウスにあります。バウハウスの前はボザールとか伝統的な芸術学校があって、工業社会が来るまではボザールでよかったのだけど、工業社会、情報社会になってバウハウスのデザインが広まった。

今、20世紀の工業社会、情報社会が限界を迎えてきていて、次の環境革命ともいえる時代に入ってきたときに、デザイナーの新しい役割はなにか。それは今日、何度も出ている逸脱です。いわゆる破壊的イノベーションとか、人々の行動を変えるということ。今のデザイン思考で教えているのは「アイデアを考えたらプロトタイプを作ろう」「プロトタイプを作ったらフィードバックしよう」ということで、まだ計画主義っぽい感じが残っている。

デンマークのデザイナーたちがチャレンジしているのは、自分がある目的を持っているならば、とにかく現場に入って行って、試行錯誤する中で何かを得ようということではないか。そして今、彼らが研究しているのは木工とか粘土とか人間の手で作ること。そこに原点があると考えている。まさに現場の状況に入っていって、土をこねたり、木を削ったりするのを皆でやる。原始的な活動をその場でやることから、ハッキングみたいなことが起きて、次の未来の一部ができあがったりする。デザインをそんなふうに使おうとしていることに非常に感激しました。

田中:とても示唆深い話ですね。確かにバウハウスの「Less is more」みたいな考え方だと、いかにシンプルにして、それを再現していくかという話ですが、それをさらに超えたものは、まさにいまおっしゃったような一緒に遊んでいるような中から生まれてくるのかもしれませんね。

場所的感情から目的を顕在化させていく

小山:同様の意味で、最近私が注目しているのがインプロビゼーション、即興性です。計画を全部捨てた上で、今この瞬間に起きたことにフォーカスをしていくという関わり方。インプロビゼーションの演劇だと、4、5人のプレーヤーが出てきて観客から役割をもらって、その役割をベースに何の準備もなく、物語を作っていきます。観客もハラハラドキドキしながら「本当にこれは成立するんだろうか」と、ものすごく巻き込まれながら見るので、普通の演劇を見ているよりずっと面白い。その劇場の一体感はスゴイものです。その構造がこれからのビジネスに必要です。

従来の工業製品は、役者が決まったストーリーのもとで「はい!この物語楽しんでください」とお客さんに差し出して、お客さんはまるで再生されたDVDを見るように物語を見ていた。いまは、ユーザーが使っている反応を見ながら、役者である企業側もストーリーを変えたり、新しいことをどんどん展開していく必要があります。

例えばGoProのカメラは、いきなり今のカタチがあったわけではなくて、「こんなのがあったら面白いかな?」と市場に出すと、いろいろな使い方をする人が出てきて、それでさらにアクセサリーが増えた。アクセサリーが増えると、さらにいろいろな撮り方をする人が現れてきて、それをGoPro側は「今日のムービー」としてみんなに紹介していく。企業とユーザーの関わり方が、すごく即興的なものになっています。企業はもっと積極的に顧客と関わっていく必要があると思います。

田中:企業自体もそれを楽しむ姿勢が必要になりますね。

小山:インプロビゼーションで面白いのは、最初は目的も何もないこと。目的もなくやっていると、あるところから「あれ、これってもしかしてこういうことを目指してやっているんじゃないの?」と目的が自己組織化されていきます。何もないところに異物を入れると結晶ができるように物語が生まれてくる。インプロバイザーは「必ず何か起こる」という確信を持って舞台に立ちます。

今、企業はどうかというと「事前にわかっていないと足を踏み入れられません」という状態。即興を起こすために最も重要なことは「何が起こるかわからないけれど、そこに時間を投じる」こと。縁を起こしていくことなんです。田中さんが、忙しいのに、なぜ田中宏和運動を続けているのか、周りに理解されないまま、時間を投じて取り組んでいる。この、最初に「投じる」ことが大事です。そして底に必要なことは異物感であり、逸脱感なんです。

田中:1994年の近鉄のドラフト1位の選手が「田中宏和」だったのですよ。それで自分が1位指名になったように感じたことがきっかけで始めたのですが、去年ついに一般社団法人「田中宏和の会」を作りました。その時に定款を書きました。その一つが「偶有的な人間の絆の尊さの啓発」です。まさに事後的に目的を発見したわけです。

紺野:まったく目的がないわけではなくて、おぼろげになんとなく頭の中にある。それが続けていくうちにカタチづくられていく。無目的ではなくて、潜在的なものが具現化していく感じなのでしょうね。

小山:インプロビゼーションでは、目的はその空間とか場にあると考えます。インプロバイザーが演劇の舞台に立つとき、自分の中にあらかじめ目的を持ってしまっていると、状況をコントロールしてしまい、「今度は感動的な物語にしよう」などと思ってしまいます。思惑を持つことが、一番即興性をそいでしまう。目的は舞台と役者と観客も含めた、この場にあると考えることが重要です。

日本の言葉の面白いところは、紫式部が「いとおかし」と書いたときに、誰が「おかし」と感じているのか曖昧ないこと。英語では「彼はこの状況を興味深いと感じた」と書きます。ところが日本語で「いとおかし」と書くと、著者が「おかし」と感じたのか、登場人物がそう思ったのか、読者に対して「そうでしょう?」と投げかけているのかわからない。読者も含めた場所的な感情なのです。その場に「いとおかし」という感情があって、著者だろうが登場人物だろうが、読者だろうがそれを感じる。この場所的感情をキャッチすること、言葉にならないものをキャッチすることが、実はヒッピーが東洋思想から得たものです。場所的感情から、いかに目的を顕在化させていくか。それがインプロビゼーションの大きなプロセスです。

田中:以前、仕事で坂本龍一さんと大友良英さんのインプロビゼーションのライブに関わったのですが、もちろんリハーサルと本番でまったく曲が違う。それで終わった後に「エンディングはどうやって決めたのですか?」と聞いたら、2人とも「なんとなく」という答えしかない。それぞれ主体的に演奏しているけれど、そこにやっぱり2人が共通に感じる、もしくは観客も共通に感じる場の意識みたいなものがあって、坂本さんが途中でピアノを弾くのをやめて、ピアノをたたき出したりして、どんどん逸脱していくのですが、でも最後は「あ、そろそろ終わりだ。終わった」という共通認識をみんなが感じる。すごいことですよね。

紺野:ワークショップではファシリテーターが主役になってしまうことがよくありますけど。まったく違いますよね。今の話と真逆ではないでしょうか。

田中:グループインタビューでも、司会者が仕切るのではなくて、文字通りグループダイナミクスというか、みんなでワイワイ話をしているときが一番面白かったり、発見があったりします。

紺野:計画主義に陥って、予定調和的に「今日は素晴らしいお話をありがとうございました」締めくくるのはやめてほしいですけどね(笑)。イノベーションのための共創はそういった単発的イベントではなく、新たな発見やセレンディピティーを生み出すような日常的な場作りのなかから生まれてくるのだと思います。

田中:そう考えると、仕事にはどんなに予定調和が多いことか。予定調和のために事務作業をしているところがあります。

小山:予定調和って等価交換なんですね。これだけお金をもらったから、これだけのアウトプットを出そうと。一方、目的のないもの、はっきりしないものに自分の時間を投じることは、「贈与」です。贈与は何が返ってくるかわからない。冒頭でワークショップがなぜ機能しないのかという話がありましたが、常に「これによって見返りがあるんですか?」などと等価交換を考えてしまうから。マインドセットとして重要なのは、「将来、必ずこれによって得るものがある。今、ここで贈与することによって、即興的にいろいろなことが動き始めて、将来きっと楽しいことがある」という、おぼろげながらも確信を持つことです。

田中:その感覚、すごくわかります。面白いものを見たり、体験したりする「チケット代」だと思えばよいという話ですよね。等価交換の論理じゃなくて、奉仕とか贈与とか、自分から差し出すというか、惜しげもなく与えることが大事なのでしょうね。

小山:奉仕や贈与はアートそのものです。アーティストは、評価されるかどうかわからないまま作品を作っている。贈与としてのアートがあって、その次に贈与を生かすデザインのプロセスが必要です。大きな意味での「デザイナー」がやるべきこととは、即興的に出てきた着想を、いかに構想につなげていくか。そして、ここで重要なのは、自分がやりたいことだけではなくて、その場から出てきた目的をすくい上げた構想にしないと、観客も、他の役者も納得しません。

田中:構想と同時にもうひとつ重要なのが、継続していくためのデザインです。田中宏和運動の場合も、1994年に同姓同名の存在に気がついて、最初にリアルで田中宏和さんにお会いしたのが2003年なのですが、それ以来、毎年1人の田中宏和さんに会おうと決めました。そして会うときには必ず東京駅近くの中華料理店の円卓で、と決めました。そもそも会う田中宏和さんが事前にどこに住んでいるのかわからないのですが、「東京駅の近く」といえばまず誰でもわかり、公平感があり文句を言いにくい。そしてベジタリアンの人とか、肉しか食べない人がいても、中華料理ならメニューにバラエティーがあって大丈夫なはずです。そして毎年1人ずつ会うと決めていたら、あるときテレビで紹介されて、ボンっと増えたのですが、それまではずっとこのスタイル。このデザインだけは守っていくということを続けていました。

小山:観客を設定すると目的が浮かび上がってくるんですよ。社内にいると半径5メートルぐらいの観客しかいないですよね。部長がどう思ってるとか、課長が反対するんじゃないかとか。半径5メートルの舞台でやっていたら、その演技しかできない。でも自分なりに知見が広がってくると、業界、例えば広告業界を背負って立つみたいな感じで問題意識が出てくる。そうすると舞台が広告業界に広がる。そうすると観客も変わってきて、同じ社内で同じような仕事をしていても問題意識が全然変わってくる。個人の人生という即興劇のストーリーを作っていくときも、その時代によって観客が変わり、どの観客を意識するかによって、人生自体も大きく変わっていくということです。こうした観客の究極は、お天道様が見ている、です。観客による縁起によって、大きな構想へ大きく展開していくんです。

田中:田中宏和運動も、ある経営者の方に「やめどきが難しいね」と言われました。でも、そう言われたときに初めて「一生趣味にします」と答えていました。70、80になっても田中宏和さんに会いに遠くまで行くというのも趣味としていいなと思っています。今日は素晴らしい話をありがとうございました(笑)。