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拡散するクリエーティブNo.1

これは誰かに届いてんのかなあ?

2013/11/07

「これは誰かに届くのかなあ。なあ、誰か、聴いてるのかよ。
今、このレコードを聴いてる奴、教えてくれよ。届いてるのかよ」

伊坂幸太郎の『フィッシュストーリー』で、売れないパンクバンドのボーカル五郎がレコーディング中に突然語り出した言葉です。いい曲だと信じているのに、届いている手応えがないことへの苛立ち。コミュニケーションの仕事をしている者としては、その気持ちがよくわかります。

「話題の広告」とかってよく言いますけど、正直なところ僕はふだんの生活の中で広告が話題になってる現場を目撃したことがありません。あのCM見た?あのコピーいいよね!と巷の人が話している場面に残念ながら遭遇したことがないのです。誰かと一緒にテレビを見ているときでもなければ、なかなか広告の話題を持ち出したりしないと思うんですよね、世の中の人って。そりゃあ僕自身はまわりの人と広告の話をしますよ。けど、それは仕事ですからね。それに相手も関係者だから、けっこう気を遣った感想しか言ってくれないでしょう。(まあ面と向かって否定されたら、それはそれで傷つきますが…)

リアルな世間の声や反応を体感するのは意外に難しいことです。笑ったり感動したりという「心の動き」は個人の心のなかで起こっていて、そもそも見えにくいものだからです。よほどの大ヒットキャンペーンになってコピーが流行語にでもなれば別でしょうが、僕のようにごくごくフツーの広告制作者は、自分の携わった広告の成果を「商品の売り上げ」とか「イメージ調査」といった間接的な方法でしか感じることができませんでした。

けれど「伝わったみたいだ」という結果だけでは、送り手としては物足りないのです。僕らは、どう伝わったかが知りたいのです。このコピーで、彼らは笑ったの?ハッとしたの?それともスルーされたの?見てる奴、教えてくれよ!届いてるのかよ!と思うわけです。

だから若手のころは、自分がコピーを書いた新聞広告の掲載日ともなると、通勤電車で朝刊をめくるビジネスマンの様子が気になったものです。新幹線で隣に座った人が自分の手がけたクルマの雑誌広告をじっと見ていたので、思い切って話しかけたこともあります。感想を聞いたら「このクルマが好きなので見てただけです。広告は別に…」。そのトラウマのおかげで知らない人には話しかけられなくなりました。

けれど時代は変わります。いまは広告の評判を知りたければ、すっかり人に心を閉ざした僕にもできるいい方法があります。Twitterの検索窓に、

 

〈クライアント名〉 広告

 

と入れるだけ。誰かが感想をつぶやいていれば、ずらずらっと出てきます。自分自身の仕事を検索してるわけですから、いわゆる「エゴサーチ」の一種ですね。広告の感想をわざわざブログに書く人はそう多くないですが、Twitterのような気軽な発信メディアが普及したことで、これまで見えなかった世の中の声が「可視化」したのです。世の中の縮図というには少し偏っているとは思いますが、それでも画期的なことだと思います。

そのとき僕が検索したのは英会話学校のキャンペーンでしたが、うまくいっていた仕事なのでポジティブな感想がずらっと並びました。「面白すぎて吹いた!」という表現の感想だけでなく、「自分の英語も大丈夫か心配になってきた」「英会話通ってみようかな」というようなものまで。コピーがうけてる!広まってる!効いてる!なんという快感。確かに届いているということを、はじめて直接的に実感できた経験でした。

以来、僕は本格的なエゴサーチャーとなりました。ときにはネガな意見もあって落ち込むこともありますが、やはり反応を知りたいという欲求が勝ります。そんなことしてるヒマあったら新しいコピー書けよ!と言われそうですが、反応をずうっと追いかけて見ているとそれはそれで面白い発見があったりするんですよ。成功したキャンペーンの「拡散のしくみ」がわかってきたり、自分なりの「拡散するクリエーティブの法則」があったり。というわけでこのコラムでは、ソーシャルメディア時代の「伝わりかた」「広がりかた」について、気づいたことや感じたことを語っていきたいと思います。

ところでこのコラム、誰かに届いてるんですかね?