スポーツブランディングの未来
〜スポーツツーリズムが生み出す地域の求心力
2015/12/18
社会の成熟化やグローバル化が進む中で、スポーツの持つ社会的・文化的・経済的な価値があらためて注目される今日。スポーツツーリズムを通じた都市や地域の活性化などの新たな潮流が、日本でも広がりつつあります。今回は、こうしたスポーツブランディングの新たな可能性と取り組みについて、日本のスポーツマーケティング研究の第一人者である、早稲田大学スポーツ科学学術院の原田宗彦教授と、電通の小西圭介氏が対談を行いました。
スポーツブランディングの新潮流
小西:原田先生とは、沖縄県の沖縄空手ブランディング検討委員としてご一緒させていただいています。先生は日本におけるスポーツビジネスのマーケティングの確立や、日本スポーツツーリズム推進機構 (JSTA)などで「スポーツ×観光」による地域の新たな価値を創出する取り組みなどを先導していらして、著書も非常に興味深く勉強させていただきました。
原田:スポーツツーリズムというのは、欧米では1980年代ごろから徐々に広がってきた概念ですが、特に欧米で長期休暇に行く場合、多くの人がスポーツをするということで、スポーツと観光が自然に絡み合ってきたわけです。
ところが余暇時間の少ない日本ではなかなかそうはいかなくて、週末に温泉旅行に行く、名所旧跡を回って帰ってくるといった短期観光が中心です。
われわれスポーツツーリズムの研究自体は早くから進んでいたものの、観光庁ができたのが2008年で、2012年に日本スポーツツーリズム推進機構が発足するなど、ようやく国を挙げての動きが出てきました。もちろん2020年東京オリンピック・パラリンピック招致も、その大きなインセンティブになってきたわけですが。
小西:昨今はインバウンドの急拡大とともに、観光立国として地域の魅力あるコンテンツとしてスポーツが脚光を浴びてきていますが、まさにこうした動きを原田先生が先導して尽力されてきたわけですね。特にスポーツツーリズムでは、都市や地域とスポーツを結びつけるという観点が新鮮でした。
原田:スポーツはリアルな体験として場所とひも付けられる特徴があります。スポーツを通じて都市や地域の活性化を図っていく考え方は、こうした特徴を生かして都市の経営戦略の中にスポーツを位置付けることで、①都市の「社会資本の蓄積」を行う、②地域内外の人々の「消費の誘導」を図る、③地域住民の「地域の連帯感の向上」に寄与する、④スポーツの持つブランド価値を生かした「地域イメージの向上」につなげる、といった成果を目指すものです。
スポーツと地域のつながりを考えた場合、例えばアメリカなどでは「メジャーシティー」という言葉があるぐらい、メジャースポーツのある都市のランクが高い。スポーツがまさに都市経営において重要な要素になってきたわけです。古典的な例では、貧困地域やスラム化した場所にスタジアムを造って再開発を行い、人の流れをつくり出すといったようなことが行われてきました。
小西:これらはいずれも中長期的な価値創造の取り組みですね。企業のマーケティング側からスポーツを見ていくと、どうしてもスポーツを「利用する」という一面的・短期的な視点になりがちです。原田先生の話をお聞きしていて、スポーツ選手や観客・サポーター、地域や企業など、スポーツに関わるさまざまなステークホルダーが、「スポーツの持つ社会的・文化的・経済的な価値を共有し、高めていく」という視点に非常に関心を持ちました。これはまさにスポーツブランディングの起点になるべき考え方だと思います。
ところで、とても基本的な質問になりますが、そもそもスポーツの持つ本質的な価値とは何なのでしょうか。
スポーツのブランド価値とは何か、なぜ今日重要になっているのか
原田:スポーツの価値は競技によってもさまざまな要素がありますが、共通する最大の魅力は、予測不能性(Unpredictability)だと思います。試合や競争といったゲームの中で、決して何が起こるかが分からないから人々を期待・注目させ、唯一無二の体験、ドラマや感動が生まれます。
小西:なるほど。マーケティングの世界でもブランド経験(エクスペリエンス)価値が重要だといわれますが、スポーツの持つこうした魅力、また「リアルな、リアルタイムな、フィジカルな体験」というものが、デジタルの時代になってより輝きを増しつつあるのではないでしょうか。コミュニケーションや生活時間が個別化していく中、スポーツは多くの人の同時的な共通体験を生み出し、感情を共有していく価値が高まっています。
原田:スポーツイベントには大きく分けて「見るスポーツ」と「するスポーツ」がありますが、特に今日では「するスポーツ」も参加者と市場を大きく拡大しています。マラソンなどはその代表例ですが、現在日本ではフルマラソン大会が実に年間190以上も開催されているわけです。こうした「するスポーツ」の拡大には、参加者の継続的な関与や行動を生み出し、観光や消費などをけん引する大きな力があります。
小西:そしてこうしたスポーツが人々の「つながり」や「自己成長」を生み出す本質的な価値を持っていることも、今日的なブランディングの大切な要素となっている理由ではないかと思います。これらはソーシャルネットワークやセンサーなどの記録テクノロジーを通じて拡張されている部分も大きい。ゲームや疑似体験などの参加性が高められることで「見るスポーツ」も「するスポーツ」の要素を持ち得ます。
原田:面白いですね。最近では、トライアスロンのようなハードな耐久性スポーツも急速に人気が広がっています。調査によると、一般に耐久性スポーツが持つ「きつい、苦しい、長い」といった負のイメージとは異なり、トライアスロン参加者が「克服する」「挑戦する」「成長する」「交流する」といったポジティブなイメージでこのスポーツを捉えていることが明らかになりました。
またトライアスロンを始めた人の年齢を聞くと平均29歳なんです。これは大人になって始めた人が大半ということですが、スポーツをすることが再社会化(Resocialization)、社会人としての新たなアイデンティー獲得の手段となっています。すなわち、こうした耐久性スポーツは「自己実現」の価値を与えてくれる手段であり、ブランディングの可能性が大きいことが分かってきたわけです。
「沖縄空手のブランディング」の取り組み事例について
小西:さて、続いて具体的な取り組み事例についてお話しできればと思います。現在原田先生とは、沖縄空手ブランディング検討委員としてご一緒させていただいていますが、日本固有のスポーツ文化の視点で「沖縄空手」を考えていくと、あらためて非常に大きなポテンシャルがあることを認識します。実は日本発祥でこれだけ世界に普及したスポーツ文化は、それほどないのではないでしょうか。
原田:世界空手連盟(WKF)による空手の競技人口集計(過去1年間の実施者)では、世界190の国と地域で実に1億人に上るそうですが、沖縄は空手発祥の地(琉球王国時代の沖縄武術“手<ティー>”が空手の発祥)であり、単なるスポーツを超えた独自の精神文化を持っています。
小西:「空手に先手なし」という言葉に象徴される、すべての形が「受け」から始まる守りの武術、その根底に流れる平和の精神ですね。
原田:沖縄の中学校では9割で空手の授業が行われていることなど、空手のオリジンとしての沖縄空手の精神性は、土地の文化と結びついて代替不可能なもので、非常に強力です。これは道場を広げれば簡単に世界に輸出できるといったものではありませんが、逆に言うと沖縄に来ることによって体験・体感できるので、スポーツツーリズム、またインバウンド的にも絶好の位置付けにあると思います。ちょうど日本の「おもてなし文化」のようなものですね。
小西:一般生活者から見ると、空手は男性的で、瓦を素手で割ったり打撃技で闘ったりする格闘技的なイメージが強いかもしれませんが、沖縄空手は闘わない自己鍛錬の武術であり「礼」の高い精神性を持つなど、イメージとはまったく異なる本質を持っており驚きました。また独自の呼吸法など健康・美容的な価値も含めて、もっと幅広い人に広がっていくポテンシャルがあると感じます。
「空手の日」の参加型イベントをはじめ、沖縄観光の魅力とも連携しながら、スポーツツーリズム戦略による一般層への接点づくりと価値伝達が重要ですね。
原田:空手は先日、2020年の東京オリンピックの正式競技としてIOCに提案されることが決まりましたが、それだけでなく、沖縄県が伝統空手を保存・継承・発展するための「沖縄空手会館」を来年竣工予定で、空手の発祥の地としてのシンボルとなる聖地づくりも進んでいますね。
また、ブランディング委員会では、沖縄空手が(「和食」のように)ユネスコの無形文化遺産に登録されることを目指しています。もしこれが実現すれば、沖縄空手の精神文化の価値を世界にアピールする点では非常に効果的でしょう。
日本のスポーツツーリズムにおける「アウトドアスポーツ」の可能性
小西:そもそも日本のスポーツ文化は、空手や相撲、柔道など非常に独自性豊かなものを持っていますよね。クールジャパンなどで、アニメをはじめ日本の文化を外国に輸出する取り組みなどは知られていますが、インバウンドも含めたスポーツツーリズムの観点から、日本の都市・地域におけるスポーツブランディングのポテンシャルをどのようにお考えでしょうか。
原田:日本におけるスポーツツーリズムのキーワードは「地方」と「自然」だと思います。先にアメリカの「メジャーシティー」の都市経営の事例をお話ししましたが、こうした都市インフラ整備は、ベースボールやアメリカンフットボールのようなものすごく集客力のあるメジャースポーツがあるからできるわけで、日本ではそこまで競技場などの設備投資をして集客・ペイできるスポーツがまだ野球ぐらいしかない。だから企業の広告宣伝費依存になってしまう。
こうした中で、日本の地方においてスポーツツーリズムのポテンシャルが最も高いのが「アウトドアスポーツ」だと思うんです。
小西:マラソンやトライアスロンだけでなく、登山やトレッキング、カヤックやラフティング、各種マリンスポーツなどアウトドアスポーツは確かに人気です。キャンプやグランピングなど自然を楽しむアクティビティーや、アウトドアギアの進化・ファッション化で、ライフスタイルとしても幅広い層に人気が拡大していますよね。
原田:日本の地方に行くと地方交付税のおかげで立派な道路があるけれど人口減少で人が住んでいない地域が多いわけです。そうしたところでは、インフラ投資がそれほどかからず、今ある川や山、海などの自然を使うことができる。
ニセコのパウダースノーが外国人に発見され大人気の観光地となっているように、日本には四季があり、夏から冬のスポーツまで楽しめる南北に長い国土環境、急峻な山岳や森の多さ、数多くの島々と長い海岸線など、世界的に見ても豊かな自然があるのです。こうした資源を今後どう生かしていくのか、という点も重要となってくるわけです。
小西:まだまだこうした観光資源は充分に生かされていませんし、地域独自のスポーツ×観光によるソフト価値を生み出して、市場を創造するブランディングやマーケティングの取り組みがますます重要ですね。
原田:そうですね。とにかく今までスポーツの側が、スポーツの価値を高める取り組みをほとんどしてこなかった。今後のスポーツツーリズムにおいても大きな課題であり機会だと思います。
スポーツブランディングの未来
企業・ブランドの新たなパートナーシップ
小西:さて、日本におけるスポーツブランディングの未来についてはさまざまな機会や課題があると思いますが、例えば2020年に向けて、今後どのようなことを考えていくべきでしょうか。
原田:メガスポーツイベントによるインバウンドも、短期的な取り組みに終わってしまってはもったいないと思います。例を挙げると2012年開催のロンドンオリンピックの場合、オリンピック前後の半年間の観光客は2%増程度でしたが、終わった後には12%以上増えている。それが目指す姿でしょう。
また、イギリスの年間観光客は現在3500万人ぐらいですが、そのうち1割程度がスポーツツーリストです。一番多いのがプレミアリーグ(サッカー)の観光客で約90万人、ウィンブルドンもゴルフもラグビーもあるし、時間をかけて非常に良質のスポーツコンテンツを育ててきていることによって、これだけのインバウンド観光需要を生み出している。
小西:確かにイギリスは、近代スポーツの伝統の強みを生かした、スポーツブランディングとビジネス展開ではお手本になりそうですね。
最後に、企業が今後スポーツブランディングをどのような視点で考えていったらいいかアドバイスをいただけますか。個人的にも、企業にとってもスポーツを「利用する」だけのマーケティングから、先進ブランドが取り組み始めているように、スポーツの「ブランド(経験)価値を共有し、コミュニティーやファンと共創する」時代の転換期に来ていると感じています。
原田:その意味ではCSRですよね。今、日本でも企業のパラリンピックへの注目なども急速に高まりつつありますが、もっとスポーツに社会的な価値を込めて共創していく。
以前私は「ワンカンパニー・ワンアスリート」というキーワードで、企業がトップアスリートを雇用して支援することを提唱して、現在JOCの「アスナビ」(トップアスリートの就職支援ナビゲーション)などに発展していますが、こうした選手の育成支援をしていくこともあるでしょう。
メディアとしてのスポーツ活用は企業がどんどんやっていきますが、一方で、こうしたマーケティング発想を、むしろスポーツ側が持たないといけない。例えばスポーツを通じた若年層の健全育成、高齢者福祉、寄付(ドネーション)などいろいろなスキームがつくれるはずです。
小西:企業やブランドにとっても、新たな需要を創造するスポーツツーリズムの戦略視点を持つことで、スポンサーとしての役割はもちろん、自分たちの事業リソースを活用しながら地域のコミュニティーと関わり、ブランド価値と持続的なビジネス貢献にもつなげていける可能性は非常に大きいと感じます。貴重なお話をありがとうございました。